「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「ダメおやじ(1970年〜1982年)」から「魔法少女まどか☆マギカ(2011年~)」へ

日本には「家父長制へのパロディとしての家母長制」を顕現させて人気を博した古谷三敏ダメおやじ(1970年〜1982年)」の脱構造化が進み、ついにはさだまさし亭主関白(1979年)」が登場する流れがありました。

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古谷三敏ダメおやじ(1970年〜1982年)」

時代遅れとなりつつある父権主義」に対するパロディとして始まったが、さらに父権主義そのものの衰退が進むとそれを揶揄するギャグも成立しなくなり、むしろ「お父さん頑張れ」漫画へと変貌。同時期の「週刊少年チャンピオン」では「暴力に満ちた暴走族漫画」として始まった石井いさみ750ライダー(1975年〜1985年)」や「怨念の暴走するオカルト漫画」として始まった古賀新一エコエコアザラク(1975年〜1979年)」がともに明るい学園ラブコメ漫画へと変貌を遂げている。

  • 古谷三敏は元赤塚不二夫のアシスタントで、「ダメおやじ」も最初期の段階では赤塚不二夫が代筆していた。その赤塚不二夫の原点は1950年代アメリカで流行した「愉快な家族/一ダースなら安くなる あるマネジメントパイオニアの生涯 (Cheaper by the Dozen,原作1948年~1950年,映画化1950年~1952年。そこで描かれた子沢山の景色こそ「おそ松くん(1962年~1969年)」の元ネタ) 」「パパは何でも知っている(Father Knows Best、ラジオドラマ1949年〜1954年、TVドラマ1954年〜1960年)」「ザ・ハネムーナーズ(The Honemooners、1950年代TV放映)」といった父権主義的ホームドラマに反旗を翻した米国内反主流派作品群で「おそまつ君(1962年〜1969年)」における父親不在感、「天才バカボン(1962年〜1978年)」における「権威主義の象徴とは程遠い父親像」はこれに由来するとも。そして横山光輝魔法使いサリー(1966年〜1967年)」の大源流はアメリカの人気ドラマ「奥さまは魔女(Bewitched,1964年〜1972年)」だったと著者自らが述べている。

  • こうしたムーブメントの大源流にある映画版「奥様は魔女(I married witch.1942年)」は「セイラムの魔女狩り」に取材した作品。その意味ではイタリア人ダリオ・アルジェント監督作品「魔女三部作」すなわちドイツのバレエ名門校を舞台とした「サスペリア(Suspiria,1977年)」、ニュヨークの古アパートを舞台とした「インフェルノ(Inferno,1980年)」、ローマが舞台となる「サスペリア・テルザ 最後の魔女(伊: La Terza madre,英: The Mother of Tears,2007年)」と並行進化関係にあるが「反父権主義的ホームドラマ」なる背景が存在しない為、魔女は「世界じゅうを悪意で満たそうととする、ただひたすら恐ろしい存在」としてのみ描かれた。

  • さらなる背景にあったのはウィリアム・マーチ悪い種子(The Bad Seed,原作1954年,映画1956年)」ナボコフロリータ(Лолита - Lolita,原作1955年,初映画化1962年)」ダスティ・ホフマン主演映画卒業(The Graduate,1967年)」ウィリアム・フリードキン監督映画エクソシスト(THE EXORCIST,1973年)」スティーブン・キング原作映画キャリー(Carrie,1976年)」ヒュー・ジャックスマン主演映画LOGAN/ローガン(2017年)」といった作品において執拗に描かれてきた「娘の成長に翻弄される無力な父親」と「仁義なき娘と母親の対決」の対比。

