ここまで展開してきた「ハードボイルド文学論」が行き詰まってしまいました。
そこで仕切り直し…
個人的メモ。最近日本のいわゆる「ツイフェミ」が繰り返してる「八つ当たり騒動」、要するに2020年代欧米であった「Better Left Unsaid」論争の劣化コピー版な訳ですが基礎教養が欠落し過ぎて原型も留めてないのが無残という…https://t.co/AMyiiA10eX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
今から思えば第四次フェミニズムが無政府主義的方法論を導入した発想の原点もここにあった訳です。要するに「耐えられない現実を突きつける事で現実をOver Driveさせる」するとそこにある種の魔術的リアリズムが顕現する筈だという期待…https://t.co/pG3McwbuJc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
その結果「Better Left Unsaid」論争は、何よりもまず「歪められる現実=顧客の期待までは裏切らないエンターテイメント様式」と置く事で「ヴィドック回想録」「ニューゲート・カレンダー」の様な荒々しい犯罪実録から出発し…https://t.co/NO0sy6Gw7n
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
「ストランド・マガジンでシャーロック・ホームズを読む穏健読者層の確保」が(エラリー・クィーンが完成させた様な)本格推理小説を「パルプマガジンでハメットやガードナーを読む荒々しい読者層の確保」がハードボイルド小説を派生させたとする文学論段階を経て…https://t.co/0YT7qHfOq1
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
さらには「(人が散々痴態を晒した挙句の果てに死ぬ様な作品の表現範囲を)ヘイズコードなどが統制した事によって顧客確保の最大化が果たされた」とする映画論を経て…https://t.co/gHQfdLsvHr
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
顧客からの要請と表現規制の関係が完全に逆転したネットドラマ「ブレイキングバッド」「スパルタカス」の世界に至る(そしてまさにその流れこそが第二世代フェミニズムからの第三世代フェミニズムの派生に対応する)という考え方が現れたという話…https://t.co/VeHTINVH23
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
×2020年代○2010年代。今から思えば最終到達地点を「ネットドラマの偽悪趣味」に設定するなら、出発地点は「(評論家としてのボードレールがサド侯爵とエドガー・アラン・ポーの作品から抽出したフランス象徴主義の大源流)暗黒小説(Roman Noir)」とし…https://t.co/Wo6weTlQGS
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
その極論に抵抗すべく形成された「(ラドクリフ夫人作品などの)勧善懲悪性の強過ぎる大陸型ゴシック・ロマン」への反感から生じた「英国口語文学の祖」ジェーン・オスティン文学の誕生をもこの流れに組み込むべきだったのですね。https://t.co/YkqOJ9ryFM
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
そう、第三世代フェミニストが日本作品に再発見した「雌ライオンの集団狩猟の流儀」の大源流は、ジェーン・オスティン文学にも登場する「姉さんは長女だから家名狙いで。私は次女だから産業振興階層狙いでいきます」的「ジェントリー階層の仁義なき婿取り合戦」…https://t.co/lOT3lW2stg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
ちなみにクリスティ「何故エヴァンスに頼まなかったのか?」の結末「彼氏が庶民だから南アフリカの農園経営で経歴ロンダリング」を知ってると「なぜ江波に頼まなかったのか?」なる設問でリンクする米澤穂信「古典部シリーズ」の「遠まわりする雛」の感動場面が…https://t.co/DN5L0E6OEF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
直木賞受賞作品「黒牢城」における「真の黒幕自らの全解説」場面と重なってくる不思議。この辺りのエグい駆け引きが完全視野外となってしまう辺りが倭フェミニズム未成熟の証という…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月24日
米沢穂信「古典部」シリーズ第四巻「遠回りする雛」より
縁側に腰掛けたまま、千反田は両手を天に広げてみせた。空はもうほとんど夜で、星もいくつか見えている。
「見てください、折木さん。ここがわたしの場所です。どうです、水と土しかありません。人々も段々老い疲れてきています。山々は整然と植林されてますが、商品価値としてはどうでしょう? わたしはここを最高に美しい場所だとは思いません。可能性に満ちてるとも思ってません。でも…」
腕を降ろし、ついでに目も伏せて、千反田はつぶやいた。
「…でも折木さんにどうしても紹介したかったんです…」
この時、俺はかねて抱いてきた疑問について、一つの答えを得た。
俺はこう言おうとしたのだ。「ところで御前があきらめた経営戦略眼についてだが、俺が修めるというのはどうだろう?」
まさかそれまで作中で繰り返し描写されてきた「千反田江留は理系」が、ここでこういう形で伏線に使われるとは。アニメでは自転車を引いて帰る場面に変更されていた。そこで千反田江留が駆使したのは、入須冬実先輩から伝授された「女帝の手管」の完全成功パターン。世界中を「折木、堕ちた」なるコメントが流れた。
作中で入須冬実先輩が千反田江留に伝授する「女帝の手管」
「大事なのは相手が自分から動いてくれる様に仕向ける事だ。その為には相手に精神的満足感を与えなければならない。色々あるんだが、お前にも使えそうな手は期待だろ。相手に自分は期待されてると思わせるんだ。それが出来れば後は実に簡単に尽くしてくれる。ただし問題はあまり大きく見せない事だ。自分には些細な事だが相手にはそこそこ大事な事だくらいがいい。それともう一つ。出来れば人目につかないところで異性に頼むんだ。」
千反田江留は当初これを「相手に期待してるように見せる」「自分の利益を小さく見せる」「人目につかないところで異性に頼む」と単純化した形でしか把握出来ず、一旦実践に失敗している。
「お前が期待を操ろうとすると、どうしても甘えている様に見えてしまうんだ。そして振りも続けると、まず自分自身が真に受けたりする。下手に画策し続けるのだけは止めた方がいい。単刀直入な言い方しか出来ないのはお前の弱点だが、他では得難い武器でもある」
期待については福部里志のこういう台詞もある(だから千反田も「期待」という言葉を「最終局面」では使わない)。
