「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】【段階的発展説】オーギュスト・コントの「段階的発展説」

段階的発展説」そのものにも歴史があります。

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オーギュスト・コントのそれは以下の2つが出発点となっています。

そして…

オーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte,1798年~1857年)」は著書「実証哲学講義(Cours de philosophie positive,1830年~1842年,全六巻)」で、当時の社会状況を説明する際にこの時代大きな発展を遂げていた生物学(生理学)の諸概念を援用。社会動学社会静学という二つの社会学を構想した。ダーウィンの「種の起源(1859年)」自体は発表されていなかったが、ラマルクなどの進化論が知られており、進化についてのアイデアを取り込んでいる。

  • 社会静学有機体としての社会を研究する。
  • 社会動学は「三段階の法則」に従って発展してきた社会発展を研究する。

こうした考えはジョン・スチュアート・ミルを通じてイギリスにも伝えられることとなった。

オーギュスト・コントの「三段階の法則(Loi des trois états)」

人間は精神の変化に従って神学(想像的)-形而上学/哲学(理性的・論理的)-科学(観察、実証的)の三段階を経る。

社会は軍事的(物理防御重視)-法律的(基礎的ルール重視)-産業的の三段階を経る。

オーギュスト・コントは「コンドルセ侯爵の遺言」の段階発展説を形式的に受容しただけで、その精神、すなわち数理的直感に基づく「人間の最大限の解放が人類の最大限の発展につながる」という考え方を受容する事を拒絶。その代わり「(人間を律する至高の倫理規範としての)実証主義哲学」を提唱しましたが、その全体像が姿を表す事はなく、またそれを完成させようとする後継者も現れずに終わります。従って(王制の存続を容認する)サン=シモンと袂を分かってまで樹立した「(他の産業者に超越する形で実証主義哲学を修めた科学者集団が国家を統治する)科学者独裁構想」もまた絵に描いた餅に終わらざるを得ず、後世におけるA・E・ヴァン・ヴォークト非Aの世界(The World of Null A,1948年)」「非Aの傀儡(The Pawns of Null-A/The Player of Null-A, 1956年)」やフランク・ハーバートデューン(Dune)シリーズ(1965年~1985年)」の様な衒学的スペース・オペラ(ワイドスクリーン・バロック)に題材を提供するだけに終わった感が強いという有り様に。

  • ちなみに「非A」のAはアリストテレス哲学の略。(それを超越するという)当時流行していたルフレッド・コージブスキー一般意味論からインスパイアされる形で導入された。カルト主教スレスレだし、実際A・E・ヴァン・ヴォークトには新興宗教団体それに入信していた時期もある。「数理を全否定可能なほど正しい何か」についての追求は、しばしばそういう結末を迎えるものである。

在野の人」ながらその言葉に耳を傾けた人が多かったのは「(不当な理祐による)エコール・ポリテクニーク校中退」という肩書きのせいだったとも。その一方でそのエコール・ポリテクニーク校の教授だったコーシー(Augustin Louis Cauchy, 1789年~1857年)の不遇を受けたエヴァリスト・ガロア(Évariste Galois, 1811年~1832年)やニールス・ヘンリック・アーベル(Niels Henrik Abel,1802年~1829年)は生前認められないまま夭折し、再評価されたのはずっと後世になってからとなったのでした。

オーギュスト・コントの「三段階の法則(Loi des trois états)」

 

 

ある意味、当時のフランス・インテリには「教育の平等(に名を借りた学歴差別)」概念の受容があったばかりで、古典的自由主義の精神そのものは伝播しなかったとも。