「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】「ドーリア人植民市」ロドス島の興亡

アナトリア半島からクレタ島経由でアフリカ北岸に接続する交易路に深く関連?

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ロドス島希: Ρόδος, Ródos, 英:Rhodes

エーゲ海南部のアナトリア半島沿岸部に位置するギリシャ領の島。ドデカネス諸島に属し、ギリシャ共和国で4番目に大きな面積を持つ。ロードス島との表記も用いられる。

島で最大の都市であるロドスの街は、古代以来港湾都市として栄え、世界の七不思議の一つである「ロドス島の巨像」が存在したことでも知られる。また、その中世期の街並みは「ロドスの中世都市」の名で世界遺産に登録されている。

ロドス島の古代史

新石器時代から人が住んでいたが、その頃の痕跡はわずかしか残っていない。

  • 紀元前16世紀にはミノア文明の人々が、そして紀元前15世紀アカイア人が到来し、さらに紀元前11世紀にはドーリアがやってきた。ドーリア人たちはのちに本土のコスクニドスハリカルナッソスに加えリンドスイアリソスカメイロスという3つの重要な都市(いわゆるドーリア人の6ポリス)を建設した。

    カメイロス古希Κάμειρος / Kámeiros

    古代ギリシアのロドス島北西海岸にあった古代都市。ロドスの街の西南約30kmに位置する。現代ギリシャ語の発音に従えば、カミロスと転記され得る。カミロスはロドス市を構成する行政区の名で、古代カメイロスの遺跡をその領域に含む。

    農耕の中心地としてロドス島に建国された3つの都市国家の1つである。古代都市遺跡は三層構造になっていた。

    • 丘の頂上にはアクロポリスがあり、アテーナーの神殿とそれを取り囲む柱廊があった。紀元前6世紀、ここに600立方メートルの水を蓄えられるため池が作られ(約400世帯が生活可能)、その上に後から柱廊が建てられた。柱廊は2列のドーリア式円柱が並び、それに面して商店や宿屋が並んでいた。
    • 主な居住地は中間のテラス状の土地で、並行する通りや住宅が格子状に並んでいた。さらに下のテラスにはドーリア式の神殿があり、アポローンを祭っていたとされている。また、その近くに泉があって、その前にアゴラがあった。また、様々な神々を祭る祭壇が並ぶ壁があった。
    • 先史時代にはミケーネ文明の人々がここに住んでいた。都市を建設したのはドーリアである。神殿が建設され始めたのは紀元前8世紀以降と見られている。紀元前226、ロドス島で大地震があり、都市や神殿が被害を受けた。紀元前142年にも地震の被害を受けている。

    アクロポリスの発掘調査は1852年~1864年Alfred BiliottiAuguste Salzmann が行った。1928年からイタリアの考古学調査団が体系的な発掘調査と復元作業を開始し、第二次世界大戦終了時までそれが続けられた。

    ちなみにロードス島巨人伝説自体は存在しない。

    永井豪「マジンガーZ(1972年~1973年)」における「バードス島の巨人伝説」

    永井豪原作アニメ「マジンガーZ(1972年~1973年)」の一エピソード[機械獣大作戦]はドクターヘルのこの言葉から始まる

    バードス島の伝説とは古代エーゲ海につたわる巨人戦士の物語である(中略)紀元をはるかにこえる昔ギリシャ人の先祖ミケーネ人は胸から火をふく巨人を使ってつぎつぎにドーリア人の軍船を撃沈しバードス島を守ったという

    だが、実際の「巨人伝説」とはどのようなものだったのだろうか。

    まず、「バードス島」そのものはマジンガーZでの創作の島である。であるから当然「バードス島の伝説」とは存在しない。また、テレビ版では当初バードス島を「ロードス島」と称しており、伝説も「ロードス島に伝わる伝説」として紹介されている。だが、この「ロードス島」も現実の「ロドス島」とは違うようで、劇中ではこの「ロドス島」をモデルに「ロードス島」が設定されたものであろう。

