「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「貞女と毒婦の峻別の無効化」について。

1980年代以降、日本の女性少女漫画達は「(伝統的に男達が自分の側の都合で勝手に恣意的に行ってきた)貞女と毒婦の峻別の無効化」に着手しました。

The science fiction author Richard A. Lupoff defined good girl art as:

SF作家のリチャード・A・ルーポフは、グッドガール・アートを次のように定義した。

A cover illustration depicting an attractive young woman, usually in skimpy or form-fitting clothing, and designed for erotic stimulation. 

概ね透けてたり体にぴったり貼り付いたりしているエロティックなデザインの衣装をまとった性的魅力に溢れる若い女性を描いたカバーイラストを指す。

The term does not apply to the morality of the "good girl", who is often a gun moll, tough cookie or wicked temptress.

独特の道徳面への配慮からしばしばGun Moll(ギャングの情婦や女犯罪者)や、Tough Cookie(可愛いのは見掛けだけのあばずれ)や、Wicked Temptress(人を誘惑してくる毒婦)は除外される。

  • まずは吉田秋生吉祥天女(1983年~1984)」が悪女を巡る勧善懲悪観を破壊し、山岸涼子日出処の天子(1980年~1984)」「馬屋古女王(1984)」」が(その後、第二世代=ウルトラ・フェミニズムが拘泥していく事になる)家父長制と家母長制の対峙といった表層構造の超越を描く。ある意味、第二世代を通り越した第三世代フェミニズムの理念を先取りした?

  • 高橋留美子うる星やつら(1978年~1987年)」におけるラムも連載当初は毒婦枠スタートだったが、後にその部分を切り捨ててアイドル枠に転身。

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    切り捨てられた毒婦成分は「めぞん一刻(1980年~1987年)」における六本木明美が引き継ぎ「マンション物」の物語文法自体に影響を与え、宮原るり僕らはみんな河合荘(2010年~1017年)」などの作品に継承されたとも見て取れる。「河合荘」においては毒婦成分は多様な女性キャラに広く分散して存在し、それ自体が勧善懲悪の対象になる事はない。ここにある種の「解毒プロセス」が見て取れる。

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  • 1970年代、多くの少女漫画雑誌がオードリー・ヘップバーン人気にあやかろうとその出演映画を次々と本歌取りしたが、毒婦ホリー・ゴライトリーが暴れまくる「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s,原作1958年,映画化1961年)」にだけは当時の倫理観の制約上、手がつけられなかった。ある意味この制約を乗り越えたのが柴門ふみP.S.元気です、俊平(1980年~)」「東京ラブストーリー(1988年~)」かと。特に後者に登場する帰国子女赤名リカは(オリジナルはアフリカで消息を絶つ)ホリー・ゴライトリー的存在の日本版に他ならなかったのである。

    その話だけされても「だから何?」としか思えないだろうが、かかる「貞女と毒婦の恣意的峻別」、1980年代前半まで快進撃を続けた角川映画大映青春ドラマまでは確固とした形で存在し、1980年代後半以降を席巻するTVのトレンディ・ドラマにおいては次第に見られなくなっていくという意味で重要な節目なのである。

日本の作品だけ眺めていると、こうして特定の個人ではなく多くの作家が共同で開拓した「貞女が必ずしも善人ではなく、悪女が必ずしも悪人ではなく同じ日常を共有する空間設計」の国際的特異性があまり見えてきません。しかし海外の人間の目から眺めると、例えば岡田麻里脚本アニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない(2012年)」において「お股ゆるゆる(Crotch Loose)」のあなる(安城鳴子)と「優等生」つるこ(鶴見知利子)が小学校の同級生で仲良しで、以降も友達関係を続けている設定そのものが「あり得ないファンタジー」と映るものなのです。

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そしてその結果、新たな焦点が…