「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「総力戦」の誕生

ここで第一次世界大戦(1914年~1918年)前夜、すなわち南北戦争(1861年~1865年)、戊辰戦争(慶応4年/明治元年(1868年)~明治2年(1869年))、普仏戦争(1870年~1871年)、マフディーの反乱(1881年~1899年)、日清戦争(1894年~1895年)、ボーア戦争(1899年~1902年)、義和団の乱(1899年~1900年)、日露戦争(1904年~1905年)、辛亥革命(1911年~1912年)があった時代を振り返っておきましょう。

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【用語集】「自殺を煽る」近世コンテンツの病理

絶対王政全盛期の18世紀フランスではアベ・プレヴォマノン・レスコー(Manon Lescaut ,1731年)」に代表される「王侯貴族の次男坊以下が軍隊の将校や教会の聖職者に押し込められた境遇を不服に思い、政略結婚に使えなくて修道院に押し込められた王侯貴族の娘と駆け落ちしたり、高級遊女に誘惑されて破滅的結末を迎えるラブロマンスが流行し、マルキ・ド・サド文学ゴーティエ死霊の恋La Morte amoureuse、1836年)」、アンデルセン即興詩人Improvisatoren,1835年)、小デュマ椿姫La Dame aux camelias,1848年)」などに影響を与えました。

この種の物語がすべからく悲劇的結末を迎えるのは当時の体制に対する配慮という側面もあったといいます。むしろ今日の関心を引くのは、かかる強烈な「ここではない何処か」に向かいたい感情がどの土地に結び付けられてきたかだったりします。

特に重要だったのがその最初期の段階。ルソーがフランスで「ジュリまたは新エロイーズ(Julie ou la Nouvelle Héloïse、1761年)」を発表すると、ドイツでゲーテがこれを換骨奪胎する形で「若きウェルテルの悩みDie Leiden des jungen Werthers、1774年)」を発表して大成功を収めた瞬間。

若きウェルテルの悩み」は単なる模倣ではなかった。英国やスイスやベルギーやチェコカタルーニャアメリカでは自然発生的に広がった産業革命。その導入方法がフランスやドイツに波及する過程で他地域へも伝播可能な内容に編纂されたのと良く似ている。ここで重要な鍵を握ったのは「地上のあらゆる知識を網羅し尽くそうとするフランス啓蒙学的妄執」の「知り得た事の限りを尽くして自らの世界観を構築しようとする一個人の苦悩」への置換。それで全体の分量が大幅に削減され、内容も現代人の再読に耐えるものになった。実際現代日本でも「若きウェルテルの悩み」は相応に読み返されているが「新エロイーズ」の場合は、それを読破する事そのものが宗教的苦行と認識され、敬遠されていたりする。

ただしこの作品の流行は「若者の自殺を急増させる」という副作用を伴ったのです。

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【用語集】古典的浪曼主義の地理的視界について。

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絶対王政全盛期の18世紀フランスではアベ・プレヴォマノン・レスコー(Manon Lescaut ,1731年)」に代表される「王侯貴族の次男坊以下が軍隊の将校や教会の聖職者に押し込められた境遇を不服に思い、政略結婚に使えなくて修道院に押し込められた王侯貴族の娘と駆け落ちしたり、高級遊女に誘惑されて破滅的結末を迎えるラブロマンスが流行し、マルキ・ド・サド文学ゴーティエ死霊の恋La Morte amoureuse、1836年)」、アンデルセン即興詩人Improvisatoren,1835年)、小デュマ椿姫La Dame aux camelias,1848年)」などに影響を与えました。

この種の物語がすべからく悲劇的結末を迎えるのは当時の体制に対する配慮という側面もあったといいます。むしろ今日の関心を引くのは、かかる強烈な「ここではない何処か」に向かいたい感情がどの土地に結び付けられてきたかだったりします。

①アベ・プレヴォー「マノン・レスコー(Manon Lescaut ,1731年)」

最後に流刑地としてのフランス領ルイジアナが登場する。

一方アメリカにおいて(知らない間に英国人入植地に併合されていたオランダ人入植地同様)「旧フランス入植地」は異国情緒の源泉として機能してきた。「夜明けのヴァンパイア(Interview with the Vampire,1976年,1994年映画化) 」を第一作とするアン・ライス(Anne Rice、1941年~)の吸血鬼文学発祥地でもある。ネットドラマゲーム・オブ・スローンズ(GoT=Game of Thrones, 放送2011年~2019年)」原作「氷と炎の歌(Song of Ice and Fire)シリーズ(1996年~)」が代表作となったニューヨーク出身のジョージ・R・R・マーティンがそれ以前に手掛けた吸血鬼物「フィーヴァードリーム(Fevre Dream,1982年)」もまた主要舞台はミシシッピー河流域を往復する汽船だったりする(時代設定は南北戦争開戦前夜)。