    現在筆者が確認した限りでは、「ロドス島」に上記の「巨人伝説」は見つからなかった。ただし、それを思わせる「青銅の巨像コロッソス」というものがある。

    もう一つは、「ロドス島」ではなく同じくエーゲ海クレタ島と伝わる「青銅巨人タロス」の伝承だ。ギリシャ神話の一つである「アルゴナウタイ」に語られる。ちなみに「アルゴナウタイ」を取り扱った叙事詩アルゴナウティカ」は紀元前3世紀頃にロドス島のアポロニオスが創作したといわれる。

    イオルコスの王アイソンは国を弟のペリアスに奪われ、ケンタウロス族のケイロンに息子のイアソンを預ける。ケイロンの元で成長したイアソンは叔父から王位を取り返すべくイオルコスに帰還するが、叔父のペリアス王はコルキスから黄金の羊の皮を持ってきて神に捧げれば王国をイアソスに返すことを約束した。イアソンはアルゴー号で50人の勇者とともに、様々な苦難を乗り越えてコルキスに着く。そこではコルキスの王女メディアの協力もあって、遂に黄金の羊の皮を手に入れる。帰路にもイアソン一行は数々の魔物と戦いながら船をすすめる。その途中立ち寄ったクレタ島。島の番人である青銅の巨人タロスが、アルゴー号に岩を投げつけて沈めようとする。全身が青銅のため、弓矢や剣をものともしないタロスにアルゴー号の勇者たちは苦戦するが、魔女メディアの眼光により身動きが出来なくなったタロスに対してメディアはタロスの唯一の弱点である踝の栓を抜いて、神血をすっかり抜いてたやすく倒してしまったという。

    青銅巨人タロスは、伝承によればゼウスが手をつけたエウロベが放浪し辿り着いたクレタの地を守らせるためにゼウスがヘファイストに命じて作らせてミノア王に与えたとも、ミノタウロスで有名なミノア迷宮を作ったダイダロスの創ったものとも、青銅族の最後の生き残りとも謂われている。

    クレタ島を一日3回見回り余所者を近づけさせないように見張って、島に近づいた船に岩を投げて威嚇したり沈めたり、また、全身を灼熱化させて侵入者を焼き殺したとも伝えられる。

    全身が青銅で出来ており、体の中を神血といわれる線が通っており踵にその栓があるということである。

    バードス島

    第59話までのDr.ヘルの地下帝国の本拠地。エーゲ海上に有る孤島で、古代ミケーネ帝国の遺跡が存在する。かつてヘルはここでミケーネの巨人ロボットを発見、そしてこの島を基地に改造した。内部には「司令室ブロッケン伯爵加入後は一新される)」「機械獣製造工場」「機械獣格納庫」「幹部や戦闘員の居室」などが存在する。島の沿岸はサルードやブードの発着所、そして頂上は機械獣の能力テスト場になっている。また第40話からは「グールの格納庫」が新たに設けられ、島の一部が開いてグールが発進する。
    モデルはエーゲ海にある実在の島「ロードス島」で、企画段階は元より、設定画や初期の脚本でも「ロードス島」となっていたが、土壇場になってこの名称に変更された。しかし当時のスタッフの混乱状態からか、第1話では「バードス島」となっていたのに、第2話の兜十蔵博士の遺言などでは「ロードス島」となっていた。この台詞は以後の再放送や、映像ソフトでもそのままである。

     


