「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】ニューロマ(The New Romantic movement )とパンク(The Punk movement )

とりあえずこれも自分の音楽観を巡る主観的時間の積み重ね方を確認する旅の一つ。例えばこれまで、以下の様な分類をあまり意識してこなかったのですが…

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 ガレージロック (Garage Rock)

1960年代半ば以降に台頭したロックの1ジャンル。後にガレージパンクとも呼ばれた。1970年代前半に一時忘れられたが、パンク・ニューウェイブ隆盛の1977年以降に再評価された。

 

  • 1960年代アメリカ合衆国を発祥としている。シーズシャドウズ・オブ・ナイトスタンデルズカウント・ファイブシンジケート・オブ・サウンドディック・デイルキングスメンなどが代表的ミュージシャンとして知られている。
  • 1964年以降のビートルズローリング・ストーンズザ・フーキンクスなどのイギリス出身バンドによる「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の強い影響も受け、初期のロックンロールへの回帰の要素が強い草の根的ムーヴメントとして発展した。

  • レニー・ケイが編集したアルバム『Nuggets』に収録されたバンド群が、特によく知られている。同アルバムには1965年~1968年のガレージ・バンドが多数収録され、1972年に発表された。レニー・ケイは数年後に、ニューヨーク ・パンクのパティ・スミス・グループに参加した。

  • 60年代ガレージロックの範疇に括られるバンドは多い。彼らのサウンドは、ロックンロールのスタイルに則ったシンプルなコード進行の曲が多く、ロックの初期衝動がストレートに現れている。一方で忘れてはならないのが、60年代当時流行し始めたLSD等の幻覚剤が音楽にもたらした効果である。ドラッグによるトリップ効果を表現しようという意図は、幻想的な曲作りや、ファズを多用した歪んだギターや、シタール等のインド民族楽器の使用に繋がる。そのため、サイケデリック・ロックの萌芽を感じさせるバンドも存在した。

  • ロンドン・パンクが1970年代後半に流行した。産業ロックなどの商業主義的に肥大化したロックに反抗した当時のパンク・ムーヴメントの中で、ロックの初期衝動に忠実ともいえる性急さを特徴とした60年代以前ガレージ・ロックの再評価がなされた。

  • 1980年代以降のバンドは、やはりロックの初期衝動をストレートに表現している。尊敬するバンド、影響を受けたバンドとして60年代ガレージ・ロックロックンロール・バンドを挙げるバンドが多い。しかし、新しい世代のバンドは、サイケ衝動とは縁遠く、若者の等身大の日常や世界観を持ったバンドが多いことが特徴である。オルタナティヴ・ロックのバンドが多く、ストパンの影響も大きい。リフ主体のギターサウンドが共通点である(ヘヴィメタルのように深く歪ませたディストーションではなく、クランチ気味の乾いた音色が主体)。

きらびやかな音響処理やSEを多用した80年代風の産業ロック的音作りや、スタジオでの多重録音による音像とは距離を置いた、シンプルな音を持ったバンドが多い。それが録音環境の良くないインディー・ロックアンダーグラウンドのバンドとなり、オルタナティヴ・ロック/ストパンの色彩を強めている。 

正直、そのロンドン・パンク80年代風産業ロックとの対峙関係を強調する姿勢が気に入らなかったのです。どうやら当時から私はその全体像を無限遠(Infinity)からの逆算、すなわちロジスティック方程式Logistic Equation)辺りで把握したがっていた様で、盲目的に「メジャー志向」と「マイナー志向」を峻別するその姿勢が無限遠(Infinity)設定に悪影響を及ぼしている様にしか思えなかったのです。
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ここで肝心なのは数理上の細部というより「何処に無限遠(Infinity)の基準を置くか」によってあらゆる計算結果への意味付けが変わってきてしまう全体構造。如何なる適切な計算結果も最終的に「現実への射影(Projection to reality)」に失敗するなら全て台無しになってしまうのです。

例えば、私の辿った音楽遍歴の少なくとも一部は、どんどん遡っていくとテキサスのバンドであるゼーガーとエバンズ(Zager and Evans)のSpanish調弾き語り曲西暦2525年(In The Year 2525, 1969年)」辺りへと辿り着いたりします。この系譜の出発点は要するに(寓話性の強いカート・ヴォネガット.Jr.(Kurt Vonnegut.Jr.、1922年~2007年)の諸作品やリチャード・バックかもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull,  1970年)」へも投影された新左翼運動/ヒッピー運動の挫折感。そこで意識された無限遠(Infinity)は「遠い未来における人間性/人間中心主義(Humanity)の消失」といった内容だったのです。


1968年アメリカ・テキサス州のローカルレーベルであるTruth Recordsから発売され地元のラジオ局で流したところヒット、翌1969年にメジャーレーベル(RCAレコード)から発売された。

Billboard Hot 100同年7月12日から6週連続1位を記録すると、イギリスのシングルチャートでも8月〜9月に3週連続で1位を記録する大ヒットとなった。その累計売上は500万枚とも全世界2000万枚以上ともいわれる。日本でも1969年8月10日に発売されたが、9月8日オリコンチャートから11週連続の10位圏内ランク10月13日より2週連続で最高位の3位を記録)となり、40万枚近いセールスを記録している。

この曲は遡る事5年前の1964年リック・エバンズ (Rick Evans) が30分程で作ったといい、歌詞の内容も当時の社会背景から行き過ぎた環境破壊や人類の驕り、人類の危機に対する警鐘と人類滅亡の危機を歌ったものだという。環境問題を捉えた歌としてまた時代の先を読んだ歌として、現在でも評価が高い。