「自分に自信がある時は期待なんて言葉を出しちゃいけない。期待って言葉は諦めから出る言葉なんだよ。そうせざるを得ないどうしようもなさがないと空々しく聞こえてしまう」
第三世代フェミシストの姉様層が小娘にこうしたノウハウをまとめて伝えるうち、それを自ら「雌ライオンの集団狩猟の流儀(Hunting ways of Female Lions)」と総称する様になっていったのもさもありなん。ちなみにここでいう雌ライオン達は単独で獲物を仕留める自信がある時には(獲物を独占する為にも)単独で狩を遂行するが、その時は容赦無く荒っぽい手段を用いる事もある。実際「危機感を抱いた生物は子孫を残そうとする活動を活発化させるんだ」と全体像を客観的に俯瞰するサトシも「バレンタインの惨劇」事件の責任を取らされる形で「お兄ちゃんはしばらく御免なさいしかいえない可哀想な生き物に転落した挙句の果てに「お前にもう一人で過ごせる放課後も週末もない」宣言を下されてしまいました(妹の事後説明)」なる最後を遂げた。
ここでまさかの「オレのいう通り繰り返せ。愛してる」「愛してる」ディスクール…
ちなみに「遠回りする雛」のネタバレはこちら。こちらはあくまで微笑ましいだけですが「黒牢城」の方は物凄く捻ってて「さすが直木賞クオリティ」という感じ。https://t.co/PudnxHUkQL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
あくまで憶測ですが、元来「古典部シリーズ」には「さよなら妖精」に続くハードな展開が用意されていた筈で、そこで扱われていた筈の「人間の心の救済問題」がさらに時間をかけて煮詰められ「黒牢城」における「あの人の心をああいう形で救う」展開に結実したのでは?https://t.co/FMtkyNf613
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
そして…
こういうアプローチをまとめつつある訳ですが、その立場から最近目に余る「似非フェミニストの末期的八つ当たり攻撃」について。https://t.co/PudnxHUkQL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
まぁまず基礎教養としてNora Gilbert「Better Left Unsaid: Victorian Novels, Hays Code Films, and the Benefits of Censorship(2013年)」くらい読んどけという話ですが「透けブラ」なんかに目くじら立てている様では…https://t.co/hvZxqoJRIi
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
モロの君「黙れ!お前に「ジョゼと虎と魚たち(2020年)」の舞ちゃんの不幸が癒せるのか?車椅子の恋敵に自慢の太腿を見せびらかして断念を迫り…」 pic.twitter.com/jBb3kAC8qU
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
意中の彼も事故で車椅子生活を強いられる事になった途端、その手口を自ら封じ…」 pic.twitter.com/zGUZgXP51g
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
「今度は意中の彼が車椅子で身動きが出来ない上に頭の位置も下がってるのを利用して「捨て身の零距離Baymax攻撃」まで仕掛けたのに力及ばず、最後にはずっと隠し通してきた東北弁でうめき声をあげてしまうのだぞ」 pic.twitter.com/o4z11gmu29
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
舞ちゃん「やめろモロの君、その要約は私に効く…」。ちなみに「零距離Baymax攻撃」とはこれ。 pic.twitter.com/p3sCnsyJxg
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
そして…
そういえば比村奇石の漫画「五月のたわわ」をちゃんと読んだ女子…「キーボード」や「豆」みたいな妄想ネタについて「男の人ってこういうのが好きなんですか?」と俯瞰モードに入る場面があるのはそういう作品だから仕方ないとして(ハトクロ女社長の反応もそんな感じだった)…https://t.co/z4CRbUO6gN
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
「人のおっぱいを執拗に揉んでくる女子」には「あるある」で流したのが意外といえば意外でした。後藤羽矢子「パヤパヤNOTE」にもあった様に、全体像を俯瞰すると一般的に「おっぱいへの関心度は相対的に男>女となる事が多い」というだけに過ぎない? pic.twitter.com/cRYscwy0Xw
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
そりゃまぁ、ちんちんへの興味は女性の方が男性のそれより上でしょうしね。
— 取手呉兵衛 (@tottekurebeepri) 2022年9月25日
いや、それが案外「男性器そのものへの興味」は乏しく「(尻や下腹部も含む)筋肉」とか「(それに連動する)苦悶の表情」などをじっくり鑑賞してる模様。https://t.co/kOAcGdcqzw
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
多分「(自分についてる女性器同様)内臓の一部」という認識(実際行為の最中は体内に収納されている)なので観察にあまり興味が湧かないとも?(あくまでこれまでの個人的経験の結果から導出される個人的見解)
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
「男性器への関心が高いのはむしろ男性」は「性欲の科学」でも統計的にはっきり現れていたし、実際10年前の全盛期tumbrでこういう世界も目にしてきたので…https://t.co/r5yBcPy57L
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
ちなみに「苦悶の表情」については大半が「KPOPアイドルの筋トレ場面」くらいで満足してましたが、中にはエロ画像Diggerに「Kickassのアレ」とねだる猛者もいて、まさにそういう少女達を狙って待ち構えている第三世代フェミニストの姉様達に連行されていったものです。https://t.co/bW39JhiAdD
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
「まさにそういう少女達を狙って待ち構えている第三世代フェミニストの姉様方」…ノリはほとんど喧嘩の現場に颯爽と現れて「君達、いい筋肉してるね。自衛隊に入らない?」とリクルートする自衛隊の採用担当者のアレ。「いい趣味してらっしゃいますね。ちょっとお話ししましょうか」
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月25日
そんな感じで以下続報…