「段階的発展説」そのものにも歴史があります。
フランス革命期の内紛の犠牲となった「古典自由主義の父」フランス人数学者コンドルセ侯爵(Marie Jean Antoine Nicolas de Caritat, marquis de Condorcet, 1743年~1794年)は遺言ともいうべき「人間精神進歩の歴史(1792年)」の中で科学は天文学、占星学、純粋数学、神学といった人間の精神と社会活動から離れている学的領域から、やがて、文学、経済学、論理学、社会科学といった人間の行動と生活を論理的に究明する人文科学を経て、心理学や社会科学に到達すると書き残した。
かかる「歴史上次第に開放されてきた人間精神」の発展を最大限妨げない方法として「古典自由主義の大成者」英国人数学者ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill,1806年~1873年)が「自由論(On Liberty,1859年)」の中で「文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならず、これを妨げる事が正当化されるのは他人に実害を与える場合だけに限定される」なる考え方を提言。事実上これが古典敵自由主義(Classical Liberalism)のモットーとなる。
コンドルセ伯爵の「三段階発展説」
ジョン・スチュアート・ミルは「コンドルセ侯爵の遺言」のうち(ある種のディスクールに過ぎない)歴史観ではなく、その精神そのものを継承したといって良いでしょう。