一方、坂口安吾が日本に導入した「フランス式行動主義」は「肉体に思考させよ。肉体にとっては行動が言葉。それだけが真に新しい知性と倫理を創造する」とします。
ここでいう行動主義は概ね「平凡/日常的な状態」と「非凡/非日常的な状態」の間のマルコフ連鎖的推移で表される。
物語文法的には以下のパターンあたりが想定されよう。
- 「平凡/日常」→「非凡/非日常」(マイケル・クライトンの様なパニック物)
- 「非凡/非日常」→「平凡/日常」(安倍工房「砂の女」の様な日常回帰物)
- 「非凡/非日常」→「非凡/非日常」(ハドリー・チェイス的ジェット・コースター)
- 「平凡/日常」→「非凡/非日常」→「平凡/日常」(問題解決展開の基本)
また行動の主体としてとりあえず以下の2つのタイプが相容れない。
- 「三船敏郎」タイプ…黒澤明監督映画「用心棒(1961年)」「椿三十郎(1962年)」「赤髭(1965年)」に登場する「タフでなければ生き残れない。タフなだけでは生き残る資格がない」山本周五郎的人間中心主義者(Humanist)タイプ。原作小説に意外と内面描写がある事もあるが映画化に際して省かれる。
- 「仲代達矢」タイプ…豊田四郎監督映画「四谷怪談(1965年)」の伊右衛門や岡本喜八監督映画「大菩薩峠(1966年)」の机竜之介の様に、ある種「(例えその先に破滅しか待っていなくても)神の用意した救済を突き返すロマン主義者」にして「泥の大海に蓮の花を探す感傷主義者」。徹底的なまでにエゴイストにしてニヒリスト。
もちろんこの条件を満たしただけで「ハードボイルド文学」が成立する訳ではないが、とりあえず概ねの体裁は整う。
次のステップとして考えたのがこのアプローチ。
ボードゲーム「ガイスター」を題材にを説明するなら…
- 我々は自分が(手元に残すべき対象たる)青駒か(隙あらば処分すべき対象である)赤駒か知らない。
- 人も誰が青駒で誰が赤駒かきちんと峻別した上でどうするか決めてるとは限らない。
- 赤駒は巧みに青駒を偽装し、青駒を赤駒に堕落させたりもする。
- 青駒は想定以上にあっけなく失われ、勝利に必要な最低数を下回ってしまう。
そして「三船敏郎」タイプはとりあえず全ての盤上の駒を青駒と想定し(視野に入った以上は赤駒ではない)「仲代達矢」タイプはとりあえず全ての盤上の駒を赤駒と想定する(視野に捉えられる様では青駒ではない)。
ここでも「泥の大海に蓮の花を探す感傷主義」と「タフでなければ生き残れない。タフなだけでは生き残る資格がない」なる二大スローガンの重要性が確認された次第。そして今回の投稿は以下のTweetから。
こうした考え方の根源に2010年代にあった第二世代フェミニストと第三世代フェミニストの間にあった論争が横たわっています。「そもそも推理小説なるジャンルが生まれる前夜…」https://t.co/7yyqdimE6v
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
「…そういう作品を求める読者層はまだまだ「ヴィドック回想録」や「ニューゲート監獄日報」の様な荒々しい犯罪実録に直接目の当たりにする準備が整っていなかった。ここに表現規制の必要が生じた訳である」https://t.co/NO0sy6Gw7n
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
実際、最初の読者層となったのは居間で家族とストランド・マガジン(The Strand Magazine,1891年~1950年)を読む様な穏健派英国人だったのです。
コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズを初めて掲載した雑誌として紹介される向きも多いが、1887年に第1作の長篇『緋色の研究』、1890年に第2作の長篇『四つの署名』が掲載されたのは他の雑誌である。これらは当時あまり評判にならず、第3作に当たる短篇『ボヘミアの醜聞』が『ストランド・マガジン』の1891年7月号に掲載されてから読者の支持を得るようになり、引き続き同誌から発表・連載されていく。最終的には1927年までの約35年の間に、56作がシリーズとして『ストランド・マガジン』に掲載され、ドイルとホームズは不動の人気を得ることになる。
