「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】マウリア朝が「1周目」クシャーン朝が「2周目」?

マウリヤ朝クシャーナ朝はどちらも仏教保護の文脈で語られる事が多いので混同されがちですが、同じインド史上の王朝であっても違いがかなりあるのです。

f:id:ochimusha01:20200717143027p:plain

マウリヤ朝(紀元前317年~紀元前180年)

紀元前3世紀ガンジス川流域に興ったインド人王朝

ほぼインド全域を中央集権的に支配。

  • 統治区分としてはガンジス川流域を直轄地に加え、征服地を4つの属州に分割。それぞれの属州にマウリヤ朝王子を太守として派遣した。
  • 中央政府は大臣や軍司令官の元に多くの官僚・軍人を組織し、租税制度も整備した。

かかる統治機構が成立したのは王朝開闢者チャンドラグプタを補佐した「インドのマキャベリ」宰相カウティリヤ『実利論』の著者で政治思想家としても知られる)の寄与が大きかった。

チャンドラグプタサンスクリット語: चन्द्रगुप्त मौर्य 転写: Chandragupta maurya、漢:旃陀羅堀(掘)多/月護王, ? - 紀元前298年頃

マウリヤ朝初代王在位紀元前317年頃~紀元前298年頃)。ギリシア人の史料にはサンドロクプトス古希: Σανδρόκυπτος 転写: Sandrókuptos)またはサンドロコットス英: Sandrokottos)として記録されている。インド史上最初の大帝国を出現させたので「インド人最大の王」とされ、国民的英雄である。

f:id:ochimusha01:20200717150822p:plain

ヘレニズム時代のセレウコス朝シリアの使節として首都パータリプトラに派遣されたメガステネスの記録によってチャンドラグプタ時代のインドの状況を知ることが出来る。

  • インド統一後の紀元前305年, 西方からシリア王セレウコスニーカトール,在位紀元前305年~紀元前281年)にインダス川を越えて侵入してきたが、これを撃退し、講和条件として両王家のあいだいに婚姻関係を結んだ。
  • チャンドラグプタはセレウコス皇女を妃としたらしい。同時にセレウコスの占領地4州を手にいれ、その代わりに象500頭を贈った。

セレウコスは後にこの象部隊を使って、ディアドコイ戦争であるイプソスの戦い(紀元前301年)で勝利を治める事になる。

カウティリヤサンスクリット語 कौतिल्य Kautilya:紀元前350年~紀元前283年)あるいはチャーナキヤサンスクリット語 चाणक्य Cāṇakya)、あるいはヴィシュヌグプタサンスクリット語 विष्णुगुप्त

マウリヤ朝チャンドラグプタ王の教師にして軍師にして宰相。チャンドラグプタ王の統一事業に大きな貢献をしたとされる人物。国家統治のあり方を説いたとされる「アルタ=シャーストラ実利論)」は、古代インドの政治論として知られている(現在の形にまとめられたのは、後3世紀頃)。

山崎元一『古代インドの文明と社会』世界の歴史3 中央公論社 1997> 

カウティリヤの政治論書「アルタ=シャーストラ実利論)」は、王にとっての実利、つまり領土を獲得しそれを維持するための、さまざまな方策を論じた作品である。

そのなかで、目的のためには手段を選ばないという非人道的な謀略を用いることも推奨されているため、インドのマキャヴェリと呼ばれている。

例えば反逆的な大官を葬るためには、弱小の軍隊と刺客をつけて戦場に派遣し、戦闘が始まったら刺客に殺させ「彼は戦闘中に殺された」と告げるべきである、などと述べている。

その興亡

紀元前3世紀頃第3代王アショーカ(梵: अशोकः、IAST:Aśokaḥ、巴: Asoka、訳:無憂〈むう〉,在位紀元前268年頃~紀元前232年頃)の時代が全盛期で、王の保護によって仏教が栄えた。

  • デカン南部のカリンガ国を征服した時に多くの犠牲者を出したことを悔い、仏教に帰依したという。
  • 紀元前258年ダルマ仏法)に従った政治を行うことを宣言し、各地に石柱碑と磨崖碑をつくって民衆を教化した。また仏典結集やスリランカへの仏教布教を行った。

その死後衰退し紀元前180年に滅亡。衰退理由としては以下が挙げられる。

  • アショーカ王に続く世襲の王たちに人物がいなかった。
  • 官僚機構や軍隊が強大になり過ぎて財政が破綻した。
  • 地方勢力の離反が相次いだ。

その後インドは紀元前2世紀~紀元後5世紀頃に長い分裂期へと突入。

インダス川流域からガンジス川流域、さらにデカン地方もふくめたインドの統一王朝が再び現れるのはグプタ朝Gupta Empire, 320年年~550年頃, 首都パータリプトラ, 最盛期4世紀)を待たなければならない。

f:id:ochimusha01:20200717134024p:plain

そして…

f:id:ochimusha01:20200717135129p:plain

クシャーナ朝英: Kushan, 漢: 貴霜, 1世紀頃~375年

中央アジアから北インドにかけて1世紀から3世紀頃に栄えたイラン系王朝。次第にインド化した。日本語表記は一定せず、クシャナクシャーン朝クシャン朝クシャン帝国とも呼ばれる。

