やはり最初に注目すべきはこの人。
近代社会学への発展において,タルコット・パーソンズの名は学問の面でも,専門職化の面でも他の誰よりも傑出している。マックス・ウェーバーが死去してほんの数年後に,元々ドイツ・ハイデルベルクで社会学の教育を受けた,パーソンズの経歴は当初はゆっくりした上昇であった。彼は1927年にハーヴァードで経済学の教員となり,1931 年にピティリム・ソローキンによって新しく創設された社会学科に移籍した。ソローキンとパーソンズの支配をめぐる引き続く内部闘争のダイナミックスはここでの我々の関心事ではない。パーソンズが彼の偉大な学問上の仕事面での本来の貢献と実践としての社会学は専門職的次元も持つという彼の鋭い自覚の故に,パーソンズが勝利したことを知るだけで十分である。実際専門職の社会学におけるパーソンズの主要な研究領域の中では,医療職と法律職のそれは彼が創設の父と見なされている。
プロフェッションについて書くだけで満足せず,パーソンズは社会学の制度化と専門職化に向けて様々の仕方で具体的な仕事をした。ハーヴァードの有名な社会関係学科を設立しリードするのに彼は活躍した。この学際的実験は1946年から1972年のほぼ30年間続いた。
プロフェッションとは,西欧で,宗教家・医師・弁護士の3つを指し,「人のために尽くすよう天地神明に誓うことが求められる専門職」という意味の言葉です。
語源は,PROFESS(=神の前で告白する・誓う)。
これら3つの職業は,それぞれ,宗教家は「神学/教義・信仰/心の悩み/精神的病理」,医師は「医学/生命・健康/身体の悩み/肉体的病理」,弁護士は「法学/法・自由と正義/人間関係の悩み/社会的病理」を担っており,これらの「公益」を守るよう誓うことが求められるためPROFESSIONと呼ばれるようになりました。
このように,プロフェッションは,営利ではなく,人の悩みという公益に奉仕し,それを天地神明に誓って尽力する専門職なのです。
その間彼は合衆国と世界で広く指導的社会学者(特に理論家)として名をはせた。パーソンズの著作の内在的メリットが何であれ,これらのメリットが他の社会学者の間で彼の地位にどの程度責任があろうと,直接にはハーヴァードでの彼の仕事を通じて,間接には彼の名声と学者のコミットメントの共有された価値を通じて,社会学者をプロフェッションに魅了することによって社会学をひとつの学問領域として組み立てるにあたって彼が果たした事実上の影響力は否定しがたいものである。
パーソンズは「(社会学者の共同体に関する専門職問題誌)アメリカン・ソシオロジスト」を創刊することによって,アメリカ社会学の専門職化にも寄与した。パーソンズによって編集された 1965年-1970年の「アメリカン・ソシオロジスト」は,専門職問題についての社会学者の間の自己理解,自己研究のコミュニケーションのためのフォーラムとして広く知覚された(Parsons 1965)。しかしパーソンズの崇高な意思にもかかわらず,社会学というこの専門職はそうはならなかったのである。
社会システム理論
パーソンズは社会一般に渡る一般理論の構築を目指した。特に功利主義的な人間行為の理解に反発し、他者のために行動する社会性の理論を唱えた。まず行為を行為システムと捉えるところから出発し、そのサブシステムとして、文化システム、パーソナリティーシステム、社会システムなどを挙げている。この中でも特に社会システムについて、有名な構造機能分析およびAGIL図式などの、独特な理論(=社会システム理論)を唱えたのである。
構造機能分析とは、社会システムを構造と機能に分けて分析したものである。構造にあたるのは、社会システムの中でも変化に乏しい安定的な部分である。構造は定数部分であると定義される。そして機能とは、その構造の安定に寄与する部分であり、社会システムの内で変化が見られる部分である。機能は変数部分であると定義される。そして、この構造と機能の分析により、社会一般を分析できるとしたのである。
