数学における多様体(manifold)の概念の大源流にあるのは「(最終的に地球儀全体を構成するに至る)大航海時代の世界地図拡張過程」。
これは同じ事を各時代の歴史哲学者達が提唱してきた「段階的発展説」から再構成してみようという試みとなります。
まず出発点はこれ。
- (ローマ教会を正当化する)教学(~10世紀)
- (ローマ法を研究する)法学(11世紀~14世紀)
- (教学と科学研究の分裂を防ぐ方便としての)新アリストテレス主義(14世紀~16世紀)
- (天文学や大航海時代の航海能力発展に寄与した)科学実証主義(15世紀中旬~17世紀中旬)
- (主権国家の形成と戦争維持に貢献した)経済実証主義(17世紀~18世紀)
ここでいう新アリストテレス主義(Neo Aristotelianism)とは、イタリア・ルネサンス期(14世紀~16世紀)のボローニャ大学やパドヴァ大学の解剖学科や天文学科で流行した「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突する。しかしながらかかる実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトは、長期的には相応の拾捨選択を経た後に伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」なる信念を指します。カナダの歴史家ウィリアム・H・マクニール「ヴェネツィア 東西ヨーロッパのかなめ,1081-1797(Venice: the Hinge of Europe, 1081-1797,1974年) 」で知りました。
一方「ウェストファリア体制=ウェストファリア条約(1648年)締結によって成立した(国体維持に十分なだけの火力と機動力を備えた常備軍と警察を中央集権的官僚制が徴税によって賄う)主権国家体制(Civitas Sui Iuris)間の国際協調体制」なる観点からすれば、科学実証主義(Scientific Positivism)と経済実証主義(Economical Positivism)は共に「主権国家の存続を担保する力(戦闘力と財源)」そして法実証主義(Legal Positivism)とは「主権国家の存続に担保される力(法源)」というイメージ。もちろん「科学はそれ以上の概念」「経済はそれ以上の概念」「法はそれ以上の概念」という反論はあるでしょうが、第一次世界大戦(1914年~1918年)前後に中華統一王朝(紀元前221年~1912年)、帝制ロシア(1721年~1917年)、ハプスブルグ君主国(1526年~1918年)、オスマン帝国(1299年~1922年)といった「国体の由来をそれ以外の形而上学的概念によって説明してきた大国」が倒れることによって現れた「総力戦体制時代」を説明するには、こういった考え方も必要となってくるのです。
そしてここにさらに「1859年革命」なるキーワードが登場します。王党派イデオロギーの寿命が尽きて国家主義イデオロギーへのバトンタッチが行われたタイミングを示すメルクマーク…
「主権国家体制」概念の推移を巡る「段階的発展説」
- ウェストフェリア条約(1648年)成立時点…(宗教戦争の火種になってきた)オランダとスイスを国家として承認し「国際協調体制成立の原点」とされるが、英国は(清教徒革命の最中だった為)参加しておらず「(宗教戦争的にはゲスト参加だったのに最終的には主導権を握った)勝ち組」のフランスは以降も暴れ回り「もう一つの勝ち組」スウェーデンは大北方戦争(1700年~1721年)に敗れその座を帝政ロシアに譲り渡してしまう。
- 英国における王党派イデオロギーの成立と推移…薔薇戦争(Wars of the Roses, 1455年~1485年/1487年)による大貴族連合の自滅とチューダー朝(1485年~1603年)開闢によって成立し清教徒革命(狭義1642年~1649年, 広義1639年~1660年)とウォルポールの平和(1713年~1739年)を経て議院内閣制に移行。
- フランスにおける王党派イデオロギーの成立…公益同盟戦争(The War of the League of the Public Weal,1467年~1477年)とフロンドの乱(Fronde, 1648年~1653年)による大貴族連合の自滅を経て「太陽王」ルイ14世(在位1643年~1715年)の治世に成立。
- 王党派イデオロギーの動揺…リスボン大震災(1755年)を契機に「現実は正解」とする神義論(Theodizee)に対するイデオロギー懐疑からアメリカ独立戦争(1775年~1783年)、フランス革命戦争(1792年〜1802年)、ナポレオン戦争(1803年〜1815年)が連続して勃発。
- 復古王政の時代…ウィーン体制(ウィーン会議(1814~1815年)~1848年革命(1848年~1849年))下、ヘーゲルの時代精神(Zeitgeist)論によって「王党派イデオロギーこそ歴史的最終回答」とするコンセンサスが成立するも1848年革命(1848年~1849年)によってあっけなく吹き飛んでしまう。
- 科学主義イデオロギーの時代…「1859年革命」以降、英米では「科学主義を標榜する中間階層」が産業革命を牽引。フランスでも「馬上のサン=シモン」ナポレオン三世(大統領1848年~1852年,皇帝1852年~1870年)主導下産業革命導入が進み、その手腕がドイツ帝国(1871年~1918年)や大日本帝国(1871年~1945年)に模倣される。要するにそれは同時に国家主義イデオロギーの時代の幕開けでもあった。そして多くの歴史観がその後期を「帝国主義時代」と呼ぶ。
