「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「性欲そのもの」と向かい合うという事。

ヤマシタトモコさんかく窓の外側は夜(2013年~)」には「ダーティ・ペア設定」の流用が見られます。ほぼ40年を跨ぐ発想の継承…・

霊が見える書店員と除霊師が心霊探偵コンビを組んで、除霊や連続殺人事件の謎を追うミステリー・ホラー漫画。

除霊の演出として、除霊師が魂に触れる能力を持ち、主人公と接触を持つことで霊視能力を共有して除霊するが、魂が触れ合うと失神するほどの快感を得るなどボーイズラブ要素を取り入れている事が特徴。

二人の超能力である千里眼(クレアボワイヤンス)を顕現させる為にはある種の精神融合が必要で、それは強烈なエクスタシーを伴うという設定になっている。

様々な理由から1980年代には映像化不可能だった設定」でもあります。

まずはデカルト座標において「男,男(1,1)」「男,女(1,-1)」「女,女(1,-1)」「女,男(-1,1)」と置いて0を中心とする極座標系に重ねた(行列式1=拡大縮小率0となる範囲で射影した)2次元4象現モデルを想定する(ここでは男を+,女を-と置いたが、それ自体は逆でも構わない)。重要なのは「どこから出発しても1周すれば必ず元の位置に戻ってくる円環性

このモデルは線形代数の特性上、自明の場合(Trivial Case)として[[1,0],[0,1]]単位行列(対角行列),[[0,-1],[1,0]][[0,1],[-1,0]]回転行列(反対角行列)とするが、線形代数における演算ではかかる回転行列がもたらす水平回転に対し、さらに垂直回転をもたらす[[i,0],[0,-i]][[-i,0],[0,i]]ユニタリ行列を想定する事が可能である。

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それでは、こうして新たに構成された「中心0より距離1の範囲で放射状に広がる球面座標系」に「男と女の二項水平世界」の拡張として現れた第三軸(+i,-i)をどう捉えるべきか。そのままでは埒が開かないので-i→0,+i→∞と射影すると何の事はない、世に知られたリーマン球面座標系そのものであり、問題の第三軸が無性愛(Asexual)と汎性愛(Pansextual)にマッピングされる展開を迎えるのである。

いつからそういう考え方が広まり始めたか不明だが(少なくとも2010年代には寡聞にして聞いた事がなかった)、この座標系はLGBTQA的分布を実に的確に描写するのでフェミニズムの最先端分野では必須教養となりつつある感がある。

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こうした全体像をQueer球面と呼ぶ訳である。

ただしこの座標系については、こんな補足的な考え方も。全体像としてそれぞれを「4次元のうち3個抽出している状態」と捉える立場もありそうである。

  • 実際ネット上で遭遇する無性愛(Asexual)者はこのグラフでいう-i象眼というより+i象眼、すなわち「Sexualityに対して無相関ないしは弱相関」なだけの汎性愛(Pansexual)の一種と解釈した方が正しい様に思えた。ただ実際の表現にはもう一捻りする必要も出てくるだろう。
  • また、その場合には-i象眼には元モデルで意識されていない「異性を憎む同性愛者」や「同性を憎む異性愛」や「性愛そのものを嫌悪する無性愛者」といった「性嫌悪者(性愛に対する負の相関の持ち主)」が置かれ、ある種の作用/反作用の様な相互影響(というより平均を中心とする共軛の分散範囲の構成)を想定する場合も考えられる。

ここで思い出して頂きたいのがフェミニズム文学史上特異な地位を与えられているC.L.ムーアの「ノースウェスト・スミス(Northwest Smith)シリーズ(1933年~1940年)」における「太陽系随一の荒くれ男」である筈のイケメン主人公が毎回(得意の物理的抵抗が一切効かない)女性型超自然的怪物に思う存分凌辱の限りを尽くされるエロティズム構造。しかもかかる凌辱場面には(当時の検閲が厳しかった事もあって)一切の既存の性表現や性描写が含まれないのである!!