そしてこの様な読者の求めるものを追求した結果「スタイルズ荘の怪事件(The Mysterious Affair at Styles、1920年)」でデビューした英国人アガサ・クリスティ、「ベンスン殺人事件(The Benson Murder Case,原作1926年,映画化1930年)」でデビューした米国人ヴァン=ダイン、「夜歩く(It Walks by Night、1930年)」でデビューした米国人(ただし英国語も使いこなす)ジョン・ディクスン・カー、そして「ローマ帽子の謎(The Roman Hat Mystery,1929年)」から「スペイン岬の謎(The Spanish Cape Mystery,1935年)」までのいわゆる国名シリーズでその名を不動としたエラリー・クィーンらが「本格派推理パズル文学」を完成させるに至ったのでした。
- 日本で早川書房が1960年代前半に仕掛けた未曾有の翻訳ブーム。当時の証言によれば「この時代のハードボイルド文学は英国人イアン・フレミング「007シリーズ(1953年~1964年)」の様な国際謀略物、米国人ジェームズ・M・ケイン「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice,1934年)」や米国人アイラ・レヴィン「死の接吻(A Kiss Before Dying,1953年)」の様なピカレスク物が混じっていた」とある。実際当時の早川は「SFマガジン(1959年~)」の広告にミステリ、「ミステリマガジン(1956年~)」の広告にSF小説を掲載する様なメディアミックス戦略を行なっており、この辺りの情報がゴチャゴチャに掲載されていた。しかも1960年代前半とあらばまだ専門誌もテレビも十分に普及しておらず、ラジオで関連情報を流していたとも思えず読者が情報を得られる範囲は今より遥かに限られていた。
実際私がこの時期に文庫本を集めていた親類縁者から継承した本棚にはエラリー・クィーン「国名シリーズ」、フランス人フランソワーズ・サガン「悲しみよこんにちは(Bonjour Tristesse,1954年,映画化1958年)」、ロシア人ナボコフ「ロリータ(1955年,映画化1962年)」、英国人ギャビン・ライアル「深夜プラス1(Midnight Plus One,1965年)」、米国人ハル・クレメント「20億の針(Needle,1950年)」「重力の使命(Mission of Gravity,1954年)」「テネブラ救援隊 (Close to Critical,1964年)」、米国人ニール・R・ジョーンズ「ジェイムスン教授シリーズ(単行本化1967年)」、エドモンド・ハミルトン「スターウルフ・シリーズ(1967年~1968年)」、正体不明の共産圏スパイ物(主人公側は「チェスの名人にして良き家庭人」みたいな品行方正な人々で人格的に問題のある欧米スパイを知恵で追い詰める)などにそういう書籍が混じっていた。今から思えばここに「悲しみよこんにちは」や「ロリータ」が混じっているのが不思議に思えるが、当時は「要は人が死ぬ話だ」と納得していた覚えがある。あと007シリーズへの耽溺は明かに映画の影響だったので(レコードも持ってた)、そちらも映画の影響だった可能性がある。
というか、そもそも当時私が入手した本の中にハメット、チャンドラー、ハドリー・チェイス、ミッキー・スピレインなどは含まれていない。本格的ハードボイルド文学との出会いはなんと図書館にあった「マルタの鷹」ジュブナイル版、沢田研二の曲「カサブランカ・ダンディ(1979年)」とドリフのコントの影響で観た映画「カサブランカ(Casablanca,1942年)」であったという…
だが逆も言える。「安全な事しか書いてない補助輪付きの推理パズル」に飽きたらなくなったミステリー・ファンはさらにリアルな刺激を求め、その結果新たなジャンルとして成立したのがパルプ・フィクションのハードボイルド短編集であったと。https://t.co/2OdA151hKF
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
ハドリー・チェイスの暴力的冒険物であったと。ジャンルとして求められる最大の特徴は薄手が売りのコンドームの如き「生々しさ」。もちろんそれは「破れやすさ」に直結してはならず、形を変えたコントロール技術が発達し、ここに「ハードボイルド文学」が成立したという次第。https://t.co/XMEQhudJwy
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
あらかじめまとめておくと…
