「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】ラッサールの「財産私有制発展史観」とジョン・シチュワート・ミルの「古典的自由主義」の接点。

ジル・ドゥルーズフェリックス・ガタリの共著「哲学とは何か(Qu'est-ce que la philosophie? 1991年)」に「自己を定立する概念の創造過程は、これを超越的に剪定してはならない」とあります。

ある意味思弁領域における古典自由主義(Classical Liberalism)理念の復権と「思想には適切な剪定が必要である」と考える社会自由主義(Social Liberalism)理念敗北の再確認。「とりあえず剪定を禁じ近傍の範囲を広げる為に群同型としての体裁を整える事だけ考える事によって諸概念は発展していく」「その過程で古くて通用しなくなった概念は発展的に解消されていくのが理想である」。ああ確かにこれは古典的自由主義概念の発展版…

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この考え方を援用するなら欧州思想史上のパラダイムシフトとなった(1848年の2月/3月革命による農奴解放などによって産業革命導入が加速した結果として起こった世界恐慌を背景に顕現した)1859年革命時点では…

カール・マルクス(Karl Marx, 1818年~1883年)が「我々が自由意思や個性と信じ込んでるものは、社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる画期的提言を含む「経済学批判(Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」を出版した時点では同じ思想を共有しておりその出版のパトロンとなったフェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle, 1825年~1864年)の歴史段階説を同年現れた古典自由主義概念と統合する事が可能となるのです。

まずは福本伸行カイジ・シリーズ(1996年)」における帝愛会長の名言「本当に平等である必要はないが、不平等感を持たれてはならんのだ」から出発します。逆に統治者側への被統治者側の不平等感の鬱積が限度を超える都度、体制変革がもたらされてきたと考えるのです。

マルクスと異なり「社会民主主義の父ラッサールは暴力革命を前提とせず、社会の連続変化に注目。「既得権の体系全2巻(Das System der erworbenen Rechte、1861年)」で示した歴史段階発展説は歴史上最初に現れた政体、すなわち「政教一致体制下で神官団が領土も領民も全人格的に代表していた権威主義体制」に注目。経済人類学者カール・ポランニーいうところの「政治も経済も全て社会に埋め込まれている段階」ですね。

  • 例えばメソポタミア文明ではこの神官団が天体観測の結果や過去の記録に当たって保守する農業暦=宗教暦や指示書の類が領民全ての行動を決定していた。そして、かかる保守手段の独占こそが領民を従わせる神官団の神秘的権威の源泉となっていたのである。

  • なぜ実際の欧州史には存在しなかったこの歴史的段階から話を始めたかというと、それがまさに欧州人が自らの精神的起源として崇める「聖書の世界の物語」だからであった。

ラッサールはまずその登場自体が「神が領土と領民を全人格的に代表する段階からの脱却」あるいは「神の領主化」であったと考え、以降の考察は中世における「領主が領土と領民も全人格的に代表する権威主義体制」の推移に目を転じます。

  • スイスの文化史学者ブルクハルトやドイツの社会学ヴェルナー・ゾンバルトも、アヴィニョン捕囚期(1309年~1377年)からイタリア・ルネサンス(14世紀~16世紀)にかけて「教皇の領主化」が進行した事が、欧州では「宗教的権威の神秘的で超越的な影響力の最後の残滓の喪失」につながったと指摘している。そして以降は「領主による領土と領民の全人格的代表」「ギルドによる商業利権の全人格的代表」が解決すべき課題として浮上してきたと考える訳である。

  • ちなみに古代においても政教分離自体は起こり得たが(党争に勝った宗派が自派を有利に描く形で)伝承される神話に影響を与えるだけで社会変化までは引き起こさなかったのである。それが起こるにはまず「宗教的権威そのものの失墜」が必要だったという話…

それ以降の欧州では農奴隷農制隷農制農業労働者へと変遷し「農民が私有財産の対象から外されていく過程」が続きます。同時進行で進んだギルドの廃止自由競争導入については「市場独占権が私有財産の対象から外されていく過程」と考えます。ディスクール的にはまだまだ領民側は視野外。全てが権力者やギルドの歴史として語れてていた時代に属します。

そして産業革命の到来によって資本家と労働者の富の収益の再分配はどうあるべきかという問題が発生。2月革命/3月革命(1848年)以前には考えられなかった展開であり、これ以降も私有財産とそれを管轄する社会の概念は変遷を続けていくであろうというのがラッサールの考え方。

  • 現在ではフリーウェアを巡るエコシステムフリーミアムの様な当時は考えもよらなかった様な「ビジネスモデル=私有形態」が横溢している。それらまでそれなりの説明が可能な慧眼といえよう。

さて、この話は一体どこで古典的自由主義の概念と交わるのでしょう?