ゼーガーとエバンズはその後のヒット曲には恵まれず、1971年に解散している。

ここでは「Spanish調弾き語り曲」としましたが、当時流行したグループサウンズっぽいガレージロックの中には、実際この辺りの曲とリッキー・マーティンリヴィン・ラ・ヴィダ・ロカLivin' la Vida Loca, 1999年)」の中間を埋める感じのグループも存在します。メジャー志向/マイナー志向で分類する無意味さ…

一方、それまで中核派学生運動家として活動してきた坂本龍一が「楽家」への転身を果たしたFirst Album千のナイフ(1978年)」の冒頭では1965年毛沢東が井岡山を訪問した際に詠んだ詩が英訳され、ボコーダーに掛けられてプロパガンダ演説風に流されています。そう、おそらく彼が意識した無限遠(Infinity)は「政治的には挫折した理想像への(音楽・ファッション分野における代償的)到達」だったのです。ちなみにこの「千のナイフ」時点から既にファッション担当は高橋幸宏でした。

  • 比較対象として新左翼運動/ヒッピー運動は次第に煮詰まっていく過程で、自らも「オルタモントの悲劇(1969年)」の当事者となったローリング・ストーンズ黒くぬれ! (Paint It, Black, 1966年)を挙げる。ここ歌われている内容は「凶暴な衝動に屈して、世界を容赦無く(異論を認めない苛烈な)単一の価値観で塗り潰したくなる急進主義」みたいな感じで無限遠(Infinity)の1種として「黒一色の世界」が想定されている。ちなみにストーンズ自身も、当時の流行に阿る形で発表されたこの曲の内容の危うさをちゃんと理解した上で扱いに注意していた模様。

    オルタモントの悲劇(1969年)

    作詞作曲はミック・ジャガー/キース・リチャーズローリング・ストーンズが本格的にシタールを取り入れた最初の事例として知られる。シタールを弾いているのはブライアン・ジョーンズで、『エドサリヴァン・ショー』に出演した際にも、彼は座ってシタールを弾いていた。キース・リチャーズは「17世紀のファンキーなソナタとしては素晴らしい」と語っている。

    シングルは、イギリスの全英シングルチャートアメリカのBillboard Hot 100の両方でシングルチャートの1位を記録し、イギリスでは6作目アメリカでは3作目のヒット作となった。「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」において、174位にランクイン。

    ライブでは長年演奏されてこなかったが、1989年のスティール・ホィールズ・ツアー頃から演奏されるようになり、その時のライヴ音源がライヴ・アルバム『フラッシュポイント』にも収録されている。

    映画『フルメタル・ジャケット』や『ディアボロス/悪魔の扉』のエンドクレジットで使用されたほか、テレビドラマ『Tour of Duty』のオープニング・テーマに使用された。またテレビドラマ『エストワールド』の複数のエピソードにてオーケストラアレンジされたものが使用され、2015年に公開された映画『ラスト・ウィッチ・ハンター』ではシアラによるカバー音源が使用された。 

    ところで椎名橙それでも世界は美しいStill world is beautiful, 2009年~2020年)」に世界を救済する事も破滅させる事も出来る能力を秘めたヒロインの力が強姦未遂事件を契機に暴走を始めて世界が滅びかける場面があった(ちなみに犯人は両手両足を潰され、失明。シャーロット・ブロンテジェーン・エア(Jane Eyre, 1847年)」みたいな「片目復活」イベントもなかった)。

    最近は「ソウルジェムが濁り切ると魔女に可逆的に変貌する魔法少女」とか「内なる魔力の暴走を押さえ切れなくなると周囲を巻き込んで爆発するオブスキュラス」みたいな「中から外へ」影響が及ぶタイプが共感を集めているが、上の事件でも背後を暗躍していた黒幕が珍しく「黒く塗れ」タイプだった。19世紀ロマン文学における英雄タイプが20世紀に入るとまとめてUniversal Classic Monsters堕ちを経験した様に、現代人の感覚ではこのタイプはもう原則として「単なる悪人」としか映らないのかもしれない。

 「欧州へのYMOの紹介者ティーヴ・ストレンジSteve Strange, 1959年~2015年)の「ヴィサージVisage, 1983年)」に収録された未公開デモ曲「In The Year 2525」は、どうやら「千のナイフ」と同時期、その影響を受けてのレコーディングだったらしく、数多くの共通点を見出す事が出来ます。

もちろんスティーヴ・ストレンジには政治的背景などなく、当事者意識としてはそれまで熱狂的に傾倒していたデヴィッド・ボウイが(活動からより高収益が見込める)ドイツに去った寂寥感、あるいはナイトクラブ経営者として次のトレンド探し活動の一環という感じだったのでしょう。そう彼が意識した無限遠(Infinity)は「絶えず動き続け、絶え間なく追跡して把握し続けならないトレンド変遷」そのものだったのです。エンターティナーとして生き延び続ける為に欠かせない素質…

  • ちなみにYMOVisergeも米国黒人も、結成の契機となったのはMilaclesに続いてSickが登場し、米国音楽には逆立ちしても絶対追いつけない差を付けられてしまった事を思い知らされたドイツの黒人バンドボニーM(Boney M)が、戦略変更を迫られてある種の「実録破天荒英雄列伝」をヒットさせてからだった。彼らもまた「絶えず動き続け、絶え間なく追跡して把握し続けならないトレンド変遷」を無限遠(Infinity)として追い続けるタイプではあったが、一流と正面勝負して勝てる実力もなかったので(漫画家柳沢きみおが生き残りを賭してラブコメ路線を開拓した様に)変化球で攻めるしか手がなかったとも。

