コンスタンティノープル陥落(1453年)によって東ローマ帝国が滅んだ際、ローディの和(伊Pace di Lodi、1454年)を締結したルネサンス期イタリア五大国の内訳…
ローディの和―中世イタリアに40年和平をもたらした5ヵ国同盟
ミラノ公国(伊Ducato di Milano, 羅Ducatus Mediolani、1395年〜1535年) - Wikipedia
アルプス越えの大通商路の合流点に位置しイタリアにおける手工業、工業(繊維、冶金)と農業(干拓技術、運河、灌漑)の重要な中心として栄えてきた。
- 1311年には既にシニョリーア制(僭主=実質的な支配者)に基づいてヴィスコンティ家が君臨する様になっていたが、ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1378年〜1402年)が一族の広大な領地(ロンバルディア、ピエモンテとヴェネトの一部、エミリアとイタリア中部のいくつかの都市など)を統合した1395年、神聖ローマ皇帝ヴェンツェルからミラノ公の称号を授かる展開を迎えたのである。しかし代替わり以降は領地の維持が不可能となり公国の解体が始まって果てしなく戦争の種を撒き散らし続ける。
- こうした状況を15世紀から16世紀にかけて巻き返したのが「イタリア傭兵隊長(単数形コンドッティエーレ(condottiere)、複数形コンドッティエーリ(condottieri))」上がりのスフォルツァ家(Sforza)であり、ローディの和(1454年)調印によって初めてミラノ簒奪の罪を許されミラノ君主として認められた。彼らもまた宮廷に学者や芸術家を集め、学芸を保護し、ルネサンスのパトロンとして後世に名を残している。
スフォルツァ家 - Wikipedia
1494年以降フランスとスペインがイタリア半島を巡って相争うイタリア戦争に巻き込まれ、その戦場となり荒廃。1535年スペインによって征服され、独立を失った。