 

カソリック文化圏+女性作家」といえば当時はフロリダ州マイアミ出身のパトリシア・コーンウェルの手になる「検屍官(Postmortem)シリーズ(1990年~)」もまた一世を風靡した事を忘れてはならない。こちらでも「狼男」といったフランス本国出身のサイコパス犯罪者が独特の活躍を見せた。

そういえば(黒人文化と白人文化が混交する)カリブ諸島に傾倒した007小説作家イアン・フレミング死ぬのは奴らだ(Live And Let Die,1954年。日本では1957年にハヤカワ・ポケット・ミステリの一点として刊行され、これがシリーズ最初の邦訳となった。黒人観客取り込みを狙って1973年映画化。同時にアジア系観客の取り込みも狙って格闘技要素増大)」の主要舞台の一つでもある。第1作こそ冷戦下におけるフランスのカジノを舞台とする一幕劇的死闘を主題とした「カジノ・ロワイヤル(Casino Royale:You Asked for It,1953年)」だったが、初めて映画化されたのはカリブ諸島そのものを舞台に選んだ「ドクター・ノオ(Doctor No, 1958年,映画化1962年)」だったし、大作映画化への第一歩を踏み出したのもまた当時の水中撮影技術発展を活かすべく改めてカリブ海を舞台に選んだ「サンダーボール作戦(Thunderball,1961年,映画化1965年)」だったのである。

 

こうした文化的差異は米国における東海岸文化と西海岸文化の伝統的対峙にも人種論や国籍論を超越する形で浅からぬ影響を与えてきたのである。

マルキ・ド・サド文学

文学史上最初期の職業編集者/職業作家」に分類されるエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe, 1809年~1849年)同様、市場マーケティングの結果を自作に反映させた最初期の作家の一人で、この分野について後世に興味深いカタログを残す事になった。主な舞台として選ばれた「外国」はヴェネツィアフィレンツェといったイタリア諸都市、および地中海沿いに連続するギリシャ地方とその奥に広がる東欧諸地方。バルバリア海賊の本拠地だったアルジェリアチュニジアリビアといった北アフリカ沿岸部。(当時フランスと良好な関係にあった文化的先進国)オスマン帝国が(それぞれの地域の悪徳を裁き切れずにいる)善意の第三者として比較的好意的に描かれる一方で(当時なお異端審問が形式上続いていた文化的後進国)スペインへの言及は悪意に満ちており、その一方でハプスブルグ公国への言及は原則として憚られているが、(まだマーケティング結果の反映が見られない)処女作「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校(Les Cent Vingt Journées de Sodome ou l’École du libertinage, 1785年)」では「太陽王ルイ14世時代に悪逆の限りを尽くして蓄財した悪人達が粛清を予期して選んだ最後の蕩尽の地」としてフランスに隣接する森深きドイツの山岳地帯シュヴァルツヴァルトが例外的に登場する。 かかる形での「神秘が現存する後進地域としてのドイツ」の独特の雰囲気(Atmosphere)は、フランス革命ナポレオン戦争によって王権と教会の既存権威の動揺が始まった時代に上梓されたフーケ「ウンディーネUndine、1811年)」にも継承されていく。

 ③バイロン(George Gordon Byron, 6th Baron Byron, 1788年~1824年)「チャイルド・ハロルドの巡礼1・2巻(Childe Harold's Pilgrimage, 1812年)」

