とり急ぎの「はてなブログ」内容の取りまとめ。
今回の投稿の契機は以下のTweet
個人的メモ。ここ数日、表現規制派の敗色が色濃くなってきた事もありネット上で「日本の漫画やアニメは衰退期にある。もう見捨てよう」みたいな言説が目立様に。そもそもそういう人は「2000年代後半のパラダイムシフト」を見逃していたのでは?https://t.co/MjUUKd0obm
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
当時については「愛しのかな(2006年~2009年)」の田中ユタカや「謎の彼女X(2006年~2014年)」の植芝理一の生証言がある。「異類婚や彼岸と此岸の交流は自明的に悲劇的結末を迎える」「幽霊の成仏や主人公の初夜で物語が完結する」といった既存の物語文法が一斉に自明のものとして通用しなくなり…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
「それに変わる何か新しい何か」が求められ始めたというのである。おそらくこの変化、物語がCDーROMなどの円盤パッケージでなく動画配信/ネットドラマなどの形で供給される様になっていくプロセスと密接な関係があるが、まだその全貌は明らかになってない。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
この変化を捉えられなかった既存評論などが「衰退が始まった」と言い出したのはこの頃からなので、そろそろそういう事を俯瞰的に分析しないといけない時期に差し掛かっているのかもしれない。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
このアプローチ、正直2010年代のうちは到底まとめ切れなかったのですが、最近「SAOプログレッシブ」コミック版を読んで「2020年代から振り返る形ならいけるか?」という気持ちも生じてきた次第。https://t.co/oZd8bQgjuY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
とにかく現段階で既に言える事、それはこれまで幾度も「文明の発展は終わった(後は衰退が待つのみ)」と言い立てる人々なら現れたものの、その主張は概ね「新しい時代に適応出来ず滅んでいく」自らの悲劇的宿命」についての自己言及に過ぎなかったという事です。https://t.co/HeqqwnAH2u
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
例えば産業革命導入期。大量生産・大量消費スタイルの浸透により、消費の主体が(王侯貴族や聖職者といった)インテリ/ブルジョワ/政治的エリート階層から(新興産業富裕層や労働者といった)庶民層に推移した時にも「既存物語文法の大量崩壊」自体は見受けられます。https://t.co/rKFb6yFlYT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
その割に表面上動揺が少なく見えるのは「既存読書階層」から没落した英国ジェントリー階層脱落組、ブルジョワ階層に滑り込めなかったフランス中小貴族、俸禄処分であっけなく在野に放り出された日本の士族階層などが庶民落ちして「新興読書階層」成立に貢献したからとも。https://t.co/KrCfnNYcC5
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
例えば大杉栄は「あえて(国王や教会が用意した)予定調和的ハッピーエンドを拒絶し、自業自得の悲劇的最後を迎える」貴族的ロマンを前者、(大衆救済まで視野に入れた)熱血主人公の冒険遍歴」大衆的ロマンを後者と置いて後者の代表にロマン・ローランを挙げますが…https://t.co/BKLfj6OjqQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
日本では後者の精神は吉川英治「宮本武蔵」や梶原一騎のスポ根漫画に継承されたとも。もしかしたら「2000年代後半に滅んだ旧物語文法」にもその最後の残滓くらいは幾許か含まれていたかもしれません。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
「先進国それぞれで既存読書階層の没落組が大量に庶民階層に流入」…そういえばインテリゲンチャと庶民の格差が著し過ぎて前近代から近代への推移過程でこれが観測されなかった国があります。ロシアっていうんですが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
はっと。①大英帝国のジェントリー階層はメンバー入れ替わりが激しく、ジェーン・オスティンの「外さない婿取りゲーム」文学を産む。②フランスの没落中小貴族といえば「ラスティニヤックのジレンマ」③日本の士族階層は樋口一葉や北村透谷を輩出。この三国は内需も充実。https://t.co/mTPytpuJBM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
それに対しドイツは①統一前から内需があまりアテにされない輸出偏重体制。②先の三国と異なり「封建体制から脱すると支配階層の末端が俗世に大量放出される」構造も存在しなかった(理由について再調査要)。こういう分断を背景に、ドイツにおけるインテリゲンチャの間では…https://t.co/R2G4BlOUs4
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
(検閲強化を背景に、形而上学概念を一切含まない物質文明に傾斜した)ビーダーメイヤー文化や(シューベルト「野バラ」「ます」を歌詞台帳をめくって合唱する)歌声酒場といった大衆文化に対して嫌悪感を表明するのがデフォルトとなっていく。あれ?これ大変まずいのでは?
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
それはそれとして「2000年代後半のパラダイムシフト」を読み解く鍵の一つは「亜人ちゃんは語りたい」にあるかも。過去の亜人と人間の関係がどうして悲劇に終わったか科学的に解明し、現代社会ではもう起こらない事を一つずつ検証していく。https://t.co/oywOQn2e3Y
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
数世紀前と比較して「何が跡形もなくなってしまったか」指摘するのは容易です。19世紀に騒がれた「ゴビノー伯爵の人種エントロピー論」そして「ニーチェの距離のパトス論」。フランス社会学の契機もそれでしたが「伝統的文化単位の消失」が、そもそもそれが存在した事も思い出せないレベルまで進行。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
だが「忘れてるだけの事なら思い出せる」。それだけ拾うと、改めてどんな景色が浮かび上がってくるのか。「2000年代後半のパラダイムシフト」とは、あるいはそういうタイミングだったのかも。まだまだ仮説段階ですが。https://t.co/3uRnmL71Hd
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年4月14日
そんな感じで以下続報…