「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】ニューロマ(The New Romantic movement )とパンク(The Punk movement )⑤1980年代中盤以降の「世代交代」

とりあえずこれも自分の音楽観を巡る主観的時間の積み重ね方を確認する旅の一つ。

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 以下の投稿の続き。

1980年代も後半に入るとハードロック/プログレの求道性の再建が始まり1990年代のハードコア的世界観に接続するが、その契機となったのはドイツSF映画メトロポリス(1927年)」再評価だったかもしれません。これもある種の白昼夢からの覚醒過程…

  • 私の主観的感覚ではこの辺り。

    MotörheadD.U.B.、ミック・カーンGolden Palominosスティングなどの影響を受けたベースの諸田コウ1963年2月6日~1999年5月7日)が、その突然死まで牽引した第1期(1986年~2000年)が著名。プログレハードコアブルースジャズなど多ジャンルの影響から創り出す独自のメタル・サウンドを確立しており、不可思議なメロディセンスを持ったジャンルにとらわれない音楽性が特徴。

    ビクターからは、ノン・カテゴリーの刺激的ヘヴィ・トリオというキャッチコピーで紹介されていた(1989年当時)。また、非常にテクニカルな演奏力を持つ事で知られており、変拍子や転調を多用した複雑なリズムを得意としている。とりわけ、諸田のフレットレスベースから繰り出される恐ろしくテンションの高い演奏は圧倒的な存在感があり、HR/HM界のジャコ・パストリアスと称される程の実力を誇っていた。

    Complicated Mind』のミキサーを務めたスティーヴン・リンズレーは「諸田のプレイは見ていて身の毛がよだつほどだった」と後年インタビューで語っている。

    Go Mad Yourself!」から『No More Pain...』まではスラッシュメタルが中心で暗い雰囲気を感じさせる楽曲が多かったが、『Killing Field...』辺りからアヴァンギャルドの要素が強くなり、『Complicated Mind』、『Incompetent...』の2作ではハードロック色を強め、『HUMAN NOISE』以降はサウンドエフェクトを使用したインダストリアル的なアプローチを見せるなど、サウンド面でも大きな変化を遂げている。

    ニューヨークのライヴハウスCBGBのオーナーであったヒリー・クリスタルは、「DOOMは強烈なオリジナリティを持っている凄いバンドだ。」と彼らを評している。プロデューサーのクリス・バトラーは彼らの音楽性を「ニュー・ウェイヴ・アート・メタル」と評した。

    Bon JoviDry County(1992年)」やVan HalenDon't Tell Me(1995)」と一括りに聴いていた。でMinistoryNine Inch Nalesに出会う訳である。

  • 一方、テクノ系はトランスやアシッドといったクラブ文化を背景とする内省的な方向に向かう(棒読み)。私の音楽遍歴を 見ても分かる様にハウスに傾倒した 時期が存在しないので詳しい事はわからない。

  • サンプリング文化の歴史にもあまり明るくない。

ところで日本歌謡界が「ラ・セゾン(1982年)」を通じて接続しようとして失敗したのは、当時欧米を席巻していた「ブラックホールに落ちる様に無限に堕落していく(その過程で人間は自分を保てなくなっていく)」なる無限遠点設定だったのです。独特のドラッグへの耽溺とパーティ文化…
*そして21世紀に入ると、こうした発想の源になったブラックホール観自体が変わってしまう。

  • 英国ロックバンドQueenのボーカルだったフレディ・マーキュリーに焦点を当て、1970年Queen結成から1985年ライヴエイド出演までを描いた「ボヘミアン・ラプソディBohemian Rhapsody, 2018年)」にも、かかる時代の特別な空気感はしっかり描かれていた。映画「Cruzing(1980年)」とバンド「Frankie Goes To Hollywood(1980年~1987年)」の時代。

    • ヤクルト「レモリア」のCMソングとして使用された際、同社は英国で放送禁止になった曲であることを承知の上、サビの部分だけなら問題ないという判断の下で使用した。

      1980年にニュー・ウェイヴ・バンドとして結成。グループ名は、フランク・シナトラが音楽界から映画界に進出することを伝える新聞記事の見出しから派生した「都へ出てきて堕落する(frankie goes to hollywood)」というニュアンスの慣用句的隠語に由来する。

      • エスロンリー・ハート(Owner of a Lonely Heart, 1983年)」のプロデューサーとして一躍、時の人となったトレヴァー・ホーンに見出され、1983年ZTTレーベルからデビューした。メンバーはホリー・ジョンソン(ボーカル)、ポール・ラザフォード(ボーカル、キーボード)、ブライアン・ナッシュ(ギター)、ピーター・ギル(ドラム)、マーク・オトゥール(ベース)。ボーカルのジョンソンとラザフォードはゲイであることを公言している。

      デビュー曲の「リラックス (Relax, 1984)」はSM行為を描写した歌詞内容や排尿音などが問題となり、BBCのほか、多くの国の放送局(NHKも含む)で放送禁止となったが、大ヒットを記録する。バックに使われる強い音は、ホーンが最も強い音と思ったというレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムのドラム音をサンプリングしたものと言われていた(この噂は本人が否定、リンドラムであるとのこと)。1980年代を代表するヒット曲としてディスコ系や80's系コンピレーションCDに収録されていることが多いほか、日本のCMでも使用されたことがある。


      また「水10!ココリコミラクルタイプ」のオープニング曲のほか、映画『ボディ・ダブル』ではこのバンドの出演と共に一シーンのBGMとして使われ、映画『ズーランダー』では重要なモチーフとして使われている。ゲーム「Saints Row: The Third」にも使用されている。2017年には日本のアイドルグループ・9nineによって「Why don't you RELAX?」という題名でカバーされている。

    次のシングル「トゥ・トライブス(Two Tribes, 1984)」は当時の米ソ冷戦と核戦争の危機を歌った曲で、全英で9週連続1位を記録した。またロナルド・レーガン大統領とコンスタンティンチェルネンコ書記長のそっくりさんが土俵上で取っ組み合いをするミュージック・ビデオが話題を呼んだ。

    こうしたファッショナブルな政治的メッセージの打ち出し方が、おそらくこの辺りに影響を与えた。

    • ホーンが作り出す時代の先端を行く刺激的なサウンド、話題性の高い歌詞、ゲイであることをアピールしたセンセーショナルなイメージ戦略によってバンドは一躍時の人となったが、それゆえに「トレヴァー・ホーンの操り人形」「ライブではテープを流すだけで演奏もできない」と皮肉られていた。ミック・ジャガーからは「イギリスのヴィレッジ・ピープル」と評された。

    人気は長続きせず、1987年にジョンソンがグループを離れ、バンドは活動を停止した。

    ロサンゼルスを舞台に上流社会に属する若者たちの退廃的な生活を衝撃的に描き、当時たいへんな話題となったブレット・イーストン・エリスの処女小説「レス・ザン・ゼロLess Than Zero, 1985年)」の時代でもある。

ナイトクラブ経営者にしてbisexualだったSteve Strangeは、この辺りかなり巧みに立ち回って後世に悪影響を残さなかったのです。

この曲にリズム感の継承を感じます。直接繋がっているというより「流行の音」を共有してる印象。

パーティ文化方面だと「Night Train (1982年)」

こちらはPrinceが発展させた印象があります。


ただしこの流れは1990年代に「バットマンの乳首」事件に行き着いてしまいます。

そして最後はイビサ島に向かった訳ですが…この土地の最先端音楽は後にマドンナやレディガガの作曲にインスピレーションを与える事になるのです。

 とりあえず、以下続報…