18世紀フランス絶対王政の英国貴公子はグランドツアー(Grand Tour)と称して(文化的先進地たる)パリに滞在しイタリア諸都市を巡るのを常としていた。
フランス革命ナポレオン戦争によってその継続が不可能となったのでバイロンは、1809年から1811年にかけてポルトガルスペインギリシャといった地中海沿岸地域を廻り、その経験を生かしてこの異国情緒あふれる詩集を上梓したのだった。その後社交界の寵児として乱れた生活を送った結果英国に留まれなくなり、シェリー夫妻とスイス各地を巡遊。ヴェネツィアラヴェンナピサジェノヴァなどで退廃した生活を続ける。1823年ギリシャ暫定政府代表の訪問を受けて2年前から始まったギリシャ独立戦争へ身を投じることを決意、1824年に現地入りを果たして熱病にかかって死去。
バイロン卿のロマン主義文学や(1786年のイタリア旅行に始まり、1805年のシラーの死をもって終わる)疾風怒濤期からヴァイマル古典期にかけてのゲーテ文学の基底には、ハプスブルグ帝国がオスマン帝国に対し軍事的優勢を誇る様になって奪還した東欧諸地方より伝わった吸血鬼譚欧州伝統の精霊譚の混交が確実に含まれてくる。例えばキリスト教伝来期のギリシャを舞台に選んだゲーテコリントの花嫁The Bride of Corinth、1797年)」に登場する少女吸血鬼(オリジナルの東欧伝承に近い「生者を自らの側に引き込もうとする死体」)は(ワーグナータンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦(Tannhäuser und der Sängerkrieg auf Wartburg,1845年)」には騎士吟遊詩人たる主人公を魅了する「反キリスト教的存在=妖精の隠れ里」の女主人として現れる)ギリシャ神話の女神ヴィーナスが冥界の女王として(現体制への復讐を企図し)仮初の生命を吹き込んだ存在であった(そう、あたかも)。そしてイオニア七島(ケルキラ島、パクシ島、レフカダ島イタキ島ケファロニア島ザキントス島、ストロファデス島)を舞台とするバイロン卿の物語詩不信心者The Giaour、1813年)」の時代設定も英国統治時代(1809年から1810年、1814年から1864年にかけて。以降はギリシャ)以前=ヴェネツィア共和国統治期(1386年〜1797年)終焉後、すなわち事実上オスマン帝国ロシア帝国が共同統治したイオニア七島連邦国時代1800年〜1807年,当時はロシア軍が現地に常駐)で、オスマン帝国から半ば独立しフランスやイギリスと独自外交を行ったアルバニア人地方豪族テペデレンリ・アリー・パシャ(1750年?〜1822年。その過酷な支配から「イオアニアのライオン」と呼ばれ1822年オスマン軍の攻撃により殺害)によるモレア略奪も一段落ついた頃とされている。ここで物語展開の機軸に選ばれた「不信者の烙印を押された者は自らの子孫を滅ぼし続ける」なる伝承もまたオスマン帝国経由で東欧より伝わった吸血鬼譚の一バリエーションであり、皮肉にもバイロン自らが(欧州遍歴に専属医として同行した同性愛者の恋人)ポリドリが嫉妬を込めて発表した「吸血鬼(The Vampire 1819年)」の大ヒットを契機にその眷属の代表格として取り込まれていく事によって近代吸血鬼譚の重要な原型の一つが完成する形となったのである。

かかる「(王権や教会といった既存権威に立脚した当時の欧州体制を批判する)不穏な反キリスト精神」こそが(バイロン卿の欧州旅行に同行した)英国浪曼派詩人パーシー・シェリPercy Bysshe Shelley、1792年~1822年)の手になるソネットオジマンディアス(Ozymandias, 1818年,古代エジプト王朝の滅亡とナポレオンの栄華の儚さを重ねた当時のシェリーの代表作)」や長詩縛を解かれたプロメテウス(Prometheus Unbound,1820年)」さらにはその妻メアリが上梓した「フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス(Frankenstein: or The Modern Prometheus,1818年)」にも共通して流れる基底になったといえよう。

人類に禁断の火を与えたプロメテウス」といえば、セットで連想されるのは当然「思い上がった人類を罰する為に遣わされたパンドラ」となる。どうやらその大源流はエジプト神話における「バズテト(Bastet)=セクメト(Sekhmet)二重女神説」、インド神話における「パールヴァティー(Parvati)ドゥルガー(Durga)=カーリー(Kari)三位一体説」、さらにはフェニキア商人黄金期(紀元前10世紀頃〜紀元前1世紀、ただし東地中海では紀元前8世紀以降、数的優位に物をいわせて植民都市を建築し続けたギリシャ商人に競り負ける)に地中海沿岸部全域に渡って内容標準化が図られた形跡が見受けられる「バール(男主人)/バーラト(女主人)二重信仰」、そして家母長制から家父長制への歴史的変遷を暗喩するテーバイ叙事詩における「カドモスとハルモニアの結婚(およびこれを発端とする「テーバイの七将攻め」における「ハルモニアの首飾り」や「エピノゴイ(後継者)戦争」における「ハルモニアの花嫁衣装」が果たすネガティブな役割)」などであり、どうやらこれらの顕在形は当時それなりの形で水面下で連続していたらしい。