  • ここで時計の針を一旦「教会が天界を、領主が世俗界を管轄する」建前が崩壊し「全領土と全領民を統括する神秘的権威」の後釜を狙って諸勢力が激突した宗教戦争ウェストフェリア条約(1648年)締結によって調停され「主権国家体制間の国際協調」体制が樹立した時代まで巻き戻す。

    ここでいう「主権国家体制(Civitas Sui Iuris)」とは「領土と領民の全人格的代表、すなわち内政干渉を防ぐのに十分な火力と機動力を有する常備軍を中央集権的官僚体制が徴税によって養う体制」を指し、その有効範囲は「(暴力的手段を独占する国家理念が、その威力に支えられた文書行政主義を法源とする内政、すなわち全領民と全領土間の紛争を超越的に裁定する)法実定主義(Legal Positivism)」の有効範囲でもある。

    ただしここでいう国家、別側面から眺めると「領土や利益分配を賭して領民などの国家リソースを可能な限り総動員する戦争遂行装置」に他ならず、その勢力拮抗は「国家こそが国民と国土を全人格的に代表する建前を思い出させる戦争状態を回避し、国際的に展開する様々な次元における交流を担保する役割も果たす。

結局は暴力」と悲観的になる人もいますが、歴史展開の過程で崇高な宗教理念市民意識といった伝統的形而上学的概念がどんどん当てにならなくなっていき、それでも「(誰もが自説を立てて結局は殴り合う)自然法」や「(それ自体が相続争いなどで戦争の原因にもなる)王族間の血縁関係」に頼るよりは弊害が少ないという理由でこのシステムが採用された経緯を決して忘れてはなりません。

そしてここからが本題となります。

  • 主権国家の協調体制」が安定すると国家は単なる戦争遂行装置としての機能だけでなく「本当に平等である必要はないが、国民に不平等感を持たれてはならない」内政遂行機関の充実も求められる様になっていく。

  • こうした時代の国家は必然的に「代表する側=連続する微細領域を切り取る側」と「代表される側=切り取られる微細領域側」の緊張関係という評価軸を備える様になっていく。そもそも領土も領民もそれ自体は「連続する微細領域」に他ならず「どう切り取ってどう計量するか」こそが重要で、その確度を上げる為に水面化ではずっと(大規模な中央集権的管理の前提となる)法学科学が発展してきたのです。

ここでやっと「古典自由主義の父」数学者コンドルセ侯爵の名前が登場。彼は「人間精神進歩の歴史(1792年)」の中で科学の発展は天文学占星学純粋数学神学といった「人間の精神と社会活動から離れている学的領域」から始まり、文学経済学論理学といった「人間の行動と生活を論理的に究明する人文科学」を経て、心理学社会科学に到達すると書き残しました。まさしく「微細領域へのフォーカス」。

ならば、かかる連続する微細領域から最大限のポテンシャルを引き出すにはどうしたらいいのか?それが「古典自由主義の大成者ジョン・スチュアート・ミルの「自由論(On Liberty,1859年)における「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。これを妨げる事が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される」なる提言。実際これまで記述した歴史のどの時点を切り取っても、既存体制存続の観点からの思想の剪定が貫徹されていれば、次の時代への発展はなかったといえましょう。

  • この概念のさらなる大源流はアリストテレス主義(Neo Aristotelianism)すなわちイタリア・ルネサンス(14世紀~16世紀)にボローニャ大学パドヴァ大学の解剖学科や天文学科で流行した「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突する。しかしながらかかる実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトは、長期的には相応の拾捨選択を経た後に伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なる信念にまで遡る。

  • そして19世紀に入ると「計測科学における誤差」が「確率論的揺らぎ=絶えざる変化を続ける微小領域のマルコフ連鎖」として認識されていく統計革命が勃発。

    現実問題として帝国主義総力戦の積み重ねによって推進されてきた暗黒面も存在し、そうした暗部をどう超克していくかがこれからの課題となる。

    こうした問題意識の分析については「自分自身の身体の全人格的代表者たる(社会を構成する連続微小領域の一つとしての)私は、それを誰にどの様な形でエンパワーメントしているのか?」なるメルロ=ポンティの身体論から出発するアプローチも存在。

こうして全体像を俯瞰すると「歴史の早い段階から国家祭祀を扱う朝廷と世俗行政を扱う幕府の分権体制が現れ、かつ戦国時代における一円領主化が進んで公家や寺社から領主としての世俗実在性が剥奪された」日本だったからこそ自力近代化が可能だったという観点も見えてきたりする訳で。