「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「ヒッピー型思考」②「ヒッピーが最初に登場した時代の風景」について。

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この投稿は以下の投稿の続きです。

 

かかる「科学万能主義と家父長制の連合」に窒息しかけた若者が「(西洋のそれとは全く原理が異なる)東洋の謎めいた思想」に興味を持ったのも無理ない話でした。いうほど西洋思想と無縁でもなく、また彼らもそれほど真剣にそれを学ぼうとした訳でもありませんでしたが。

鈴木大拙日本的霊性(1946年)」

感覚も感情も、それから思慮分別も、もともと霊性のはたらきに根ざしているのであるが、霊性そのものに突き当たらない限り、根なし草のようで、今日は此の岸、明日は彼の岸という浮動的境涯の外に出るわけにはいかない。

  • ヘーゲル哲学における「人間の幸福は、民族精神(Volksgeist)ないしは時代精神(Zeitgeist)とも呼ばれる絶対精神(absoluter Geist)と完全なる合一を果たし、自らの役割を与えられる事によってのみ達せされる」なる認識、および華厳経における「海印三昧の境地」を想起させる。

これは個己の生活である。個己の源底にある超個の人にまだお目通りが済んでいない。こういうと甚だ神秘的に響き、また物の外に心の世界を作り出すようにも考えられようが、ここに明らかな認識がないと困る。

  • カント哲学における「(全てが人間の認識範囲内に留まる)(独Ding,英Thing)の世界」と、その外側に広がる「物自体(独Ding an sich,英Thing-in-itself)の世界」を峻別する態度に由来する表現。まぁこうした国際的コンセンサスに立脚しない限り「禅とは何か」外国人に説明する事も出来ないのである。

普通には個己の世界だけしか、人々は見ていない。全体主義とか何とか言っても、それはなお個己を離れていない。その繋縛を完全に受けている。超個の人は、既に超個であるから個己の世界にはいない。それゆえ、人と言ってもそれは個己の上に動く人ではない。さればと言って万象を撥(はら)ってそこに残る人でもない。

  • 欧州においては絶対主義をありとあらゆる認識範囲に広げようとした18世紀啓蒙主義に対抗する形で(神が用意した一般的救済プロトコルにあえて背を向け、自らの内側から届く声にのみ耳を傾ける形で自らの認識を再統合し善悪の彼岸の超越を目指す悲壮な生涯を全うしようとする)ロマン主義が台頭。その延長線上に「人間の認識範囲を超越した(元来は理論的直感にいてのみ到達し得る)体験は主観的誤謬と区別がつかない形でしか顕現し得ない」なる諦観に立脚する魔術的リアリズム文学が登場する。

  • 神はこの世界自体を創造しただけで、それ以降は一切介入してない」と考えた欧州大陸理神論(Deism)や「神は我々が問題解決に必要な諸概念は全て我々の認識範囲内に配置図みである」なる信念に支えられた米国プラグマティズム(Pragmatism)同様、その背後には「(たとえその認識可能範囲外に何が広がっているにせよ)認識の主体としての個人が自らの主体性を放棄するのは絶対に良くない」と考える強烈な人間中心主義がしっかり鎮座しているのである。

  • 米国では19世紀前半啓蒙主義的楽観論に立脚する超越主義に反対する形で「人間はそこまで合理主義的に把握可能な存在ではない」なる悲観的不条理主義に立脚するエドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe,1809年~1849年)やナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne,1804年~1864年)が対峙した。そして評論家時代のボードレールが後者をフランスに紹介した事から大陸象徴主義文学が派生する。

  • トランセンデンタリズム(Transcendentalism=超越主義)」…「自然(1836年)」を出版したアメリカ人思想家R.W.エマソンと彼の周囲に集まったユニテリアン派牧師達(ヘッジFrederic H.Hedge、T.パーカー,リプリーGeorge Ripley、W.E.チャニングら),随筆家H.D.ソロー教育家A.B.オールコット批評家S.M.フラー詩人チャニング(William E.Channing),ベリー(Jones Very)らが展開した宗教家達のロマン主義運動。超越主義超絶主義と訳す。有限な存在のうちに神的な内在を認め、神秘的汎神論のような立場をとったが、倫理的には理想主義・個人主義をとり、社会改良に努めた。米国ダーク・ロマンティズム文学にインスパイアを与えた側面も。
  • とはいえ19世紀後半はまだまだジュール・ヴェルヌディストピア小説二十世紀のパリ(Paris au XXe siècle,1861年)」の発表を見合わせざるを得ないほど、科学万能主義がもたらす楽観主義が横溢していた時代だったのである。