科学実証主義的手段を信用しない古典的浪曼主義は、精々こうした歴史的背景について再照明の機会を与えるのが精一杯で、史料的欠損部を文学的想像力によって強引に補おうとした「ケルティックルネサンス(Celtic Renaissance)」はほとんど再発明の領域にまで到達してしまう。しかもそれはそれで面白いという発想が出てきてアングロ・アイリッシュの作家ダンセイニ卿の手になる「ペガーナの神々(The Gods of Pegāna, 1905年)」を筆頭に掲げる「創作神話」なるジャンルが開けたのだった。ここから先はもう近代メディア論の世界に突入してしまう。

それにつけても「放射能の発見者キューリー夫人(Maria Salomea Skłodowska-Curie, 1867年~1934年)に対して「(クォーツ時計を誕生させた)ピエゾ素子の動作原理」の発見者たるピエール・キュリー(Pierre Curie, 1859年~1906年)の評価が不当に低い様に「シェリー夫人の夫パーシー・シェリの評価も同様に低い事に何か共通する呼称を与えたい気もする。

ちなみに現代の若者文化に古典詩オジマンディアス」を復活させたのはTVドラマ「ブレイキング・バッド(Breaking Bad,2008年~2013年)」の功績だったりする。まぁ日本人の多くが平家物語(13世紀成立)の一節「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」を連想する様な感じで「無常感を表す歴史的表現」として定着したとでも考えておけばまず間違いない。
一方当時のゲーテフランス革命によって国を追われた少女ドロテーアとドイツの純朴な青年ヘルマンが出会い結ばれる過程を市民的節度を賞揚しつつ描いた恋愛叙事詩ヘルマンとドロテーア(Hermann und Dorothea, 1797年)」を発表し、当初からドイツ市民層の間で広く読まれている。こうした文化の基底にあったのはフランスにおいてユダヤ教徒ユグノーに対する迫害が激化する都度、その受け皿となって発展してきたドイツ文化の矜持であった(ここでいう「ドイツ文化の矜持」はハプスブルグ帝国の首府オーストリアのウィーンやバイエルン地方を中心とする大ドイツ的イデオロギーと対立した小ドイツ的イデオロギーの大源流であり、プロイセン王国の首府ベルリンや「(亡命ユグノー受容で拡大してきた)グリム童話の故郷」ヘッセン州などを中心とする)。逆をいえば当時のドイツ人有識者にとっては上掲の様な吸血鬼譚の系譜より、よほどこうした基底の方が重要だったとも。そしてかかる機運がプロイセンを中心とするドイツ統一を主張するプロイセン学派を率いる歴史学者ドロイゼン(Johann Gustav Bernhard Droysen, 1808年~1884年,「(アレキサンダー大王の東征から古代ローマ帝国によるプトレオマイオス朝エジプト併呑までを一つの時代区分として切り離す)ヘレニズム時代」概念の提唱者)の台頭や「グリム童話(Grimms Märchen, 初版 1812年~1815年)」編纂といった民族運動を準備したとも。
ゲーテの手になる教養小説の古典「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代(Wilhelm Meisters Lehrjahre, 1796年)」の続編「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代(Wilhelm Meisters Wanderjahre,1829年)」において主人公達が最終的にアメリカへと渡るのもまた一応は上掲の近世ロマン文学の延長線上で語り得るが、実はこの流れ自体は「フランス小浪曼派」を代表する一人たる狂詩人ネルヴァルが「ファウスト(Faust,第一部1808年、第二部ゲーテの死の翌年1833年第一部」を筆頭とするゲーテの諸作品やE.T.A.ホフマンの幻想的短編小説のフランス語訳発表(1829年)で名を挙げたのに端を発する「国際的再評価期」に含まれる。ゲーテ自身も30年前のイタリア旅行を回想しつつ書いた「イタリア紀行(1817年)」を上梓し、オリエント文学への興味増大からコーランやハーフェズの詩に触れ「西東詩集(1819年)」を刊行する過程で「文学は世界的視野を持つべき」と考える様になりエマーソンなど多くの国外の作家から訪問を受け、バイロンに詩を送り、ユーゴースタンダールなどのフランス文学を読んだ時代に属するのである。

