「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】デカルト(フランス)からジャンバッティスタ・ヴィーコ(ナポリ)へ

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フランス人は「フランスらしいアレンジ」を生み出す「しっかりした物差し」の源泉として「理性raison)」を崇拝しているのです。そしてそれを概ねルネ・デカルトの理念と重ねている様なのです。

  • 理性」…明治時代日本人が仏語raisonの訳語として考案した和製英語。すなわち「自由」「精神」「経済」同様に近代以前には概念も存在していなかった言葉。
  • 自由」…英語Freedom(禁止が視野内に存在しない状態)とLiberty(禁止される可能性すら忘れられる状態)の概念が混ざった独特の言い回し。近代以前にも「勝手人の事情も考慮せずわがままに振る舞う)」や「御免身分特権や特別な引き立てや対価支払いによる制限解除)」といった表現ならあったが当時の訳者は、それではしっくりこないと考えたのである。
  • 精神」…英語肉体(body)の対語としてのspirit の訳語。英語圏では状況によってmind()、soul ()、will (意志)などと呼び分けられる。
  • 経済」…英語economy生産・分配・交換・消費一連の行為)の訳語だが、和製語ではなく中国古典からの借用語經世濟民世を治め民を救う)概念は政治統治行政一般だけでなく個人倫理のみを扱う儒教に対して「社会経営そのものを扱う実学」と定義づけられていた。実は 江戸時代日本では貨幣経済浸透に伴って既に一部民政家がeconomyの意味で用い始めていたとも。

ルネ・ デカルト(1595年〜1650年方法序説Le Discours de la Methode、1637年

フランス語で書かれた初めての哲学・科学論文であり「すべてを『自然の光』によって検証し、そこにだけ真理を見出していく合理主義rationalism)と、イタリア・ルネサンスの影響で古典を題材に選びつつも「(官能に導かれるままに均衡と調和を求める」フランス人の保守的傾向を反映した古典主義が生まれたとされる。

  • 古典主義的規範の先駆けとなったのはマレルブFrancois de MALHERBE、1555年〜1628年)。詩人として単純・明晰で理性にかなった表現法を主張。デカルトの文章表現もその延長線上にある。

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  • 方法序説」文中に何カ所か中国やペルシャへの言及がある。要約すると「理性や分別は欧米人同様に分け与えられているが人間の行動を文化的に規定する生活慣習が欧州と異なるので詳しくは知らないが相応の差異がある様だ」といった感じ。

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  • ちなみに17世紀前半フランスは帯剣貴族だけでなく最終的に文壇をほぼ独占するに至る法服貴族等の新興階層まで理性と意志の高揚と力を強調し, 困難に立ち向かう英雄を理想視する英雄的ストイシスム (Stocisme heroque) が横溢していた。これはセネカ (Lucius Annaeus Seneca, 紀元前1年頃~紀元後65年) の思想に代表されるような本来のストイシスムが形を変えて復興したものであり、国家の困難に対して無関心であることを諌め, 危機に対しても勇敢に立ち向かうことを促す栄光と高邁な精神に溢れたものだった。

    ただしフロンドの乱の失敗と国王へのさらなる権力集中が進行した同世紀の後半には「如何なる英雄的行動も、その動機まで踏み込んで検証すれば情念や欲望に操られる惨めな存在が浮かび上がってくるのみ」「人間の誇る理性だって想像力や情念・欲望・自己愛にに引きずられ, その判断を無意識の内に歪められている」と考えるジャンセニスム的ペシミズムや、その逆に洗練された快楽追求を至上の目的とするエピキュリスム的風潮が勢いを増していく。

    *こうした「リベルタン(Libertin、善悪の彼岸を超えて刹那的快楽に生き様とする放蕩貴族)的苦悩(ただしあくまでロココ時代的軽薄さと表裏一体)」からアベ・プレヴォー「マノン・レスコー(Manon Lescaut、1731年)」や様々なロマン主義作品が派生する事に。

    http://rennai-meigen.com/wp/wp-content/uploads/2013/10/Blaise-Pascal.jpg

とはいえデカルト17世紀前半時点で考察したのは、そこまで複雑なものでは…

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第一部「我々人間は全て神から均等に分別を授かっている」より

