「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】【段階的発展説】サン=シモンの「段階的発展説」

段階的発展説」そのものにも歴史があります。

f:id:ochimusha01:20220312070927p:plain

産業者(les Industriels)」理念を提唱したサン=シモン(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon,1760年~1825年)は「産業階級の教理問答(catechisme des Industriels,1823年〜1824年)」の中で独特の民族史観を語っている。

  • フランスの王侯貴族の先祖はノルマン人である。彼らはある日突然フランスにやってきて現地のゴール人を力ずくで支配下に置いた。とはいえ武力に加え優れた文化や技術も持っていたので、征服は必ずしも悪い側面だけではなかった。
  • しかしゴール人は慎重に全てを学びながら次第に農場経営や商業や工業の実務を握る様になっていく。遂には法律の制定や運用、所領の出納管理といった支配体制の根幹まで丸投げする様になり、ノルマン人の末裔達は単なる高級遊民となり果ててしまう。
  • そして今やゴール人の末裔達は遂にフランスの殆どを掌握する事になった。彼らこそまさに未来のフランスを担うべき産業者達(les Industriels)である。今はバラバラに分断されているが、団結さえすればこの国を手に入れられるのである。

その一方でシャルルマーニュ大帝の末裔を自認する元大貴族(すなわちフランク人)だったサン=シモンは王制の存続については比較的寛容で「産業者間の利害対立を巡る紛争の調停役として有用なら残せばいい」なる立場を表明している。

サン・シモンの「三段階発展説

  • フランク人によるゴール人の支配。
  • ノルマン人によるゴール人の支配(国王自体はフランク人の末裔)。
  • ゴール人の独立(フランス国王は有用なら存続)

この「君主の存在を容認する」現実主義的態度が彼の思想を七月王政(1830年~1848年)に容認させ、かつ「馬上のサン=シモン皇帝ナポレオン三世を実践者として獲得させたのです。

またこうした展開の背景にはフランスにおける民族史観教育の充実があったのでした。

またサン=シモンが歴史に名を残した理由は、まさにその歴史的進化主義に賭ける熱意にあったとも。

1816年8月、18歳となったコントは秘書を募集していたサン=シモンの下で助手を務めるようになった。毎月300フランを支給される契約となっていたが、サン=シモンが破産状態で経済難にあることを知るとコントは俸給を辞退して、数学の家庭教師をしながらサン=シモンを支えるようになった。それだけの魅力を知ったためである。

サン=シモンは伯爵位を持つ貴族出身の人物で革命前までは裕福な生活をしていたが、革命の動乱の中で零落しており、コントが出会ったときにはすでに56歳で困窮した老人であった。16歳で軍に入隊してアメリカ独立戦争に参加して名を馳せた人物で、フランス革命期には投機家として活動していたが、投機を危険視するフランス政府によって逮捕され、リュクサンブール宮殿の監獄に投獄されている。知人や友人をギロチン刑に奪われていくなか、ロベスピエールテルミドールの反動で処刑され、釈放された後もナポレオン帝政、王政復古を経験。当然ながら啓蒙思想が説く悪戯な観念に反感を抱いており、老齢に達しながらも情熱に燃えて多くの弟子を抱えて「反革命(合理主義に基づく「秩序と進歩」)」を柱に科学・産業・政治の再編を模索していた人物であった。ナポレオン戦争終結した1815年以降、ジャン=バティスト・セイをはじめとする気鋭の学者達とサロンで交友し「これからは無意味な革命や戦乱の時代ではなく、産業と経済発展の時代である」と説いて回った。その様な人物が愛弟子コントの新しい「」となり、科学的手法による「社会再組織」という考え方を彼にもたらしたのである。

コントが1817年初夏に友人ヴァラに送った手紙。

君は、まだ誤った政治方針を信じているのです。この方針は、僕も君と同じように信じていたもので、それを捨ててから一年にしかなりません。僕の見るところ、君の政治学は、人権の理論、『社会契約論』の思想、前世紀の啓蒙思想家の体系を基礎としているものです。君に言いたいのは、こういう理論、こういう思想、こういう体系は、誤って理解され、今日では虚偽となっているということです。こういう重大な主張を一通の手紙で証明することがほとんど不可能では君にも分かるでしょう。

しかし、せめて、次の事実―今まで、君は気づかなかったでしょうが、これこそ正しい哲学の鍵なのです―に深く注意してもらいたいと思うのです。即ち、すべての人間の知識は、世紀から世紀へ発展していくものであるということ、或る国民の各時代の政治制度や政治思想は、その時代のその国民の知識の状態に相対的たらざるを得ないものであるということです。もし君がこの主張を歴史的知識に照らして真面目に検討してくれたら、それをすぐに受け容れてくれるでしょう。また、もし君が受け容れてくれたら、或る世紀の政治学は、その前の政治学ではあり得ず、従って、18世紀政治学は、まさに18世紀に相応しいものであったため、もはや現代に相応しい政治学ではないという結論が必然的に出てくることが分かるでしょう。要するに、君のすべての一般思想、特にすべての社会思想は、根本的に誤った思想、即ち、絶対者の思想に感染しているのです。この世界に絶対的なものは一つもなく、すべて相対的なのです…

君にお勧めしますが、誤った政治思想の方針を脱却するには、まず、すべての科学のように、政治学においても、すべては観察された事実を基礎とすべきものであると考えることで…一切の曖昧な仮定的な思想を除去できるでしょう。ルソーの「社会契約論」のような本は、あまり読まないようにし、ヒュームの「国史」やロバートソンの「カール5世」のような歴史書をもっと読むことです。それから経済学の勉強、即ち、アダム・スミスセイの経済学の著書の勉強を始めることです。

こうしてスコットランド啓蒙主義が始めた「進歩史観」が、サン=シモン経由でオーギュスト・コントにインストールされる展開を迎えるのです。