  • 先行する動きとしてジョン・トラボルタ主演映画「Saturday Night Fever(1977年)」が牽引した国際的ディスコ・ブーム、フランスの匿名バンドHot Bloodによる「Soul Dracula(1977年)」が仕掛けた怪奇ディスコ・ブームを挙げる向きもある。とにかく1970年代後半に入って「音楽消費の新市場としてのディスコ」なる新ジャンルが立ち上がったのは確か。ただしYMOVisageもこの流れそのものを意識して動いた訳ではない。

    実は「実録破天荒英雄列伝」シリーズ第一弾は禁酒法時代に太くて短い壮絶な生涯を送り悲壮な最後を遂げた米国ギャング一家に取材した「Ma Baker (1977年)」だったが、爆発的ヒットにまで至らなかった。

    ロジャー・コーマン監督映画「血まみれギャングママBloody Mama, 1970年)」辺りの影響だったのだろうか。同じB級戦略として有効かもしれないと踏んだのか。詳細は知られてない。

    いずれにせよ心機一転してウクライナ民族音楽の要素を取り入れ、ダンサブルながら思いっ切りエスニックな感じに仕上げたのが「実録破天荒英雄列伝」シリーズ第二弾「怪僧ラスプーチン(Rasputin, 1978年)」が国際的に大ヒット。VisageMoon Over Moscow(1980年)」は明らかにこのブームの影響を受けており、さらに「踊らせようとした客」も遥か上層を見据えていた。

    それではコーダに文革期中国における事実上の国歌だった「東方紅」が参照されている「千のナイフ(1978年)」に収録されたThe End Of Asiaはどうだったのか。歴史のこの時点では全く注目される事なく、いずれにせよ音楽的成功には結びついていない。

    ところで「実録破天荒英雄列伝」シリーズの一作らしくラスプーチンは破天荒な太くて短い障害の末に壮絶な最後を迎える。しかし便乗して国際進出を果たした後追いバンドのジンギスカンの曲にそうした英雄叙事詩的要素は皆無で、あまり売り上げと関係ない事が明らかとなりボニーBの「実録破天荒英雄列伝」シリーズもそれきり頓挫してしまう。当初有望視されていた無限遠(Infininity)の一つがこうして足跡を断つ訳だが、おそらく前後して坂本龍一も「千のナイフ」路線、Steave Strangeも「In The Year 2525」路線に見切りを付けている。

    YMOは手堅く初アルバム「イエロー・マジック・オーケストラ (YELLOW MAGIC ORCHESTRA, 1978年) 」では(どうやらウクライナ出身のセルジュ・ゲーンズブルグがフランスに持ち込んだエスニックな音色という認識もあるらしい)ズンドコ・ベースを「中国女(La Femme Chinoise)」に仕込んだりマリンバの名曲マーティン・デニーFire Clacker(1959年)」をカバーしたりしながらキーボードとリズムマシンを駆使するエレクトロ・ポップの可能性を広げていった。

    歌詞に関して作詞者であるクリス・モスデルは、以下のようにコメントしている。

    • その内容は、リチャード・クワイン監督、ナンシー・クワン主演のハリウッド映画『スージー・ウォンの世界The World of Suzie Wong, 1960年)』そのものである。この映画はクレイジーケンバンドも曲にしている。

      粗筋

      アメリカ人建築家ロバート・ロマックスは画家を志望し香港に1年間の予定で移住する。香港島に向かうスターフェリーの上で社会的地位の高い若い女性ミー・リンと出会う。ミー・リンはロバートが財布を盗んだと勘違いして逮捕させようとするが、誤解が解け別々の道を行く。

      資金難のためロバートは悪名高い湾仔地区の安宿を探す。ロバートは偶然ミー・リンが地区内の粗末なホテルから出てくるのを見かける。ホテル所有者アー・トンに短期間で借りるより月単位で借りた方が得だと聞き驚く。隣のバーでセクシーな赤いチャイナドレスを着たミー・リンが水夫と仲良くしているのを見つける。しかし彼女はミー・リンではなくスージー・ウォンと名乗る。

      翌日、ロバートは口座開設のため銀行に行く。支配人の娘であり秘書のケイ・オニールはロバートに一目惚れする。

      ロバートはスージーに絵のモデルになってくれるよう頼む。互いのことをよく知るようになると、ロバートはスージーが10歳の頃から生活のために仕事をしていることを知る。スージーはロバートに惹かれていくが、ロバートも惹かれながらもスージーに思いとどまらせようとする。その一方ロバートはケイからパーティに招待される。ケイが主催するパーティでロバートはスージーの顧客の1人であるベン・マーロウが妻と共に参加していることを知る。

      ベンはスージーに愛人になるよう説得し、スージーはロバートを嫉妬させるためにこれを受け入れる。ベンが妻と仲直りをし、ベンはロバートにスージーと別れさせてくれるよう頼む。スージーが傷心しているところに、ロバートはついに愛を告げる。

      最初こそうまくいっていたが、次第にうまくいかなくなってくる。ある日、スージーが度々いなくなることを不審に思ったロバートはスージーを追跡する。するとスージーに隠し子がいることが発覚するが、ロバートは受け入れる。

      ロバートは絵の売却に失敗し、経済危機に陥り、ケイもスージーも援助を申し出るがロバートはプライドにかけて断る。スージーがロバートの宿泊代を支払い、彼を助けるために売春業に戻ると告げると、ロバートは怒ってスージーを追い出す。ロバートは自分の間違いに気づき、スージーを探す。ついにスージーを見つけた時、ロバートはスージーの息子が土砂崩れで亡くなったことを知る。ロバートとスージーは互いに愛を誓いあう。