AGIL理論は構造機能分析よりも、より具体的に社会を分析する必要から生まれたものである。Aは適応(adaptation)、Gは目標達成(goal attainment)、Iは統合(integration)、Lは潜在的パターンの維持・緊張処理(latent pattern maintenance and tension management)である。社会システムはこれらの機能(位相運動)によって維持されるとされるが、後期に展開された抽象的な理論に関しては今日なおその評価は賛否両論ある。
家族の機能
家族の機能とは、社会において家族がはたすべき働きのことである。社会の変化に応じて、家族のはたす役割は変わるが、おもなものとしては、
- 夫婦の愛情を育て、性的な欲求をみたす。
- 子どもをうみ、育てる。
- 生産活動を行う。
- 消費活動を行う
- 衣食住をともにする
- 病人や老人の世話をする
- 冠婚葬祭などの宗教的行事を行う
- 娯楽を楽しむ
- 心の安らぎをあたえる、
しかし産業化の進展と賃金労働者の増加や家庭電気製品の普及より、従来、家族の機能と考えられていたものが、他の機関で行われるようになってきている。パーソンズは、家族の機能として社会化と安定化という二機能説を唱えた。
- 社会化の機能…社会化とは人間が他者との相互作用を通して、その社会に適応していく過程である。パーソンズは家族も社会と同じように地位と役割の機能をもち、家族構成員間の相互作用を通じて、社会化する機能をもつとした。
- 安定化の機能…人間は家族のなかで精神の安定をはかり、男女間の性の調整をはかるということをさす。産業化の進展によって家族の機能は変化してきているが、そういったなかで、家族の安定化機能の重要性が高まっている。
こんな指摘も。
T・パーソンズは社会の要件を定式化したが、まぁ失敗したのだが、それはなんだかんだニューアカの社会学論客の基本姿勢に幾分か影響を与えている。宮田真司先生や上野千鶴子先生。ただ、その英語の難解さよ。アメリカのwriting教本にはT・Pが悪文の例として載っている。
— ShimMyan (@yuuya88105009) 2022年2月21日
大元はデュルケームで、直接の模倣対象はレヴィ=ストロース(withブルバキ)とか思ってました。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年2月23日
パーソンズ自体は、ウェーバー、デュルケーム、パレートなどなどヨーロッパの社会学の知見を総動員した社会の立論構造を考えた感じですね。ブルバキなどの数学っぽさとは対照的なのが、パーソンズの物理学っぽさではないかなと。
— ShimMyan (@yuuya88105009) 2022年2月23日
パレートは、それまでの経済学における研究業績を応用し、実証主義的方法論に基づいて社会の分析を行っていった。もともと自然科学を出発点として経済学・社会学の分野へと進んだパレートは、実験と観察によって全体社会のしくみ、および変化の法則を解明しようとした。
特に、経済学における一般均衡の概念を社会学に応用し、全体社会は性質の異なるエリート集団が交互に支配者として入れ替わる循環構造を持っているとする「エリートの周流」という概念を提起したことで知られている。そしてパレートは、2種類のエリートが統治者・支配者として交代し続けるという循環史観(歴史は同じような事象を繰り返すという考え方)に基づいて、19世紀から20世紀初頭のヨーロッパで影響力を持っていた社会進化論やマルクス主義の史的唯物論(唯物史観)を批判した。
さらに、人間の行為を論理的行為(理性的行為)と非論理的行為(非理性的行為)に分類し、経済学における分析対象を人間の論理的行為に置いたのに対し、社会学の主要な分析対象は非論理的行為にあると考えた。つまり現実の人間は、感情・欲求などの心理的誘因にしたがって行動する非論理的傾向が強く、しかも「人間の非論理性が社会の構造を規定している」とみなしたのである。このような行為論は、その後アメリカの社会学者タルコット・パーソンズの社会システム論に影響を与えることになった。
パレートは、初期の総合社会学にはない新しい視点に立ち、独自の社会学理論を構築したところから、マックス・ヴェーバーやエミール・デュルケームと並ぶ重要な社会学者の1人として位置づけられている。
これに対して反旗が翻る?
