会計こそ線形代数の大源流?
今回の投稿の契機は以下のTweet。
個人的メモ。19世紀前半には、ヘーゲルさんが提唱した「時代精神こそがこの宇宙における唯一の実体であり、個人というのはそのそれぞれの体現度の部分写像に過ぎない」みたいな考え方が主流で、(強固な王党派だったとされる)ガウスの誤差関数もまた、その考え方にひっくるめられてしまうのです。 https://t.co/3pdv02j2yT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
時代精神(Zeitgeist)という言葉自体は、ドイツではヘルダーが1769年に初めて使ったといわれており、ゲーテも『ファウスト』のなかなどで用いている
かかる概念を歴史の過程と結び付け「個々の人間精神を超えた普遍的世界精神が歴史のなかで自己を展開していく各過程でとる形態」とみたのが、ヘーゲルであった。
ヘーゲルはそれをさらに民族精神と結び付け、東洋、ギリシア、ローマ、ゲルマンの4段階に区分し「文明観の発達主義的序列」と置いた。
ガウス(Carolus Fridericus Gauss, 1777年~1855年)はヤコブ・ベルヌーイ(Jakob Bernoulli、1654年~1705年)の大数の弱法則 (WLLN: Weak Law of Large Numbers) や、アブラーム・ド・モアブル(Abraham de Moivre, 1667年~1754年)の中心極限定理(CLT=Central Limit Theorem)の研究とは全く異なった道筋で有名な正規分布(Normal Distribution)の公式に到達。実はそもそも天文学上の測定誤差の検証手段としてこれを導入したガウスの場合、問題意識の抱え方自体が違っていたのである。
- 天体観測の結果にはたった一つの恒常普遍の正解しか存在しない筈なのに、実際の観測結果は必ず様々な程度と尺度で測定誤差を含んでしまう。もしかしたら観測を無限に繰り返してその結果を正しく集計すれば「たった一つの恒常普遍の正解」に辿り着くのかもしれないが、その実施は不可能である。
- ところで実際の測定誤差は「たった一つの恒常普遍の正解」からの解離が激しくなるほど出現分度も小さくなる。この勾配を研究すれば「たった一つの恒常普遍の正解」を相応には絞り込む事が可能な筈である。
人間の視野においては、ここで現れる「(中心を0,円周部を∞と置く)ガウス円盤状分布(Gauss Disc-shaped Distribution)/(北半球における北極/南半球における南極を0,赤道円を半径1と置く)ガウス半球(Gauss hemisphere)」と(肉眼の視界に対応して「見える表側」と「見えない裏側」が存在する)リーマン円錐(Riemann Spheroconical)/リーマン球面(Riemann sphere)を区別するのが難しい。前者は(重力レンズ効果によって視界が歪んだ)ブラックホールの様に「裏側が表側の周辺部に表示されるばかりか赤道円の抽出が困難」にある訳だが、どうしても勝手に誤差を切り捨てて「最終縁=赤道」と認識してしまうのである。
普通の感覚で言えば絶対曲がっているように見えるのに,リーマン曲率が 0 になってしまうケースがある.
例えば円筒の側面.この上でベクトルを平行移動して一周してもベクトルの方向は変化しない.当然だ.円筒の展開図を描けばその側面は平面そのものだ.この側面でのベクトルの平行移動は,展開された平らな面上で平行移動したのと全く同じ事だからである.
展開して平面になるような曲面といえば,円錐の側面も同じである.他にはあまり無いから安心して欲しい.折り紙を折り曲げないで,くにゃくにゃと曲げただけで作れる曲面と言えば,円筒的か円錐的かのどちらかくらいしかないだろう.
円筒や円錐の側面上に住んでいる 2 次元人にとって,世界が筒状に巻かれていようと,平面に伸ばされていようと,幾何学的に何の違いも感じる事はない.これではリーマン曲率が 0 になっても仕方ないのではないだろうか.違いが無いのだから違いを表しようがない.
これで「曲がった面」と呼んでいるものの正体と範囲がだんだん明らかになって来ただろう.平面上に曲がった座標を描いただけでは曲がっているとは言えないというのは初めから言ってきた.そして平面を曲げただけで実現できるものも曲がっているとは言えない.
