「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】「古代エジプト王朝におけるドーリア人商圏の交易拠点」ナウクラティス

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ナウクラティス希Ναύκρατις)は、古代エジプトナイル川デルタの西端にあった都市で、河口および後のアレクサンドリアから南東に72kmほどの位置にあった。

  • 古代ギリシアのエジプトにおける初期の植民都市であり、ギリシアとエジプトの美術・文化交流にとって象徴的交点となっていた。

フリンダーズ・ピートリー1884年~1885年に発見して発掘に着手。その後、E.A. Gardener が発掘を引き継ぎ、D.G. Hogarth が1899年~1903年に本格的調査。こうした発掘調査によって多数の美術品が発見され世界各地の博物館や美術館に収蔵されているが、同時に陶器に書かれた銘が最初期のギリシア文字で書かれているという点でも重要である。

 その歴史

考古学的証拠から、エジプトでの古代ギリシアの歴史は少なくともミケーネ文明のころまで遡ると見られており、さらに古いミノア文明にまで遡ることも示唆されている。ただし、それほど古いギリシア植民都市の痕跡は見つかっていないため、その歴史は純粋に交易の歴史である。

  • ミケーネ文明が消滅し暗黒時代紀元前1100年~紀元前750年頃)を経て、紀元前7世紀ギリシア文化が再び開花すると、中東と新たに交易が始まり、特にメソポタミアとエジプトという2大文明圏と交流するようになる。

  • エジプトでのギリシャ人の活動を記録した最古の文献はヘロドトスの『歴史』で、イオニア人とカリア人の海賊が嵐で難破し、ナイル川デルタ(付近)に漂着したという話を伝えている。

  • エジプト第26王朝サイス朝, 紀元前664年~紀元前525年)のファラオプサメティコス1世紀元前664~紀元前610年頃)は当時、他の下エジプトの支配者達と対立し、敗走していた。そしてプトの町のレートーの神託を求めたところ、「海からやってくる青銅の人々」の助力を求めよという託宣が下った。難破した海賊達は青銅製の鎧を身につけていたため、ファラオは彼らの助力を求め、見返りとして報酬を提供すると申し出た。海賊達の加勢によってファラオは勝利を収め、報酬としてナイル川のペルシウム支流沿いに2区画の宿営地を与えた。

    リビュア系王朝。ヌビアに興ったエジプト第25王朝紀元前747年~紀元前656年に滅ぼされたエジプト第24王朝紀元前727年頃~紀元前715年頃)の末裔と目されているが、当時はサイスを本拠地とする彼らの他にレオントポリスエジプト語タレム)に拠点を置く第23王朝紀元前818年~紀元前715年頃)、ラクレオポリスエジプト語ネンネス)、ヘルモポリス古代エジプト語ウヌー)それぞれ拠点を置く王朝が割拠しいる状態だった。

  • 紀元前570年、ファラオアプリエス治世紀元前589年~紀元前570年)は、その傭兵たちの子孫を中心とする3万人のカリア人とイオニア人を再び雇い、元将軍で反逆者となったイアフメスと戦わせた。彼らは勇敢に戦ったが敗北し、イアフメス2世治世紀元前570年~紀元前526年)がファラオとなった。イアフメス2世ギリシャ人傭兵の宿営地を閉鎖し、彼らをメンフィスに移し「同族であるエジプト民族からファラオを守る」親衛隊として雇った。ヘロドトスによれば、イアフメス2世はこのギリシャ人達を好み、様々な報酬を与えた中で、ナウクラティスという都市への定住を許したのだという。ヘロドトスの記述では、ナウクラティスはギリシャ人が作ったのではなく、それ以前から存在していたと見られ、考古学調査でもそれが裏付けられている。この元々あった都市にはエジプト人ギリシャ人だけでなく、フェニキア人も混在して住んでいたと見られている。その都市が紀元前570年以降間もなくギリシャ人に譲られたと考えられている。

  • イアフメス2世はナウクラティスを(ギリシャ人やフェニキア人といった)地中海商人との交易拠点および港に転換させた。これにはギリシャ人を1箇所に封じ込め、彼らの活動をファラオの制御下に置くという意味もあった。したがってナウクラティスは特定の都市国家の植民都市として始まったのではなく、シリア北部の交易拠点アル・ミナのようなエンポリウム(交易拠点)として始まった。

ヘロドトスによるとHellenionという聖域(壁で囲まれた神殿)があり、次の9つのギリシア都市国家が共同で運営していたという。

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  • イオニア人国家: キオス、クラゾメナイ, テオス、ポカイア

    *ヒオス島は実は紀元前8世紀頃に成立した「イーリアス」「オデュセィア」といった叙事詩の作者(編纂者)の出身地と目されている。

    海上帝国設立前夜、アテナイでオリーブ園を経営する在地有力者(貴族)がオリーブオイル輸出を試みて失敗し賢者ソロンを困らせた。実際にはクラゾメナイと異なり「製品量産に対する覚悟」が足らなかった?