  • その一方で「魔法少女まどか☆マギカ(2011年~)」や映画「パラノーマン ブライス・ホローの謎(ParaNorman,2012年)」は分断された魔女のイメージを表裏一体のものとして統合し国際的に女子の共感を獲得。実はこの流れもあって「ハリーポッター・シリーズ(1997年~2007年,2016年)」への感慨が「ヴォルデモート卿は私達がなっていたかもしれない存在(だからこそ殺せ)」「オブスキュラスは私!!」となったり、「シン・ゴジラ(2016年)」への感慨が「鎌田君は私達がなっていたかもしれない存在(だからこそ殺せ)」となった側面も。ちなみに同時期には「ブレンダンとケルズの秘密(The Secret of Kells、2009年)」のアイスリンクや「物語シリーズ(2008年~)」の忍野忍の様な「ロリババァ(Etarnal Loli)」も選好されている。
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  • この様な展開が第三世代フェミニズムと次第に合流。実際、竹宮ゆゆことらドラ!(原作2006年〜2009年、アニメ2008年〜2009年)」における櫛枝実乃梨の台詞「私の幸せは…自分の手で掴み取る…何が自分にとって幸せかは自分で決める!!」は第三世代フェミニストステートメントそのものでもあったのである。
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    あと「私はこの物語におけるヒーロー。救済を待つ身ではない」とか。
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  • ところでメラニー・クラインの発達段階説によればニンフェット期(女児の身体成長速度が男子のそれを抜く小学校高学年頃から再び抜き返される中学生頃)の少女は「統合失調期」「躁鬱期」の二段階を経るとされる。

    2010年代には「RWBYシリーズ(2013年)」における「直感で動く無邪気な破壊魔ルビー・ローズ(Ruby Rose)が前者、「複雑な家庭事情を抱え内省的なワイス・シュニー (Weiss Schnee)が後者に重ねられた。生みの親たるクリエーターの夢の中に現れた最初の二人であり、後付けで追加された他のキャラと違い、ユングいうところの「原型」めいた雰囲気を漂わせていたせいでもあった。


    当時は庵田定夏ココロコネクト(2010年~2013年)」の名台詞もmemeとして流行。「何が人を、私達を規定するの?内面の変化が見た目に現れるとは限らないのに。(Whatdefines human? define us?  Nobody will notice a change on the inside if you look the same on the outside)」

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    こうした人格形成過程をさらに(閉世界仮説を採用するなら本来は空たるべき全体集合の補集合に次々と笑われる新要素を捌く一貫したスタイルを確立せんとする)実証主義のレベルにまで研鑽したのが西尾維新物語シリーズ(2006年~)」における羽川翼千石撫子だったりする。そしてここに改めて「第三世代フェミニストステートメント」が。

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    お前の事を一番よく知っているのはお前だ(You knou the most about you.)」
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    だからお前の事を大切に出来るのもお前しかいない。(That's why you're the only person who can take care of you.)」
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    お前の夢を叶えられるのもお前しかいないんだ。(And you are the only one who can grant your dream.)」

  • その一方で「さらに深い闇を覗きたがるゴス系少女達浅野いにおうみべの女の子 (2009年~2013年)」「おやすみプンプン(2007年~2013年)」に群がりつつ、次第に「心を病めば病むほど同じ様に心を病んだ人々を引き寄せる。その惡循環から抜け出す事」「薬の服用で楽になれる事もあるので、しかるべき人に相談して薬を処方されたらそれを飲み続ける」と考える様になっていった。そして「理由もなく昆虫や動物の死体への過剰な関心を抱え、それを写真に撮影し続ける奇癖を誰からも咎められない」「聲の形(A Silent Voice, 漫画2011年~2014年,劇場版アニメーション2016年)」の西宮結絃や「愛しく思う相手を食い殺したくなるゾンビとしての本能を紫陽花の葉を食べ続ける事で抑え続けるはっとりみつるさんかれあ(2010年~2014年)」の散華礼弥にも心惹かれつつ「私達は十分眠り、お肌もキューティクルもツルツルで頭もスッキリ冴えた状態の自分が好き」なる当時女性アカウント間で流行したステートメントも受容した彼女達が最後に辿り着いたのは「内から込み上げてくる悪しき衝動にと睡眠で戦い、与えられた薬はきちんと飲む吾峠呼世晴鬼滅の刃(2016年~2020年)」の竈門禰󠄀豆子だったりする。

    当時女性アカウント間で流行した私達は十分眠り、お肌もキューティクルもツルツルで頭もスッキリ冴えた状態の自分が好きステートメント…ネット投票に掛けたら圧倒的多数の票を獲得した「女性が自分で自分を健康だと納得させるバロメータ」で、そもそも反対意見が出なかった模様。

    彼女達にとって「自らの内側に潜む魔物との対峙」はよっぽど重要な主題らしく、他にもPixiv経由で海外にも広まった日本の妖怪「二口女」に「無理なダイエットのせいで食欲が暴走し、勝手に新しい口が開いてしまった」なる新たな定義が与えられる展開があった。