- 総力戦体制(国家主義イデオロギー)時代…世界初の総力戦となった第一次世界大戦(1914年~1918年)前後にそれまで国家主義イデオロギーへの移行も産業革命導入も果たせずいた中華統一王朝(紀元前221年~1912年)、帝制ロシア(1721年~1917年)、ハプスブルグ君主国(1526年~1918年)、オスマン帝国(1299年~1922年)といった大国が相次いで倒れ、欧州の国際的影響力が第一次世界大戦以前の規模まで回復する1970年代まで「国際協調体制=国家主義イデオロギー間の利害衝突の場」なるコンセンサスが支配的となった。英米(およびソ連や中国)と日独伊が総力戦を展開した「第二次世界大戦(1939年~1945年)」や米国とソ連が直接衝突を回避しつつ対峙した「冷戦」などの関係が著名。この間に中華人民共和国とベトナム人民共和国が「サン=シモン系近代国家」として台頭。
- ポスト総力戦体制時代…EUの成立、コングロマリット企業やインターネットの登場などにより国際社会展開が以前の様に国家主義イデオロギーだけでは語れなくなっていく時代。21世紀に入ると社会学も次第にその対象を(物理的に凝集する)群衆だけでなく(インターネットを介して接続する)公衆へと広げて行かざるを得なくなる。
19世紀後半には産業革命進行によって世界中が汽車や蒸気船の交通網で結ばれる様になり「国家の庇護なしには海外旅行が不可能な状況」に変化が訪れます。まずそれ自体が国家主義イデオロギーが全てたり得る時代の「終わりの始まり」だったのです。
「1859年革命」以前の「段階発展説」
アダム・スミス(Adam Smith,1723年~1790年)の「四段階発展説」
- 狩猟採集段階
- 田園遊牧民段階
- 農業封建主義段階
- 製造業段階
産業革命到来を受けて「祖国スコットランドを如何に近代化すべきか」なる観点から逆算した歴史段階発展説。国家主義イデオロギー(日常生活を説明する哲学的根拠の包括的説明)の端緒。
フランス人数学者コンドルセ侯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年~1794年)による科学主義的「三段階発展説」
国籍を問わず科学史全般について考察した科学主義イデオロギーの端緒。
- ある意味19世紀後半から起こった「統計革命(観測対象が天体から人に推移し、分散や相関係数の概念が単なる誤差ではない事が認められていく過程。ラプラスはすでに半分認めていたが、ガウスは生涯そういう考え方を認めなかったとも)」を予見した形となった。
- そればかりか19世紀末におけるフランス社会学やドイツ社会学の成立まで予測した事になるが、それが産業用革命浸透による伝統的地域共同体の崩壊を契機に必要とされる展開を迎える事や、そこで方法論的集団主義と方法論的個人主義を巡る激しい論争が巻き起こる事までは予想してなかったに違いない。
サン=シモン(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon,1760年~1825年)による民族主義的「三段階発展説」
- フランク人によるゴール人の支配。
- ノルマン人によるゴール人の支配(国王自体はフランク人の末裔)。
- ゴール人の独立(フランス国王は有用なら存続)
一応これも産業革命到来を受けてフランスにおける国家主権を(王侯貴族や聖職者といった)不労所得階層から(実際に経済を担う)産業者集団に推移させる事を目論む国家主義イデオロギーの一種。
オーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte,1798年~1857年)の「三段階の法則(Loi des trois états)」
人間の精神の変化
- 神学(想像的)
- 形而上学/哲学(理性的・論理的)
- 科学(観察、実証的)
社会の変化
- 軍事的(物理防御重視)
- 法律的(基礎的ルール重視)
- 産業的(マネジメント重視)
コンドルセの三段階発展説を継承しつつ「産業者間の利害調節の仲裁役として役立つなら王政は残しても良い」とするサン=シモンと袂を分かち「科学者独裁」構想を提唱する事で科学主義イデオロギーと国家主義イデオロギーの統合を試みた。「在野の人」ながらその言葉に耳を傾けた人が多かったのは「(不当な理祐による)エコール・ポリテクニーク校中退」という肩書きのせいだったとも。
ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel,1770年~1831年)の民族主義的「段階発展説」
- 東洋的民族精神
- ギリシア的民族精神
- ローマ的民族精神
- ゲルマン的民族精神
時代精神(Zeitgeist)なる概念を歴史形成過程と結び付け「個々の人間精神を超えた普遍的世界精神が歴史のなかで自己を展開していく各過程でとる形態」とみた世界主義イデオロギー。ライプニッツの神義論(Theodizee)同様、現在の体制(すなわち王政)を至高と看做す。その「ヨーロッパ人以外はまだまだ善導を必要とする低レベルに留まっている」という考え方が植民地政策を肯定する「白人の使命」イデオロギーに転用された。
