「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】ニューロマ(The New Romantic movement )とパンク(The Punk movement )③表裏一体の「死への願望(Thanatos)」

とりあえずこれも自分の音楽観を巡る主観的時間の積み重ね方を確認する旅の一つ。

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 以下の投稿の続き。

まぁ全体像を俯瞰してみるとギター・オリエンテッド・バンドのVan Halenがエレクトロポップの勢いにあやかりたくてキーボードがメインリフを奏でる「Jump(1983年)」とか売り出しちゃう様な時代でもあったのである。

ただし「Jump」の歌詞は決して明るくない。というより当時の若者向け文化における「(あえて死の恐怖を打ち消しての)死への誘い」は限度を超えていた。

極め付けは中島みゆきファイト‼(1983年)」辺りで、もはや大量虐殺の領域。

小泉八雲松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」を「 Old pond / frogs jumped in / sound of water.」と英訳してますが、まさにこの日常的時空概念を超越した無限に続く連続ポチャポチャ感…まさか池の底に無限遠点が見えている?

  • これ以上は流石に…」と思ってたら1990年代には「423(1998年)」を投入してくるのが中島みゆきという…

実はそれはこの時代には日本だけでなく国際的に流行していたんですね。で、もちろん背後に隠れて子供に色々強要してたのは「新左翼運動/ヒッピー運動が挫折したのに生き延びてしまった罪悪感」を抱えて日常を生きる、当時の大人達だったのです…

この時代「表の顔はスーパーロックスター、裏の顔は吸血鬼」のヴァンパイア・レスタト(演:トム・クルーズ)なんてキャラが大流行したのも決して偶然じゃない?

  • 日本だとエロシーンばかり話題になる「青い珊瑚礁(The Blue Lagoon, 1980年)」も、実は「文明社会に一切接せず子供から大人になって子供までもうけた男女カップルが、通り掛かりの船に発見されると連れ戻されるのを恐れて一家心中する」話だったりする。なぜなら恐らく子供達が無人島に漂着したのは戦争で乗ってた船が撃沈されたからで(状況証拠しかない)、文明社会に復帰するという事は再び戦争に動員される事で(やはり状況証拠しかない)、その可能性があるだけで自ら命を断つのが人間としてもっとも正しい振る舞いだから。まさしく「新左翼運動/ヒッピー運動が挫折したのに生き延びてしまった罪悪感」を抱えて日常を生きる大人達が読みたかった最高のファンタジー…ただ観客がそういう自分に気付いてしまわない程度には色々と工夫が凝らされている模様…


    この辺りの分析、スピルバーグ監督映画「E.T.(E.T. The Extra-Terrestrial, 1982年)」に登場する大人達がどうして子供達の話を一切ちゃんと聞かないばかりか実際に何の役にも立たないのか説明する時も有効です。この物語では「新左翼運動/ヒッピー運動が挫折したのに生き延びてしまった罪悪感」を抱えて日常を生きる大人達は今度は子供の側に自分を投影する訳です。

    バニシング・ポイント(Vanishing Point, 1971年)」で暴走を続ける主人公を応援する地方局のDJは「黒人で盲目仕事で良質のSoul Music 紹介者以外の機能を一切求められないのが不満)」なるしっかりした設定のせいで邪悪過ぎも善良過ぎもしない地に足が着いた存在として描かれていた。一方「Times Square(1980年)」に登場するDJジョニーは精神病院を脱走して名を売る為のパフォーマンス行為を繰り返すヒロイン二人組を「応援する」と称して明らかにリスナー獲得に利用しており、しかもそういう手口を使うのはこれが最初でも最後でもない感じ。これではどうしても邪悪さが増して見えてしまうのだった(新海誠映画「天気の子(2019年)」に登場するオカルトライター須賀圭介は、こうした無数の先例を踏まえ、作中において上手い具合に機能したり機能しなかったりする様に徹底調整された逸品)。


  • 1980年代前半は「ハリウッド青春搾取ミュージカル(Youth Exploitation Musical)」の時代でもあったが、その典型的筋書きの一つは「田舎の深窓の令嬢が退屈のあまり死への渇望に憑かれると、トリックスター的風来坊が現れる」というものだったのである。

私が「London Punk Movement=(Sex Pistolsのマネージャーだった)マルコム・マクラーレンの商業企画」程度の認識しか持ってないのは、彼らが貧乏不良を雇ってバンドを結成させ、同じ貧乏不良向けに警官に拳銃を撃ったり暴動や法律違反を扇動させるスタイルで稼いでいたせいもあります(それに加えてYMOVisageやPoliceのアンチパンク精神を継承してる側面も)。逆にいうと日本のPunk Rock史は、輸入に際してこの毒の部分をどうやって綺麗に抜くかについての技術の発展史でもあった訳です。

これ人によっては「どうして人類は(そのまま食べたら猛毒で、しかも栄養価もほとんど無い)こんにゃくなど食べる様になったのか?」と感じる様な問題かもしれない?

まぁ日本にも「元ヤンキーが組んだバンドが現役ヤンキーを集める」みたいな図式自体はある。さらに日本におけるユーロビート展開の様な奇妙なジャンル展開にもヤンキー文化は深く関わってきた(海外人気から始まったものの、ブーム終演後も日本でだけ続き、最終的にはイタリアの特定アーティスト限定音楽に)。

問題はそういうバンドが(プロとして彼らの求める擽りはきっちり擽ってくる側面はあれど)、「銃刀法違反や反社行為や暴動(とそれに便乗しての略奪)を扇動する急先鋒に立ってる」とか、米国Street Gungみたいに「各集団に所属するRapperは、日本のヤクザが雇ってる麻雀の代打師みたいなもの。しかも銃撃戦むしろ先頭に立つ(2Pacが生きて死んだ環境もそんな感じ)」という側面を備えているかという話なのである。

  • ロンドンパンクは所謂「パンク音楽」と「レゲエ音楽」の二本建てだったが、ここでいう「パンク系レゲエ音楽」の本家のジャマイカ音楽と必ずしも重ならないのがややこしい。

    しばしばボブ・マーリーBob Marley, 1945年~1981年)の名前がレゲエ音楽の代表者として挙げられるが、実際の彼はむしろその筋では国際的Rock文化ジャマイカ音楽を融合させたフュージョン分野の創始者として知られていたりする。

    そしてこのジャンルもまたパンク音楽同様、反権力性や反社会性に汚染されていたりするからややこしい。しかも所謂「Fake Reggae」が本家ジャマイカ音楽に受容されて影響を与える流れもあって「どれがカリフォルニア巻きか無碍に指摘出来ない」複雑な状況下にある。

そんな感じで以下続報…