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    • 元々は「スージー・ウォン・アンド・シャンハイ・ドールズ」というタイトルで、歌われている部分よりもずっと長い歌詞だったが、ここから高橋がピックアップして使われた。
      *「悲劇的叙事詩をダンサブルなビートに載せて歌う」無限遠点戦略敗退との関係は不明だが、そもそもこの曲の採用によりYMOがインスト・バンドではなくヴォーカル・グループと規定された事が大きかったという話も。
    • フランス語の女性ヴォイスは当時アルファレコード社長秘書だった布井(江部)智子で、アイデアは細野によるもの。

    曲のタイトルはジャン=リュック・ゴダール監督の映画『中国女La Chinoise, 1967年)』から取られている。アンディ・ウォーホルのキャンベル缶の様に大量に登場する毛沢東語録、バカンス期に合宿してラジオの北京放送を聴き込み、気に入らない文化人の暗殺を計画する若者達。中華人民共和国文化大革命の最中でその運動が世界の青年層に影響を与えていた状況を描くが監督を筆頭にマルクス主義毛沢東イデオロギーをちゃんと習得していた者がほとんどいなかったファッション左翼映画でもあり、本物の左翼からは「泳ぎも学ばず海に飛び込んだ愚行」と酷評されている。

    ちなみにその後のボニーBはこんな曲を演っていた模様。ズンドコしてる。あまり話題にはならなかった。

    一方、YMOは1stアルバムの黎明状態から逸早く脱却し「テクノポリス (TECHNOPOLIS, 1979年) 」の様にあえて無機質に演奏したり「ライディーン雷電, RYDEEN, 1980年)」の様にあえて熱く演奏したりといった試行錯誤を繰り返しながら代表曲を踏み上げていく。

    こうして全体像を俯瞰すると、むしろ「怪僧ラスプーチン(Rusputin, 1978年)」が国際的ヒットを飛ばしエスニック・ブームが到来した時点で「リスナーが新しいサウンドを求めている→エレクトロ・ポップの時代が来る」みたいな発想の飛躍、すなわち大胆な無限遠点的設定の切替に着手したユニットが次の時代を席巻した様にも見えます。YMOでは細野晴臣がこの流れを主導する一方、VisageではSteave StrangeRusty Eganがナイトクラブ経営を通じて「ボコーダーを使うと客の反応が変わる」みたいな実践知を積み上げていった情景が思い浮かぶ。
    ティーヴ・ストレンジSteve Strange, 1959年~2015年

イギリス、ウェールズ出身の歌手、シンガーソングライター。ニューロマンティックの代表的バンドたるヴィサージVisage, 1978年~1985年)の中心人物として知られる。グループ名はヴィジュアルVisual)、ビザVisa)、AGEの三つの言葉を掛けたもの。

  • 1959年ウェールズのケアフィリに生まれる。
  • 1976年セックス・ピストルズのギグを観た後、グレン・マトロックと親しくなる。ピストルズのマネージャーであるマルコム・マクラーレンの下で働くためロンドンに向かい、そこで自身のパンクバンドThe Moors Murderersを結成するが1年ほどで解散。The Photonsというバンドでも一時的にボーカルとして参加した。
    *私自身は割とロンドン・パンク・ムーブメント自体は「マルコム・マクラーレンの商業的実験」に過ぎず音楽イデオロギーとして成立していたかも疑問という立場。ライブを騒々しいナンバーだけで埋めると客が疲れちゃうのでジャマイカン・レゲエとか混ぜたら「それだけ演奏する」ポリスがメジャー・デビューするわ、Clashのジョー・ストラマーもその後ワールド・ミュージック方面に転身しちゃうわで、あまりにも愛が感じられないからである。Steve Strangeもこの文脈だと列記としたロンドン・パンク出身者…

  • またこの頃ロンドンでヴィサージのメンバーであるラスティ・イーガンと共にナイトクラブを立ち上げ、ホストやDJとしても活動した。ニューロマンティックというジャンル自体が彼が主宰していたクラブ・ビリーズで開催されていたデヴィッド・ボウイ・ナイトを発祥とする。またこのナイトクラブはヨーロッパに初めてYMOを紹介した事でも知られる。

  • 1978年にリッチ・キッズ、マガジンのメンバーらと共にシンセポップバンド、ヴィサージを結成。この頃にスティーヴ・ストレンジというステージネームで活動するようになる。バンドは'80年代ニューロマンティックムーブメントの立役者として人気を博した。ヴィサージは3枚のアルバムを発表した後、1985年に解散。

解散後にThe Photonsのメンバーだったウェンディ・ウーと共にストレンジ・クルーズを結成し、アルバム『ストレンジ・クルーズ』を発表するが商業的・批評的に失敗に終わり、1986年に解散。'80年代後半からは音楽業界から一旦身を引き、スペインのリゾート地であるイビサ島のクラブでホストを務めた。

  • 自身のセクシュアリティについて曖昧であり、男性・女性共に肉体関係を持ったことを明かしている。また長い間ヘロイン中毒、精神的な病に悩まされ、万引きで逮捕され3ヶ月の懲役刑を受けたこともある。2002年には自叙伝『Blitzed!』を出版し、自身の性や私生活上のトラブル、復活への意欲についての内容をまとめた。
  • 2002年に'80年代に活躍したアーティストのライヴ・ツアー「Here and Now Tour」に参加し、ヴィサージ時代の曲を歌った。2004年からはVisage Mk IIの名で様々なエレクトロニックミュージシャンと共にヴィサージを再結成させ、本格的な活動復帰に至る。