先走り過ぎました。話を1970年代末まで巻き戻します。

さだまさし関白宣言(1979年)」

この曲が発表された頃には既に「亭主関白」は、ある種のファンタジーとしてしか日本に存在し得なくなっていた。

 

さだが当時山本直純に紹介されて通っていた京都・先斗町のスナック「」のママ(さだは母親と歳が近かったので「お母さん」と呼んでいた)に、「最近の男は駄目になった。だから若い娘も駄目になった。男はん、しっかりしとくれやっしゃ。お師匠はん、そういう歌を作っとくれやっしゃ」と言われたことがきっかけで作られた作品である。そのためあえて男が強気な内容の歌詩を書いたものであり、これを以ってさだの思想であると解釈するのは間違いである。そもそもさだ自身「こんなのが売れるとは思ってなかった」と述べているし、近年では「男は女の付属品です」とも言っている。ちなみに、「関白宣言」を聴いた鳩のママは「お師匠はん、まだ甘おすな」と言っていたという。

以降の時代にはさらなる衰退が進行。

新井詳中性風呂へようこそ(2007年)」

どうして父親は娘から嫌われるのか?

①昭和型マチズモ
1978年当時の子供達の憧れはTVや漫画の不良で、みんな真似してた。子供にとって大人とは「何をしても痛がらない存在」で、虐め方も「言葉・力・人数の統合芸術的虐め」。「今の方が精神を傷付ける言葉を使うので昔より過酷」というが、当時は至る所で喧嘩が行われて鋳たので目立たなかっただけ。「子供は喧嘩するもの」と思われていた。

  • 男も女も「(不潔さ、ペチャパイといった)性別的弱点」をモロ出しにするのが「人間味溢れる演出」として流行。
  • 中性的な人やオカマを酷く嫌う。オカマは大抵不細工に描かれ、迫られて「ギャー」というギャグが頻発。
  • 美形でお洒落な男は大抵気障で鼻持ちならない役。

バブル世代特有の(トレンディドラマ的)「男の幸せ」「女の幸せ」のくっきりしたキャラ分け。

  • 恋愛決め付け論女の人生は男で決まる。御前も何時かいい男をみつけて可愛がってもらうんだぞ
  • 美男に否定的ヒョロくて弱そうな男だ。女みたい
  • 処女崇拝「(飯島愛を指して)こんな風になったらオシマイだぞ! 傷モノになるなよ!
  • 母づてに聞かされる父親の性豪伝説。新婚早々、浮気されて苦労したのよ。お父さんもなかなかやるでしょ?
    ホモやオカマを極端に嫌うこれ男? 気持ち悪っ!!
  • 役割決定論ボタンつける練習するか? 将来彼氏につける練習に…

要するにどちらも1960年代までは確実に全国規模で根を張っていた(家父長権威主義を含む)戦前既存秩序の残滓。1990年代以降には通用しない。それで娘が「そんなに男が女より強くて偉くて選ぶ権利がある世界の女ってすっごくつまらない」「なら男になった方がマシ」とか言い出す訳である。

その一方で1990年代に入ると武内直子美少女戦士セーラームーン(1992年〜1997年)」やテッド・チャンあなたの人生の物語(Story of Your Life、1999年)」の様な「(彼氏=夫=父親の影が希薄で)母親と娘の関係にスポットライトが当たる」作品が次々と登場。時期的にはウルトラ・フェミニズム(第二世代)から第三世代フェミニズムが分離を果たす過程の最中に該当し、前者も頭を悩ませた「男性なるものへの依存状隊からの脱却」なる課題への後者なりの処方箋がこれだったとも捉えられそうです。

  • フランス日本韓国共同制作の「ミラキュラス レディバグ&シャノワール(Miraculous, les aventures de Ladybug et Chat Noir,2015年)」にはこのテーマの継承が見られ、それがヒット要因となっている。

そして2000年代前半にはいわゆる「セカイ系」が登場。20世紀のうちに伝統的家族問題が解消されてしまったので「(ノストラダムスの大予言」の余波を借りる形で)悲観的ガイア仮説を主軸とする新展開」が必要になったとも。

そして海外では2010年代前半に「親殺し達の夜(Night of the Parents Killers)」なる事件が起こりますが、日本にその話が伝わる事はなかったのです。