「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】「伝統回帰を志向する」新興富裕層(成金)心理について。

産業革命や植民地が生んだ新興中間階層は、その歴史の浅さ故に独特の実存不安を抱え、少なくともその一部を伝統的価値観への熱狂的回帰に走らせたのです。

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例えば19世紀後半のフランスにおいて頻繁に繰り返されたマネボードレール印象派に対する弾劾裁判では陪審員席に座って嬉々として「市民の義務」を果たし…

黄金の50年代」を支えた「白人」中間階層は家庭単位で「古き良き家父長制」を復活させ様と試みてヒッピー運動勃発の種を蒔いてしまいます。

そう実はアメリカにおける家父長主義的伝統、南部を支え南北戦争(1861年~1865年)の原因となった「(伝統的生活を構成してきた家父長制や奴隷制農業を守る為、国家の介入と戦う)ジェファーソン流民主主義」がそのまま存続したというより、新興中間階層の模倣によって次世代に継承したとしか考えられないのです。

  • これが米国における共和党民主党の関係が「進歩主義VS伝統主義」の枠組みから「都市生活者VS地域生活者」へと再編されていく過程を理解する鍵?

    ここに登場した「米国再版家父長制」の影響力はオリジナルより強く、加齢によって保守化したヒッピーフェミニストを次々と飲み込んできた。そうそれは全体像を俯瞰すると「再版農奴」同様、しかるべきパラダイム・シフトを乗り越えられない限り気付くと原点まで押し戻されている様な、そういう種類の運動だった訳である。なんたる知的怠慢…ある意味、隙あらば自らをカプセル化して特権階層として居座ろうとするその態度こそが「インテリなる存在」の本質とも?

    日本でいうと1970年代学生運動から足を洗って「一般人に戻る」人々の心境を歌い込んだ「神田川(1973年)」から「いちご白書をもう一度(1975年)」にかけての心理的変遷?


    こうした曲のヒットを挟む形でさらに運動色を脱色した野坂昭如黒の舟唄(1970年)」かまやつひろし我が良き友よ(1975年,作詞吉田拓郎)長渕剛Good-by青春(1983年)」が展開…登場当初はそのアナクロニズムを叩かれた流れだが、実は「再版旧体制の勝利」に終わる時代の流れの渦中において、そこに見られた演歌やバンカラに回帰する姿勢はむしろ「最先端の人々における最先端」だったという種明かし…


    この時代独特の「羅針盤の暴走感」すなわちイデオロギー(日常生活を包括的に説明する哲学的根拠)の揺らぎがもたらした迷走具合は「ルパン三世1stEDワルサーP38(1971年~1972年)」や「はじめ人間ギャートルズEd奴らの足音のバラード(作曲かつやまひろし,1974年~1975年)」にも如実に現れているが、そのヒル悲観主義の完成形はある意味最大のヒットとなった「およげ!たいやきくん(1976年)」だったのかもしれない。そもそもこの曲に登場する「たいやきくん」の個人とも集団ともつかない描かれ方(攻殻機動隊」のフチコマ的集団意識)に「恣意的に大衆の善導者の立場と代表者の立場を使い分けるインテリ仕草」を見てとる向きも。ただしアメリカや日本におけるそれには「演技の失敗が死に直結する」フレンチ・インテリゲンツィアの覚悟と緊張感が最初から欠落している様に思えてならない。

その一方で日本の伝統主義の担い手はさらに賢明かつ狡猾で、そもそも「一時的衰退」すら経験する事がなかったという指摘も。例えば「白足袋族」による「黒足袋族」の併合。当時は華族という存在自体、公家が大名家を併呑する形で成立したのです。

  • 黒足袋衆」といったら「産業革命導入が生んだ新興成金が白足袋族に屈した姿」と思いきや、今ではこんな斬新な解釈も登場?

またインドの新興インテリはベジタリアンになったりサティ(寡婦殉死制)を復活させました。資本主義化の歴史が「古代ローマ帝国との交易(紀元前1世紀~紀元6世紀)」の頃まで遡るインドではこうした展開の始まりも古く、その現れ方の一つたる菜食主義は(インド金融を古くから牛耳ってきた)ジャイナ教徒のアヒンサー(殺生禁忌)に由来します。

一方サティ(寡婦殉死)の慣習は大英帝国による植民地化が進む過程で台頭した(植民地支配の現地代理人としての)新興中間階層の間で復活。その意味合いでは以下の領域と近接する話題となってくる訳です。

  • 武家社会では主君の寵愛を受けて身分不相応な立身出世を遂げた美少年は、主君の死に際して殉死を強要された。

  • 大英帝国が植民地時代に現地支配代官として活用してきたロヒンギャ族に対する虐待問題。

要するにその背後では「不当な成功」に対する「それにありつけなかったその他大勢の嫉妬感情」や「成功した側の後ろめたさ」といった複雑な感情が渦巻いてきたのです。

19世紀に入って、イギリス殖民地支配のもとでインドの知識人のなかにもこのような風習を批判するものが現れラーム=モーハン=ローイが中心となった運動によって1829年にイギリス植民地当局が禁止令を出したがすぐにはなくならなかったという。

これは1930年代における江戸川乱歩の通俗小説(「怪しい成功」を遂げた富豪の娘が残忍な方法で殺される)や戦後における横溝正史金田一耕助シリーズの「」物(不当な繁栄を貪ってきた旧家が連続殺人事件を通じて解体)の成功、ひいては日本の鬼太郎や米国のバットマンの様に、この時代に生を受けながら当時のイデオロギーから完全脱却を果たした長命キャラクターの変遷過程に関わってくるのです。