「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】エウボイア島に残された「紀元前1200年のカタストロフ」からの復興の痕跡

紀元前1200年のカタストロフ」からの復興過程では、ギリシャにおいてクレタ島に次いで大きな島であるエウボイア島にあったカルキス(ハルキダ)もまた重要な交易拠点として機能したのです。

アテナイ側の勝利に終わったマラトンの戦い(紀元前490年)におけるペルシャ軍第二次遠征隊の進路。当時の戦況を生んだ各島や都市国家の位置関係が一望に出来る。

 

  • この島では考古学的にはミケーネ文明時代にまで遡れる遺跡が発見されていて、ホメロスイーリアス」にもエヴィア湾を渡った南、アッティカに面した地域に存在したライバル都市エレトリアと一緒に言及されている。

  • またトロイア戦争に際してアカイア軍が集結して船出した土地とされるアウリス現代名: アヴリダ (Avlida) )とはカルキスにほど近いエヴリポス海峡南側の岸辺であり2011年以降はハルキダ市域に含まれている。

1980年にはこのエウボイア島のレフカンディ遺跡で英雄廟(ヘローン)とよばれる在地権力者の館が発見され、人類学上「ビッグマン」と呼ばれる在地有力者が存在した事が証明された(ただしあくまで一代限りの権力者であり、前時代の王に連なる存在ではなく発見されたヘローンそのものも権力者の埋葬とともに破壊されている)。ここからは副葬品も豊富に見つかっている。この副葬品にはキプロスや近東で製造されたと見られる金属製品が発見されており、壺にエウボイアで使用されていたアルファベットを使用したギリシャ語文章が発見されたことからギリシャが東方と交流を再開したと想像されている。

  • 紀元前8世紀~紀元前7世紀には、カルキスの人々の入植活動によって、 カルキディケ半島(現代名: ハルキディキ半島)に30もの町が建設された(カルキディケという地名自体がカルキスに由来する)。
  • またシチリア島にもいくつかの重要となる町が築かれ、こうした植民市で生産された鉱産物や金属細工、貝紫染料や陶器などは、母市と植民市の住民との間で取引されるのみならず、コリントスサモスといった同盟国の商船によって地中海沿いの各地に運ばれていた事が明らかになっている。

  • また「キプロス島に渡ったエウボイア人は、もともと島に伝わっていた豊穣多産の女神を愛と美の女神アフロディーテとして彼らの神話に取り込んだ」という話もある。

その他の地域でも紀元前700年までは乏しかった副葬品がそれ以降増加に転じたが、その中に少なからぬ数の東方から運ばれてきた品が含まれる様になり、再び東方との交流が盛んになった様子がこちらでも見て取れる。これは土器を飾る幾何学文様の中に大型の櫂船が描かれている事からも想像される展開であり、かつこの時代のエウボイア系の杯(スキュフォス)はイタリアやレヴァント方面でも数多く出土している事から交易範囲の広がりも感じさせる。