2015年2月12日心臓発作でエジプト、シャルム・エル・シェイクの病院で死去。享年55歳。

こんなにもニューロマテクノの源流が重なっていたなんて…というか割と歴史の最初期時点では特に客層も重なっていたかもしれない。当時、YMOをさらにニューロマに寄せたのがピーター・バラカンの「無意味スレスレの情景描写に終始する散文的歌詞」。ニューロマのそれが「(やっと第一次世界大戦第二次世界大戦の大規模破壊の痛手から回復して国際的主要経済圏の一部に返り咲いたものの、まだ自分達に世界に発信し得る何かなんて残っているのだろうか?」なるニヒリズムだったのに対し、日本のそれは次第に科学的マルクス主義崩壊後の空隙を埋めた空疎なニュー・アカデミズム的言説と結びついていった感がある。

例えば当時の関連アーティストのナンバーを大量に含んで 「New York Punk movementの金字塔」といわれる事もある映画「Times Square(1980年)」のキャッチーなOP曲を本歌取りしたと目されるYMOBGM(1981年)」の第一曲目「Ballet/バレー」のあまりといえばあまりな無機質処理…

かと思えば同アルバム収録のキュー(CUE)はUltravoxPassionate Reply(1981年)」にインスパイアされた細野晴臣高橋幸宏が一気に二人で二日で作り上げた曲と明言されているが(おそらく「君に胸キュン」に繋がる)一点の曇りもない明るいPOP Tune(しかも元曲を超える勢いで緻密に練りこまれた開放感)だったりする。坂本龍一がウルトラヴォックスを真似た曲であることに反発して作成に一切タッチしてないのも興味深い逸話…

逆にマイケル・ジャクソンエリック・クラプトンに「これもっとダンサブルなPOP Tuneでやれんじゃん」と看過された曲もあった。


まぁ全体像を俯瞰してみるとギター・オリエンテッド・バンドのVan Halenがエレクトロポップの勢いにあやかりたくてキーボードがメインリフを奏でる「Jump(1983年)」とか売り出しちゃう様な時代でもあったのである。

ただし「Jump」の歌詞は決して明るくない。というより当時の若者向け文化における「(あえて死の恐怖を打ち消しての)死への誘い」は限度を超えていた。

極め付けは中島みゆきファイト‼(1983年)」辺りで、もはや大量虐殺の領域。

小泉八雲松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」を「 Old pond / frogs jumped in / sound of water.」と英訳してますが、まさにこの日常的時空概念を超越した無限に続く連続ポチャポチャ感…まさか池の底に無限遠点が見えている?

  • これ以上は流石に…」と思ってたら1990年代には「423(1998年)」を投入してくるのが中島みゆきという…

実はそれはこの時代には日本だけでなく国際的に流行していたんですね。で、もちろん背後に隠れて子供に色々強要してたのは「新左翼運動/ヒッピー運動が挫折したのに生き延びてしまった罪悪感」を抱えて日常を生きる、当時の大人達だったのです…

この時代「表の顔はスーパーロックスター、裏の顔は吸血鬼」のヴァンパイア・レスタト(演:トム・クルーズ)なんてキャラが大流行したのも決して偶然じゃない?

  • 日本だとエロシーンばかり話題になる「青い珊瑚礁(The Blue Lagoon, 1980年)」も、実は「文明社会に一切接せず子供から大人になって子供までもうけた男女カップルが、通り掛かりの船に発見されると連れ戻されるのを恐れて一家心中する」話だったりする。なぜなら恐らく子供達が無人島に漂着したのは戦争で乗ってた船が撃沈されたからで(状況証拠しかない)、文明社会に復帰するという事は再び戦争に動員される事で(やはり状況証拠しかない)、その可能性があるだけで自ら命を断つのが人間としてもっとも正しい振る舞いだから。まさしく「新左翼運動/ヒッピー運動が挫折したのに生き延びてしまった罪悪感」を抱えて日常を生きる大人達が読みたかった最高のファンタジー…ただ観客がそういう自分に気付いてしまわない程度には色々と工夫が凝らされている模様…


    この辺りの分析、スピルバーグ監督映画「E.T.(E.T. The Extra-Terrestrial, 1982年)」に登場する大人達がどうして子供達の話を一切ちゃんと聞かないばかりか実際に何の役にも立たないのか説明する時も有効です。この物語では「新左翼運動/ヒッピー運動が挫折したのに生き延びてしまった罪悪感」を抱えて日常を生きる大人達は今度は子供の側に自分を投影する訳です。

    バニシング・ポイント(Vanishing Point, 1971年)」で暴走を続ける主人公を応援する地方局のDJは「黒人で盲目仕事で良質のSoul Music 紹介者以外の機能を一切求められないのが不満)」なるしっかりした設定のせいで邪悪過ぎも善良過ぎもしない地に足が着いた存在として描かれていた。一方「Times Square(1980年)」に登場するDJジョニーは精神病院を脱走して名を売る為のパフォーマンス行為を繰り返すヒロイン二人組を「応援する」と称して明らかにリスナー獲得に利用しており、しかもそういう手口を使うのはこれが最初でも最後でもない感じ。これではどうしても邪悪さが増して見えてしまうのだった(新海誠映画「天気の子(2019年)」に登場するオカルトライター須賀圭介は、こうした無数の先例を踏まえ、作中において上手い具合に機能したり機能しなかったりする様に徹底調整された逸品)。