分別は、人間のもつあらゆるものの中でも、もっとも平等に分け与えられている。というのも、だれでもみんな、自分には分別がじゅうぶんに備わっていると思っているし、その他のものについてはなかなか満足しない人だって、分別についてだけは、手持ち以上にほしいなんて願わないのがふつうだからだ。そしてこれは、正しいものを判断し、真実とまちがいとを識別する能力、つまりいみじくも分別や理性と呼ばれるものが万人に平等だという証拠だと考えるべきなのであって、この点でみんながまちがっているということは、あまりありそうにない。ということはつまり、こういうことも言えそうだ: われわれの意見が多様なのは、別にもらった理性の分け前が人によって多いから起こるのではなくて、単にみんなの関心の対象がちがっていて、ものの考えかたもまちまちだからなのだ。つまり活発な精神を持つだけでは不十分であって、いちばんだいじな要件というのは、その精神を正しく適用することなのだ。最高の精神は、最高にすぐれた成果を挙げることもできるが、同時にものすごくはずれていってしまうことだって、じゅうぶんに可能だ。そしてとてもゆっくりと旅する者であっても、必ずまっすぐな道をたどるならば、走りはするがまっすぐな道を捨てる者にくらべて、ずっと遠くまで進むことができるだろう。

われわれ人間をつくり、獣と区別する唯一のものは理性や判断力なのだけれど、わたしはそれが各個人の中に、それぞれ完璧な形で見つかるものと信じている。

第二部「破壊と創造の調和ハルモノアについて」より

一人の工匠の手によって完成したものにくらべて、いろいろな手が加わった、さまざまな異なる部分からできた作品は、完成度が低いのが常だ。つまり一人の建築家が計画して施工した建物のほうが、数人が改善しようとして古い壁を最初の意図とはちがった用途に使ったりしているような建物にくらべ、優雅さでも便利さでも勝っていることが多いのだ。そしてまた、最初はほんの小さな村だったのが、時間がたつにつれて大きな町になった古い都市というのは、プロの建築家が平原に自由に計画した、規則正しく作られた町にくらべて、レイアウトがまずいのがふつうだ。古い都市の建物のいくつかは、新しい都市のものに匹敵するかそれ以上の美しさを持っていることもある。でも、それがいい加減に並べられて、こっちは大きくあっちは小さくという具合で、それに伴って通りも曲がったり不規則になったりしているのを見ると、こういう配置をもたらしたのは、理性に導かれた人間ではなく、偶然にちがいないと宣言するしかない。そしてそうはいっても、いつの時代にも、個々の建物が公共の美観に貢献するよう監督するのが仕事のお役人がいたことを考えると、他人の材料だけを使って高い完成度に到達するむずかしさはよくわかるだろう。

同じように、半ば野蛮な国からだんだんと文明国へ進歩してきた国は、法律もだんだんに定められてきて、そのために個別の犯罪や紛争の痛みの経験からその法律が強制されるようになってきている。そういう国では、コミュニティとして発足したときから、賢い法律制定者の判断に強いたがっていたような国に比べて体制としての完成度は低いにちがいない。したがって真なる宗教のconstitution、つまり神さまから下された戒律は、その他あらゆるものとは比較にならないほど優れているはずだ。そして人間のことを語るにしても、スパルタがあれほど反映したのは個々の法が特によかったわけではなく(というのも、その多くはかなり変てこで、道徳的に反するようなものすらある)、それがすべて一人の個人によって起草されたために、同じ一つの目標に向かっていたということからくるのだと考える。

実際問題として、単に改築して街路をきれいに引き直したいというだけで街の建物を全部取り壊すようなことはしないのがふつうだ。確かに、ときどき個人が、自分の家を新築しようとして古い家を取り壊したりすることはあるし、建物が古くなってきたり、基礎にガタが出てきたりして、取り壊さざるを得ないことだってあるけれど。こういうのを例として考えると、たかが一個人が国家を根本的に変えてしまって改革しようとしたり、それを修正しようとしてひっくり返してしまうというのは、とても傲慢不遜だな、と確信した。そして同じことが、科学の総体を改革しようという試みについても言えるだろうと思った。あるいは、学校で確立された教育の秩序をひっくり返すような試みについても。