さらには竹宮恵子が「私は少女達に腐女子なる便利過ぎる仮面を与えてしまった」と反省していたが、彼女の発言を「学生運動家としてのイデオローグ」を詳細に吟味していくと以下の様なパラダイム構造が浮かび上がってくる。

  • 確かに女性は「性欲そのもの=自分の内側から込み上げてくるあのムズムズした感じ」との直面対面を恐れるあまり「腐女子の仮面」「筋肉照覧の仮面」「心の男性器の仮面」などを被る(ここでいう仮面はパラダイムと言い換えて良い)。

    こうして全体像を俯瞰すると海外で盛り上がった「二口女ムーブメント」もある種の「仮面を巡る言説」の一種だったと考えられる様になる。要するに「仮面を被せられる本体」と「仮面を被る主体」の間の意識のギャップを巡る考察…

  • 性欲そのもの」が特定の性器に紐づけられていないのは「男性ペドフィリアに去勢措置を施してもペドフィリア的性欲は失われない」「女性のペドフィリアもいる」といった医学分野からの研究でも明かである。

    ここで指摘されている様に「(性癖としての)小児性愛そのもの」と「(精神障害の一種としての)小児性愛障害」と「(刑法の世界における)小児性犯罪」はきっちり分けて考えねばならない。例えば同じくフェミニズム文学史上特異な地位を占める女性作家ジェームズ・テプトリー・ジュニアの場合について考えてみよう。①彼女の文才の独自性はその小児愛者/バイセクシャル傾向によっても裏打ちされたが、この事自体には何の問題もない。②一方、彼女は自らのそういう傾向に深い自己嫌悪感を抱いており、そのうち小児性の部分においては私生活にまで障害が出ていたと推察される事が診断に引っかかって小児性愛障害(ペドフェリア)認定を余儀なくされる(逆を言えば、バイセクシャルの部分についてこういう形での診断基準は存在しない)。③その一方で彼女の苦悩はその範囲で完全に完結しているので小児性犯罪と結び付けて語られる事はない(この点、実際に小児売春に手を出してしまった事を告白しているミシェル・フーコーやスティーブン・ストレンジとは別枠で扱われるが、彼らとて自ら直接小児性犯罪に手を染める事はない。ましてや「バイセクシャルの性豪」フレディー・マーキュリーおや、である)。

    あくまでこの様に徹底して段階的に考えて公益概念を運用するのがジョン・スチュワート・ミル自由論(On the Liberty,1859年)」における「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、それを妨げる権力が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限られる」なる章句の真意であり、社会自由主義者達が主張する様に彼は文明が発展する為にはあらゆる権力の自由が無条件で保証されねばならず、個人の自由が正当化されるのは他人に実害を与えない場合だけに限定される(ただし自明の場合として、権力はあらゆる他人への実害代弁権を備えるものとする(笑))」と主張した訳でも「古典的自由主義は必然的に社会進化論に堕落し、その克服の為に社会自由主義への到達を余儀なくされる(笑)」展開を自明の場合として想定した訳でもない。

  • それにつけても、どうして女ばかりがかかる実存的苦境を強要され続けねばならないのか。「男性器の仮面」の生得性に依存してかかる迷路に踏み込まずに済んでいる男性の思想的怠慢をこれ以上許しておいて良いものか。そう男性もまた時には、少なくとも思考実験としてくらいは「男性器の仮面」を外して「性欲そのもの=あの身体の内側から込み上げてくるムズムズ感」と向き合ってみたらどうか(考えてみればこの考え方はC.L.ムーア「ノースウェスト・スミス」シリーズの基本構造とも重なってくる)。
    こうして全体像を俯瞰すると「くすぐったさ」こそが男女に共通し、かつそれのみが実存する唯一の「性欲そのもの」の非線形基底であるとも(要するにそれ以上分解出来ない以上、それ自体を一つの単位と見做さざるを得ない)。

直接「性欲そのもの」と向かい合う…本当にそんな事が可能なのか? この地球上には既に実践している方々も…

綺麗なものに触れるのは元来自己が壊れてしまうような凄い衝撃で、これに持ち堪えられる人だけが、綺麗なものを綺麗と言えるのです。

そして、さらなる追加ダメージ…

綺麗なものだけを浴び続け、正く破壊され続けるには体力も必要ですね。

そう、この時まさに上述のQueer球面人類を未知の次元に誘うパズルボックスとして作用するのであった。

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そんな感じで以下続報…