それにつけても「現実は常に裏切る、なんて残酷なの」である。戦前から終戦直後にかけて日本の推理小説ジャンルの最前線で活躍した江戸川乱歩横溝正史1970年代リヴァイヴァル期に「(ドグラ・マグラ(1935年)」の夢野久作と一緒くたに)日本近代的ノスタルジーを代表する作家」として再規定されてしまった様に「疾風怒濤期からヴァイマル古典期にかけてのゲーテ文学」もまた大衆化が進行して軽薄なものしか受け付けなくなったドイツ本国のビーダーマイヤー期(Biedermeier、1815年〜1848年)にはタナトス(Thanatos=死への誘惑)に憑かれた1810年シューベルトが大衆酒場での合唱用に立て続けに作曲した「野ばらHeidenröslein、1815年)」「魔王Erlkönig、 1815年頃)」「死と乙女Der Tod und das Mädchen、 1817年)」「ますDie Forelle、1816年〜1821年)」の元詩として回想されるばかりとなってしまったのである。そして「狂詩人」ネルヴァルに至ってはフランス幻想文学の英訳で名を馳せた時代のラフカディオ・ハーンに「ただの頭のおかしいおじさん」のレッテルを貼られ、坂口安吾に「おでん屋(おそらくポトフ屋)ですら飲めずその前で首を吊った零落者」と言い広められてしまい、最近まで再評価される事はなかった有様であった。それにつけても「(日本のおでん屋に対応する)フランスのポトフ屋」とは?

ネルヴァルの『ファウスト』解釈 : その訳業の周辺をめぐりつつ

昔、フランスでも、ネルヴァルという詩人の先生が、深夜に泥酔してオデン屋(フランスのネ)の戸をたゝいた。かねてネルヴァル先生の長尻を敬遠しているオデンヤのオヤジはねたふりをして起きなかったら、エエ、ママヨと云って、ネルヴァル先生きびすを返す声がしたが、翌日オデンヤの前の街路樹にクビをくゝって死んでいたそうだ。一杯の酒の代りに、クビをくゝられた次第である。

1855年1月26日ヴィエイユ=ランテルヌ古いランタン)通り(ボードレールに言わせると見出し得る最も汚い一角)の下水道の鉄格子で首を吊っているネルヴァルが発見された。友人たちは、この悪名高い場所でいつもの散歩をしているところを浮浪者たちに殺害されたのではないかという仮説を述べたが、おそらくネルヴァルは自殺したものであろう。しかしながら、普通なら絞首の際の体の動きで落ちたであろう帽子が頭に乗った状態で発見されたので疑問は残る。冬を越すのに充分な額である(とネルヴァル自身が主張した)300フランを求める手紙が発見された。葬儀はパリのノートルダム大聖堂で執り行われている。自殺ではあったが、精神状態のためであったと見なされ、カトリックの葬儀が許されたのである。そしてテオフィル・ゴーティエアルセーヌ・ウセがペール・ラシェーズ墓地の永代使用料を支払った。

H・P・ラヴクラフトはハーンの著作を読んでおり「数多くのロースト・ビーフ型の作家には不可能な幻想をつくりだす」と、かなり好意的な評を残しており、ハーンへの言及ふくむラヴクラフトの一連の怪奇・幻想文学評論は『文学における超自然の恐怖』に収録されております。両者のブードゥーへの興味やアウトサイダーとしての視点には共通点を見出せるのではないかなと。

アンデルセン即興詩人(Improvisatoren,1835年)」

北欧デンマーク出身のアンデルセンが憧れのイタリア南部の名勝旧跡、風光明媚な自然のたたずまいを情熱をこめて描写し国際的ヒット作となった。主人公はローマの貧困家庭に生まれた即興詩人の卵でナポリヱネチア(ヴェネツィア)、カプリ島、そして「遺跡の街ポンペイペスツムを遍歴する。

とっさに思い出したのが辻仁成江國香織による恋愛小説冷静と情熱のあいだ (Calmi Cuori Appassionati, 連載小説1997年~1999年,映画化2001年)」辺り。主要舞台は東京・フィレンツェミラノだった。南イタリアではないのだけれど…

 