    *テオスは伝承によればボイオティア人が建設した街とも。その後、イオニア系移民が殺到してイニチアシブを奪取。

    *一方、アテナイヘロドトスがポカイア人に与えた「ギリシャ系最初の航洋民族」なる称号を奪取せんと手段を選ばぬプロパガンダ作戦を展開。

  • ドーリア人国家: ロドス、ハリカルナッソス、クニドス、ファセリス
    *ロドス島は、その地政学的重要性故に様々な軍隊から高劇され続ける。特に十字軍時代に入り「海賊(異教徒への私掠が主要財源)」のヨハネ騎士団に本拠地を移されて以降…

    アレクサンドロス3世がアケメネス朝ペルシアと戦った場所。やはりヨハネ騎士団と縁が深い。

    *そしてロードス島との関係が深いクニドス…

    *やはりロードス島との関係が深いファセリス…

  • アイオリス人国家: ミュティレネ
    *後にテーバイやスパルタの援助を当て込んで、アテナイへの反逆を試み自滅してしまう。

ミレトスサモスアイギナHellenionとは別の聖域を持っていた。
*この3都市全て全盛期がペルシャ戦争の覇者としてアテナイ海上帝国が擁立される以前と目される辺りにギリシャ商圏としての「古層」を感じる。そもそも「紀元前8世紀におけるシリアのアル・ミナ建設」「紀元前6世紀におけるナウクラティス」といったイベント自体東方化様式時代のギリシア文化におけるドーリア人商圏の展開と深く関わっている様である。

この様にナウクラティスには少なくとも12のギリシア都市国家の人々が共同で暮らしていた。これだけでも珍しいが、かなり長い間続いたと判明している。ちなみにヘロドトスが記したHellenionは Hogarth が1899年に発見。奉納された陶器の年代から、イアフメス2世の治世よりも古くからこの聖域が存在していたことが明らかとなっている。

  • エジプト側がギリシア側に交易品として提供したのは主に穀物だが、他に亜麻布パピルスもあった。一方ギリシア側がエジプト側に提供したのは主にだが、他に木材オリーブ油ワインもあった。ナウクラティスはサイス朝ファラオに戦術や航海術に長けた傭兵を供給してくれる場所となった。

  • ギリシャ人にとってナウクラティスは、青銅器時代以降ギリシアでは失われたエジプトの建築や彫像の驚異に触れる場所として着想の源泉となった。エジプトの工芸品は間もなくギリシアへの交易品となりギリシア世界に流通するようになった。一方でギリシア美術もエジプトに流入したが、外国人嫌悪的なエジプト文化への影響は極めて小さかった。

  • ヘロドトス幾何学 (γεωμετρία) がエジプトで生まれ、ギリシアに伝えられたとしているが、今ではエジプトからギリシアに伝えられたのは「測量技術」であって、純粋な数学の一分野としての「幾何学」とは異なるとされている。実際タレスはエジプトに旅行する前から幾何学を確立させていたが、ヘロドトスはエジプトの幾何学の方がギリシアよりも古いと考えていたため、タレスがエジプトで幾何学を学んだと考えたと見られている。

  • ナウクラティスで見つかったギリシア文字は発生期の特に初期のものであることが判明している。陶器に書かれた銘には、イオニア方言、コリントス方言、ミロス島方言、レスボス島方言などの最古の記述があった。フェニキア文字からの変化の過程にあるものもあり、特に興味深い。約1世紀後に確立された現代のギリシア文字の形との比較から、ギリシア文字がどのように成立し広まって行ったかを知る資料となっている。

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ナウクラティスはエジプトにおけるギリシアの植民都市としては最古ではない。アレクサンドリアが建設されるまでは古代エジプト有数の港だったが、ナイル川の流れが変化して港として機能しなくなっていった。

ちなみにヘロドトスは、ナウクラティスに纏わる逸話として、詩人サッポーの兄クサンテスとナウクラティスの娼婦ロドーピスの話を伝えています。

  • ロドーピスは美しいトラキア人奴隷で、彼女を自由にするためクサンテスは大金を支払った。
  • 自由の身となったロドーピスは娼館を立てて営業し、若干の金を蓄えた。
  • 感謝の印としてロドーピスは高価な奉納供物を捧げ、それが最終的にデルポイに置かれるようになったという。ヘロドトスの時代にもその供物がデルポイにあったと記している。

有名な「シンデレラ」の元話ですね。ただし物語の体裁が整うのは歴史家ストラボンが紀元前1世紀に記録した「ロードピスRhodopisの物語」以降となります。