「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【用語集】【段階的発展説】社会自由主義の「段階的発展説」

段階的発展説」そのものにも歴史があります。

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とりあえず出発点がジョン・スチュワート・ミルによる古典的自由主義樹立(1859年)である事実は動きません。文明開化直後の日本でも物凄い勢いで読まれた「自由論」刊行がその契機となったのです。

 当時の歴史を「独ソ不可侵条約(1939年)締結に失望してアメリ共産党を脱退した」米国政治史家リチャード・ホフスタッター(Richard Hofstadter,1916年~1970年)が(大不況対策として1930年代に遂行された)ニューディール政策を擁護すべく1940年代中心に以下の様に現実を歪曲して広めます。

 

要約

南北戦争(1861年~1865年)終結後、急激な経済発展を遂げたアメリカではスペンサーの社会進化論(およびマルサスの「人口論」誤読が産んだ弱者必滅論)を信奉する鉄鋼王アンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie1835~1919年)、金融王 J・P・モーガン(J.P.Morgan 1837~1913年)、鉄道王ジェームズ・ヒル(James Jerome Hill1838~1916年)、石油王ジョン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller1839~1937年)といった実業家が強者必勝を実践。「最強で効率のよい組織が市場を独占するのは、自然の法則にかなっており、市場独占はアメリカ経済の発展に寄与できる」と自負する彼らは同時に政治上の放任主義を主張する保守主義でもあった。

  • マルサス理論に基づくなら「社会的弱者の救済は、生存に適していない人間や組織を増やすことになり、社会的経済的発展を阻害し、ひいては国に不利益をもたらす」訳で「アメリカ政府による国民への積極的関与は、むしろ最小限に抑えられるべき」なる無政府主義的思想に到達する訳である。

しかしながら、こうして生存競争を勝ちぬき、成功の証として巨万の富を手にした資産家達が競争文明の花として社会に君臨した結果、アメリカ社会は本質的に利己的で攻撃的である彼らが引きおこすさまざまな問題との対峙を余儀なくされていく。

  • 市場経済化と競争激化は 必然的に物質主義、拝金主義をもたらし、道徳規範は低下し、人々の精神は荒廃した。こうしてアメリカにおける社会進化論信仰は終焉の時を迎えた訳である(おそらく1882年の秋頃がピークで1917年には既に忘却に追いやられていた)。
  • 生存競争に敗れた社会的弱者は、なすすべもなく、アメリカ社会の底辺に沈んだ。倫理観の荒廃は、社会のさまざまな面で問題を引きおこした。要するに19世紀後半アメリカ社会に社会進化論がもたらしたものは、社会の多くを犠牲にした一部の個人だけの物質的豊かさだけだったのである。

社会全体を豊かにするため には、個人だけではなく、政府も相応の役割を果たさなければならない。1929年大恐慌を経て、1930年代アメリカが、ニューディール政策のもとで混合経済福祉国家への道を歩みはじめたのは、人間主義の社会をつくるためには大きな政府が必要であることを、人々が身をもって学んだ結果であった。

社会自由主義(英social liberalism, 独Sozialliberalismus, 西socioliberalismo)概念の大源流たる「社会自由主義(独Sozialliberalismus)なる用語を最初に用いたのはオーストリアの経済学者/ジャーナリストたるテオドール・ヘルツカ(1891年)である。

  • 旧来の古典的自由主義とは異なり、公民権の拡大と同時に、失業、健康、教育などの経済的・社会的課題に対する国家の法的な役割を重視する。
  • 社会自由主義は資本主義を支持するが、社会資本の必要性が資本主義と自由民主主義の両方の前提であると強調し、無秩序なレッセフェール経済を社会資本の必要性の認識が欠けているとして批判する。
  • 社会自由主義は、個人主義や資本主義が、公共の精神や連帯の認識によって加減された時に、自由民主主義は最良の状態になると考える。

社会自由主義的政策は、特に第二次世界大戦後の資本主義世界で広く採用されたが、その反動として20世紀後半新自由主義(ネオリベラリズム)とも呼ばれるマネタリストや、政府の役割縮小を主張する経済思想が広がった。とはいえこの反動は古典的自由主義への単純な回帰ではなく、政府は社会福祉や経済政策に関する管理などを維持し続けた。

この過程で以下の段階的発展説が国際的に広まっていった様なのです。

  • 古典的自由主義(個人がその可能性を最大限追求出来る様に国家は干渉を最小限に留める)
  • 社会進化論(強者がマルサスの弱者必滅論と結びつけた結果、貧富格差が広がり身分固定が起こる)
  • 社会自由主義(弱者を保護し強者の利益追及を制限する観点が国家の義務に追加される)。

歴史のこの時点では経済格差の固定化こそが最大の問題であり「適切な競争社会」実現が目標に掲げられていた事を決して忘れてはいけません。そしてこうした福祉国家実現運動の主体となったのは(少なくとも直接的には)マルクス主義的経済論ではなく(ラッサールを始祖と仰ぐ)社会民主主義の立場だった事もまた。

その一方で「狂乱の1920年」を経たアメリカでは急激な都市化が進行し…

  • 皮肉にも「マルサスの弱者必滅論」そのものを理論的に論破したのは第一次世界大戦を契機に加速した効率追求運動の一貫としての「ロジスティックス方程式」再発見だったりする。

太平洋戦争を戦い抜く為の「旧移民(イングランド出身の国教徒やアイルランド支配階層が構成するプロテスタント集団)と新移民(ニューヨークを勝ち取ったアイルランド被支配階層としてのカソリック教徒やオーストラリア=ハンガリー二重帝国から脱出したユダヤ人の共闘体制)の挙国一致体制」がもたらした「黄金の1950年代」は同時に「白人社会における宗教的統制と家父長制の強まり」が黒人公民権運動ヒッピー運動を引き起こしてしまった時代でもあったのです。

  • それはまさに「移民の流入によって活性化され続ける」なるそれまでのアメリカ社会の構造的自認の崩壊であった。「それが実際に適切に働いていた時期があったのか?」なる根源的疑問はともかくとして。

  • この問題は社会民主主義の目指す福祉国家化路線では対応不可能な内容だったので「もはやこの世界そのものを一新するしかない」と考える若者達がグノーシス的反世界主義を特徴とするマルクス主義に傾倒する。

  • とはいえヒッピー運動は(GAFAに代表される様な)インターネット技術を主導する寡占企業を出現させる過程でグノーシスマルクス主義から脱却。個人としても加齢の影響もあって保守化し、その大半が既存社会に再合流する道を選んだのだった。

ただし社会学の分野には「もはや政治的課題の中心が経済問題でなくなった時代にグノーシスマルクス主義を存続させようとする動き」が残存しているという指摘も。

こういう経済合理性判断もへったくれもない、ただ単に(そもそもヒッピー教祖の信者統制術という側面も備えていた)グノーシスマルクス主義を暴力的なまでに単純化しただけの俗流イデオロギーが彼らを支配し続けているとも。

ただし、そもそも「(人間関係論の射影に失敗した後に主流となった)関心空間論に基づくよるマネージメント」が定着し、さらにその結果が現実社会にも相応の形で影響を与える様になった21世紀のインターネット社会においては、彼らが伝統的に振りかざしてきた群衆論そのものが通用しない。