日本人は「イタリア最古の海洋国家アマルフィへの関心も深い。魚醤の一種「ガルム」と「しょっつる」が結ぶ縁とも? あ、これは一応「」の話…
そもそもイタリアは何が特殊なのか。その話は欧州において絶対王政顕性政体として台頭してくる以前、すなわち大航海時代到来によって欧州経済の中心地が大西洋沿岸に推移する以前、すなわちイスラム教文化圏キリスト教文化圏より優位に立っていた地中海経済圏においてルネサンス期イタリアの諸都市が欧州における文化的先進地域として台頭してきた14世紀~16世紀まで遡るのである。その直接の契機となったのは黒死病の流行と「アルコール消毒」や「検疫」の概念を有するイスラム教文化圏やイタリア諸都市、それに加え(16世紀から17世紀にかけて農業大国としてオスマン帝国に匹敵する国勢を保った)ポーランド・リトアニア共和国(1569年~1795年)の優位樹立であったという。
英国観点からもヴェネツィアの異国情緒にはまた特別なものがあった。
DCコミックスバットマン(Batman,1939年~)」に登場する女Villainポイズン・アイビー(Poison Ivy, 1966年~)の大源流は概ね(時はただ「遠い昔」とのみ規定され,場所はイタリア北東部パデュア(Padua)=現ヴェネト州パドヴァ(Padova)の植物園とのみ設定される)ナサニエル・ホーソーンラパチーニの娘Rappaccini's Daughter、1844年)」とされますが…

丹羽隆昭「毒に染まった天使『ラパチーニの娘』への一視点」

 

 

ヴェネツィアはその最盛期にはイオニア7島(ケルキラ島、パクシ島、レフカダ島イタキ島ケファロニア島ザキントス島、ストロファデス島)も統治下に置いており(その時代にビザンチン帝国やイスラム諸王朝の文化をも取り込んだある種の汎地中海文化を大成させる。拠点となったのはキプロス島辺り)、そこ出身の小泉八雲(Patrick Lafcadio Hearn, 1850年~1904年)が世界遍歴の末に日本で見出した神話が「牡丹灯籠」や「雪女」であった事が興味深い。思わぬ地中海文化日本文化の接点?

 

産業革命の影響

貴族的浪曼主義文化の展開そのものは(産業革命がもたらした大量生産/大量消費スタイルの到来によって伝統的インテリ/経済的ブルジョワ/政治的エリート階層に代わって消費の主体となった)大衆文化に受容される形で発展的に解消されていく道を辿る。
その過程で「神秘が実存し続けている僻地」は以下の様な形で現れた。歴史的叙事詩においては「ローエングリンLohengrin;1850年初演,ワーグナーのオペラ)」における(ヴァイキング=北方系諸族の略奪遠征とマジャール人西進が深刻だった時代の)オランダ河川敷や「ニーベルングの指環四部作(Der Ring des Nibelungen, 1848年~1874年,リヒャルト・ワーグナーの楽劇)」における(古代ブルグント族が闊歩していた時代の)フランス・ブルゴーニュ地方。こうした歴史的背景を有さないロマンティック・バレーの世界においては「ラ・シルフィード(La Sylphide:1832年,三大バレエブラン(Ballet Blanc)=白のバレエの一つ)」におけるスコットランド山岳地帯、「ジゼル(Giselle,1841年,ティオフル・ゴーチェ(Theophile Gautier)が脚色を担当した三大バレエブラン(Ballet Blanc)=白のバレエの一つ)」「白鳥の湖(Лебединое озеро;1877年初演,チャイコフスキーの手になる三大バレエブラン(Ballet Blanc)=白のバレエの一つ)」におけるドイツ山岳地帯、「レ・シルフィード(Les Sylphides,初演1907年,深夜の森に出現した風の精シルフィードショパンがとりとめもなく語り合うフランスに本拠を置いた亡命ロシア人集団バレー・リュスの演目)」におけるポーランド原野。もはや舞台上の書割りとしてしか残ってない感じ?

そして遂にブラム・ストーカーの恐怖小説「吸血鬼ドラキュラ(Dracula,1897年)」の時代に至っては物語が僻地だけでは完結しなくなり、東欧の僻地を根城とする怪物が上京してロンドンを荒らす様になる。「滅ぼすべき退廃の象徴としての大都市」を「ニーベルングの指環四部作(Der Ring des Nibelungen, 1848年~1874年)」を作曲したワーグナー霧の都ロンドン、「メトロポリス(Metropolis,1927年)」を監督したフリッツ・ラング監督と脚本家テア・フォン・ハルボウは産業革命が生んだ巨大都市ニューヨークから着想した。