「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【数学ロマン】オイラーのφ関数1/2/3/5/7…と公式e^iθ=cos(θ)+sin(θ)iと多面体定理V−E+F=2の統合

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別に数学書学者としての私は「数学Girl」の様な「チュートリアルとして整備された」数学へのアプローチ自体を否定する訳ではありません。ただ数学書学者としての私は数理の効率的習得自体より「浅瀬でパシャパシャ遊んでただけの筈だったのに、突如未知の怪物に襲われる」シチュエーションそのものに鍛えられたいと考えているだけなのです。年を取れば取るほど、そういう機会がどんどん減っていくものですから…

親族の基本構造 - 内田樹の研究室

多くの人は単一の無矛盾的な行動規範を与えれば子どもはすくすくと成長すると考えているけれど、これはまったく愚かな考えであって、これこそ子どもを成熟させないための最も効率的な方法なのである。

成熟というのは簡単に言えば「自分がその問題の解き方を習っていない問題を解く能力」を身に付けることである。

成人の条件というのは「どうふるまってよいかわからないときに、どうふるまうかを知っている」ということである。

 まぁまさにこれを習得する手段として数学独習は向いているという話なんですね。

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【「諸概念の迷宮」用語集】中国神仙思想の起源と、その「欧米への伝播」

出発点は老荘思想における「神仙境」のイメージの起源。

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  • 前漢紀元前206年〜紀元後8年)の始元6年紀元前81年)に当時の朝廷で繰り広げられた「塩鉄会議塩や鉄の専売制などを巡る討論会)」を後日、桓寛が60篇の書物にまとめた「塩鉄論」においては中央政権側の立場を代弁する黄老思想家や法家と地方豪族の立場を代弁する儒家が対等に争っている。

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  • 後漢25年〜220年)は逆に儒教地方分権の正当化に利用する在地豪族達の全盛期となったが、黄巾の乱184年〜192年)や北方遊牧民の影響力増大といった国家レベルの危機に対応出来ず、かえって治安悪化に備えるべく各地豪族が軍閥化して群雄割拠の時代が始まる事になった。

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  • その一方で知識人を含む多くの民が難を避けて荊州揚州益州交州といった江南四川の辺境地域に移住。これらの地域の文化水準の向上と開発を促して南北朝時代439年〜589年)が準備される展開となる。

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【「諸概念の迷宮」用語集】日本史における「青銅器時代の金属材料調達問題」について。

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実は日本の青銅時代(すなわち銅鏡, 銅鐸, 銅矛, 銅戈, 銅剣, 銅釧(どうくしろ)などが祭祀の道具や在地有力者の威信材として有用活用されていた紀元前1世紀~紀元後2世紀)の研究も同じ問題を抱えており、とりあえず最初期には青銅のインゴットそのものを輸入していたものの、銅の国産化が進むにつれ(これから青銅を生み出すのに欠かせない)錫をどうやって調達していたのかについて定説がないのです。

2018.06.27 松帆銅鐸の原料産地が判明 

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【「諸概念の迷宮」用語集】オリエント史における「青銅器時代の金属材料調達問題」について。

無論今日なお「紀元前1200年のカタストロフ」が実際にどうして起こったかまでは不明のままですが、どうしてそういう展開になったか推測する材料自体は充実しつつある気がしています。

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【欧州歴史区分】欧州中世における「ロマネスク時代(10世紀~12世紀)」について。

欧州において「ノルマン的なるもの」が単なるヴァイキング行為(北欧諸族による略奪遠征)の主体でなく欧州文明の基底を為した何かとしてノスタルジックに振り返られる場合、それは概ねロマネスク(Romanesque)時代(10世紀〜12世紀)にノルマン貴族を中心とする(西ゴート王国末裔たる)アストゥリアス貴族や(ランゴバルト王国末裔たる)ロンバルディア貴族や(ブルグント王国末裔たる)ブルゴーニュ貴族の部族的紐帯が残した(エルサレム、ローマ、イベリア半島サンティアゴ・デ・コンポステーラ)礼文や(民間のアニミズム信仰を積極的に取り入れた)クリューニュー修道会運動や(日本でいうと修験道に近い僻地での修行に執着する)シトー修道会運動といった文化遺産を指します。

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カール大帝ザクセン戦争(772年〜804年)を契機に北欧諸族の文明化が始まったが、それはハスカール(従士)によって組織されたヴァイキング(北欧諸族による略奪遠征)の始まりでもあった。

とはいえ彼らの部族社会は文明化の過程で崩壊し、名家として残る事なく圧倒的多数を占める領民にただ飲み込まれてしまう。

それは(エルサレム、ローマ、イベリア半島サンティアゴ・デ・コンポステーラを目的地とする)礼文イベリア半島におけるレコンキスタ運動(711年~1492年)が発展し、エルサレム十字軍国家が建設された十字軍運動(11世紀末~13世紀末)が始まった時代でもあったのです。

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