「段階的発展説」そのものにも歴史があります。
1970年前後よりT・クーンのパラダイム論を契機として論理実証主義や批判的合理主義に代わっていわゆる「新科学哲学」が勢力を伸ばしている。
科学哲学の分野におけるこうした状況の変化は社会学にも種々のインパクトを与えつつある。そのひとつとしてクーン派科学社会学の内部でB . パーンズやD・ブルア等のエディンパラ学派が誕生した。エディンパラ学派の科学社会学は、従来の知識社会学がその対象から除外してきた自然科学的知識に対してもイデオロギー分析を遂行する。科学的知識といえども理論浸透的(Theory-impregnated)であり、客観的・価値中立的ではないとすれば、当時の科学的知識からの社会・文化的制約性の抽出が可能であると考える(ストロング・プログラム)。それは知識社会学と科学社会学の融合である。
トーマス・クーン発表した「科学革命の構造(1962年)」は、通俗的には、科学の歴史がつねに累積的なものではなく、断続的に革命的変化すなわち「パラダイムシフト」が生じると指摘したものとして、科学知識の相対性を主張したもの(少なくとも相対主義的科学観を容認するもの)と見なされている。
またクーンが用いた「パラダイム」という言葉は、一種の流行語としてもちいられ、大雑把に「ある時代の人々のものの見方・考え方」「多くの人々に一般的な思考枠組み」というような一般的意味で用いられるようになった。たとえば『広辞苑』第四版では「一時代の支配的な物の見方」と定義されている。
こうした俗説は、クーンが科学の擁護者であったこと、またパラダイムという概念を、科学と非科学の間に境界を引くための線引き問題の解決を図るべく、科学という知的活動を他の知的活動と根本的に区別する基本的特徴を指すものとして用いたことを見落としている。従来の、科学と非科学の境界設定基準(たとえばクーンの批判者となるポパーが唱えた反証可能性)は、実のところ占星術といったものまでもパスさせてしまう。クーンは、占星術もテスト可能な予測(反証可能な予測)をなすという意味では論理実証主義や反証主義などの立場からは科学的ということになってしまうが、パラダイム論ではそうした馬鹿げたことが生じないと主張している。
クーンにとっては、科学者は科学者集団(Scientific Community)に属するメンバーとして定義されるが、そうした科学者集団の維持=再生産機能を持つものがパラダイムである。こうしてパラダイムは科学者集団との関係で規定されるのである。ある知的活動が科学であるのか否かはその中にパラダイムが存在するかどうかによって決まる。例えば占星術という知的活動が非科学であるのは、その活動によって産出された知識それ自体に問題があるためではなく、その活動に携わる集団を支配するパラダイムが存在しないためである。
クーンのパラダイム論は、上に述べたような点で、単に相対主義的科学観を容認する所説ではなく、科学と非科学の境界設定基準という科学哲学における最大の問題を、科学者集団という社会(学)的概念の導入によって再考する意義をもっていた。
クーンのパラダイム論はまた、科学者の日常的営為がどのようなものであるか、パラダイムという土台の上に累積的に知を積み重ねていく「通常科学」の営みにも光を当てた。普通の大部分の科学者は既存パラダイムの批判的検討や新しいパラダイムの提唱などは行なってはいない。ニュートン力学、相対性理論、量子力学などはそれらの生成期には多くの科学者が関わるが、いったんそうやって普遍理論が確立した後(すなわちパラダイムの確立後)は、そうした普遍理論を前提として(普遍理論の正しさを疑うことなく)「実際の現象をどう説明するのか?」、「未知の新しい現象をどう予測するのか?どう作り出すのか?」といった「パズル解き」的活動に従事するということを強調した。この意味でクーンは,科学研究の現場で実際には何が行われているか、を参与観察の手法で明らかにしていくラボラトリー・スタディーズの、直接の父ではないにせよ、祖父か伯父の役割を果たしたといえる。
パラダイムとは何か
パラダイムとはもともと、人称や時制による語型変化を示す代表的な事例(範例)という意味で使われてきた言語学上の用語であった。言語学においては、例えばLatin Verb Conjugation Paradigms(ラテン語動詞の活用変化のパラダイム)というような形で用いられる。なおクーンはパラダイムという用語を用いるにあたって、こうした言語学上の用法を意識していたと思われる。そのことは、クーンが『科学革命の構造』第二版で追加された「補章 --- 1969年」の中で、パラダイムという用語の言い換えとして用いたdisciplinary matrix(専門母体)の4番目の要素が見本例 (exemplars) であることに示されている。