中央アジアの大月氏国の支配を脱した同じイラン系民族のクシャーナ族が、西北インドに侵入してつくった国家であり、中国の史書漢書)には貴霜として現れる。

<世界各国史(新版)『南アジア史』2004 山川出版社 p.86 などによる>

月氏ははじめ中国のすぐ西にいたが、紀元前2世紀後半匈奴に敗れて西方のバクトリア現在のアフガニスタン)に大移動し、月氏を建てた。漢の武帝が同盟しようとして張騫を派遣したあの月氏である。月氏は国土を有力な5諸侯に分けて統治させていたが、この5諸侯については、月氏の一族と見る説と、土着のイラン系有力者と見る説とがある。

  • そのうちの一つであるクシャーナ族の首長クジューラ=カドフィセス1世紀中旬に、他の4諸侯を制圧して王を名乗り、西方のパルティアと戦った。

    f:id:ochimusha01:20200717141958p:plain

  • 第3代王カニシカその即位年について78年, 128年, 144年の三説がある。退位は160年か170年頃)は仏教に帰依し、マウリヤ朝アショーカ王に続く仏教の保護者となった。マトゥラー近郊の遺跡からカニシカ王の像と言われるものが出土しており、頭部を欠いているものの、中央アジア風の外套を身につけてベルトをしめ、フェルトの長靴を履いた「遊牧民らしい出で立ち」でありクシャーナ朝が本来遊牧国家であったことをよく示している。

    f:id:ochimusha01:20200717142618p:plain

    f:id:ochimusha01:20200717142651p:plain

  • 王都はガンダーラ地方の中心地のプルシャプラ現在のペシャワール)に置かれたが、この地でギリシア・ローマ起源のヘレニズム、ペルシアのイラン文化、中国と中央アジアの文化が融合しガンダーラ美術が開花した。やがてその支配が北インドガンジス川流域に及んだので、今日のデリーの近くのマトゥラーを副都とした。この地には紀元1世紀よりジャイナ教徒がいた事が考古学調査から明らかであり、また古来より仏教徒が多く住み寺院も建設されてきたのでガンダーラとは異なる独自解釈の仏像様式が発展し8世紀頃よりヒンドゥー教勢力がこれを継承。

またこの時代に、仏教の革新運動としてナーガールジュナが登場し、大乗仏教が成立した。

その衰退

3世紀に西方イラン高原に起こったササン朝ペルシアに圧迫され衰退。同じ頃にローマ帝国も「(ササン朝ペルシアの圧迫も含む)3世紀の危機」といわれる衰退期に入っており、ローマとの交易も衰えたことが滅亡の要因の一つとなった。

実は紀元前4世紀よりアレキサンダー大王の東征(紀元前334年~紀元前323年) によってオリエント世界全域を巻き込む形で始まった4世紀的調和主義に辿り着く為の「1周目」「2周目」とか、そういう考え方も出来るのかもしれません。

それにつけても、この人…

アレクサンドロスの征服によって生じた文化伝播シンクレティズム(syncretism, 相異なる信仰や一見相矛盾する信仰を結合・混合すること)はギリシア式仏教などに見られる。その一方で自分の名前にちなんで20あまりの都市を建設し、中でもエジプトのアレクサンドリアは最も有名である。

アレクサンドロスによるギリシア植民地の支配とそれによるギリシア文化の東方への伝達は古代ギリシア古代オリエントの文明を融合させ、ヘレニズムと呼ばれる新たな文明の出現をもたらした。この側面は15世紀中盤東ローマ帝国の文化や1920年までギリシア語話者がアナトリア半島中部から遥か東(ポントス人)にまでいたことにも現れている。

アレクサンドロスは古典的な英雄であるアキレウスのように伝説として語り継がれ、ギリシャと非ギリシャ双方の文化における歴史や神話に顕著に登場する。歴史上の軍事指揮官は頻繁にアレクサンドロスと比較され、その業績は今も世界中の軍学校で教えられる。歴史上もっとも影響力のあった人物としてしばしば挙げられる。

完全に発言がこのクラスに入ってるのがたまりません。

f:id:ochimusha01:20200717145633p:plain

f:id:ochimusha01:20200717145429p:plain

f:id:ochimusha01:20200717145553p:plain

 そんな感じで以下続報…