- 最初からあったのは「ヴィドック回顧録」や「ニューゲート・カレンダー」といった犯罪実録。ここからエドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人事件(1841年)」「マリー・ロジェの謎(1842年~1843年)」「盗まれた手紙(1845年)」のC・オーギュスト・デュパン(舞台をフランスとしたのは、近代警察がちゃんと機能してる地域でしか素人探偵は機能しないから)、バルザック「人間劇場(1842年~1850年)」における怪紳士ヴォートラン(ちなみにバルザックはヴィドックに直接面識があったらしい)、ヴィクトル・ユゴー「レ・ミゼラブル(1862年)」のジャン・バルジャンとベジャール警部が派生したが、どれも当時の保守的な読者層に配慮して穏健な写像に留まっていた。
- 以降も推理小説のフォーマットの進化は続いたが、本格的に読者を獲得したのは「ストランド・マガジン(1891年~1950年)」に掲載されたコナン・ドイル「シャーロック・ホームズ・シリーズ(1887年~1927年)」および読者範囲拡大に貢献したアガサ・クリスティ、ヴァン=ダイン、ジョン・ディクスン・カー、エラリー・クィーンらの手になる「本格派推理パズル文学」だった。
- 一方、フランスにおいても(それまで売れない純文学者として貧困生活を送ってきた)モーリス・ルブランが「泥棒紳士ルパン・シリーズ(1905年~2012年)」で商業的成功を収めるが、明かに「本格派推理パズル文学」とは別系統の読者層だったと推察される(最新技術がファッショナブルに援用される冒険小説要素大)。ちなみにその作風は「(貧乏時代のルサンチマンを蕩尽する形で執筆されてた)義賊期(1905年~1915年)」「(第一次世界大戦応援をモチベーションに筆を動かした)愛国冒険期(1917年~1920年)」「(作者と主人公が一緒になって新たなゴールを探し続ける)終活期(1923年~1939年/2012年)」と三期に分かれる。
- こうした流れとは別に英米パルプ・マガジンの世界で「短編探偵小説」が新たな読者を獲得し「ハードボイルド文学」の出発点となった。編集部の方針で各作家に長編執筆が奨励された事、そして1920年代末より登場するトーキー映画がこうした派手なアクションを含む作品の映像化に向いている事(ハンフリー・ボガードの様なその筋のスターも登場)などから一気にその市場性を拡大する展開を迎えたのだった。
こうして急激にその市場規模を拡大した「ハードボイルド文学」の世界は、その事と表裏一体をなす形で「世界との接し方の基準設定」を要求される展開を迎えたのです。それは「本格派推理パズル文学」よりは薄手でなければなりませんが、あまり現実サイドに巻き込まれてしまうと引き返せなくなってしまうのです。まさしくコリン・ウィルソンが「アウトサイダー(Outsider 1956年)」に発表したジレンマそのもの…
コリン・ウィルソン「アウトサイダー(The Outsider,1956年)」
ここで「破けやすさ」とは直接的には「三銃士シリーズ」の大デュマが稼いだ金を全部イタリア独立戦争に費やしたり、ユゴーが政争に敗れベルギーに亡命して「レ・ミゼラブル」を執筆したり、「ロマン派詩人」バイロンがギリシャ独立戦争に参戦して亡くなったり…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
スペイン内戦に参戦したアンドレ・マルローやジョージ・オーウェルやヘミングウェイらが編み出した「暴力に満ちた乾いた行動主義的文体」もまたハードボイルド文学の大源流となった事を意味します。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
そういえばフレデリック・フォーサイスもアフリカで実際に革命を起こそうとして失敗し、これを題材に「戦争の犬たち(1974年)」を執筆。https://t.co/hREyP6UFvX
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
19世紀文豪の革命ロマンはもはやその時代の文化だったとしか言い様がありません。一方、ヘミングウェイは明かに「自分で体験した事しか書けない男」なのでハードボイルド文学を執筆するには戦場へ、密林へ、そして大海に乗り出さねばならなかったと言われています。また同じスペイン内戦に参戦するに当たってもアンドレ・マルローは後に文化大臣にまで上り詰める男だけあって抜かりなく「どうせ参戦するなら航空支援」と航空隊を組織して現地に赴いています。そう宮崎駿雑想ノート「農夫の眼」…
もう一つの伝統的課題が「プロレタリアートのルサンチマン代弁から出発した作家が、商業的に成功してブルジョワ階層に仲間入りした場合」に発生。金持ちになって執筆が続けられなくなったハメットが断筆宣言してアメリカ共産党に入党したり…https://t.co/h0gz5yoJj2