この辺りの認識バグは「生物が進化の過程で眼と視覚情報を処理する脊髄を獲得した時点」において既に先天的に備わっていたとしか考えられない。
- これがガウスにとっての観測値分断問題であったが、ベルヌーイやド・モアブルも別に「正規分布=サンプル数を無限大に増やし続けると数多くの分布の収束先となる無限遠点としての分布」なる現代の普遍分散概念に到達していた訳ではなかったのである。
我々の自然な時空間認識でいうと「実際の事故の背後で無数に起こっているヒヤリハット案件」といった判断基準と関係してくる認識。ただし天体観測の分野に両者を峻別する基準は存在せず、従ってどこまでも連続的に扱う事が可能であり、これが連続的確率変数(Continuous Random Variable)の世界となる。この様に歴史のこの時点において既に確率変数分布の頂点位置が平均値(Mean)、分布の勾配が分散(Variance)なるパラメーター(Parameter)の値によって調整可能な数式自体は現れまていたものの、まだ分散(Variance)の概念自体は発明されていない点に注目。彼の目には「たった一つの恒常普遍の正解」はあくまで点としてのみ存在し、その測定誤差の散らばり具合が確率変数の分布、それぞれの誤差の集散具合(誤差が大きいほど出現頻度も少ない)が確率密度と写っていたのかもしれない。
歴史のこの時点ではまだベクトルや線形代数の概念も成立していません。
で、この考え方に(フランス理神論の流れを汲む)唯心論で対抗しようとしたのが「ヘーゲル左派」で、さらに一歩進んで「むしろ人間は日常生活の写像なんじゃないの?」と提唱したのが「ドイツイデオロギー(1846年)段階のカール・マルクスだった訳です。https://t.co/jnFSIfGO2N
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
しかしながらマルクス自身は「剰余価値論(1867年)」以降、発想の次元を潰して「全ては課金可能」という前提から「資本家と労働者の富の再分配」の話に推移。その発想すら「国王と教会の伝統的権威」が最大の仮想敵だった当時としては充分画期的だった訳ですが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
多くの社会学者が自らの理論の出発点としてマルクスの名前を挙げつつ「ドイツ・イデオロギー」以前の著作にも以降の著作にも触れない事が多いのは、こういう特殊事情に基づく側面もある様なのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
むしろ実際には真逆に考えるべきだったのかもしれません。「(数学における群論概念の大源流たる)複式簿記は特定の財務的主体の内容を借方(発生費用とそれから仕分けた資産)と貸方(発生収益とそれから仕分けた負債と資本金)に分け、これに仮に符号±を与え一元管理する」。https://t.co/MNYFW5QrLO
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
「だが例えば(転置の影響を受けない)対角成分に資産(++象限)と負債・資本(--象限)、(回転などを司る)非対角成分に発生費用(符号+-象限)と収益(符号-+象限)を置く事で「(行列式=1すなわち拡大縮小を伴わない範囲を基準に)資本が回転していく様を表したり出来るのでは?」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
こう考えると、マルクスが「ドイツイデオロギー」から「余剰価値論」に進んだ段階において既にマルクス主義の最初の誤謬、すなわち「認識次元潰し」が遂行されたとも考えられる訳ですね。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
こうして改めて言葉にすると、どうしても資本回転概念に基づいて「++象限=資本・負債」「+-象限=発生費用」「--象限=資産」「-+象限=発生収益」と置きたくなりますが、これに到達する以前の人類にとっては、あくまで重金主義、すなわち「手元の資産の物理的増減」こそが考え方の基点だったのです。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
会計学的にも画像処理技術的にもあまり意味はないんですが、こう考えると何が嬉しいって(ルネサンス期以降欧州中に普及した)複式簿記簿記の行列表現[x,y,-1]が、直積=逆剪断演算を経て(アフィン変換に使われる)2次元同時座標系に自明の場合として自然拡張されるのです。https://t.co/fmO1Pln9Fc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
この段階で全体像を整理しておきましょう。
- まず複式簿記((1次元行列)上のにおける借方(Debit=資産,発生費用)概念と貸方(Credit=資本,負債,発生利益)概念から出発する。
- 貸借対照表(BS=Balance Sheet)では借方に資産、貸方に資本と負債を置く。損益計算書(PL=Profit and Loss statement)では借方に売上高、貸方に発生費用と発生利益を置く。この時、各期における資産回転率(Asset turnover=資産/売上)がその会計対象の成長度合いを示す重要な指針となる。
「回転(Turnover)」という表現が出てきましたね。それでは一体、何が回転しているのでしょうか? ここで二つの借方-貸方軸の直積(Product)を、その交点(中心)=加法単位元(Additive Identity)0を以下の様に定めます。
- 第1評価軸「資産(資本+負債)」で「資本 -負債=0」となる地点
- 第2評価軸「売上(発生収益+発生費用)」で「発生収益-発生費用=0)」となる地点
するとあら不思議。交代級数概念に従って、ここにある種の円環が現れるのです。
単位円の概念に当たるのが「会社規模の増減を伴わない」以下の経営。
- その会社は毎期の起首に資本1を取り崩すか負債1を調達して投資。その結果として発生費用1を得る。
- そして期中に発生費用1を運用した結果として発生収益1を得る。
- そして毎年の期末にこの発生収益1を改めて資本1に再計上するか、負債1への返済に当てる。以前も以降もこの繰り返し。
もはや営利団体では有り得ず、NPOの様な非営利団体の会計っぽいですね。線形代数表現で表すと二次行列[[1,0],[0,1]]を[[0,1],[-1,0]]/[[0,-1],[1,0]]→[[1,0],[0,1]]、ないしは二次行列-[[1,0],[0,1]]を[[0,1],[-1,0]]/[[0,-1],[1,0]]→-[[1,0],[0,1]]と回転させた形(球面上の対蹠それぞれからの90度回転1回、反転1回)となります。ちなみに全体として(行列式が1となる)特殊直行群(Special Orthogonal Group)SO(1)の部分集合を構成。
それでは以下ならどうでしょう?