  • 1980年代前半は「ハリウッド青春搾取ミュージカル(Youth Exploitation Musical)」の時代でもあったが、その典型的筋書きの一つは「田舎の深窓の令嬢が退屈のあまり死への渇望に憑かれると、トリックスター的風来坊が現れる」というものだったのである。

私が「London Punk Movement=(Sex Pistolsのマネージャーだった)マルコム・マクラーレンの商業企画」程度の認識しか持ってないのは、彼らが貧乏不良を雇ってバンドを結成させ、同じ貧乏不良向けに警官に拳銃を撃ったり暴動や法律違反を扇動させるスタイルで稼いでいたせいもあります(それに加えてYMOVisageやPoliceのアンチパンク精神を継承してる側面も)。逆にいうと日本のPunk Rock史は、輸入に際してこの毒の部分をどうやって綺麗に抜くかについての技術の発展史でもあった訳です。

これ人によっては「どうして人類は(そのまま食べたら猛毒で、しかも栄養価もほとんど無い)こんにゃくなど食べる様になったのか?」と感じる様な問題かもしれない?

まぁ日本にも「元ヤンキーが組んだバンドが現役ヤンキーを集める」みたいな図式自体はある。さらに日本におけるユーロビート展開の様な奇妙なジャンル展開にもヤンキー文化は深く関わってきた(海外人気から始まったものの、ブーム終演後も日本でだけ続き、最終的にはイタリアの特定アーティスト限定音楽に)。

問題はそういうバンドが(プロとして彼らの求める擽りはきっちり擽ってくる側面はあれど)、「銃刀法違反や反社行為や暴動(とそれに便乗しての略奪)を扇動する急先鋒に立ってる」とか、米国Street Gungみたいに「各集団に所属するRapperは、日本のヤクザが雇ってる麻雀の代打師みたいなもの。しかも銃撃戦むしろ先頭に立つ(2Pacが生きて死んだ環境もそんな感じ)」という側面を備えているかという話なのである。

  • ロンドンパンクは所謂「パンク音楽」と「レゲエ音楽」の二本建てだったが、ここでいう「パンク系レゲエ音楽」の本家のジャマイカ音楽と必ずしも重ならないのがややこしい。

    しばしばボブ・マーリーBob Marley, 1945年~1981年)の名前がレゲエ音楽の代表者として挙げられるが、実際の彼はむしろその筋では国際的Rock文化ジャマイカ音楽を融合させたフュージョン分野の創始者として知られていたりする。

    そしてこのジャンルもまたパンク音楽同様、反権力性や反社会性に汚染されていたりするからややこしい。しかも所謂「Fake Reggae」が本家ジャマイカ音楽に受容されて影響を与える流れもあって「どれがカリフォルニア巻きか無碍に指摘出来ない」複雑な状況下にある。

かくして当時の国際的音楽シーンは以下の様に複雑怪奇な状況に陥ったのである。

  • 本場英国では「欧州人の憂鬱」に寄り添うニューロマと「反体制的ルサンチマン」を歌うパンクは「見た目上」リスナー層が異なり、これが富裕層と貧困層の伝統的対立構造とも重なってくる事から「見た目上」両者は互いに憎み合ってすらいる様に見えたのである(無限遠点設定の違い)。
  • その一方で英国における両音楽の供給人脈は明らかに重なっており(というかレゲエやジャズの分野ですら重なってくる)、いとも容易く多様で多態なフュージョン・ジャンルが生成可能な状況にあったが、リスナー層がそういう感じなので英国市場自身がそういうジャンル全てを育て得る環境とは限らなかったのである(ロジスティック方程式における環境収容力K周辺における均衡状態)
    *「ジャズとレゲエのフュージョンで、歌詞内容はスチームパンク」なんてとんでもない集合まで存在した。もはやちょっとしたカンブリア爆発期…

私はまさにこの混沌の最中においてJ.Rockは産声を上げたのだと考えています。その契機の一つとなったのが「(英国ではあり得ない組み合わせたる)ニューロマとパンクのフュージョン(それもニューロマ側がパンク側を併合する形での)」UltravoxNew Europeans (1981年)」の登場。むしろパンク人脈からの流入組たるミッジ・ユーロMidge Ure, ボーカル/ギター)からすれば「ニューロマの自然で自明的な拡張」に過ぎず「最初から耳が分断済みの」英国人リスナーの心にはそれほど響かなかった様ですが(同時代の当事者の一人として断言しますが)、その一方で当時の日本列島を「え、その組み合わせアリなの?」とハンマーで全方向から乱打されたかの様な衝撃が走り抜け、急速に英国本土には存在しないBritish Beatなる独自ジャンルが形成されるに至るのです。ここで興味深いのが、この頃を境に欧州本土固有の閑静なシトシト雨が、日本的な「(全てを過去のままには置かない)土砂降り雨」に変換されたっぽい辺り。

  • 一方「手塚治虫大友克洋が漫画に与えた影響」みたいなもので、J.Rockに血肉として吸収され過ぎて今聞き返しても全然新奇さを感じない。当時を知る私ですら「え、アルフィー」とか思っちゃう瞬間があるくらい。

  • そういえば当時のUltravoxについては、その「Systems of Romance」を聴いた細野晴臣が衝撃のあまり「Solid State Survivor」のベースラインを全部作り直したという逸話も存在する。最終的に歴史に名を残したのは「Solid State Survivor」の方だが、当時の様なカンブリア爆発期の最中に「誰が最終的に生き延びるか」について確実の予測出来ていた人間など誰一人としていない。結論から言えば正しく畏れ、正しく対応した者だけが生き延びたのだが、問題はここでいう「正しさ」の見極めの難しさなのである…