かくしてこの次元においても「事象の地平線としての絶対他者」問題が特有の形での重要課題として浮上してくるという次第。

哲学に真理がもしあるならば、それがもう本当は、我々の眼前にあったとしても、我々はそれを真理とは知らないのですから、隠されたものとしてしか存在しないわけです。 

そして遂に彼らの内から「最初の英雄」とでも呼ぶべき存在が現れたのです。

大嶽秀夫『新左翼の遺産』読書ノート

1950年代後半からの先進諸国における社会運動が、豊かな社会の実現によってその革新的な立場を弱めていき、資本主義の枠内で労働組合員の限られた利益を追求する圧力団体として既得権益を保守する存在となり、社会民主主義政党も福祉国家ケインズ主義路線へと軌を一にして転じた。この転換に幻滅した人びとの間で、これまでの左派社会運動内に共有されていたブルジョア的な文化から離れて、ライフスタイルと芸術の両側面でカウンター・カルチャーへと向かう動きが形成される。この過程でジャック・ケルアックの『路上』や、ボブ・ディランにも多大な影響を与えたアレン・ギンズバーグの『吠える』などのビート・ジェネレーションが、参照点として幾度目かのブームとなった。

おや「6歳までフランス語しか話さなかったケイジャンだったとは…いやフランス系アメリカ人をそういう風にまとめて雑語りしてはいけない?

そして、最大の大御所…

山形浩生の山形道場連載第26回「最後(1997年)」

こないだ「ケイヴ(スティーヴ・ライヒ+ベリル・コロット「The Cave」。97年9月18日~20日)」とかいう代物を見物にいったが、いやひどいもんだった。音楽的には十年以上前のTehilim(だっけな? あのジャケットの青いヤツよ)から一歩も進歩してない。あきれたね。バロウズに十年やったら、その間に何度コロコロ変わることか。彼にはそういう自由さがあった。よかれ悪しかれ。

こんなもんにブーイングもせず、拍手して甘やかす観客どもも絶望的だし、足早に立ち去ろうとすると、出口んとこに浅田彰が立ってて、大げさに拍手してるんだ。なんだい、あんたまでいっしょになって。

かっこ悪いものはどんなご立派な主張があったってダメなのだ。少なくともこの分野では。逆に、中身がなくても、主張がなくても、かっこいいものはかっこいい。それだけに頼るのは難しいけれど、でも時に不可能ではない。バロウズの場合、結果的にそうなってしまっただけかもしれない。彼は表現したいことはあんまりなかった。だからこそ技法がどうしたという話に深入りできたのだ。

こういうののおもしろさというのは、ある映像(と音)の断片が、別の文脈の中で別の意味を背負って出てくるところにある。バロウズカットアップはそのための技術だった。文脈の中で固定された言葉やフレーズの可能性を解き放つ技法だ。元の意味はあんまり関係ない。雰囲気だけが重要。それは保存される。

でも、彼はヒッピーどもの社会改良運動や「社会参加」には常に批判的で冷笑的だった。そしてテクノロジーバロウズはテクノロジーを否定するようなボケ方は一度もしなかった。

バロウズは、テレビもテープレコーダもドラッグも印刷物もはさみも銃も、テクノロジーは率先して使い続け、実験を繰り返してきた。もう少し若ければコンピュータだってあっただろう。テクノロジーは止められない。それを愚痴ってどうなる。彼はそれを知っていた。1995年のナイキのコマーシャルでは、手前に液晶テレビがあって、そこにバロウズが例のスーツに帽子姿で映っている。奥をナイキのシューズを履いた連中がピンぼけで走っていく。そしてバロウズ曰く「The purpose of technology is not to confuse the people、but to serve the people」(テクノロジーと申しますものは、ひとさまを惑わすためのものではございません。ひとさまのお役に立つためのものですな)。んでもって、ニカッとしつつ帽子を脱ぐ。うん、何はなくともこういうときのキメだけは、この爺さん絶対にはずさなかった。えらいヤツだったよ、あんたは。

Nothing is true. Everything is permitted」(真実などない。なにもかも許されている)――バロウズ座右の銘のひとつで、バロウズはこれを生き抜いた。家庭にも仕事にもドラッグにも捕まらず、無責任に自由に、やりたい放題に時代の先端と戯れ続けた。ポジショニングと知性とセンスに、ちょっとした運さえあれば、それはわれわれにだって開かれている道かもしれない(それがいいかは別として)。作品と、そして生きざまとで実証したこの自由さゆえに、かれは今世紀の文学史上に確固たる位置を占め続ける。そしてそれゆえに、われわれもウィリアム・バロウズを忘れることはない。

なんたる1980年代ディスクール。とっさに思い出したのがこれ。

こういう展開にもつながってくる話なのかな?

そして、ロシア系にしてユダヤ系のこの人。

そして…

こうした試みの一つの到達点がこれ。