「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】ニューロマ(The New Romantic movement )とパンク(The Punk movement )①ヒッピー文化の終焉と重なる胎動期

これまで、以下の様な分類をあまり意識してこなかったのですが…

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 ガレージロック (Garage Rock)

1960年代半ば以降に台頭したロックの1ジャンル。後にガレージパンクとも呼ばれた。1970年代前半に一時忘れられたが、パンク・ニューウェイブ隆盛の1977年以降に再評価された。

 

  • 1960年代アメリカ合衆国を発祥としている。シーズシャドウズ・オブ・ナイトスタンデルズカウント・ファイブシンジケート・オブ・サウンドディック・デイルキングスメンなどが代表的ミュージシャンとして知られている。
  • 1964年以降のビートルズローリング・ストーンズザ・フーキンクスなどのイギリス出身バンドによる「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の強い影響も受け、初期のロックンロールへの回帰の要素が強い草の根的ムーヴメントとして発展した。

  • レニー・ケイが編集したアルバム『Nuggets』に収録されたバンド群が、特によく知られている。同アルバムには1965年~1968年のガレージ・バンドが多数収録され、1972年に発表された。レニー・ケイは数年後に、ニューヨーク ・パンクのパティ・スミス・グループに参加した。

  • 60年代ガレージロックの範疇に括られるバンドは多い。彼らのサウンドは、ロックンロールのスタイルに則ったシンプルなコード進行の曲が多く、ロックの初期衝動がストレートに現れている。一方で忘れてはならないのが、60年代当時流行し始めたLSD等の幻覚剤が音楽にもたらした効果である。ドラッグによるトリップ効果を表現しようという意図は、幻想的な曲作りや、ファズを多用した歪んだギターや、シタール等のインド民族楽器の使用に繋がる。そのため、サイケデリック・ロックの萌芽を感じさせるバンドも存在した。

  • ロンドン・パンクが1970年代後半に流行した。産業ロックなどの商業主義的に肥大化したロックに反抗した当時のパンク・ムーヴメントの中で、ロックの初期衝動に忠実ともいえる性急さを特徴とした60年代以前ガレージ・ロックの再評価がなされた。

  • 1980年代以降のバンドは、やはりロックの初期衝動をストレートに表現している。尊敬するバンド、影響を受けたバンドとして60年代ガレージ・ロックロックンロール・バンドを挙げるバンドが多い。しかし、新しい世代のバンドは、サイケ衝動とは縁遠く、若者の等身大の日常や世界観を持ったバンドが多いことが特徴である。オルタナティヴ・ロックのバンドが多く、ストパンの影響も大きい。リフ主体のギターサウンドが共通点である(ヘヴィメタルのように深く歪ませたディストーションではなく、クランチ気味の乾いた音色が主体)。

きらびやかな音響処理やSEを多用した80年代風の産業ロック的音作りや、スタジオでの多重録音による音像とは距離を置いた、シンプルな音を持ったバンドが多い。それが録音環境の良くないインディー・ロックアンダーグラウンドのバンドとなり、オルタナティヴ・ロック/ストパンの色彩を強めている。 

正直、そのロンドン・パンク80年代風産業ロックとの対峙関係を強調する姿勢が気に入らなかったのです。どうやら当時から私はその全体像を無限遠(Infinity)からの逆算、すなわちロジスティック方程式Logistic Equation)辺りで把握したがっていた様で、盲目的に「メジャー志向」と「マイナー志向」を峻別するその姿勢が無限遠(Infinity)設定に悪影響を及ぼしている様にしか思えなかったのです。
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ここで肝心なのは数理上の細部というより「何処に無限遠(Infinity)の基準を置くか」によってあらゆる計算結果への意味付けが変わってきてしまう全体構造。如何なる適切な計算結果も最終的に「現実への射影(Projection to reality)」に失敗するなら全て台無しになってしまうのです。

例えば、私の辿った音楽遍歴の少なくとも一部は、どんどん遡っていくとテキサスのバンドであるゼーガーとエバンズ(Zager and Evans)のSpanish調弾き語り曲西暦2525年(In The Year 2525, 1969年)」辺りへと辿り着いたりします。この系譜の出発点は要するに(寓話性の強いカート・ヴォネガット.Jr.(Kurt Vonnegut.Jr.、1922年~2007年)の諸作品やリチャード・バックかもめのジョナサン(Jonathan Livingston Seagull,  1970年)」へも投影された新左翼運動/ヒッピー運動の挫折感。そこで意識された無限遠(Infinity)は「遠い未来における人間性/人間中心主義(Humanity)の消失」といった内容だったのです。