でもわたしがその時点までに抱くようになった考え方についていえば、わたしはそれを一気に捨て去ってしまって、後になってやっぱりもとのほうがよかったとか、あるいはきちんと理性の検討を経て、やはりあれは正しかったと認められるような立場に身を置くのがいちばんいいだろうと思った。若い頃に学んで信用していた原理原則に基づいて、古い基礎の上に積み上げていくより、こういうやりかたをしたほうが、人生を統御するにあたってもずっと成功しやすいだろうとわたしは確信していた。というのも、確かにこのやり方にはいろいろとむずかしいところがあるのは気がついたけれど、別にそれはどうしようもない問題ではないし、公共的な政治がらみの改革にちょっとでも結びつくと思われることもあり得ないからだ。

大きな物体をひっくり返したら、それを立ち上げ直すのはとてもむずかしい。あるいは一度でも激しく揺らいでしまったら、立たせておくのはむずかしくなるし、そういうものが倒れるといつも大惨事になる。それならば、国の基盤に不完全な部分があるなら(そしてそういう部分がたくさんあることは、その基盤の多様性だけを見ても充分に納得がいくだろう)、慣習がまちがいなく、その欠陥をはっきりと補うようになっているだろうし、賢明さだけではきちんと対応しきれない部分についても、完全に回避するか、あるいは知らず知らずのうちに矯正を加えているはずだ。だから結果として、欠陥はいつも、それを取り除くために必要な変化よりはずっと耐えやすいものとなっている。これは、山中をくねくねと通っている街道が、何度も通行されるためにずっとなめらかで平坦になっていて、だからもっとまっすぐな通路を求めて岩のてっぺんにのぼったり、谷底まで下りていったりするよりも、その街道にしたがうほうがずっといいのと同じことだ。そういうわけで、政治的な事柄の管理に関わるよう生まれついたわけでもなければ、運命でそういう立場になったわけでもないのに、改革ばかりを主張しているような、落ち着かなくてせわしない出しゃばりどもたちには、ちっとも賛成できないのだ。」「過去の信念すべてを捨て去ってしまうというやり方は、だれでもやっていいというものではない。人類の大半は、二種類に分かれるけれど、そのいずれにとっても、これはふさわしい手口とはいえない。一種類目は、自分自身の力量について、しかるべき以上に自信を抱いている人たちであり、この人たちは判断がせっかちで、秩序だった周到な思考に必要な落ち着きが足りない。この種の人たちが、自分の慣れ親しんだ意見に疑念を抱けるようになってしまい、いままでの道をやめてしまったとしても、もっと短い道筋となるような脇道をきちんとたどることができずに、迷子になって、一生さまよい続けることになってしまう。二種類目の人は、真実と誤りを見分ける力量が自分より高く、教えを請うべき人々が存在することを認めるだけの理性と慎みを持ち合わせている。この人たちは、そういう力量の高い人々の意見に従っているべきで、自分の理性のほうがもっと正しいなどと信用するべきではない。

第三部 迷子の時の三原則「原則への回帰」「言動より行動」「選んだら迷うな」

住んでいる家を建て直す場合、それを取り壊して、建材や建築業者を手配したり、あるいは自分が事前に慎重にひいた設計図にしたがって自分でその作業を行ったりするだけでは、事前準備としては不十分だ。工事中にも自分たちが不自由なく暮らすために、別の家を手配しなくてはならない。同じように、理性から考えて判断を停止すべき状態でも、優柔不断にならずにすむように、さらには最大限の幸福な暮らしをあきらめなくてすむように、わたしは一時的な道徳コードを作っておいた。これは三,四つの原則からできているので、是非ともみなさんに紹介しておこう。

最初の原則は、自分の国の法律や習慣を守り、神の恩寵によってわたしが子供時代以来教わってきた信仰をしっかりと遵守することだ。そしてそれ以外の点に関する行動はすべて、いちばん穏健な見解にしたがい、なるべく極論からは遠ざかること。その判断基準としては、自分がその中で暮らしている人々の中で最も判断力のある人たちの、一般的な合意を受けて採用されている行動を使う。というのも、どの頃から自分の見解を全部否定して、それをすべて検討しなおそうとはしていたけれど、でもその間のやり方としては、いちばん判断力のある人たちの見解にしたがっておくのがいちばんいいと思ったからだ。そして、ペルシャやシナにだってわれわれと同じくらい判断力のある人たちはいるだろうけれど、便宜上からいっても、自分がいっしょに生活しなくてはならない人たちの意見に問題なくおさまるような形で、実践を規定すべきだろうと考えたわけだ。