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
中年まで売れない純文学的作家として過ごしてきたモーリス・ルブランが、それまで蓄えてきた怨念をぶつける形で「金持ちからしか盗まない庶民の味方」を創造した結果、自らも素封家名士の仲間入りを果たし毎夜「ルパンが借りを取り立てにくる悪夢」にうなされる様になったエピソードもこれ。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
「ルパンは(最新ギミックを乱用したがる行動主義小説という部分以外)ハードボイルドじゃないだろう」という意見もありますが、ここでは推理小説とハードボイルドの境界線を「ヴィドック回顧録」のエグい部分からの持ってき方と置いたので…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
「ヴィドック回顧録」の影響色濃いバルザック「ゴリオ爺さん」の怪盗ヴォートランのキャラ性を継承する「泥棒紳士ルパン」も一応系譜には含み得ます。日本でいうと「山本周五郎系」すなわち黒澤明監督映画「用心棒(1961年)」「椿三十郎(1962年)」「赤ひげ(1965年)」の系譜…https://t.co/afXir9Uiz5
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
なんか国際的に三船敏郎のイメージで浮かぶキャラ。「身分差を超越する恋物語」で商業的成功を収めたフランク・キャプラ監督が以降似合わない「社会派」に転向し、レイモンド・チャンドラーが未完となった遺作で「金持ちと結婚した探偵はなお庶民の味方でいられるか」を描こうとしたのもこの系譜… pic.twitter.com/0dXME5Hpjh
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
ここで興味深い事に気づきました。商業的成功後「ダシール・ハメットは(禁酒法廃止のダメージもあって)新作が書けなくなり断筆宣言後。以降はアメリカ共産党の活動に専念」「チャンドラーは遺作で主人公フィリップ・マーローに金持ち女と結婚させ、それでも依頼者救済の信念を捨てずに済むか試そうとした」。あれ、同時代の大御所の一人、「法廷弁護士ペリー・メイスン」のE・S・ガードナーは?
- そもそも彼のハードボイルド文学は「ヘイズ・コード(Hays Code,The Motion Picture Production Code of 1930,起草1929年,履行1934年~1968年)」において「(腐敗が暴かれ糺される物語展開を除いては)原則として敬われる存在として描かれねばならない」と規定された政治家、(警官や刑事や保安官を含む)法律家、(神父や牧師といった)聖職者などの立場の任務遂行が実際には困難で「タフでなければ生き延びられない。タフなだけでは生き延びる資格がない」状況に置かれている事に端を発している。
- この辺り山本周五郎的ハードボイルドでいう「赤ひげ(1965年)」の赤ひげ先生の立場に近い。さらには法廷弁護士ペリー・メイスン、当初はもっと一匹狼のアウトローっぽい暴れ者だったのだが、ファンの要請に合わせる形で次第に身だしなみや振る舞いを整えてきたのだという。要するに比較的「本格派推理パズル文学」ファンに近い客層だった訳で、その事は逆にファンから世界恐慌の最中でさえ「お前、自分も金持ちになってから金持ちへの追求が甘くなったなぁ」と責められずに済んだであろう事を想像させるのだった。
この話にはまだまだ掘り下げてみたい箇所が一杯…
ところでハードボイルド文学の大源流にあるのは、こうした「リアリティへのフィルタリングは下げるけどヒューマニズム水準は下げたくない」系統ばかりではありません。先に述べた「(たとえその先に破滅しか待ってなくても)人間は神の用意した救済を拒絶し得る」としたロマン主義系作品も含まれます。
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
まず念頭に浮かぶのは「ナポレオンの英雄性否定」なる時代の要請に応えたロマン派詩人パーシー・シェリーの「オジマンディアス(1817年)」に…https://t.co/cTSdFxPxi6
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
プーシキン「スペードの女王(1834年)」…https://t.co/GMSqkfEIa0
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
