「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「地中海交易網」を巡るフェニキア商人とギリシャ商人の衝突(紀元前1200年~紀元前5世紀)

フェニキア商人(紀元前16世紀~紀元前146年)による地中海交易圏の開拓

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エジプト新王朝(紀元前1570年頃~紀元前1070年頃)庇護下で成長を遂げた後に独立。しかし紀元前8世紀以降台頭してきたギリシャ人に地中海東部を奪われてしまう。

また諸大国が国力を回復すると次第にそれに圧迫されていく。

有力な港湾港市は、紀元前16世紀ウガリット紀元前14世紀ビュブロス紀元前14世紀シドン紀元前11世紀~紀元前9世紀テュロス紀元前5世紀トリポリと変転する。

以後のフェニキアは、ヘレニズム時代は紀元前198年以降セレコウス王国の、また紀元前64年以降ローマ時代は属領シリアの一地域でしかなくなる。十字軍時代においても一応地名としてはシドンテュルスベリトス(ベイルート)が地名くらいは上がる。一方オスマン帝国(1299年~1922年)支配下ではアレッポが栄えた。

その一方で紀元前2000年期~紀元前1000年期ユーラシア大陸中央部で進行した乾燥化は現地の半農半牧の定住民に遊牧民化か南下を強いた。彼ら自身が「紀元前1200年のカタストロフ」を引き起こした訳ではないが、あまりに多様で雑多過ぎた彼らは移住先におけるミノス/ミケーネ文明の伝統を継承して漸進的に半農半牧を営む定住民に変貌していく過程でドーリアアイオリス人といった集団概念を形成。これが「ギリシャ」概念の大源流となる。

詳細は不明だが紀元前8世紀以降人口爆発を起しアナトリア半島沿岸部黒海沿岸などへの植民市建設ラッシュが起り、地中海東部においてフェニキア商人から制海権イニチアシブを奪取する。その過程で共通の先祖を英雄ヘレネスとしたり、ホメロスイーリアス」「オデッセイヤ」ヘシオドス「神統記」「労働と日」が編纂されたりするうちに故郷をアナトリア半島ペロポネソス半島内陸部のアルカディアとする壮大なフィクション体系を構築していった。その分析から「キプロス島クレタ島→エイボイア島」と継承されてきたミノス/ミケーネ文明系が改めて黒海沿岸、アナトリア半島バルカン半島ペロポネソス半島シチリア島イタリア半島南部、さらにはフランス南部のプロヴァンス沿岸部などに広がっていく様子が浮かび上がってくる。

プロヴァンス沿岸へはギリシャ人による植民が行われた。紀元前600年代ギリシャ人がマッサリア(マルセイユ)に定住。彼らはニース(ニカイア)、アンティー(アンティポリス)、イエール(オルビア)、シス=フール=レ=プラージュ(タウロエイス)、アルル、そしてアグド(アガト)のようなラングドック沿岸の特定の部分やニームの南に移り住んだ。この地方に古くから住んでいたのはケルトリグリア人またはケルト・リグリア人であった。

こうしてオリエント文明の影響を色濃く受けつつ紀元前7世紀に形成された「東方化様式」を特徴とするドーリア交易圏を大きく塗り替えたのが、アケメネス朝ペルシア(紀元前550年~紀元前330年)の覇権が及ぶ様になったアナトリア半島から退避した陶器工房海商を迎え入れて紀元前6世紀に急成長を遂げたアテナイ交易圏だったのである。

しかしながらペルシャ戦争(紀元前500年~紀元前449年)を伸張の機会として利用しデロス同盟の盟主の立場に上り詰めた「イオニア人の成り上がり国家アテナイのこうした優位はペロポネソス戦争(紀元前431年~紀元前404年)敗戦によって失われてしまう。その裏側にはアケメネス朝ペルシャのロビー活動があったとも。