「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】米国の「東海岸」「西海岸」「その他」

その是非はともかくアメリカ文化史はその文化的枠組み上「東海岸文化と西海岸文化のFusion」を重視するのです。

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船戸与一「神話の果て(1985年)」

アメリカ合衆国の政治を左右するのは民主党でも共和党でもない。大統領がどっちの党から選ばれるかなどほとんど重要ではない。問題はどっちの地域から選ばれるなのだ。

第35代大統領J.F.ケネディ任期1961年~1963年)が暗殺されてからワン・ポイント・リリーフのG.フォード任期1974年~1977年)を除いてL.ジョンソン任期11963年~1969年)、R.ニクソン任期1969年~1974年)、J.カーター任期1977年~1981年)、R.レーガン任期1981年~1989年)と全て南部諸州から選出されている。

アメリカ合衆国を建国以来支配してきたのはシカゴからボストン、ニューヨークに到る東部エスタブリッシュメントだったが、今やそれは南部諸州にとって替わられた。政治、経済、文化を含めた壮大な権力移動(Power shift)が完了したのだ。南カリフォルニアからテキサスを経てノースカロライナに到る南部諸州を支えているのは農事産業、軍事産業、電子技術産業、石油・天然ガス産業、不動産・建設産業、観光・レジャー産業で、これらは六本の柱(Six pillars)と呼ばれている。
*「六本の柱(Six pillars)」…ギリシア語の「プロナオス(pronaos、寺院正面) )」を起源とするポルチコ(イタリア語:Portico)様式玄関が起源。そのうち6柱式は古典ギリシャ時代の紀元前600年〜550年頃からペリクレス時代(紀元前450年〜430年)の間に正統派ドーリア様式として定着し、ギリシア諸都市の南イタリア植民を契機としてエトルリア人にまで広まり、古代ローマに継承され、ボンベイ再発見(1748年)を契機として広まった新古典主義建築の影響でユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンやアメリカ合衆国議会議事堂の正面玄関に採用された。最近はあまりこれを南部諸州の「六柱」とする表現は見ない。

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  1. その後アメリカ大統領はテキサス州出身のG・H・W・ブッシュ1989年〜1993年)、アーカンソー州出身のビル・クリントン1993年〜2001年)、同じくテキサス州出身のG・W・ブッシュ2001年〜2009年)と南部諸種出身者がが続いてきたが、最近ハワイ出身で東部イリノイ州上院魏委を経たバラク・オバマ大統領2009年〜)が就任し、このパターンが崩れた。実際ブッシュ大統領の賛成派と反対派の論争には確かに「東部エスタブリッシュメント VS 南部諸種」の代理戦争みたいな側面も見受けられる。
    *で、トランプ大統領ニューヨーク州ニューヨーク市出身…

  2. ケチャップをたっぷりかけたポテトフライやトマトソースを乗せたピザをヘルシーな野菜と言い切る農政の横暴」とか「国を貧しくしてまで続けてきた戦争で儲けたのは軍事産業だけ」とか「製造と組み立てを外国にアウトソーシングする様になった電子技術産業」とか「サウジアラビア王家と癒着しつつイスラム過激派の資金源となっているラディン・グループと親しいブッシュ一族」などについてアメリカ国内からすら批判される様になったのも南部諸州弱体化のせいかも。そういえばハリウッド映画もクリエイティブ面ではオーストラリア勢やヨーロッパ勢の力を借りる機会が増えた。

  3. ニューヨーク起源のFacebookが西海岸に移転してきたのを記念して「The Social Network2010年)」なんて映画を撮っちゃう辺りにも劣等感すら感じる。その一方で若者層はニューヨークに残ったTumblrに奪われちゃうんだから世話はない。その結果最近は「南部諸州文化はダサい」がトレンドに? 「The Great Gatsby2013年)」も舞台はニューヨークだった。
    *でもPizzaはイタリア料理で「鰻を食う文化」を温存してきたのもニューヨークのイタリア系。彼らはどちら側にもいる。

