1920年代から始まるトーキー映画登場に対応してイエズス会会士がカキテズモの一種として起草した「ヘイズ・コード(Hays Code,The Motion Picture Production Code of 1930,起草1929年,履行1934年)」においてタルドの模倣犯在学やメディア公衆論が援用されるも、(心の底軽蔑してるくせに、都合の良い時だけ大衆の皮を被る)俗流モラリストがヘイズ・コードの文面を好き放題拡大解釈して暴れ回ります。
ヘイズ・コード(Hays Code)序文
正しいエンターテイメントは国民全体の水準を引き上げ、間違ったエンターテイメントは国民の道徳的理想を引き下げ日々の生活を過酷なものにする。そして(劇場ごとに客層の異なる演奏会や芝居と異なり)フィルムに焼き付けられた映画の上映会は観客を選ばないので(子供もギャングも見に来る為)特に内容を慎重に吟味する必要がある。
- 書物は冷ややかに説明するが、フィルムは鮮やかに提示する。
- 書物は言葉を通じて心に到達するが、フィルムは撮影内容の再生結果を眼と耳に同時に届ける。
- 書物が読者から引き出す反応は当人の想像力と熱意に比例するが、映画が観客から引き出す反応は提示の手際の良さに比例する。
とどのつまり良い意味でも悪い意味でもその影響力は書籍や音楽や芝居より顕著で一方的なのであり、だからその影響の範囲と方向性を「映画を通じて悪行は悪いもので、善行は正しいことであると観客が確信する」形に限定せねばならない。特に悪党に犯罪のヒントを与えたり、人々の心に粗暴な振る舞いや犯罪や麻薬や不実な愛といった悪徳への憧憬を惹起する様な振る舞いだけは絶対に避けねばならぬ。
その原文にすら存在しない「同性愛者や(サイレント映画時代に聖書から援用されて大衆の劣情を煽った妖女=妖女サロメのイメージに由来する)美少女や淫乱なアバズレは物語中で必ず悪辣な存在として描かれ、自業自得で悲惨な最後を遂げねばならない」なる物語文法を俗流モラリスト達はクリエーターに強要していったのでした(ただしこの俗流モラリストもまた大衆から出た、あるいは大衆の一員なる仮面を被っていた事実を見逃してはならない)。
(マレーシアでは)映画に同性愛者のキャラクターが出てきてもよいが、それは同性愛者がネガティブに描写されていたり、悔い改めたりする場合だけだ(Gay characters can be shown in films, but only if they are portrayed negatively or repent.)。
そして…
こうした「世間の常識」にあえて迎合するクリエーターもいて非難対象に。
ただしこうした話題、ちゃんと各時代の歴史的制約下で何が展開したのか確かめながら進めていかないと大変な展開を迎えてしまうのである。
2010年代米国ネット上では「表現規制の歴史」解釈を巡ってウルトラ・フェミニスト(第二世代)と第三世代フェミニストの激しい衝突があり、以下の様な「暫定国境線」が敷かれる事になった。
- 探偵小説に最初の原材料を供給したのはフランソワ・ヴィドック(Eugène François Vidocq、1775年~1857年)回想録やニューゲート監獄囚人記録などであったが、そこに描かれる下層階級の暴力と劣情に塗れた世界は到底、保守的な当時の読書階層に受容される内容ではなかった。それで所謂「シャーロック・ホームズとそのライヴァル達」は(産業革命の一環としての出版革命を背景とする)商業的成功と引き換えに自主的に過激な表現を抑制していったのである(いわゆるVictorian Codeの存在意義の容認。要するにこの区分では表現規制派の勝利)。
- ハリウッド映画黎明期にも同種の問題を抱えていたがヘイズ・コード(Hays Code,1934年~1968年)が制定され、製作者側も原則としてそれを遵守した事が結果として映画の大衆化に貢献した側面もないではなかった。実際「(暗い世相だからこそ)誰からも祝福される幸福な結婚を奨励せよ」なる命題に従ったフランク・キャプラ監督とウォルト・ディズニー監督はこの時代に最大限に近い商業的成功を収めている。ただしその一方で「ギャングやその情婦が自業自得の残忍な振る舞いで勝手に自滅していく」勧善懲悪レギュレーションを守りながら英雄譚が語り得る事をハワード・ヒューズ製作のギャング映画「暗黒街の顔役(Scarfece,1932年)」が証明。
そしてもちろん(心の底から侮蔑しているのに、都合の良い時だけ大衆の皮を被って)ヘイズ・コードの文面を好き放題拡大解釈して暴れ回った俗流モラリストの連中が犯した罪と彼らに与えるべき妥当な罰についての話は、今回の話題の範疇に置かないものとする(要するにこの区分では引き分け)。
そう「客層に配慮しない作品は商業的成功を達成出来ない」のは今も昔も変わらない。そして現在その条件を満たすのは、むしろ(既存のTVドラマの無難な展開に飽きたらなくなった視聴者が選んだ)「Breaking Bad(2008年~2013年)」や「Game of Thrones(2011年~2019年)」や「Spartacus: Blood and Sand(2010年)」である(要するにこの区分では規制反対派が勝利)。
同時に「(暗い世相だからこそ)誰からも祝福される幸福な結婚を奨励せよ」なる命題自体は不滅である事も確認された。「客層に配慮しない作品は商業的成功を達成出来ない」現実自体は誰にも変えられないのである。
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