「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】アノマロカリスの野蛮な狩り?

題名はソ連映画スダフ王の野蛮な狩」より。

f:id:ochimusha01:20220319011646p:plain

どうやら現在のロシアにおいてはすっかり忘れ去られてしまっている模様…

ところで実証主義(Positivism)や実用主義(Pragmatism)の起源は、カンブリア爆発(Cambrian Explosion,5億4200万年前~5億3000万年前)の風景にまで遡ります。

f:id:ochimusha01:20220318231209p:plain

デカルトは「我考える、故に我あり」と言いましたが、生物はこの時代に初めて「眼球及び視覚情報を処理する脊髄」を獲得するのです。すなわちそれは「思考」の歴史の始まり、あらゆる数理的直感やビジネスモデルの出発点でもあったといえましょう。

ビジネスモデルの出発点①「勝者必滅」説

生物史上最初に眼と視覚情報を処理する脊髄」を相応の形で獲得したのはカンブリア爆発Cambrian Explosion、葯5億4200万年前〜5億3000万年前)の左右相称動物Bilateria)とされる。これ以降(それを備えない放射相称動物Radiata)が進化面で遅れを取り始める一方、この新たな能力を初めて捕食動物として有効活用したアノマロカリスAnomalocaris、約5億2,500万〜約5億0,500万年前)が「(当時の生物としては破格の大きさまで成長する地球最初の百獣の王」の座に躍り出る。

しかし「地球最初の百獣の王」は、その一方で自らの系統を一切残す事なく死滅していった。一説によれば皮肉にもこの捕食性動物は、その奇跡的成長ゆえに「(棘や殻や毒で自衛した食えない連中」のみを淘汰によって生き延びさせる一方、同種の生存戦略をより洗練させた魚類の登場を促する形で駆逐されていったのだという。こうした「地上に初めて現れ、かつ与えられた歴史的前提より(良い意味でも悪い意味でも)引き出し得るポテンシャルの全てを引き出し切ってその歴史的役割を終えた後に跡形もなく消滅した」全体像を俯瞰して「あらゆるビジネスモデル歴史的事象の先例」と揶揄する向きもある。まさしく「平家物語13世紀前後成立)」の冒頭「祗園精舎の鐘の声、 諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。 たけき者も遂にはほろびぬ、 偏に風の前の塵に同じ」の世界…

確かに少なくとも生物史のこの時点では食物連鎖のサークル内で如何に生き延びるかだけが全てだったのです。

f:id:ochimusha01:20220318235857p:plain

こうした競争の勝者が概ね自業自得の所業の末に滅んでいくのは、自らを駆り立てるモチベーションを自ら分析するモチベーションに欠けているからとも。

聖地アッシュールに地上の全ての土地を帰属させるべく死力の限りを尽くした新アッシリア帝国は、その一方でその大義名分がアッシリア人意外に理解不能である事を恐らく察知しており、その是非自体について一切論じてない。太陽に少しでも多く生贄の心臓を捧げ続ける為に戦線拡大を続けたアステカ人も「サンプル数が無限に増大し続ける状況下では正規分布のみが残る」とし他の分布の有効性を一切認めなかった正規分布原理主義もそうだった。

ビジネスモデルの出発点②「生物多様性保全」説

おそらくこの問題は「前後左右上下を峻別するデカルト座標の起源がカンブリア爆発Cambrian Explosion、葯5億4200万年前〜5億3000万年前)に左右相称動物(Bilateria)が視覚、および関連情報を処理する脊髄=中央情報処理器官(Central Infomation Processing Organ)や(これに連動して動作する)四肢に該当する諸器官をセットで獲得し「生物史上初の百獣の王アノマロカリスAnomalocaris、約5億2,500万〜約5億0,500万年前)が登場して滅んだ時点にまで遡り、その頃から今日に至るまでこのシステムが単なる数理としてだけでなく「生存競争に勝ち抜く為の諸努力」と不可分な形で結び付けて考えられてきた事に由来する。

一方、アノマロカリスに食べ尽くされて種として淘汰されたくないだけなら、四肢を備えずとも、などを備えるだけで良かった事もあり(人類がその後「マルサスの法則」や「ロジスティック方程式」といった形で再発見する)個体や集団の生存原理そのものはクラゲやヒトデの様な放射相称生物Radiata)が対等なライバルだった時代からそこまで徹底して変わってしまった訳でもなく、この事が生物の様式をそれまで以上に複雑化(多様化)させてきたといえなくもない。

まさに「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない」ハードボイルド路線…

さらにつけ加えておくと、それ以降生物の視覚が如何なる進化を遂げてきたかについて全てが解明されている訳でもありません。従って、それに付随して発達してきた筈の情報処理能力も細部が分からないままなのです。

「直感(Intuition)」の起源について。

ルネ・デカルトRené Descartes、1596年〜1650年)やイマヌエル・カントImmanuel Kant、1724年〜1804年)は「(人間が認識可能な情報の集大成としての独Ding、英Thing)の世界」と「(その外側に「原則として」人類に不可知な形で拡がる物自体独Ding an sich、英thing-in-itself)」の世界を峻別しつつ、人間はある種の直感能力によって後者と直接結びついている筈としました。しかしながら、とりあえず「視覚情報処理能力」そのものは全然先験的a priori)能力ではありません。

先天性全盲者の臨死体験

眼に原因がある先天性盲人や早期失明者を,開眼手術を施して眼を完全に治療しても,手術直後直ちにその人が見えるようになる訳ではない。その理由は外界の情報を入力する眼は完全になっても,その情報を処理する脳の視覚野が生来情報が入力されてこなかった為に,発達していないからである。人間が見えるようになるためには,見るという経験が不可欠なのである。視覚を学習するためには,その後かなり長時間の訓練が必要とされている(鳥居・望月1992,1997, 鳥居1982, 本田214~238, A・Zajone 1~6)。 先天性盲人の開眼手術の場合は,手術直後の段階では,光だけを受容し,眩しいと感じるのみで,色や形は識別出来ないので,事物を見ることが出来ない例が多く,色よりも形の知覚を学習することの方が難しい(鳥居1995.93~95)。光が視覚以外の感覚を混乱させてしまうので,眼を閉じて見ようとしなくなる人もいる(von Senden 1960)。生来全盲の人は,高さや距離の概念が欠如しているので遠近感がない。手術直後は色もわからないが,色の方が形よりも学習し易い。また3次元の物(立方体)から2次元の物を区別するのが困難である(Nathan 252~254)。ヒトの大脳皮質視覚野は,感受性期が生後3,4才頃までであると言われている(津本1991.129 川口245~257)。幼年期から長期にわたって失明した人は,成人してから開眼手術をしても、視覚を獲得するには1年以上かかり,失明したのが生後間もない時期であって,視覚パターンが未発達であればある程,視覚を獲得するのが困難になる(Valvo1968.19~24,Gelbartet al 615~621)。先天性全盲者は,脳の視覚野で視覚イメージを作るという情報処理メカニズムが発達していないので,視覚以外の4つの感覚からキャッチしたデータに基づいて,視覚イメージを構成すると言うこともできない。

歴代の数学者や物理学者が科学的直感を得てきたのは、まさにこの「視覚情報処理能力」からだったのではないでしょうか。そこにわざわざ「物自体の世界からの超越的示唆」など追加する必要が本当にあるのでしょうか。ああ、まさにこの考え方こそが「唯物論=形而上学実証主義」の出発点?