「旧約聖書に登場する街」…
アルパド(アルパデ、Arpad)
古代シリア北部にあった都市国家。現在はアレッポの北30kmにある遺跡テル・リファート(Tell Rif'at)となっている。この遺跡ではチェコスロバキアおよびイギリスの考古学者による発掘調査が行われた。
その歴史
アラム人が侵攻してきた紀元前9世紀頃、小さな部族国家群「新ヒッタイト(Neo-Hittite、近年はシリア=ヒッタイト Syro-Hittite とも呼ばれる)諸国」がレバント周辺からアナトリア南部、ユーフラテス川中流域に散在していた。
*これらの遺跡の中にはヒッタイト層の上にアラム層が形成されている場合も発見されており、当時の状態については注意を要する。
- そのうちアルパドはユーフラテス川西岸からアレッポ周囲までの範囲に広がるビト・アグシ(Bit-Agusi)という国家の中心だったが、後に近隣のアレッポ(ハラブ)に中心が移る。
*アレッポはアムル人王朝ヤムハド(Yamhad, Jamhad, Yamkhad, 紀元前19世紀頃~紀元前17世紀後半頃, 紀元前16世紀ヒッタイトに滅ぼされる)の元首都。全盛期には南の交易大国カトナと争った。
*アレッポ自体は存続しはカディシュの戦い(紀元前1286年頃)の記録にもヒッタイト属国として名前だけ登場する。
同時期のシリア=ヒッタイト国家群の一つティル・バルシプからは紀元前8世紀頃にアルパドとの条約を結んだことを示す石碑が出土している。
*なおティル・バルシプはその後小さな部族国家ビート・アディニ(Bît-Adini)の首都となったが、アッシリアによって紀元前9世紀に陥落した。街はアッシリア王シャルマネセル3世(Shalmaneser III, 在位紀元前858年~紀元前824年)に滅ぼされ「カル=シュルマヌ=アシャレドゥ(Kar-Šulmānu-ašarēdu)」と改名された後にユーフラテス川沿岸の戦略的重要都市としてこの地域のアッシリア帝国の行政の中心となる。
- 紀元前753年頃アッシリアの王アッシュール・ニラリ5世(Ashur nirari V, 在位紀元前754年~紀元前745年)はアルパドに遠征を行い、その王マティエルを服属させる事に成功した。この際の条約の一部は現在も残っており、マティエルが従わない場合にアッシリアが王族や都市にもたらす懲罰が延々と述べられている。ただしその後行われたウラルトゥ遠征はウラルトゥ王サルドゥリ(サルドゥリシュ)2世(紀元前753年~735年)によって破られ失敗した。次いで自らも(おそらくティグラト・ピレセル3世の起こしたクーデターにより)敗死。
- マティエル王の死後、アルパドはシリアにおけるウラルトゥの同盟国の中心となった。紀元前743年、アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世がシリアに遠征しウラルトゥ王国を破ったが、アルパドはアッシリア軍の攻撃に屈せず、3年にわたる包囲戦を戦った。紀元前740年にアルパドは陥落し、ティグラト・ピレセル3世は住民を殺戮し市街を破壊した。
この後、アッシリア軍はダマスカス(シリア)とイスラエル王国(エフライム)の同盟軍を破り、ユダ王国の王アハズを臣従させた。
聖書における記述
旧約聖書には、アッシリアにシリア諸都市が破壊された時期のアルパド(アルパデ)は何度も言及されている。
- 列王記下18:34 ハマトやアルパドの神はどこに行ったのか
- 列王記下19:13 ハマトの王、アルパドの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこに行ったのか
- イザヤ書10:9 カルノはカルケミシュと同じではないか。ハマトはかならずアルパドのようになり、サマリアはかならずダマスカスのようになる
- イザヤ書36:19 ハマトやアルパドの神々はどこに行ったのか
- イザヤ書37:13 ハマトの王、アルパドの王、セファルワイムの町の王、ヘナやイワの王はどこに行ったのか
- エレミヤ書49:23 ハマトとアルパドは悪い知らせを聞きうろたえている
原則として ハマト(ハマー)とセットで語られる様である。
紀元前9世紀、ヒッタイト人の小国に過ぎなくなったカルケミシュは新アッシリア王国の王アッシュールナツィルパル2世(Ashurnasirpal II, 在位紀元前883年~紀元前859年)とシャルマネセル3世に貢物をしている。同時期に周囲にあったシリア=ヒッタイト諸国は以下となる。
- ユーフラテスの少し下流にあるビト・アディニ(Bit-Adini、首都ティル・バルシプ Til-Barsip)
- ユーフラテス川からアレッポ周囲までに広がるビト・アグシ(Bit-Agusi、首都アルパド、後にアレッポ。ヒッタイトに奪われる以前は(バビロニア第一王朝を立てた)アモリ人の都市だったとも)
- 北のグルグム(Gurgum、首都マルカシ Marqasi)
- 東のハブール川沿岸にあるビト・バヒアニ(Bit-Bahiani、首都グザナ Tell Halaf/Guzana)
ヒッタイトが歴史上に登場して以来のアッシリア帝国との宿縁…最終的にカルケミシュは紀元前717年ピシリス王(Pisiris)の時代にアッシリアのサルゴン2世によって征服される。