とりあえずこれも自分の音楽観を巡る主観的時間の積み重ね方を確認する旅の一つ。
以下の投稿の続き。
かくして当時の国際的音楽シーンは以下の様に複雑怪奇な状況に陥ったのである。
- 本場英国では「欧州人の憂鬱」に寄り添うニューロマと「反体制的ルサンチマン」を歌うパンクは「見た目上」リスナー層が異なり、これが富裕層と貧困層の伝統的対立構造とも重なってくる事から「見た目上」両者は互いに憎み合ってすらいる様に見えたのである(無限遠点設定の違い)。
- その一方で英国における両音楽の供給人脈は明らかに重なっており(というかレゲエやジャズの分野ですら重なってくる)、いとも容易く多様で多態なフュージョン・ジャンルが生成可能な状況にあったが、リスナー層がそういう感じなので英国市場自身がそういうジャンル全てを育て得る環境とは限らなかったのである(ロジスティック方程式における環境収容力K周辺における均衡状態)
*「ジャズとレゲエのフュージョンで、歌詞内容はスチームパンク」なんてとんでもない集合まで存在した。もはやちょっとしたカンブリア爆発期…
私はまさにこの混沌の最中においてJ.Rockは産声を上げたのだと考えています。その契機の一つとなったのが「(英国ではあり得ない組み合わせたる)ニューロマとパンクのフュージョン(それもニューロマ側がパンク側を併合する形での)」Ultravox「New Europeans (1981年)」の登場。むしろパンク人脈からの流入組たるミッジ・ユーロ(Midge Ure, ボーカル/ギター)からすれば「ニューロマの自然で自明的な拡張」に過ぎず「最初から耳が分断済みの」英国人リスナーの心にはそれほど響かなかった様ですが(同時代の当事者の一人として断言しますが)、その一方で当時の日本列島を「え、その組み合わせアリなの?」とハンマーで全方向から乱打されたかの様な衝撃が走り抜け、急速に英国本土には存在しないBritish Beatなる独自ジャンルが形成されるに至るのです。ここで興味深いのが、この頃を境に欧州本土固有の閑静なシトシト雨が、日本的な「(全てを過去のままには置かない)土砂降り雨」に変換されたっぽい辺り。
- 一方「手塚治虫や大友克洋が漫画に与えた影響」みたいなもので、J.Rockに血肉として吸収され過ぎて今聞き返しても全然新奇さを感じない。当時を知る私ですら「え、アルフィー?」とか思っちゃう瞬間があるくらい。
- そういえば当時のUltravoxについては、その「Systems of Romance」を聴いた細野晴臣が衝撃のあまり「Solid State Survivor」のベースラインを全部作り直したという逸話も存在する。最終的に歴史に名を残したのは「Solid State Survivor」の方だが、当時の様なカンブリア爆発期の最中に「誰が最終的に生き延びるか」について確実の予測出来ていた人間など誰一人としていない。結論から言えば正しく畏れ、正しく対応した者だけが生き延びたのだが、問題はここでいう「正しさ」の見極めの難しさなのである…
この時代の逸話としては、むしろ以下が有名かもしれません。
- まず最初、洋画趣味満載の沢田研二「勝手にしやがれ(1977年)」の日本国内における大ヒットがあった。
- 山口百恵「Play Back Part2(1978年)」にはこの曲に対する「返歌」という側面もあるとされる。
- そして、出産休暇から復帰したアン・ルイスに用意されていたプレゼントが沢田研二「作曲」、山口百恵作詞の「ラ・セゾン(1982年)」だったのである。それにつけてもこの曲たるやどう聴いても…とはいえ原曲とは無限遠点設定どころかアレンジも完全に別物に置き換えられた「テセウスの船」バージョンであるのもまた事実。むしろ「どうして同じに感じに聞こえるのか」についてLong Land Ice Tea問題が生じる勢いという…
この曲自体はアン・ルイス自身にとっては経過点の一つに過ぎず、日本歌謡史上においては本当の「復帰」はさらに日本のリスナーに寄り添った「六本木心中(1984年)」によって達成されたと目されている。
この様にBlitish Beat movement(Japan)と日本音楽界のメインストリームたる歌謡界との交錯はほとんど点の様な一瞬に過ぎなかった訳ですが、その一方でこの問題に本気で取り組んだのが例えばThe Mods(1974年結成、1981年デビュー。現役)だったりしたのです。
全体像を俯瞰すると、当時における英国本国音楽の反社容認文化との主戦場は、むしろさらによく欲張ってLondon Pumk Movementのレゲエ面も受容しようとした「Two Punks」の歌詞世界だったのかもしれない。そこには映画や日本のバイオレンス系漫画では定番の「武器商」が登場するのだが…
- 当時の日本PUNK文化へのレゲエ文化の流入例といえば、The Monkees「Daydream Believer(1968年)」。原曲は「コミュニティごとに模範的男女(Homecoming King, Homecoming Queen)を選ぶ米国的風習」をベースに「理想の彼女」との同棲に舞い上がる男に「残念だが君の幸運は長くは続かないだろう」と諭す日本人には極めて分かり難い内容だったのだが…
忌野清志郎率いるTHE TIMERのカバー曲「デイドリームビリーバー (1989年)」では、登場するヒロインが「(社会も認め、それ故に主人公の手が届かない)理想の恋人」から「今は思い出の中だけに生きている母」に改変されている。そしてエースコック「スーパーカップ(1989年)」、サントリー「サントリーモルツ(2006年)」「セブンイレブン (2011年~)」のCF曲に次々と採用される快挙…
今やNew DaysのCMを見てても「♪ずっと夢を見て安心してた〜。僕は、daydream believer〜。 そんで彼女はクイーン〜。…」なるサビの乱入を期待する有様(コード進行とかのせい?)。さらにはファミリーマートの「お母さん食堂」企画にすら…(ポスターとかから世界観を「三丁目の夕日」辺りに寄せてるのは分かるけど、それだけじゃあのサビの乱入は防げない…)
そして神山健治監督劇場版アニメ映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜(2017年)」において、主題歌としてこの曲を採択したって事は「娘が母親を超克していく物語」として成立させる事を最初から拒んでいたと明らかになって改めて絶望…
当時現れた「氷室京介が到達した別解」も興味深い辺り。ある種の自縄自縛の白昼夢状態からの覚醒過程…
とりあえず以下続報…