そして、そういう人たちの本当の見解を見極めるには、たぶんかれらが言っていることよりは、その行動のほうに注意すべきだろうと考えた。というのも、われわれの行いは堕落していて、信じるところを正直に述べようとする人は少ないし、さらには多くの人が、自分が本当は何を信じているのかわかっていないからだ。われわれが何かを信じるという心の働きは、自分が何かを信じていることを知るという心の働きとは別物なので、後者なしに前者が存在することだってよくあるのだ。

さらに、同じくらいの評判を持つ各種の意見のなかで、わたしはいつも、いちばん穏健なものを選んだ。そういうもののほうが絶対に実践しやすいからだ。さらに、もしまちがえたときにも、極端なものを選んで実は別の道を選ぶべきだったということになったときに比べれば、真実からの乖離具合が少なくてすむのでいちばんいいだろう(というのも、過剰はすべて悪しきものなのがふつうだからだ)。

そして、あらゆる契約の中で、われわれの自由が多少でも制限されるものはすべて極論に含めるようにした。別に、意志薄弱な人たちの不安定さから社会を守るための法律に反対というわけではない。それが達成しようとしているものが何らかのメリットを持っていたり、誓約や契約によって関係者をしばるようになっていたり、あるいは商業の安全性を守るために、狙いが不公平なく適用されるような、各種行為を禁じる法律なども別に反対ではない。

でもこの世のもので、絶対不変なほど優れたものはわたしには見あたらなかったし、それに特に自分自身については、だんだん判断力を完成させていきたいと思っていて、それが退行するのは我慢ならなかった。何かをある時点で認めても、それが将来正しくなくなったり、あるいはわたしがそれを正しいと思わなくなる場合があるだろう。そんな場合でも、それをずっと正しいものと認め続けなくてはならないような形で自分を縛るのは、大きな罪であると考えざるをえない。

わたしの二つ目の原則は、できるだけ自分の行動について断固として決意をもって臨み、怪しげな意見であっても、いったんそれを採用したならばいい加減なことはせず、それがもっと確実な見解だった場合と同じようにふるまうということだった、これと似ている話というと、森の中で道に迷った旅人は、あちこちふらふらしたりすべきではなく、まして一ヶ所にじっとしているべきではなく、同じ方向に向かってできるだけまっすぐに進み続けて、ちょっとやそっとでは方向を変えたりしないことだ。その最初の方向を決めたのがただの偶然だったとしても。なぜならこうすれば、希望の地点にたどりつくことはないにしても、いずれどこか、森のど真ん中よりはましなところに出るはずだからだ。同じように、行動の途中では遅れが許されないことがしょちゅうあるので、何が真実かを見極めるだけの力がない場合には、いちばんありそうな方向にしたがって行動すべきなのはおそらく確実であろう。

そしてこっちの意見があっちの意見より可能性がありそうだと思わないにしても、どちらかは選ぶべきなのであり、そして選んだら、実践に関わる範囲内ではそれがもはや疑わしいものであるようにはふるまわず、はっきりと真実で確実なものとして行動しなくてはならない。というのも、われわれが選択を行ったときの理性ある判断は、それ自体がこうした性質を持っているからだ。われわれの弱々しくて自信のない精神は、はっきり決然とした選択方針がないときには後悔や逡巡にさいなまれて、おかげである日には、最高の行動はこっちだと思って行動したものの、その次の日は、やっぱりその反対だと思って行動したりしてしまう。この原則を採用したことで、そういうことが以後まったくなくなったのである。

第三の原則は、常に運命をねじふせようとするより自分自身を抑えるようにして、世界の秩序を変えるより自分の欲望を変えるようにしよう、そして一般論として、われわれの持つ力の中には、自分の思考力以外には絶対的なものはなにもないのだ、という説得に自分を慣らそうということだった。つまりはなにか自分の外のことに対して人事をつくしても、それが失敗するかは絶対にわからないのだ。そしてこの一つの原理によって、将来、自分の手に入らないものを望むようなことを防ぐのに十分に思えた。こうしれば、不満を抱かずにいられる。