そういえば一昔前までパニック映画といえばロサンゼルスばかり襲われてたけど、最近はニューヨークばかり襲われてる気がする。

  • 例えばクトゥルフ神話の大元となったパルプ・マガジン全盛期におけるCosmic Horrorジャンルも(エドガー・アラン・ポーの怪奇性に代表される東海岸文化から出たH.P.ラブクラフト(Howard Phillips Lovecraft, 1890年~1937年)と西海岸文化から出た(実際にビアーズやスターリンの弟子筋にあたるクラーク・アシュトン・スミス(Clark Ashton Smith, 1893年~1961年)や、テキサス出身でむしろ「英雄コナン・シリーズ(1932年~1936年)」によってHeroic fantasyジャンル創設者として後世に名を残したロバート.E.ハワードRobert Ervin Howard, 1906年~1936年)とFusionによって成立したと考えられる事が多い(ウィアード・テイルズ御三家)。

    その死後ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが「クトゥルフ神話の始祖」、ロバート.E.ハワードが「ヒロイック・ファンタジーの始祖」と整理されていったプロセスには商業的主流が「(パルプ・マガジンに不定期掲載される)時系列をあえてぼかした短編集」から「幾冊もの単行本に分冊して販売される長編叙事詩(クトゥルフ神話の場合は数多くの作家が参画するホラー・アンソロジー)」へと推移していく過程でこうした枠組みは発展的に解消されてきた訳だが、フェミニズム文学史はそのプロセスにおいて「スペース・オペラの始祖の一人エドモンド・ハミルトンと宇宙観を共有した「ノースウェスト・スミスNorthwest Smithシリーズ(1933年~1940年)」や、女性主人公のヒロイック・ファンタジー元祖「処女戦士ジレル・シリーズ(1930年代)」でウィアード・テイルズ全盛期「御四家の四番目」と称されたC.L.ムーア(C. L. Moore, 1911年~1987年)の作品が排除されるに至った歴史に着目する。

  • そもそもCosmic Horror系作品が性表現に過剰なまでに自粛的なのは19世紀末英国においてその「古代からの魔術的な力と人間の内奥にかかわる恐怖を、性的な仄めかしを交えて描いた」過激描写が社会問題に発展した「パンの大神The Great God Pan, 1890年同人雑誌掲載, 1894年刊行。クトゥルフ神話体系的には「ノーデンス初出作品」として知られる)問題に遡り、その代償として(オーギュスト・デュパン物やシャーロック・ホームズ物にその起源を遡るラブクラフトの「ランドルフ・カーターの陳述(The Statement of Randolph Carte, 1919年)」や「死体蘇生者ハーバート・ウェスト(Herbert West - The Reanimator, 1921年)」の様な(同性愛寄りの解釈を可能とする)ブロマンス物への傾倒を生んできた。実は後世の解釈においては、この種の作品群に見て取れる「(既存倫理感を超越しようとする)悪の自滅の傍観」という行為には(読者をも巻き添えとする)ある種の隠されたエロティズムが秘められており、それが最も濃厚に顕現したのがラブクラフトの場合は「(食人衝動にあえて屈服し「人間をやめる」事で不死性を獲得するとなる背徳的概念を主軸とする家の中の絵(The Picture in the House, 1920年)」だったという分析もある。むしろこの構造、最もメジャーな形で広まったのはモーリス・ルブランの手になる「泥棒紳士アルセーヌ・ルパンの華麗なる暗躍と、彼からの告白を小説にまとめ発表する作者」の図式だったのかのしれない。