クーンによれば、パラダイムは「ある一定の専門領域の科学者集団の中で共有されている普遍理論、背景的知識価値観、規範、テクニックなどの諸要素から構成される複合的全体」とされるが、その含意はパラダイムが「科学的活動の中心的構成要素として科学者集団の維持=再生産機能を持つものすべてを包含するもの」であるということである。そのためマーガレット・マスターマンが「パラダイムの本質」で指摘したように、クーンの用法では、パラダイムは何十という意味内容を持つ多義的な概念となった。パラダイムはむしろ、今後の科学史や科学社会学などの研究のなかで、その内容を精査していくべきものなのである。
科学知識の社会学
1960年代以降、マートンに始まる科学社会学(sociology of science)は一つの専門分野としてようやく確立するに至る。このマートン流科学社会学が「専門分野として確立する過程で科学集団に焦点を合わせたもの」にならざるを得なかったのに対して、 1962年に発表されたクーンのパラダイム論は、科学知識の問題と科学者集団をダイナミックに両者を切り離すことなく分析する可能性を開くものだった。
- オブジェクト志向プログラミングに例えるなら「クラス属性(データ=範疇(Kategorie/Category=認識の根本形式として人が従わなければならない最も一般的な概念群)」に1対多で対応する演算群「クラス・メソッド」の関係性?
上記のようなマートン流の「科学者の社会学」に対して、クーン流の科学観と知識社会学の伝統を融合しようと努めたヨーロッパの研究者の中から、科学者集団のみならず科学知識の内容そのものに踏み込んだ研究が立ち現れてくる。その担い手は、社会学の専門教育を受けた者よりむしろ、自然科学出身のものが多かった。彼らは、文化人類学や認知科学などの成果を武器に、科学知識そのものと科学者集団およびより広い社会との関連に焦点を定め,社会における科学知識の生産・流通の意味を積極的に問おうとした。科学知識の社会学(SSK:Sociology of Scientific Knowledge)の登場である。
「ストロングプログラム」と「エジンバラ学派」
こうして「科学知識の社会構築性(科学者集団が社会の影響を受けるとするのみならず,科学知識もまた社会の影響を被る)」をモットーに掲げる様になったSSKが,科学の客観性に疑問を投げかける形で科学の社会性を分析することは必然的だった。なぜなら異なった社会では、異なった科学のあり方があり得るからである。中でも最も典型的と言われたのが,エジンバラ大学のデイヴィッド・ブルア(David Bloor)が提唱した「ストロング・プログラム」である。ブルアはマートン流科学社会学が科学の合理的な部分を社会学的分析の対象から外したことを批判し、科学知識の内容にまでふみこみ、その社会的原因を分析するのが社会学者のつとめであると提唱した。この科学知識の社会学(SSK)という言葉もブルアが導入したものである。
「ストロング・プログラム」はブルア「知識と社会表象(1976年)」 において科学知識社会学を行う上で受け入れるべき四つの信条(tenets)という形で提示された。
- 因果性:科学知識は社会的な原因をふくむ様々な原因によって生成される。
- 公平性:正しい(合理的な)信念も間違った(不合理な)信念もどちらも説明を要する。
- 対称性:正しい信念も間違った信念も同じタイプの原因によって説明される。
- 反射性:以上の三つの前提は社会学自身にも適用される。
核となる「因果性」生成には帰納法(ミルの方法)を用いる。
ミルの方法(Mill's Methods)は哲学者ジョン・スチュアート・ミルが「論理学体系(1843年)」で述べた五つの帰納推論法で、因果関係の解明を意図する。
- 一致法(method of agreement)…現象Aが、事象ab、ac、adのもとで発生し、Aが一致している場合、現象Aの原因はaであろうとみなす。
(ab→A)で(ac→A)で(ad→A)→(a→A)?
省略形:(ab→A)で(b→A)→(b→A)?- 差異法(method of difference)…現象Aが、事象abcのもとで発生し、事象bcのもとでは発生しない場合、現象Aの原因はaであろうとみなす。
(abc→A)で(bc→-A)→(a→A)?