1968年アメリカ・テキサス州のローカルレーベルであるTruth Recordsから発売され地元のラジオ局で流したところヒット、翌1969年にメジャーレーベル(RCAレコード)から発売された。

Billboard Hot 100同年7月12日から6週連続1位を記録すると、イギリスのシングルチャートでも8月〜9月に3週連続で1位を記録する大ヒットとなった。その累計売上は500万枚とも全世界2000万枚以上ともいわれる。日本でも1969年8月10日に発売されたが、9月8日オリコンチャートから11週連続の10位圏内ランク10月13日より2週連続で最高位の3位を記録)となり、40万枚近いセールスを記録している。

この曲は遡る事5年前の1964年リック・エバンズ (Rick Evans) が30分程で作ったといい、歌詞の内容も当時の社会背景から行き過ぎた環境破壊や人類の驕り、人類の危機に対する警鐘と人類滅亡の危機を歌ったものだという。環境問題を捉えた歌としてまた時代の先を読んだ歌として、現在でも評価が高い。

ゼーガーとエバンズはその後のヒット曲には恵まれず、1971年に解散している。

ここでは「Spanish調弾き語り曲」としましたが、当時流行したグループサウンズっぽいガレージロックの中には、実際この辺りの曲とリッキー・マーティンリヴィン・ラ・ヴィダ・ロカLivin' la Vida Loca, 1999年)」の中間を埋める感じのグループも存在します。メジャー志向/マイナー志向で分類する無意味さ…

一方、それまで中核派学生運動家として活動してきた坂本龍一が「楽家」への転身を果たしたFirst Album千のナイフ(1978年)」の冒頭では1965年毛沢東が井岡山を訪問した際に詠んだ詩が英訳され、ボコーダーに掛けられてプロパガンダ演説風に流されています。そう、おそらく彼が意識した無限遠(Infinity)は「政治的には挫折した理想像への(音楽・ファッション分野における代償的)到達」だったのです。ちなみにこの「千のナイフ」時点から既にファッション担当は高橋幸宏でした。

  • 比較対象として新左翼運動/ヒッピー運動は次第に煮詰まっていく過程で、自らも「オルタモントの悲劇(1969年)」の当事者となったローリング・ストーンズ黒くぬれ! (Paint It, Black, 1966年)を挙げる。ここ歌われている内容は「凶暴な衝動に屈して、世界を容赦無く(異論を認めない苛烈な)単一の価値観で塗り潰したくなる急進主義」みたいな感じで無限遠(Infinity)の1種として「黒一色の世界」が想定されている。ちなみにストーンズ自身も、当時の流行に阿る形で発表されたこの曲の内容の危うさをちゃんと理解した上で扱いに注意していた模様。

    オルタモントの悲劇(1969年)

    作詞作曲はミック・ジャガー/キース・リチャーズローリング・ストーンズが本格的にシタールを取り入れた最初の事例として知られる。シタールを弾いているのはブライアン・ジョーンズで、『エドサリヴァン・ショー』に出演した際にも、彼は座ってシタールを弾いていた。キース・リチャーズは「17世紀のファンキーなソナタとしては素晴らしい」と語っている。

    シングルは、イギリスの全英シングルチャートアメリカのBillboard Hot 100の両方でシングルチャートの1位を記録し、イギリスでは6作目アメリカでは3作目のヒット作となった。「ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500」において、174位にランクイン。

    ライブでは長年演奏されてこなかったが、1989年のスティール・ホィールズ・ツアー頃から演奏されるようになり、その時のライヴ音源がライヴ・アルバム『フラッシュポイント』にも収録されている。

    映画『フルメタル・ジャケット』や『ディアボロス/悪魔の扉』のエンドクレジットで使用されたほか、テレビドラマ『Tour of Duty』のオープニング・テーマに使用された。またテレビドラマ『エストワールド』の複数のエピソードにてオーケストラアレンジされたものが使用され、2015年に公開された映画『ラスト・ウィッチ・ハンター』ではシアラによるカバー音源が使用された。 

    ところで椎名橙それでも世界は美しいStill world is beautiful, 2009年~2020年)」に世界を救済する事も破滅させる事も出来る能力を秘めたヒロインの力が強姦未遂事件を契機に暴走を始めて世界が滅びかける場面があった(ちなみに犯人は両手両足を潰され、失明。シャーロット・ブロンテジェーン・エア(Jane Eyre, 1847年)」みたいな「片目復活」イベントもなかった)。