    ならばNorthwest Smith seriesの典型的筋書きたる「主人公は宇宙最強の荒くれ男だが超常現象に対してはからきし抵抗力がない。それで地母神的エイリアンが現れる都度、毎回きっちり窮地に追い込まれ総受け状態となるが、その都度「無駄にイケメンで超常現象に対して一切容赦がない」相棒ヤロールの乱入などによって「人間でいられなくなる」最後の一線は超えずに済む」もブロマンス物語類系にカウントして良いかが問題で(というかこの物語の主人公、作中で毎回総受け状態に追い込まれる一方で「宇宙最強の荒くれ男」の部分をほとんど見せない。それで「ただの総受け男」にしか見えないのがそもそもの問題。唯一の例外と言える地球の大地でクローバ 畑に寝そべって十代で犯した最初の殺人、すなわち隣家の少女を一家もろとも殺害した憎い敵を射殺したを回想する「短調の歌(Song in a Minor Key, 1940年)」も同人誌発表作品で、読者がこちらの系譜の作品を求めていなかったのも明らか)、というのもこのこの物語文法は(実はbisexualであり、その事への自己嫌悪の大きさも告白している)ジェームズ・テプトリー・Jr.の「接続された女(The Girl Who Was Plugged in, 1973年)」「たった一つの冴えたやり方(The Only Neat Thing to Do, 1985年)」にはさらに複雑な形で現出してくるから。ちなみに「探検家の娘」テプトリー自身はシカゴ生まれのアフリカ育ちでどちらにも分類されない。

    この二人については「ヴァンパイア・クロニクルズ(Vampire Clonicles, 1976年~)」だけでなく「眠り姫シリーズ(Sleeping Beauty Series 1983年~1985年)」の作者でもあるルイジアナ州出身のアイルランドカソリック教徒作家のアン・ライスを「第一代女王」、主題が「ダンブルドア先生のスナイプ先生に対するクレイジーサイコホモ」と明らかになった「ハリー・ポッター・シリーズHarry Potter Series, 1997年~2007年)のJ.K.ローリングを「第二代女王」と崇めるSlash(国際的腐女子)も何らかの地位を与えたがっている。

    ちなみに「典型的筋書きを繰り返す為に叙事詩の編纂が難しい」のはNorthwest Smith seriesだけでなく、その大半が「薄幸のヒロインが拷問されたり、怪物の生贄に捧げられたりしている場面に主人公が駆け付ける」展開の英雄コナン・シリーズも同じ。そういう形での作者の性癖と読者の性癖の一致こそが、パルプ・マガジンの世界だったという次第。

あれ?「例外」の話が中心に…

  • ニューヨークを舞台に展開する「華麗なるギャツビーThe Great Gatsby, 1925年, 映画化1974年/2013年)」の主人公はシカゴやデトロイトを最大都市とする中西部出身で、物語は彼の「お登りさん視点」で展開する。

  • 1980年代前半を席巻した「ハリウッド青春搾取ミュージカル(Youth Exploitation Musical)」はニューヨークにおける(ブルックリン橋で隔てられた)マンハッタンブルックリンの経済格差を背景とする「サタデー・ナイト・フィーバー(Saturday Night Fever, 1977年)」やニューヨーク・パンク・ムーブメント台頭を背景とする深窓の令嬢とパンク娘の二人組の冒険を描く「タイムズ・スクェア(Times Square, 1980年)」を出発点としながらシアトルのレーニエ士官学校を舞台に士官候補生と現地の交流を描く「愛と青春の旅だち(An Officer and a Gentleman, 1982年)」、溶接工のヒロインがフィラデルフィアのショウビズに挑む「フラッシュダンスFlashdance, 1983年)」を経てシカゴ出身の主人公が中西部の田舎町に波乱を巻き起こす(撮影はユタ州)「フットルースFootloose, 1984)」やバージニア州リッチモンドを舞台とする(撮影はシカゴ)「ストリート・オブ・ファイヤー(Streets of Fire, 1984)」では「田舎の深窓の令嬢が退屈のあまり死への渇望に憑かれると、トリックスター的風来坊が現れる」なる典型的筋書きに行き着く。
    *そして「コーラスライン(A Chorus Line, 1985年)」の不評が米国におけるミュージカル映画そのものの歴史を終わらせてしまう。

    この辺りの物語文法は、飛騨山中の地元有力者の娘と東京のサラリーマンの息子の心と体が入れ替わる新海誠映画「君の名は。(2016年)」、サンフランシスコ州の片田舎サクラメント有識者階層の娘が厨二病の最中、ニューヨークへの留学を考える映画「レディ・バードLady Bird, 2017年)」にも影響を与えている。