    ハリーハウゼンの特撮で著名な冒険映画「アルゴ探検隊の大冒険(Jason and the Argonauts, 1963年)より。

  • アケメネス朝がアナトリア半島(小アジア)にまでその勢力を拡大するとロドスもその影響を否が応にも受けざるを得ない位置にあったが、ペルシャ戦争後の紀元前478年にロドス島の諸都市はアテナイを中心とするデロス同盟に加わった。この後紀元前431年にはペロポネソス戦争が勃発するが、ロドス島はデロス同盟の一員ではあったものの中立的な立場をとりつづけた。戦争が終わる紀元前404年ペロポネソス戦争ギリシアは疲弊し、それがまた侵略を招くこととなった。
  • 紀元前357年にハリカルナッソスのマウソロス王によってロドス島は征服され、紀元前340年にはアケメネス朝の支配下に入った。しかしその後紀元前332年に、東征中のアレクサンドロス3世がロドス島をアケメネス朝の支配から解放し、自己の勢力圏の一部とした。
  • アレクサンドロスの死後、後継者問題からその配下の将軍らによる戦乱が起こり、プトレマイオス1世セレウコスアンティゴノスらが帝国を分割した。 このいわゆるディアドコイ戦争の間ロドス島は主に交易関係を通じてエジプトに拠るプトレマイオスと密接な関係にあったが、ロドスの海運力がプトレマイオスに利用されることを嫌ったアンティゴノスは、息子デメトリオスに軍を率いさせてロドスを攻撃させた(ロドス包囲戦、紀元前305年 - 紀元前304年)。これに対してロドス側はよく守ってデメトリオスの攻撃を凌ぎきり、翌年攻囲戦の長期化を望まないアンティゴノスプトレマイオス双方が妥協して和平協定が成立した。この時デメトリオスの軍が遺していった武器を売却して得た収益をもとに、今日アポロの巨像としてその名を残している太陽神ヘーリオスの彫像が造られた。

    古代の記述に拠れば、ロドスの巨像は以下のようなものだった。まず、ロドスの港の入り口付近に、高さ15メートル50フィート)の大理石製の台座を設置した。その台座の上に鉄製の骨組みを作り、さらに薄い青銅板で外装を覆った。外装はデメトリオス軍の遺棄した武器や攻城塔を鋳潰したものが使われた。建造には盛り土の傾斜路を利用し、組み立てが進むにつれて、傾斜路の高さを調節して対応していたと考えられている。彫像自体の高さは34メートル(110フィート)、台座を含めると約50メートルに達した。巨像が完成したのは着工から12年後の紀元前284年であった。

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  • ロドス島はエジプトのプトレマイオス朝との交易の重要な拠点となると同時に紀元前3世紀エーゲ海において通商を支配した。海における商業と文化の中心地として発展し、その貨幣は地中海全域で流通していた。哲学や文学、修辞学の有名な学府もあった。
  • 紀元前190年セレウコス朝の攻撃を受けるもこれを退けた。この時の勝利を記念して、エーゲ海北端のサモトラケ島に翼をもった勝利の女神ニーケーの像が建てられた。(サモトラケのニケ)。
  • 紀元前164年ローマ共和国と平和条約を結び、以後ローマの貴族たちのための学校としての役割を担うことになる。両者の関係は、当初はローマの重要な同盟国として様々な特権が認められていたが、のちにローマ側によりそれらは剥奪されていき、ガイウス・ユリウス・カエサル死後の戦乱の最中にはカシウスによる侵略を受け都市は略奪された。
  • 紀元前後後にアウグストゥスの後を継ぎ皇帝となるティベリウスがこの地で隠遁生活を送ったほか、パウロが訪れキリスト教を伝えた。

297年それまでのローマの同盟国という地位からその直接統治下に移ったが、ローマ帝国分裂後は東ローマ帝国領となった。

 

 

 

 

ロドス島の中世史

東ローマ領であった一千年の間には、ロドス島はさまざまな軍隊によって繰り返し攻撃された。

東ローマ帝国が衰亡しつつあった1309年、ロドス島は聖ヨハネ騎士団別名・ホスピタル騎士団)に占領され、ロドス島騎士団と称されるこの騎士団のもと都市は中世ヨーロッパ風に作り変えられた。騎士団長の居城などのロドス島の有名な遺跡の多くはこの時期に造営されたものである。騎士団は島内に堅固な城塞を築き、1444年のエジプトのマムルーク朝の攻撃や1480年オスマン帝国メフメト2世の攻撃を防いだが、1522年レイマン1世の大軍に攻囲され遂に陥落した(ロドス包囲戦)。騎士団の残った者たちはマルタ島へ移っていった。

ロドス島の征服は、オスマン帝国にとっては東地中海の海路の安全、つまり、イスタンブールとカイロの間の円滑な商品流通に寄与するものであった。その後、1669年ヴェネツィア共和国支配下クレタ島オスマン帝国に征服されたが、その際には、ロドス島から軍が送られていた。 

ロドス島の近代史

1912年トルコ領だったロドス島はイタリアによって占領され(イタリア領エーゲ海諸島)、1947年にはドデカネス諸島ともにギリシャ編入された。

以下続報…