「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【旧版諸概念情報倉】オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)について。

ある意味、私にとってのアルファにしてオメガ。

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ΑΩ(アルファオメガ) - Wikipedia

新約聖書に現れる語句。厳密に言えば聖書にこの形では現れていないが、しばしば「ΑΩ」もしくは、「アルファとオメガ」に相当する各国語(たとえば、ラテン語: Alpha et Omega、英語: Alpha and Omega)として言及される。

新約聖書ヨハネの黙示録1章8節、21章6節、22章13節)」に、主の言葉「私はアルファであり、オメガであるコイネーギリシャ語: τὸ α καὶ τὸ ω; 英語: I am the Alpha and the Omega)」として現れる。なお21:6と22:13ではこのフレーズの後に「最初であり、最後である」と続く。

意味ギリシャ文字の最初の文字Α(アルファ)と、最後の文字Ω(オメガ)が並べられており、最初と最後、すなわち、「全て」「永遠」という意味を持つ。

同じ意味で、「A to Z」「A-Z」「AZ」などと、表記されることがある。

統計言語Rによる描画例

#オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)
theta <- seq(pi, -pi, length=360)
plot(cos(theta), sin(theta), type="l",col=rgb(0,1,0), main="Euler's primitive sweep", xlab="Real Expanse", ylab="Imaginary Expanse")
text(0, 0, "0",col=rgb(0,0,0))
text(1, 0, "1",col=rgb(0,0,1))
text(-1, 0, "-1",col=rgb(1,0,0))
text(0, 1, "π",col=rgb(0,1,0))
text(0, -1, "π",col=rgb(0,1,0))
segments(0,0,1,0,col=rgb(0,0,1))
segments(0,0,-1,0,col=rgb(1,0,0))

オイラーの原始量Euler's primitive sweep観測原点をすっぽり包む全球型スクリーン)」なる概念について、これまで様々なバリエーションを検討してきましたが、ずっと中枢にあったのは以下のイメージです。

①まず任意の観測原点「」を想定する。

  • 幾何学上の1角形(頂点や辺や面の概念が全て1点上に集約)に対応させる向きも。「観測」自体は繰り返されているのかもしれないが、有意の結果を得てそれに立脚した時空間認識を構築するまでには至ってない段階。

②何らかの有意な観測結果が得られると「観測原点たる自分」「/−1観測対象との距離」「π直線的に観測対称に至る以外のもう一つの経路」が揃い、これに立脚した時空間認識の構築が始まる。

  • 最も未分化の状態において、それは世界そのもの、すなわち何らかの形で「観測原点をすっぽり包む全球型スクリーン」に類似した構造を有する事になるものと想定される。要するにそれが私のいうところの「オイラーの原始量Euler's primitive sweep)」。有限の観測結果と限られた思考能力や記憶能力に立脚して構築された「想像上にのみ存在するImaginal)」仮想空間(Virtual World)に過ぎない一方で、我々が生きている現実そのものでもある「1にして全、全にして1」なる何か…

  • その発祥は、おそらくカンブリア爆発期(Cambrian Explosion、葯5億4200万年前〜5億3000万年前)に「眼と視覚情報を処理する脊髄」を獲得した左右相称動物Bilateria)が進化速度で(これを備えない放射相称動物Radiata)を圧倒し始めた以前の時代まで遡れない。逆を言えば、歴代の数学者や物理学者が得てきた科学的直感もその多くがこれより与えられてきたと考える。

③かかる時空間認識が何らかの形での「(自らの生活維持手段と深く結びついた有意味な観測結果」に立脚するものである以上、その決定的喪失は当事者の死滅、あるいはかかる時空間認識概念そのものの放棄に結びつく。

  • カンブリア爆発期に誕生した「地球最初の百獣の王アノマロカリスAnomalocaris、約5億2,500万〜約5億0,500万年前)は、その一方で自らの系統を一切残す事なく死滅した。一説によれば、この捕食性動物はいち早く「眼と視覚情報を処理する脊髄」を活用し(当時の生物としては破格の大きさまで成長する)奇跡的成長を遂げたが、その結果として「(棘や殻や毒で自衛した食えない連中」ばかりが淘汰によって生き延びて飢える様になり、同様の路線を発展的に継承した魚類によって駆逐され尽くしたのだという。こうした「地上に初めて現れ、かつ良い意味でも悪い意味でも与えられた前提条件から引き出し得るポテンシャルの全てを引き出し切った」全体像を俯瞰して「あらゆるビジネスモデルの先例」と指摘する向きも。
    *要するに「オイラーの原始量」概念は「究極の自由主義専制の徹底によってしか達成出来ない」ジレンマの大源流でもある。

こうして全体像が俯瞰される歴史を背景として現代人類の生活は成立してる訳です。

  • 物理的出発点はあくまで「観測原点たる自分」「/−1手の届く範囲」「πその手を伸ばして回転させた時に辿る軌跡」であり、それらを駆使した生活経験の延長線上に天体観測や測量の技術、ひいては三角関数微積分の世界が開けるのである。

    要するにオイラーの原始量自体は極座標Polar coordinates system)といえよう。さらには感覚器からの情報も多くが対数尺度に従うが、何故か人類は古くから片対数尺を用いて自らを欺き「想像上にのみ存在するImaginalデカルト直交座標系Rectangular coordinate system/Orthogonal coordinate system)空間を生きていると信じ込もうとしてきた。

  • もしかしたら背景に(カンブリア爆発期以来黙々と進化を遂げてきた目と視覚情報を処理する脊髄」からの無意識下での要請あたりでも潜んでいたのかもしれない。何れにせよ近世以降は極座標Polar coordinates system)と直交座標系Rectangular coordinate system/Orthogonal coordinate system)の統合が進む。

ところでオイラーの原始量についての最後の疑問。

  • 後世の数学者達や精神物理学者達や哲学者達は、先験的直感を通じてこれを観察しながら、それにより厳密な定義を与えていき、これが世界地図や天体図の完成などに役立った。

  • コンピューターの時代にはFPSFirst-Person Shooter、ここでいう観測原点「0」の視界(Perspective))やTPS(Third-Person Shooter、ここでいう「−1」の視界(Perspective))といったポリゴンゲームが流行してGPUを世界商品化(過当競争が一部富裕層向けの贅沢品などを過当競争によってコモディティ化する流れ。具体例としては砂糖、衣類、紙、コンピューターなどが挙がる)。その影響で2010年代には(そうした後押しを当てに出来ず開発速度が停滞している量子コンピューターを差し置いて)莫大な計算力を必要とするディープラーニング技術の発展が後押しされる結果となった。

本当に地球上の生物の進化の主体は地球上の生物自身なの? もしかしたら真の主体は全てを背後から示唆してきた集団的無意識としてのオイラーの原始量概念そのものだったりして…