「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】日本史における「青銅器時代の金属材料調達問題」について。

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実は日本の青銅時代(すなわち銅鏡, 銅鐸, 銅矛, 銅戈, 銅剣, 銅釧(どうくしろ)などが祭祀の道具や在地有力者の威信材として有用活用されていた紀元前1世紀~紀元後2世紀)の研究も同じ問題を抱えており、とりあえず最初期には青銅のインゴットそのものを輸入していたものの、銅の国産化が進むにつれ(これから青銅を生み出すのに欠かせない)錫をどうやって調達していたのかについて定説がないのです。

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  • そして大陸における内戦激化の影響で日本列島に本格的に青銅や錫が流入しなくなると出雲地方の首長達が集まって揃って青銅祭器を埋設し「行政専用の居館に移り住んだ在地首長が複数の集落を率いて規格化された四隅突出型墳丘墓を築造し、規格化された土器を用いた祭祀を遂行する」新たな祭祀段階に移行した。

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  • これを吉備の豪族連合が模倣。伊勢半島沿岸部の在地有力者と示し合わせ「日本史初の首都」纏向を建設して(おそらくある種の企画会議を開催して多勢力の要望を反映する形で規格化された前方後円墳の築造と祭祀用土器の統一運動に着手する。こうしてしばしば古墳国家体制と呼ばれる(青銅祭器への精神的依存状態から自ら脱却した)日本統一事業が幕を開け(日本書紀に記された四道将軍の足跡通り、この運動は3世紀から4世紀にかけて北陸、東海、西道、丹波にかけて展開)具体的な共通祭祀の内容については激しい党争を重ねつつ4世紀後半には佐紀楯列古墳群に(他の前方後円墳とはサイズが桁違いのヤマト大王が安定した間隔で築造される様になる。

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  • 興味深い事にかかる金属材料問題は、古墳国家体制終焉にも関わったとされている。今度問題となったのは(次第に治安維持や開墾に不可欠となっていった)。それまで全国の在地有力者に古墳を築造させ続けた権威の源泉は「(様々な形態で大陸と関係を結ぶ畿内豪族らのネットワークが代表として立てた)ヤマト王権が大陸からの輸入する鉄の再分配権独占」であり、主に朝鮮半島洛東江流域に割拠する加羅諸国との関係に支えられてきたもの、新羅台頭と現地併合によって供給を断たれてしまう。代替経路として(元来九州北部の海人族と盛んに通商していた栄山江流域蟾津江流域を押さえる馬韓経由で加耶慶尚北道高霊郡の池山洞古墳群の被葬者に比定。5世紀~6世紀)と交易するルートが一時期活性化したが、こちらも次第に百済侵攻によって遮られていった上、日本国内において近江の鉄鉱山や(彩色古墳を築造した「馬を船に載せ素早く機動する」謎の集団の暗躍もあって)砂鉄より鉄鋼を生産する製法が広まった事から最終的には途絶してしまうのである。

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    そして以降の日本は今度こそ本格的に大陸からの金属材料輸入量に左右されない「仏教鎮護/律令体制国家」時代へと大きく舵を切る。

ところで、こうして日本統一過程にある種のビジョンを与えた出雲地方自身は、(同様に数々の宗教や思想やイデオロギーの母体となりながら、自らは紛争の渦中に留まり続ける中東のカナン地方同様)領内の首長間の衝突が激し過ぎてこうした歴史トレンドにすっかり乗り遅れてしまったのでした。そして今でもカナン地方は…