省略形:(ab→A)で(a→-A)→(b→A)?- 一致差異法(joint method of agreement and difference)…一致法と差異法の併用により推理をより確実に。現象Aが、事象abcのもとで発生し、abとacではAが発生し(一致)、bcではAが発生しないとき(差異)、現象Aの原因をaとみなす。
(abc→A)で(ab→A)で(ac→A)で(bc→-A)→(a→A)?
省略形:(ab→A)で(b→A)で(-a→-A)→(b→A)?- 共変法(method of concomitant variations)…現象Aが、事象abcのもとで発生し、abcうちのaだけを変化させたときに、Aが変化するならば、現象Aの原因をaとみなす。
(abc→A)で(bc固定)で(a変化→A変化)→(a→A)?
たとえば導線の抵抗をR、温度T、電圧をE、電流をIとした実験でRTEのもと電流Iが流れ、RとTを固定しEのみ変化させるとIが変化するなら、Iの原因はEとみなせる。
(RTE→I)で(RT固定)で(E変化→I変化)→(E→I)?- 剰余法(method of residues)…現象ABCが、事象abcのもとで発生し、Bの原因がb、Cの原因がcのときに、現象Aの原因をaとみなす。
(abc→ABC)で(b→B)で(c→C)→(a→A)?
省略形:(ab→AB)で(b→B)→(a→A)
ある種の消去法(elimination method)でもある。(aかb)で(-b)→aこれらの方法のうち一致法(method of agreement)、差異法(method of difference)、そして共変法(method of concomitant variations)の三つは、イブン・スィーナー「医学典範(アラビア語: القانون في الطب Al-Qanun fi al-Tibb ; ペルシア語: قانون Qanun,1025年)が初出とされる。
残りの二つ、一致差異併用法(joint method of agreement and difference)と剰余法(method of residues)は、ミルがはじめて述べた。
そしてさらに名義尺度(Nominal Scale)だけに満足せず、順序尺度(Ordinal Scale)導入まで視野に入れるなら、以下の考え方の導入も必要となってくる。
集合Pについて「≤」をP上で定義された二項関係とする。
- 実数の大小を表す記号「≤」と区別するため、順序記号として≺≺や≪≪を使うこともある。
かかる集合(P,≤)(紛れがなければ≤ を省略し集合Pと呼ぶ)を台集合(Underlying Set) あるいは台(Support)、さらには(以下のいずれかの意味で)順序集合とも呼ぶ。順序集合(P,≤)に対し「≤」を台P上の順序関係という。
- 反射律:Pの任意の元aに対し、a≤aが成り立つ。
∀a∈P,a≤a∀a∈P,a≤a
推移律:Pの任意の元a,b,cに対し、a≤bかつb≤cならばa≤cが成り立つ。
∀a,b,c∈P,a≤b∧b≤c→a≤c∀a,b,c∈P,a≤b∧b≤c→a≤c
反対称律:Pの任意の元a,bに対し、a≤bかつb≤aならばa=bが成り立つ∀a,b∈P,a≤b∧b≤a→a=b∀a,b∈P,a≤b∧b≤a→a=b
全順序律:Pの任意の元a,bに対し、a≤bまたはb≤aが成り立つ。∀a,b∈P,a≤b∨b≤a∀a,b∈P,a≤b∨b≤a「≤」が全順序律を満たさない場合には「a ≤ b」でも「b ≤ a」でもない場合が想定され、この時aとbは比較不能 (incomparable)であるという。
- 「≤」が反射律と推移律を満たすとき「≤」をP上の前順序という。
- 「≤」が前順序でありさらに反対称律を満たすとき「≤」をP上の半順序という。
- 「≤」が半順序でありさらに全順序律を満たすとき「≤」をP上の全順序という。
「≤」が前順序であるとき集合(P, ≤) を前順序集合という。同様に「≤」が半順序なら集合 (P, ≤) は半順序集合、全順序なら集合 (P, ≤) は全順序集合という。多くの数学の分野は半順序集合を主に扱うので、単に順序あるいは順序集合といった場合はそれぞれ半順序、半順序集合を意味する場合が多いが、分野によっては、主な対象が半順序集合でなく前順序集合や全順序集合である場合があり、そのような分野では前順序集合や全順序集合の意味で「順序集合」という言葉が用いられることがあるので注意が必要である。