フリードリッヒ・リスト(Friedrich List, 1789年~1846年)の「五段階発展説」
- 原始的未開状態
- 牧畜状態
- 農業状態
- 農工業状態
- 農工商業状態
同じドイツ歴史学派に属するカール・ビュッヒャーの「三段階発展説」
- 家内経済
- 都市経済
- 国民経済
スコットランド啓蒙主義同様、産業革命到来を受けて「祖国ドイツを如何に近代化すべきか」なる観点から逆算した国家主義イデオロギー。
- ただしドイツの現実は手強くドイツ帝国宰相ビスマルクが「鉄と穀物の同盟」を成立させるまでには相当の骨折りを必要としたのだった。そう英国とドイツとでは「自由主義のあるべき姿」そのものが異なっていたのである。
「歴史の進歩とともに時代精神も進歩する」なるヘーゲルやコントの考え方は次第に色褪せ、歴史的相対主義(historical relativism)へと置き換えられていく。
「1859年革命」以降の「段階発展説」
スコットランド啓蒙主義やドイツ歴史学派の系譜に位置付けられる国家主義イデオロギーだが「英国は世界最先端」と考える立場から、この後起こる英国における資本主義社会の崩壊が世界中でも起こると予見したので世界主義イデオロギーと見做せる。しかしそれは起こらなかったのである。
ハーバード・スペンサー(Herbert Spencer,1820~1903年)の段階的発展説
- 単純(画一的で貧相)
- 複雑(多様で豊か)
19世紀英国における(砂糖や木綿への関税が撤廃され、奴隷制が禁じられていった)自由主義的政策の成功を下敷きにしたホイッグ史観とも取れる世界主義イデオロギー。何の前提もなく「英国の展開=世界の展開」と敷衍してしまう無邪気さは同時代のマルクスに通じる。
また伝播の過程で変質し、適者生存・優勝劣敗という発想から(マルサス「人口論」の弱者必滅論と結び付けられて)強者の論理となり、帝国主義国による侵略や植民地化を正当化する論理になったという指摘も受けている。
ハーバード・スペンサー(Herbert Spencer,1820~1903年)は(砂糖や木綿への関税が撤廃され、奴隷制が禁じられていった)19世紀中頃のイギリスを社会進化の最先端にあると捉え自由主義を礼賛。「社会は矛盾のないシステムであり、競争をとおして発展する」なる楽観主義が後の機能主義的社会進化理論の先駆となった。
一方、カール・マルクス(Karl Marx, 1818年~1883年)は工業化の進む資本主義社会における資本家と労働者の利害対立に焦点を当て「資本家は富を蓄積するが、労働者は貧困化する」という窮乏化仮説を採用したが国家の経済介入や中産階級の形成については予見できなかった。
フェルディナント・ラッサール(Ferdinand Johann Gottlieb Lassalle, 1825年~1864年)による「私的所有」概念の段階的発展説。
- 未開状態(伝統的共同体の営みに全個人が埋め込まれている)
- 古代神殿宗教(神殿の神官団が土地とそこに住む信者を全人格的に代表している)
- 中世封建制(領主が領土と領民を、ギルドが全商権を全人格的に代表している)
- 資本主義社会(互いに個人として地主と小作人、資本家と労働者などが対峙し合う)
法律面からアプローチした国家主義/世界主義イデオロギー。その後ラッサール派はドイツ帝国宰相ビスマルクに接近し国家と労働者を直接結びつけた福祉国家実現を目指す事により(収入制限選挙によって議席を独占する)ブルジョワ階層を挟撃する戦略を採用し社会民主主義実現に向けて着実な一歩を踏み出す。しかしその振る舞いによってインターナショナルから「社会ファシズム」のレッテルを貼られる展開を迎えた。
20世紀以降の「段階発展説」
社会自由主義者が19世紀末から20世紀前半にかけて国際的に展開した段階発展説。
- 古典的自由主義(個人がその可能性を最大限追求出来る様に国家は干渉を最小限に留める)
- 社会進化論(強者がマルサスの弱者必滅論と結びつけた結果、貧富格差が広がり身分固定が起こる)
- 社会自由主義(弱者を保護し強者の利益追及を制限する観点が国家の義務に追加される)。
最も有名なのが(1939年の独ソ不可侵条約締結に失望してアメリカ共産党から脱退した)リチャード・ホフスタッター(Richard Hofstadter,1916年~1970年)が(大不況対策として1930年代に遂行された)ニューディール政策を擁護すべく1940年代に展開した国家主義イデオロギー。以降の時代には劣化して以下の様な世界主義イデオロギーに単純化されてしまう。
T.クーン「パラダイム論」への到達から逆算した段階的発展説
- 近世(17~18世紀)~近代(19世紀~20世紀初頭)において主流だったモナド論的/神義論(Theodizee)的段階(古典的実証主義)
- 第一次世界大戦(1914年~1918年)以降現れた構造論的段階(論理実証主義)
- 1930年代頃から科学史家らが提唱を始めた文脈論的段階(科学の科学)
- 1960年代初頭にT.クーンが提言を開始し、1970年代以降の認知科学の発展によって主流派の座を占める様になった認知論的・解釈学的段階(パラダイム論)
実証主義科学独特の「手続きの厳密性」を厳守した科学主義イデオロギー。
とりあえず今回は事例の列記まで。時代ごとにそれを計る基底が変遷していくのが興味深いのです。そんな感じで以下続報…