- その会社は起首派必ず0スタートで毎期発生収益±1を得る。
- そして毎年の期末にこの発生収益±1を資産に反映させて売上を0に戻す。以前も以降もこの繰り返し。
この会社の経営状態は剰余群=N進数の振る舞いそのもの。
この条件を満たす座標系として真っ先に思い浮かぶのは垂直軸を加法整数群(Additive Integer Group)、水平軸(半径)を乗法単位元(Multiplicative Identity)1に設定した円筒座標系(Cylindrical coordinate system)でしょう。極座標系(Polar Coordinate System)の1種ですが、この段階ではまだ角度の概念が存在せず(水平方向には符号も設定されておらず絶対値しか得られない)後付けで設定したとしても結局は垂直軸の値に連続的に線形従属するだけなので、垂直座標のみ抽出してその全体像を加法実数群(Additive Real Group)=実数線(Real Line)として扱う事も可能。
その一方で水平軸と垂直軸の増減を完全に一致させると傾き1のy=x関数が現れ、その回転写像として角錐座標系(Pyramid Coordinate System)ないしはそれを部分集合として含む円錐座標系(Conical Coordinate System)が得られる。
ないしは
そして、この座標系は同次座標系に拡張する事が可能である。
で、この辺りがまさに人類文化史上、欧州が初めて超えた「重金主義から資本主義へのパラダイム・シフトの壁」であったという話。行列式そのものはそれに先駆けて日本で並列的に発見されており、ガウスの時代における「複素平面」概念や「誤差関数」概念の普及も当然重要な役割を果たしましたが…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
まだまだそれだけでは現代に至るこのパラダイムシフトの完成には程遠い有様だったという話…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年5月16日
ヨーロッパにとって17世紀は「最悪の世紀」だった。絶え間ない国家戦争、宗教戦争、内戦に襲われ、それも実に野蛮な残虐さで有名なものばかり。その瓦礫の中から国民国家が形成され、それが宗教改革にインスパイアされたグロチウス、ホッブス、プフェンドルフなどによる、契約に基づく「自然法」哲学の中で大きな基盤を獲得する。
17世紀は国家が台頭した時代だったから、国家が必要とする二種類の階級の出現がその特徴だ。国を運営する官僚と、そのお金を出す商人だ。重商主義は、こうした実務家たちの小冊子や研究や協定がたくさんあわさることで発達した。
イギリスとオランダでは、経済著作の大部分は台頭するブルジョワコミュニティ出身の商人(merchants)たちが書いたので重商主義(Mercantilism)ということばがでてきた。
フランスとドイツではブルジョワ階級が小さかったので、経済議論はもっぱら国の役人が書いたのでフランスの重商主義はむしろ「コルベール主義 (Colbertisme=フランスの財務相ジャン・バプティスト・コルベールにちなんだ名前)で知られ、ドイツの重商主義は「官房学派 (Cameralism=王立chamber を指すドイツ語にちなむ)」として知られる。
イギリス・オランダとフランス・ドイツの重商主義の背景はこんな風にちがっているけれど、その経済ドクトリンはどれも大差ない。どっちも商人たちの富と国の力との親密で共生的な関係を認識していた。商売が繁盛すれば歳入が増え、国の力も増す。国の力が増せば、利益の高い交易ルートを確保できて、商人たちの望む独占を与えられる。
①イギリス重商主義は、しばしば三つの時期に区分される。
- 1580年代くらいから1620年代頃まで続く粗雑な「金塊主義/地金主義」段階。
- 1620年代から1700年頃まで続いた「伝統」段階。
- 1680年代頃から1750年頃まで続く「リベラル」段階。
②フランスのコルベール主義は、1660年代から1750年代まで続いたとされる。
③ドイツの官房学派はたぶん最長の期間、1560年代から1750年代まで続き、さらに新官房学派の手に移ってからは 1800年を過ぎても続いていた。
重商主義の核心には、成長と富の蓄積との間の正のフィードバックに対するこだわりがある。活動が増えれば、富が(商人にとっても国にとっても)増え、富が増えれば経済活動が増す。かれらは、事業を発展させるためには二つの基本的な前提があると指摘した。収益機会の存在と、柔軟な資金供給だ。重商主義者たちは、事業活動は物価があがれば必ず増大し(なぜなら価格があがると利益も上がるから)、また金利が下がるときにも増大する(つまり資金が容易に手に入るから)と提案した。これらはどちらも、ある国のお金の量が増えるときに生じる。この当時のお金というのは金と銀だった。だから国の産出を増やすには、国が全力を尽くし、きれいな手でも汚い手でも何でも使って、地金だろうとコインだろうとなるべく多くの金や銀を国に入れて、そして出て行く量はなるべく少なくするようにしろ、というのが初期の重商主義者たちの主張だった。
そんな感じで以下続報…