「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【1970年代】映画界の生き残りを賭した「生存戦略」(1970年代前半)

以下エロ注意…

ある意味全ての始まりは60年代後半から顕著になったTV普及に伴う映画産業衰退(国際)と少年向け月刊紙から少年向け週間漫画誌への推移(国内)だったともいえましょう。

それまで映画館には幅広い層が来ていましたが、1960年代後半から1970年代初頭にかけては20歳前後の若者が主体となったのです。当時の若者の多くは、学生運動が盛んになる中で、従来にはない激しさと新しさを映画に求めました。その結果、イタリア発のマカロニウエスタンアメリカ発のニューシネマ、日本の映画と、従来の価値観に「NO」を叩き付けるような反抗的な「不健全さ」が受けたのです。東映はこうした時流に乗り、任俠映画とピンクバイオレンス映画で隆盛を迎える形に。
日活ニュー・アクションと日活ロマンポルノの連続性

①まさにこの時代に「B級映画の帝王」ロジャー・コーマンが監督を引退してプロデュース業に徹する様になり、いわゆる女囚物の嚆矢「残酷女刑務所(The Big Doll House;1971年)」「女体拷問鬼看守パム(Women in Cages,1971年)」「残虐全裸女収容所(The Big Bird Cage;1972年)」を制作して1970年代ウーマンリブ運動を代表する「壮絶な性虐待を受けた末に反撃に転じる復讐型ヒロイン」パム・グリアーを世に放ち、これに呼応する形で日本にも「ピンク・バイオレンス映画の女王」梶井芽衣子が誕生したのでした。

②それまで古典的ホラー映画カラー化で実績を挙げてきた英国ハマー・フィルム・プロダクションもまた生き残りを賭して「(TVが放映出来ない最後の聖域)エロ&バイオレンス」路線へと舵を切離ましたが、古い時代の遺風を引き摺り過ぎて価値観アップデートに失敗。

③伝説のカルト長編アニメーション「悲しみのベドランナ(1973年)」が制作されたのもこの時期でした。

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そんな感じで以下続報…