この時代の逸話としては、むしろ以下が有名かもしれません。

  • まず最初、洋画趣味満載の沢田研二勝手にしやがれ(1977年)」の日本国内における大ヒットがあった。

  • 山口百恵Play Back Part2(1978年)」にはこの曲に対する「返歌」という側面もあるとされる。

  • そして、出産休暇から復帰したアン・ルイスに用意されていたプレゼントが沢田研二作曲」、山口百恵作詞の「ラ・セゾン(1982年)」だったのである。それにつけてもこの曲たるやどう聴いても…とはいえ原曲とは無限遠点設定どころかアレンジも完全に別物に置き換えられた「テセウスの船」バージョンであるのもまた事実。むしろ「どうして同じに感じに聞こえるのか」についてLong Land Ice Tea問題が生じる勢いという…


    この曲自体はアン・ルイス自身にとっては経過点の一つに過ぎず、日本歌謡史上においては本当の「復帰」はさらに日本のリスナーに寄り添った「六本木心中(1984)」によって達成されたと目されている。

この様にBlitish Beat movement(Japan)と日本音楽界のメインストリームたる歌謡界との交錯はほとんど点の様な一瞬に過ぎなかった訳ですが、その一方でこの問題に本気で取り組んだのが例えばThe Mods1974年結成、1981年デビュー。現役)だったりしたのです。

全体像を俯瞰すると、当時における英国本国音楽の反社容認文化との主戦場は、むしろさらによく欲張ってLondon Pumk Movementのレゲエ面も受容しようとした「Two Punks」の歌詞世界だったのかもしれない。そこには映画や日本のバイオレンス系漫画では定番の「武器商」が登場するのだが…

 

  • 当時の日本PUNK文化へのレゲエ文化の流入例といえば、The MonkeesDaydream Believer(1968年)」。原曲は「コミュニティごとに模範的男女(Homecoming King, Homecoming Queen)を選ぶ米国的風習」をベースに「理想の彼女」との同棲に舞い上がる男に「残念だが君の幸運は長くは続かないだろう」と諭す日本人には極めて分かり難い内容だったのだが…

    忌野清志郎率いるTHE TIMERのカバー曲「デイドリームビリーバー (1989年)」では、登場するヒロインが「(社会も認め、それ故に主人公の手が届かない)理想の恋人」から「今は思い出の中だけに生きている母」に改変されている。そしてエースコックスーパーカップ1989年)」、サントリーサントリーモルツ2006年)」「セブンイレブン2011年~)」のCF曲に次々と採用される快挙…

    今やNew DaysのCMを見てても「♪ずっと夢を見て安心してた〜。僕は、daydream believer〜。 そんで彼女はクイーン〜。…」なるサビの乱入を期待する有様(コード進行とかのせい?)。さらにはファミリーマートの「お母さん食堂」企画にすら…(ポスターとかから世界観を「三丁目の夕日」辺りに寄せてるのは分かるけど、それだけじゃあのサビの乱入は防げない…)

    そして神山健治監督劇場版アニメ映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜(2017年)」において、主題歌としてこの曲を採択したって事は「娘が母親を超克していく物語」として成立させる事を最初から拒んでいたと明らかになって改めて絶望…

 

当時現れた「氷室京介が到達した別解」も興味深い辺り。ある種の自縄自縛の白昼夢状態からの覚醒過程…

  • どことなくジャミロクワイVirtual Insanity(1996年)」が見出した「日本の豪雪地帯で発展した地下都市のディストピア」とか見出せそうな気がする。

 

1980年代も後半に入るとハードロック/プログレの求道性の再建が始まり1990年代のハードコア的世界観に接続するが、その契機となったのはドイツSF映画メトロポリス(1927年)」再評価だったかもしれません。これもある種の白昼夢からの覚醒過程…

  • 私の主観的感覚ではこの辺り。

    MotörheadD.U.B.、ミック・カーンGolden Palominosスティングなどの影響を受けたベースの諸田コウ1963年2月6日~1999年5月7日)が、その突然死まで牽引した第1期(1986年~2000年)が著名。プログレハードコアブルースジャズなど多ジャンルの影響から創り出す独自のメタル・サウンドを確立しており、不可思議なメロディセンスを持ったジャンルにとらわれない音楽性が特徴。

    ビクターからは、ノン・カテゴリーの刺激的ヘヴィ・トリオというキャッチコピーで紹介されていた(1989年当時)。また、非常にテクニカルな演奏力を持つ事で知られており、変拍子や転調を多用した複雑なリズムを得意としている。とりわけ、諸田のフレットレスベースから繰り出される恐ろしくテンションの高い演奏は圧倒的な存在感があり、HR/HM界のジャコ・パストリアスと称される程の実力を誇っていた。

    Complicated Mind』のミキサーを務めたスティーヴン・リンズレーは「諸田のプレイは見ていて身の毛がよだつほどだった」と後年インタビューで語っている。

    Go Mad Yourself!」から『No More Pain...』まではスラッシュメタルが中心で暗い雰囲気を感じさせる楽曲が多かったが、『Killing Field...』辺りからアヴァンギャルドの要素が強くなり、『Complicated Mind』、『Incompetent...』の2作ではハードロック色を強め、『HUMAN NOISE』以降はサウンドエフェクトを使用したインダストリアル的なアプローチを見せるなど、サウンド面でも大きな変化を遂げている。