というのも、われわれの意志は当然のこととして、理解力にもとづき、何らかの形で入手可能だと思えるものだけを望むから、もし自分の外のものがすべて自分の力の及ばないものだと考えるなら、生まれながらに持っていてしかるべきだと思えるそういう外部のものが、こちらの落ち度ではない原因で奪われたときにも、残念がったりしないのは明らかだろう。それは、シナやメキシコ王国を所有していないからといってわれわれが残念がったりしないのと同じことだ。あるいは、ダイヤのように衰えない身体を望んだり、あるいは空飛ぶ鳥の翼を望んだりしないように、病気のときにも健康を望んだり、幽閉時にも自由を望んだりしないのも、あたりまえのことだろう。

でも、この方法であらゆる対象を見るように精神を慣らすには、非常に長期の規律と、頻繁な瞑想の繰り返しが必要だったことは告白しておこう。そして、かつての哲学者たちが、運命の影響を逃れて、困窮と貧困の中でも神々すらうらやむような幸福を楽しめた秘密は、主にここにあるのだろうと思う。つまり自然によって自分の力に与えられた限界のことばかりをしつこく考えることで、かれらは自由になるのが、自分の思考だけであることを完全に納得しきったのだ。だからこの結論だけで、他の物体への欲望をまるでもてあそばずにすむようになったのだろう。そして思考するうちに、それが絶対的な影響を獲得したので、他のどんな人よりも自分がもっと裕福で、強力で、自由で幸福だと自負するだけの根拠を得るにいたったのだろう。他の人々は、天与や運命がどんなに微笑もうと、この哲学を持たなければ、自分たちの欲望すべてを実現するなんてとうてい不可能だからだ。

(中略)

(ここに列記した)原則三つは自己啓発作業を続けるためだけにつくったものだ。神はわれわれみんなに、真実とまちがいとを区別する理性を多少は与えたもうたから、自分が他人の意見で満足すべきだとは一瞬も思わなかった。ただし、いずれ自分がその任に完全にふさわしくなった暁に自分の判断力を使ってそれを検討しよう、それまで先送りにしようと決意した場合は別だが。さらには、もっと正確なものが存在した場合に、それを達成するというメリットを犠牲にしなくてはならないのなら、良心のとがめを感じずにそういう意見に基づいて先に進むことはできなかっただろう。そして結局、自分に可能な限りのあらゆる知識獲得が確実にできると思った道をたどっていなければ、そして同時に、自分に可能な限りの知識を確実に得られると思った道をたどっていなければ、そして自分が獲得できるはずの真によきものを、最大限に実現できると思った道をたどっていなければ、自分の欲望をおさえたり、満足した状態でいられたりもしなかっただろう。われわれが理解したうえでいいとか悪いとか判断した場合にだけ、何かを求めたり拒絶したりするようにすれば、正しい行動のために必要なものは正しい判断力だけだ。つまり最高の行動にはいちばん正しい判断が必要となる。最高の行動というのは、あらゆる美徳や、われわれの手に届く真に価値あるその他のものすべてを獲得することだ。そして確実にそれが獲得できるということになれば、どうしたってわれわれは満足できるだろう。

 第四部より それでも「我思う、故に我あり」

いまのべた場所で行った最初の思索について、ここで述べてしまうのが適切かどうか、実は自信がない。というのも、これはあまりに形而上学的で、えらく風変わりなので、だれもが認めるようなものではないかもしれないからだ。でも、自分が敷いた基礎というのが充分にしっかりしているかを決めるためには、それを否定せざるを得ないような立場に自分を置かなくてはならない。さっき述べたように、実践との関連でいえば、非常に不確実なものとして退けるような見解であっても、それが疑問の余地なく、確固たるものであるかのようにふるまうことが必要となることもある。でもわたしは、真理の探究だけに関心を向けようと思っていたので、その正反対の手続きが必要となるな、と思った。つまり、ちょっとでも疑問の余地のあるものはすべて、まったくの偽であるとして棄却すべきだということだ。そうすることで、わたしの信念の中に、完全に疑問の余地のないものが残るかどうかを確かめたかった。