逆に己の野望のために手段を選ばないスタンダール「赤と黒(1830年)」における「非情な主人公」ジュリアン・ソレルに同情を寄せさせる作風は当時滅茶苦茶叩かれました。エミリ・ブロンデ「嵐が丘(1847年)」のヒースクリフやアイラ・レヴィン「死の接吻(1953年)」の姉妹連続殺人犯の御先祖筋…
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
その突破を目指した辺りにボードレール「悪の華(1857年)」ロートレアモン伯爵「マルロドールの歌(1868年~1869年)」などのフランス象徴主義前景があり、ナボコフ「ロリータ(1955年)」に続きますが(この展開自体はあくまでブルジョワ的でプロレタリア文学的ではない)…https://t.co/L5a4Qb6fdT
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
この方面のアプローチでは「西欧キリスト教的倫理」と距離感のあるドストエフスキーらロシア文学や…https://t.co/MKUWw0lAA9
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
鶴屋南北「東海道四谷怪談(1825年)」の伊右衛門や中里介山「大菩薩峠(1913年~1941年)」の机龍之介に遡る日本のニヒリズム系文学に文化的優位があったのでした。https://t.co/kFl7R1o0dc
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
そう、どうやら同じニヒリズムでも2種類、すなわち「(ニーテェの精神超人志向に代表される様な)ブルジョワ的ニヒリズム」と「(奪われたものを手段を選ばず取り返そうとする)プロレタリアート的ニヒリズム」の2種類が存在するらしいのです。しかし実際の区別は案外難しい?
まずはフランス映画に思わぬ影響を与えてしまった太陽族映画「狂った果実(1957年)」。まぁムソルグスキー「展覧会の絵」とか流してロシア作品の影響を仄めかしちゃいますが、ヨット上の兄と恋人をモーターボートに乗った弟が洋上で追い回して殺してそのまま去る幕切れたるや…https://t.co/xtw7rowhhZ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
そして何を置いても仲代達矢。大藪春彦原作映画「野獣死すべし(1958年)」にも主演してますが…https://t.co/IHdwb0nTJQ
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
とにかく豊田四郎監督映画「四谷怪談(1965年)」の伊右衛門と岡本喜八版「大菩薩峠(The Sword of Doom、1966年)」における机龍之介の演技のキレが壮絶。特に後者は「正義の剣士」三船敏郎との対比が見事で「どうして黒澤明は仲代達矢をこう撮れなかったのか」が話題に。https://t.co/qsiHfIZKbY
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
「既存の机龍之介観を全部覆した」せいで日本国内では黙殺されてるにちかく、机龍之介を動揺させる三船敏郎の名台詞「剣は心なり。剣を学ぶ者は心を学べ。心正しからぬ者の剣は邪剣だぞ」も「あれ?黒澤映画にこんな場面あったっけ?」と思う日本人すらちらほら。 pic.twitter.com/W43Mr5aTlL
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
意外なのは勅使河原宏監督映画「他人の顔(1966年)」まで海外で人気な辺り。https://t.co/mZh8vInIRE
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
こういう話に「剣劇俳優」嵐寛寿郎はどう関連してくるのでしょうか?
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とりあえずこうして「日本のハードボイルド文化にはヒューマニズム系とニヒル系の2系統ある」事が確認出来た辺りで以下続報…次のステップへのヒントは、とある海外女性映画ファンが残した「三船敏郎は尻、仲代達矢は眼」なる謎の言葉? pic.twitter.com/BJ3nSPOpgf
— Yasunori Matsuki (@YazMatsuki) 2022年9月18日
そんな感じで以下続報…