    ニューヨークのライヴハウスCBGBのオーナーであったヒリー・クリスタルは、「DOOMは強烈なオリジナリティを持っている凄いバンドだ。」と彼らを評している。プロデューサーのクリス・バトラーは彼らの音楽性を「ニュー・ウェイヴ・アート・メタル」と評した。

    Bon JoviDry County(1992年)」やVan HalenDon't Tell Me(1995)」と一括りに聴いていた。でMinistoryNine Inch Nalesに出会う訳である。

  • 一方、テクノ系はトランスやアシッドといったクラブ文化を背景とする内省的な方向に向かう(棒読み)。私の音楽遍歴を 見ても分かる様にハウスに傾倒した 時期が存在しないので詳しい事はわからない。

  • サンプリング文化の歴史にもあまり明るくない。

ところで日本歌謡界が「ラ・セゾン(1982年)」を通じて接続しようとして失敗したのは、当時欧米を席巻していた「ブラックホールに落ちる様に無限に堕落していく(その過程で人間は自分を保てなくなっていく)」なる無限遠点設定だったのです。独特のドラッグへの耽溺とパーティ文化…
*そして21世紀に入ると、こうした発想の源になったブラックホール観自体が変わってしまう。

  • 英国ロックバンドQueenのボーカルだったフレディ・マーキュリーに焦点を当て、1970年Queen結成から1985年ライヴエイド出演までを描いた「ボヘミアン・ラプソディBohemian Rhapsody, 2018年)」にも、かかる時代の特別な空気感はしっかり描かれていた。映画「Cruzing(1980年)」とバンド「Frankie Goes To Hollywood(1980年~1987年)」の時代。

    • ヤクルト「レモリア」のCMソングとして使用された際、同社は英国で放送禁止になった曲であることを承知の上、サビの部分だけなら問題ないという判断の下で使用した。

      1980年にニュー・ウェイヴ・バンドとして結成。グループ名は、フランク・シナトラが音楽界から映画界に進出することを伝える新聞記事の見出しから派生した「都へ出てきて堕落する(frankie goes to hollywood)」というニュアンスの慣用句的隠語に由来する。

      • エスロンリー・ハート(Owner of a Lonely Heart, 1983年)」のプロデューサーとして一躍、時の人となったトレヴァー・ホーンに見出され、1983年ZTTレーベルからデビューした。メンバーはホリー・ジョンソン(ボーカル)、ポール・ラザフォード(ボーカル、キーボード)、ブライアン・ナッシュ(ギター)、ピーター・ギル(ドラム)、マーク・オトゥール(ベース)。ボーカルのジョンソンとラザフォードはゲイであることを公言している。

      デビュー曲の「リラックス (Relax, 1984)」はSM行為を描写した歌詞内容や排尿音などが問題となり、BBCのほか、多くの国の放送局(NHKも含む)で放送禁止となったが、大ヒットを記録する。バックに使われる強い音は、ホーンが最も強い音と思ったというレッド・ツェッペリンのドラマー、ジョン・ボーナムのドラム音をサンプリングしたものと言われていた(この噂は本人が否定、リンドラムであるとのこと)。1980年代を代表するヒット曲としてディスコ系や80's系コンピレーションCDに収録されていることが多いほか、日本のCMでも使用されたことがある。

      また「水10!ココリコミラクルタイプ」のオープニング曲のほか、映画『ボディ・ダブル』ではこのバンドの出演と共に一シーンのBGMとして使われ、映画『ズーランダー』では重要なモチーフとして使われている。ゲーム「Saints Row: The Third」にも使用されている。2017年には日本のアイドルグループ・9nineによって「Why don't you RELAX?」という題名でカバーされている。

    次のシングル「トゥ・トライブス(Two Tribes, 1984)」は当時の米ソ冷戦と核戦争の危機を歌った曲で、全英で9週連続1位を記録した。またロナルド・レーガン大統領とコンスタンティンチェルネンコ書記長のそっくりさんが土俵上で取っ組み合いをするミュージック・ビデオが話題を呼んだ。

    こうしたファッショナブルな政治的メッセージの打ち出し方が、おそらくこの辺りに影響を与えた。

    • ホーンが作り出す時代の先端を行く刺激的なサウンド、話題性の高い歌詞、ゲイであることをアピールしたセンセーショナルなイメージ戦略によってバンドは一躍時の人となったが、それゆえに「トレヴァー・ホーンの操り人形」「ライブではテープを流すだけで演奏もできない」と皮肉られていた。ミック・ジャガーからは「イギリスのヴィレッジ・ピープル」と評された。

    人気は長続きせず、1987年にジョンソンがグループを離れ、バンドは活動を停止した。

    ロサンゼルスを舞台に上流社会に属する若者たちの退廃的な生活を衝撃的に描き、当時たいへんな話題となったブレット・イーストン・エリスの処女小説「レス・ザン・ゼロLess Than Zero, 1985年)」の時代でもある。

ナイトクラブ経営者にしてbisexualだったSteve Strangeは、この辺りかなり巧みに立ち回って後世に悪影響を残さなかったのです。

この曲にリズム感の継承を感じます。直接繋がっているというより「流行の音」を共有してる印象。


パーティ文化方面だと「Night Train (1982年)」

こちらはPrinceが発展させた印象があります。


ただしこの流れは1990年代に「バットマンの乳首」事件に行き着いてしまう。

そして最後はイビサ島に向かった訳ですが…この土地の最先端音楽は後にマドンナやレディガガの作曲にインスピレーションを与える事になるのです。

 

 

 とりあえず、以下続報…