同じように、感覚もわれわれをだますときがあるから、こうして感じられるものすべてが、何一つ存在しないと仮定してみようと思った。そして、幾何学の一番単純な問題でも理由づをまちがえて、まちがった論理に陥る人もいるから、わたし自身だってほかのだれにも負けず劣らずまちがえやすいのだと確信して、これまで証明につかってきた理由づけをすべて、まちがいとして棄却した。

そして最後に、われわれが起きているときに経験される、この思考(表象)とまったく同じものが、眠っているときにも体験できるのに、実はその時に体験されるものは何一つ真ではない、ということも考えた。だから、起きているときにわたしの精神に入ってきた、すべての対象(表象)ですら、自分の夢の中の幻影のように、本物ではないのだと考えてみた。

しかしこのときすぐに見て取ったのだが、すべてが非現実だと考えたくても、そのように考えているこのわたしは、なんらかの形で存在しなくてならない。そしてこの真理、われ思う、故にわれあり(COGITO ERGO SUM)がまったく確実で、確固たる証拠を持ち、どんなにとんでもないものであれ、疑問の余地はないことがわかった。だから、疑念なしにこれを、わたしの求める哲学の第一原理として受け入れようと結論づけたわけだ。

次に、自分がなんであるかを素直に検討すると、自分にはからだがないと考えることもできるし、自分が存在できるような世界も場所もまったくないと考えたっていいことに気がついた。でも、だからといって自分自身が存在していないとは想定できない。それどころか逆に、ほかのことの真実性を疑おうとわたしが考えたというまさにそのことから、わたしが存在するということはきわめてはっきりと疑いなく導かれるのだった。一方で、わたしが考えるのをやめただけで、わたしが想像してきたものがすべて現実に存在するとしても、わたしは自分が存在すると信じるべき理由を持たなくなる。だからわたしは、自分というのは、その本質や性質が考えるということだけからできあがった存在なのであり、それが存在するにあたっては、場所や物質的なものには一切依存する必要がないのだ、と結論した。だから「わたし」、つまりわたしがわたしであるところの精神は、肉体からは完全に独立したもので、肉体よりもずっと簡単に知り得るもので、肉体が存在しなかったとしても、いまとまったく同じように存在し続けるということになる。

19世紀スイスの文化史学者ブルクハルトは、こうした思考様式の起源をイタリア・ルネサンス時代にまで遡るフランス人の理神崇拝deism)に見て取ります。

 


ラブレー「ガルガンチュア」に見られる表現

「彼らの規則は、自分の欲する事をせよ、という一句に他ならない。生まれが良く、よい教育を受け、申し分のない仲間と交わっている自由な人々は、生まれながらにして、常に彼らに徳を行わせ、悪を避けさせる様な本能と刺激を備えている。それを彼らは名誉と呼んだ」。

*ブルクハルトは「これぞルネサンスが色と形を失ったらどう見えるか」であるとし「それは18世紀後半に生気を吹き込み、フランス革命への道を開いた人間本性の善に対する信念となった」と畳み掛ける。

ちなみにデカルトが「検証方法」として認定したのは概ね数学幾何学天文学といった自然科学分野だけだったのですが、後世にはアリストテレス的実践智の概念を利用し、こんな拡張も行わてていたりします。

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イタリアの歴史哲学者ジャンバッティスタ・ヴィーコGiambattista Vico, 1668年〜1744年の主著新しい学Principi di scienza nuova、1725年)」

精神がある対象を理解する為には、その概念を想像し吟味する受け皿があらかじめ出来上がってなければならない。ところで数学が人間の生み出した仮説を無から積み上げてきた結果である様に、歴史も人間の「行為事実」を無から積み上げてきた結果である。だから、どちらも認識対象としては対等といえる。

まさしくフランス文学研究家でもあった坂口安吾の「肉体主義=肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが新たな知性と倫理を紡ぎ出す」テーゼそのもの。

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人体解剖学に端を発する「自らの観察結果のみを徹底して信じ抜く」科学的実証主義の延長戦上において歴史を掌握しようとすると、どうしてもそうなってしまう?