米国人の一般的肌感覚では「特定有力ユダヤ人集団の一員に組み込まれた財閥系ユダヤ人」と、そういう背景なしに自力で這い上がってくる「ただのユダヤ人」を峻別します。実際両者はそれぞれの立場を代表する形で敵対し合う事すらあって、この構造を理解してないと映画「ソーシャル・ネットワーク(2010年)」において、どうして「ただのユダヤ人」マーク・ザッカーバーグが「(ニューヨークを牛耳る)ユダヤ人財閥」を代表するエドゥアルド・サベリンからの独立を果たして西海岸に渡ってくる物語があれほど全米から拍手喝采されたか分からなくなってしまうのです。
- 自明の場合(Trivial Case)として当然の様に割り込んでくる「東海岸と西海岸の対立」図式の話…これも知らない日本人は徹底して知らない。
- そしてここには「(ザッカバーグを西海岸に誘致した)良い意味でも悪い意味でも天才の」ショーン・パーカー(初代Facebook社長)とマーク・ザッカーバーグの人生の交錯も垣間見られるのだった。時はまさにSNS黎明期…
「Tumbr創業者」デイヴィッド・カープ(David Karp)もまた「ただのユダヤ人」の一人とされる。
His cultural and ethnic background is Jewish.
かくして突如としてここに「米国におけるユダヤ人の足跡の謎」なる米国文化の未知のファクターが乱入してくる。
- まずややこしい事に大概の日本人がここでいう「アメリカ(特にニューヨークを拠点とする)有力ユダヤ人集団」をイメージ出来ない。例えば前者の代表例の一つで「セファルディム」とか「マラーノ」と呼ばれる「(上掲のエドゥアルド・サベリンも所属していた)イベリア半島出身で南米に移住して財を築いた系統」についても、日本のネットで調べる限り「セファルディム」の定義で「イスラム世界で迫害され、イスラエルに逃げ込んだ貧困層(確かに彼らもセファルディムと呼ばれているが、復讐心からイスラエルのイスラム諸国への強硬策や非人道的なパレスチナ政策を支持する急進派で全くの別物)」を混同してるし「マラーノ」については「イベリア半島で改宗を強要された悲劇」について触れるのみ。
映画版(1961年)では省略されてた印象があるが(記憶が曖昧過ぎて断言出来ない)トルーマン・カポーティの手になる原作小説「ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany’s, 1958年)」にも「ユダヤ人財閥がニューヨークを牛耳る景色」そのものはしっかり描かれている。おそらくニューヨークが「世界の金融センター」の座をロンドンから奪取する過程で入り込んできた(そして第一次世界大戦、世界恐慌、第二次世界大戦と続く欧州没落期に相対的に影響力を増した)事が想定されるが、この過程についてちゃんと分析した文献をこれまで目にした事がない。
ところでこの作品に登場する「高級娼婦」ホリー・ゴライトリー(演オードリー・ヘプバーン)はフェミニズム文学史上における「(建前上「男性から強要されてきた」とされた)貞女と悪女を峻別する勧善懲悪観からの脱却過程」を語る上で欠かせない重要人物でもある。まさしく日本の女性作家達の努力の結晶…
日本の女性作家は同時期「家父長制的表現の撤廃」でも大きな成果を挙げ、国際的フェミニズム展開の世界にも大きな影響を与えている。
それは同時に「20世紀日本が生み出したアニメ漫画GAMEコンテンツ」が立脚した「アンシャン・レジーム」の解体過程でもあったからややこしい。
その一方で、かかる「ニューヨークを拠点とするユダヤ人財閥」と独ソ不可侵条約(1939年)締結を契機にアメリカ共産党から脱党した「ニューヨーク知識人」の関係がこれまたよく分からない。
ここにさらに「ロリータ(Лолита - Lolita、1955年)」のウラジーミル・ナボコフ(妻がウクライナ系ユダヤ人だった元ロシア貴族)、職業SF作家としてのアイザック・アシモフ(ニューヨーク育ちのロシア系ユダヤ人)や「後進性の優位(キャッチアップ型工業化)」論(先進国と後進国の共存状況で、後者は前者が先進技術を取り入れることによって経験しなくてはならなかったいくつかの段階をスキップすることができるとし、その実例としてドイツ帝国や大日本帝国やソ連のそれを併記)で名を成した経済学者アレクサンダー・ガーシェンクロン(ウクライナ系ユダヤ人)の成功、そしてアメリカにおける「黄金の1950年代」におけるロシア系の躍進を皮肉ったペンシルバニア州出身作家ジョン・アップダイクの「A&P(1961年)」などに垣間見られる「ロシア系(ウクライナ系)ユダヤ人の存在感」が加わってくるから話がややこしくなる。
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もう一つの面倒臭い対立図式が「(主にナチスの迫害を逃れてアメリカに亡命した富裕層/宮廷ユダヤ人系=インテリ系中心の)オースリア系ユダヤ人(アメリカ人インテリ間に精神分析ブームを起こし「コミック・コード」事件も仕掛けた)と(第一次世界大戦以前のオーストリア=ハンガリー二重帝国で食い詰めてアメリカに移住した貧困層中心の)ハンガリー系ユダヤ人(アイルランド系移民と手を携えてニューヨークを制覇し、ハリウッド映画業界とアメコミ出版界を創造)の対峙」で、これはほとんど「故郷」ハプスブルグ君主国における階層構造をそのままアメリカに持ち込んだ感じ。
西海岸出身のアイルランド系であるクリント・イーストウッド監督映画「硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima,2006年)」が「ハリウッドを牛耳るユダヤ系重鎮」に忖度して「硫黄島における日本軍の玉砕」とヨセフス「ユダヤ戦記」で語られる「マサダ砦の玉砕」と結びつける演出を施してた可能性については各筋から指摘が上がっているが、いずれにせよここに登場する「ユダヤ人」はもはや「ハンガリーから身一つで流れてきた素寒貧」ではなく、とっくの昔に「叩き上げで財を築いた成功者集団」の仲間入りを果たしてる訳だが、その一方でオーストリア系ユダヤ人同様ハンガリー系ユダヤ人が独特の学閥/財閥を形成している証拠は「表面上」特には見られない。
そもそも東海岸同様「西海岸におけるアイルランド系とユダヤ系の共闘」の歴史は古く「ヘイズ・コード(Hays Code,The Motion Picture Production Code of 1930,起草1929年,履行1934年~1968年)」制定まで遡るのである。
さらにはユダヤ人クリエーターが日頃の感謝を込めて「アイルランド系ヒーロー」キャプテン・アメリカを創造した時代まで。
ちなみにハリウッド・メジャーが顧客を失い、アメリカン・ニューシネマが流行した混沌の時代には大手コミック配給会社に対抗する形で数多くのインデーズ・レーベルが台頭したが、その事とユダヤ人問題が結びつけて語られる事はなかったのである。
そんな感じで以下続報…