出世作「ホワイト・カラー(White Collar: The American Middle Classes,1951年)」では、新中間層が増加した理由を述べ、さらにその政治的無関心を指摘した。続く「パワー・エリート(The Power Elite,1956年)」ではアメリカ社会の支配構造を分析し、激しく糾弾した。ミルズにはマルクス主義への接近もみられたものの、急逝のため、理論的な統合は実現しなかった。
パワー・エリート
パワー・エリートとはアメリカ社会の政策決定に対し、独占的な影響力を行使できるとされる権力層のことである。そうしたパワーエリートは、政治・経済・軍事の各分野に於けるヒエラルキーのトップであり(政府機関幹部、政治指導者、大企業幹部、軍幹部など)、ミルズは、これら権力層が権力構造維持による利益の一致から協力して大衆を操作していると分析した。パワー・エリートは必ずしも階級とは関係が無く、制度化されたポストに就いている人びとであるという点で、マルクス主義的な定式化とは異なり、経済一元論から脱して権力支配層を摘出した点で評価された。
また、パーソンズを頂点とするアメリカ社会学界の正統派(構造機能主義)への痛烈な批判の展開者としても知られる。このなかで提唱された「社会学的想像力」の概念は、社会学のあり方を考える上で重要な概念として、広い視野を持ち大きな問題と向き合うことの重要性を語った。このことは今日でも多くの社会学者によって言及されている。それは「一人の人間の生活と、一つの社会の歴史とは、両者をともに理解することなしにはそのどちらの一つも理解することができない(『社会学的想像力』邦訳4頁)」と考える想像力である。
C.Wright Mills「社会学的想像力(1959年)」
このポピュラーな本のなかで,ミルズはプライベートなトラブルをパブリックイシューと関連づける能力,簡単な言語でビブリオグラフィーと歴史を架橋する能力以外には社会学的想像力とは何かについてほとんど語っていない。もちろん両考察で,ミルズはパーソンズに敵対している。ミルズはパーソンズの仕事を,抽象的すぎて対立の分析に不十分にしか波長を合わせられない誇大理論として非難している。1950年代の時代は,他の社会学者にも同じような批判的声明を行うことを可能にした。ラルフ・ダーレンドルフの「ユートピアからの脱出(1958年)」,デニス・ロングの「社会化過剰な人間像(1961年)」はそのなかでも著名な試みであった。これらのプログラム的声明の重要な帰結は知的なものだけでなく,社会学的プロフェッションの方向転換を伴うことが意図されていた。権力,不平等,闘争が社会学思想の分析カテゴリーとしてひとたび導入されると,社会学者を変革のアドボケート(提唱者)と想定する活動家の態度は決してはるか背後にはいなかった。ミルズは新しい,ラデカル社会学者のこの役割は,哲学の王,ないし高貴な助言者であるよりも,むしろ王と民衆に同時に顔を向ける者として明示している(Mills 1959 : 179-181)。
1931年ハーバード大学卒、1934年ハーバード・ロースクール修了。合衆国最高裁判所判事を務めたルイス・ブランダイスの法務書記を務め弁護士として活動を開始。ニューヨーク州立大学バッファロー校ロースクールで教鞭を取る。コロンビア大学ロースクールリサーチフェロー時代にエーリヒ・フロム、ハリー・スタック・サリヴァンらに精神分析学の指導を受ける。1949年シカゴ大学へ移籍。1958年から1980年の引退までハーヴァード大学社会科学教授を務め学生に大きな影響を与えた。ハーバードで20年に渡り担当した学部生向け講義「アメリカ人の性格と社会構造」は名講義と言われている。「社会が機能するためにそれぞれの成員が社会の中で担う役割の遂行を促す社会的性格(個々人の性格に由来するのではなく、社会環境に由来するものなので社会の情勢に応じて変化する)」に立脚する社会性格論を打ち立てた事で著名。人口成長期には「伝統指向型」、過渡的成長期には「内部指向型」、初期的減退期には「他人指向型」が優勢的に現れるとする。
代表的著作「孤独な群衆(1950年)」において、現代社会に支配的な社会的性格を「他人指向型」と規定し、“工業化に成功し、豊かさと利便さに浸った都市生活を享受するアメリカ人の想像力の枯渇と砂をかむようなむなしさ、そして資源と時間の浪費、偽りの人格化、欲求不満と阻害といった特徴を持つ”と表現した。また「他者指向型」と「伝統指向型」「内部指向型」との社会的性格の対比も論じた。また、政治では権力が政治・軍事・財界のトップに集中するということを論じた。
なるほど、私が2022年の投稿の課題に選んだ「ミクロ的視点とマクロ的視点の間にあるもの」という課題については、こういう先行研究があったのです。
そして議論は新たな次元に突入…