    最近は「ソウルジェムが濁り切ると魔女に可逆的に変貌する魔法少女」とか「内なる魔力の暴走を押さえ切れなくなると周囲を巻き込んで爆発するオブスキュラス」みたいな「中から外へ」影響が及ぶタイプが共感を集めているが、上の事件でも背後を暗躍していた黒幕が珍しく「黒く塗れ」タイプだった。19世紀ロマン文学における英雄タイプが20世紀に入るとまとめてUniversal Classic Monsters堕ちを経験した様に、現代人の感覚ではこのタイプはもう原則として「単なる悪人」としか映らないのかもしれない。

 「欧州へのYMOの紹介者ティーヴ・ストレンジSteve Strange, 1959年~2015年)の「ヴィサージVisage, 1983年)」に収録された未公開デモ曲「In The Year 2525」は、どうやら「千のナイフ」と同時期、その影響を受けてのレコーディングだったらしく、数多くの共通点を見出す事が出来ます。

もちろんスティーヴ・ストレンジには政治的背景などなく、当事者意識としてはそれまで熱狂的に傾倒していたデヴィッド・ボウイが(活動からより高収益が見込める)ドイツに去った寂寥感、あるいはナイトクラブ経営者として次のトレンド探し活動の一環という感じだったのでしょう。そう彼が意識した無限遠(Infinity)は「絶えず動き続け、絶え間なく追跡して把握し続けならないトレンド変遷」そのものだったのです。エンターティナーとして生き延び続ける為に欠かせない素質…

  • ちなみにYMOVisergeも米国黒人も、結成の契機となったのはMilaclesに続いてSickが登場し、米国音楽には逆立ちしても絶対追いつけない差を付けられてしまった事を思い知らされたドイツの黒人バンドボニーM(Boney M)が、戦略変更を迫られてある種の「実録破天荒英雄列伝」をヒットさせてからだった。彼らもまた「絶えず動き続け、絶え間なく追跡して把握し続けならないトレンド変遷」を無限遠(Infinity)として追い続けるタイプではあったが、一流と正面勝負して勝てる実力もなかったので(漫画家柳沢きみおが生き残りを賭してラブコメ路線を開拓した様に)変化球で攻めるしか手がなかったとも。

  • 先行する動きとしてジョン・トラボルタ主演映画「Saturday Night Fever(1977年)」が牽引した国際的ディスコ・ブーム、フランスの匿名バンドHot Bloodによる「Soul Dracula(1977年)」が仕掛けた怪奇ディスコ・ブームを挙げる向きもある。とにかく1970年代後半に入って「音楽消費の新市場としてのディスコ」なる新ジャンルが立ち上がったのは確か。ただしYMOVisageもこの流れそのものを意識して動いた訳ではない。

    実は「実録破天荒英雄列伝」シリーズ第一弾は禁酒法時代に太くて短い壮絶な生涯を送り悲壮な最後を遂げた米国ギャング一家に取材した「Ma Baker (1977年)」だったが、爆発的ヒットにまで至らなかった。

    ロジャー・コーマン監督映画「血まみれギャングママBloody Mama, 1970年)」辺りの影響だったのだろうか。同じB級戦略として有効かもしれないと踏んだのか。詳細は知られてない。

    いずれにせよ心機一転してウクライナ民族音楽の要素を取り入れ、ダンサブルながら思いっ切りエスニックな感じに仕上げたのが「実録破天荒英雄列伝」シリーズ第二弾「怪僧ラスプーチン(Rasputin, 1978年)」が国際的に大ヒット。VisageMoon Over Moscow(1980年)」は明らかにこのブームの影響を受けており、さらに「踊らせようとした客」も遥か上層を見据えていた。

    それではコーダに文革期中国における事実上の国歌だった「東方紅」が参照されている「千のナイフ(1978年)」に収録されたThe End Of Asiaはどうだったのか。歴史のこの時点では全く注目される事なく、いずれにせよ音楽的成功には結びついていない。

    ところで「実録破天荒英雄列伝」シリーズの一作らしくラスプーチンは破天荒な太くて短い障害の末に壮絶な最後を迎える。しかし便乗して国際進出を果たした後追いバンドのジンギスカンの曲にそうした英雄叙事詩的要素は皆無で、あまり売り上げと関係ない事が明らかとなりボニーBの「実録破天荒英雄列伝」シリーズもそれきり頓挫してしまう。当初有望視されていた無限遠(Infininity)の一つがこうして足跡を断つ訳だが、おそらく前後して坂本龍一も「千のナイフ」路線、Steave Strangeも「In The Year 2525」路線に見切りを付けている。

そんな感じで以下続報…