  • そしてロサンゼルスを舞台に上流社会に属する若者たちの退廃的な生活を衝撃的に描き、当時たいへんな話題となったブレット・イーストン・エリスの処女小説「レス・ザン・ゼロLess Than Zero, 1985年)」においては逆に「東海岸の大学に留学している西海岸出身者」が語り部となる。

そもそも米国で重視されている「ロードムービー文学」においては「現地の分断状況を横断的に跋扈可能な旅行者だからこそ目撃者となる俯瞰的真実」が重要な鍵を握ります。そして米国文学史上、最大級の「旅行者」というと…

  • 実は駆け出し時代のH.A.ラブクラフトは「東海岸文学の巨匠エドガー・アラン・ポーの影響下から抜けるのに随分と苦労している。突破口となったのはフランス人恐怖作家ティオフル・ゴーチェの手になる「或る夜のクレオパトラ(Une nuit de Cléopâtre, 1838年)」の翻訳に触れた事で、それを翻訳したのは米国逗留時代のラフカディオ・ハーンだった。フランス語を得意とする当時のハーンはニューヨーク向け移民船経由でオハイオ州シンシナティに渡って黒人と結婚。離婚後はルイジアナ州ニューオリンズに本拠地を移し、この間米国へのフランス文学の紹介者として活躍しつつ、ニューオーリンズクレオール文化やブードゥー教について優れたドキュメントを残した。古い時代の細かい事情を調査する為にケベックニューオーリンズまで長距離バスを利用して旅行した事もあるラブクラフトはこちらも参照しており「クトゥルーの呼び声(The Call of Cthulhu, 1928年)」や「インスマウスの影The Shadow Over Innsmouth, 1936年)」といった旧支配者と人類の混血が登場する作品はその影響を色濃く受けている。こうした経緯からファンとの書簡の中でハーンに敬意を表し「宇宙的恐怖(Cosmic Horror)ジャンルの始祖の一人」と呼んだりもしている。ちなみに後にクトゥルフ神話体系へと発展する膨大な長編叙事詩的設定はこうした作家やファンとの書簡交換を通じて育まれてきたもので、短編志向のパルプマガジンの編集志向と必ずしも合致せず、その影響が色濃い作品の多くが掲載を拒否され、彼の没後1939年に手紙友達で同業作家であるオーガスト・ダーレス、ドナルド・ウォンドレイが発起人となって彼の作品を出版する目的でアーカム・ハウス出版社が設立されるまで未発表のままであった。しかし逆を言えばまさにかかる重厚な背景設定とそれを共有する作家とファンのネットワークの存在こそが短編中心のパルプマガジン時代から長編の連作中心の単行本時代への移行をサバイバルする原動力となった訳であり、「宇宙的恐怖(Cosmic Horror)ジャンル」と「クトゥルフ神話体系」をあえて分けて論じる立場はこの事を重視する。

    同様に短編中心のパルプマガジン時代から長編の連作中心の単行本時代への移行をサバイバルした作家としてダシール・ハメットの名前が挙げられる。東部メリーランド州で生まれフィラデルフィアボルチモアで育ち、職を転々と変えながらサンフランシスコに辿り着いた。1922年よりパルプマガジンブラック・マスク」にピンカートン探偵時代の経験を生かした短編推理小説を掲載する様になり、後にこれが小太りのコンチネンタル探偵社社員「コンチネンタル・オプ」シリーズにまとめられて単行本化され「血の収穫Red Harvest, 1929年)」「デイン家の呪いThe Dain Curse, 1929年)」といった長編版も発表される様になる。「マルタの鷹The Maltese Falcon, 1930年)」は最初から単行本化を前提に「ブラック・マスク」に連載された作品であり「ガラスの鍵The Glass Key, 1931年)」「闇の中から来た女Woman in the Dark, 1933年)」「影なき男The Thin Man, 1934年)」といった後期作品は最初から単行本で発表されている。

東海岸文化と西海岸文化が掛け離れているからこそ、両者をどう結んだのかが重要となてくるという事みたいですね。