順序集合の実例
実数全体の集合ℝおよびその部分集合(例えば、自然数全体の集合ℕ,整数全体の集合ℤ, 有理数全体の集合ℚ)は、通常の大小関係により全順序集合となる。
複素数や剰余類のケースでも、単に全順序を入れるだけであれば、直積集合R×Rに辞書式順序(Lexicographical Order)を定めることができる。
例えば十進法によって実数を規定するなら…
複素数によって実数を規定するならαを周回数、を円分割数と置いて…
エジンバラ大学では、この後、スティーブン・シェイピンやドナルド・マッケンジーといった研究者が「ストロング・プログラム」を実践した研究を発表し「エジンバラ学派」と呼ばれるようになった。エジンバラ学派の具体的な研究として、ドナルド・マッケンジーによる統計学の誕生に関する研究 (MacKenzie,1981年) がある。
- マッケンジーは、初期の統計学上の論争(バイオメトリックスとメンデル主義の論争など)でのフランシス・ゴルトンらの立場が、彼らが優生学を支持していたことに影響されており、優生学について有利な研究成果が出されたことを指摘する。
- また、当時(19世紀末から20世紀初頭)のイギリスでの優生学の支持者たちの多くは専門職をもつ中産階級であることから、彼らの階級的利害が優生学の推進に反映されていることも指摘された。
こんな傍証も。
シャーロック・ホームズがまさにこれです。
— @ぷりめ (@prime46502218) 2022年3月11日
明らかに有閑階級出身(兄は官僚だし、この時代に大卒だし)。必ずしも金が目的ではない紳士。
しかしプロ犯罪者や警察をも出し抜く犯罪捜査のハイアマチュア。
>英国の階級制度では報酬目当てのプロフェッショナルは卑しい行為とされた pic.twitter.com/YYoVCcxbaG
ホームズの宿敵モリアーティ教授も犯罪から利益を得ていないアマチュア犯罪王でした。
— @ぷりめ (@prime46502218) 2022年3月11日
兄弟が大佐で、元は大学に籍を置き、現在は教師。明らかに中流より上の出身。知的遊戯として犯罪計画をたて、欧州にまたがる犯罪組織網を作りつつ、組織からは収入を一切得ていない(ので立件できない)。 pic.twitter.com/cqos4JSQLN
米国における産業革命導入過程においては「(ピューリタンを含む英国国教徒やアイルランド支配階層といったプロテスタントを中心とする)進歩主義者」の概念が対応する?
もうひとつ、エジンバラ学派の成果として、スティーヴン・シェイピンとサイモン・シャッファーのボイル=ホッブズ論争の分析では、ロンドン王立協会とそのメンバーの権威がロバート・ボイルに有利に働いたと示唆されている。
- ボイルのエアポンプの実験の多くは王立協会の会議室で行われ、立会人となった人々の社会的な信用が、実験そのものの信憑性を高めるために利用された。
- これとは対照的に、ボイルに対する反論者ヘンリー・モアが漁師の水中での体験を引き合いに出したことに対し、ボイルは漁師が無学であるという理由でそうした証言そのものの信憑性を否定し、それが受け入れられたことが示されている。
- サージェントはボイルの議論を分析し、たとえば漁師の証言を拒否する議論にしても、人間の体の検出装置としての信頼性そのものを問題にしているのであって、単に無学な漁師であるからといって却下しているわけではないことを示した。
この問題は実験的手法の使えない因果仮説一般について回る問題である。したがって、「健全な合理的判断が原因となってある理論が受け入れられた」とされる因果的仮説も、きちんと立証しようとすれば同じような困難に直面することになる。
しかし両者の関係は完全に対称というわけにはいかない。コールが指摘するように、科学に外的な要因と科学的知識の詳細な内容(たとえば E=mc2 という式の正確な形)の連関が示されたことはないが、合理的判断に基づく説明の場合、実験結果との突き合わせなど、詳細な内容に立ち入った連関付けが可能である。
どうやら「自然科学と社会科学の関係はどうあるべきか」という話題にもつれ込む模様…そんな感じで以下続報。