「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【数学的ロマン】そして人類には二択が残された?

以下の投稿においてついに「(小学生時代からタミヤ工作キットをコンピューター制御してきた中高生にはむしろ血肉の一部になってる)ハミルトンの四元数(Hamiltonian Quaternions)」を現象学(Phänomenologie=フェノメノロギー)の領域に導入。確かに今は小さな一歩に過ぎないけれど、これはもしかしたらある種の「(その概念が習得可能かどうかで人類を峻別する)ニュータイプ宣言」となるかもしれない?

とはいえもちろん、話はそれだけでは終わりません。現段階でその考え方は(自分も含めて)多くの人間にこういう印象を与えざるを得ない何かに過ぎないからです。

確かに「適応感(Comfortable Feeling),違和感(Strange Feeling),緊張感(Thrill)」の三要素で分析する考え方は、人類に大幅な自由度をもたらしてはくれます。

安心感適応感(Comfortable Feeling)」「危機感違和感(Strange Feeling)」と代入するとこんな感じのルールセットが構成される。

くすぐったがれる(すなわち、いかなる危機感も安心感を脅かす事のない適度な緊張状態)」状況へのフィードバック規則(カッコ内は共役ベクトル)

①適切な緊張感が保たれている状況下では、

  • 安心感過剰時、あえて危機感を昂らせる(抑える)。
  • 安心感過小時、あえて危機感を抑える(昂らせる)。
  • 危機感過剰時、あえて安心感を昂らせる(抑える)。
  • 危機感過小時、あえて安心感を抑える(昂らせる)。

②適切な危機感が保たれている状況下では、

  • 安心感過剰時、あえて緊張感を昂らせる(抑える)。
  • 安心感過小時、あえて緊張感を抑える(昂らせる)。
  • 緊張感過剰時、あえて安心感を昂らせる(抑える)。
  • 緊張感過小時、あえて安心感を抑える(昂らせる)。

③適切な安心感が保たれている状況下では、

  • 危機感過剰時、あえて緊張感を抑える(昂らせる)。
  • 危機感過小時、あえて緊張感を昂らせる(抑える)。
  • 緊張感過剰時、あえて危機感を抑える(昂らせる)。
  • 緊張感過小時、あえて危機感を昂らせる(抑える)。

逆をいえば「(安心感、危機感、緊張感が全て適正値=1の範囲内に治る)半径1の球面」こそが「くすぐったがれる主領域」という事になる。

愛情と憎悪のバランス適応感(Comfortable Feeling)」「好奇心と黙殺欲求のバランス違和感(Strange Feeling)」と代入するとこんな感じのルールセットが構成される。

心穏やかな(すなわち精神面における「愛情/憎悪/好奇心/黙殺欲求」の四象バランスが適正な)緊張状態」状況へのフィードバック規則(カッコ内は共役ベクトル)

①適切な緊張感が保たれている状況下では、

  • 愛情と憎悪のバランスが安定し過ぎてる時、あえて好奇心と黙殺欲求のバランスを揺さぶる(揺さぶらない)。
  • 愛情と憎悪のバランスが不安定の時あえて好奇心と黙殺欲求のバランスを揺さぶらない(揺さぶる)。
  • 好奇心と黙殺欲求のバランスが安定し過ぎている時、あえて愛情と憎悪のバランスを揺さぶる(揺さぶらない)。
  • 好奇心と黙殺欲求のバランスが不安定な時、あえて愛情と憎悪のバランスを揺さぶらない(揺さぶる)。

好奇心と黙殺欲求のバランスが適切に保たれている状況下では、

  • 愛情と憎悪のバランスが安定し過ぎてる時、あえて緊張感を昂らせる(抑える)。
  • 愛情と憎悪のバランスが不安定の時、あえて緊張感を抑える(昂らせる)。
  • 緊張感過剰時、あえて愛情と憎悪のバランスを揺さぶる(揺さぶらない)。
  • 緊張感過小時、あえて愛情と憎悪のバランスを揺さぶらない(揺さぶる)。

愛情と憎悪のバランスが適切に保たれている状況下では、

  • 好奇心と黙殺欲求のバランスが安定し過ぎている時、緊張感を抑える(昂らせる)。
  • 好奇心と黙殺欲求のバランスが不安定な時、あえて緊張感を昂らせる(抑える)。
  • 緊張感過剰時、あえて好奇心と黙殺欲求のバランスを揺さぶる(揺さぶらない)。
    緊張感過小時、あえて好奇心と黙殺欲求のバランスを揺さぶらない(揺さぶる)。

逆をいえば「(愛情と憎悪のバランス、好奇心と黙殺欲求のバランス、緊張感が全て適正値=1の範囲内に治る)半径1の球面」こそが「心の均整状態」という事になる。

その一方で、これらはあくまで数学的構造としては「立方体上における対蹠間を結ぶ辺上の経路(必ず平方対角線+立法対角線の組み合わせになる)」問題の別バージョンに過ぎず(パスカルの三角形でいうところの「1-3-3-1」構造をめぐる数理)、以下の様な制約を受けます。

  • 言うなればルービック・キューブの様なものなので「正しい診療と正しい処方箋だけが最適解へと到達する(逆をいえば中途半端な模倣が何を引き起こし、関係者に如何なる印象を与えるかは保証の範囲外)」限界が超えられない(そもそも構成要素として不可欠な「共役関係=回転体的射影空環」とか「線形代数的転置演算」みたいな考え方が学習しないと身につかない)。

  • 理論上はもっと複雑な数学的構造も導入可能だが、三次元までの空環認識能力に特化した地球上の生物がカンブリア爆発(5億4200万年前~5億3000万年前)以降、獲得した視覚と視覚情報を処理する脊髄」にこれ以上難しい内容を扱わせるのは酷といえよう。そもそも上掲の一覧を眺めても、この範囲においてすら「人間の情動面がその可能性全てについてすら自明的コンセンサスを確立済みとは限らない」面倒が露呈してくる。

しかし調べれば調べるほど、心の中で以下の様な考え方が台頭してくるのです。「確かにこう考えれば、伝統的にこれまで解決不可能だった問題の幾つかが解けるのかもしれない。だが逆をいえば、その方法を大半の現人類は採用していない。それ以外のヒューステリックな方法論、おそらくその大半が第二次人工知能ブームの時に問題になったフレーム問題をも乗り越えられない様な稚拙な代替物が実用的には用いられ続けている」。そう、本当に思考能力に限界があるのは人工知能技術ないしはそれを支える数理の側だけで、人間の知性は限界を知らないのか?21世紀に入ってからは(すなわち第三次人工知能ブーム到来以降は)そういう考え方も問われる様に…

かくして人類には二択が残された…「伝統的に継承されてきたヒューステリックな方法論をそのまま相応に洗練させつつ継承する」か「数理などがもたらす合理的アルゴリズムも必要に応じで導入していき、その方がふさわしい局面では大胆な差し替えも恐れない」という、別に両方同時に選んでも構わない二択問題が?