「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】「フェニキア商人の地中海商圏」全域で見られた「バール(Baa=男主人)/バーラト(Baalat=女主人)神話/儀礼」

当時オリエント世界で一般に見られた「バール(Baa=男主人)/バーラトBaalat=女主人神話/儀礼」の世界は大体こんな感じでした。

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  • エジプト古王国時代紀元前2686年~紀元前2181年)の政治的安定に寄与してきた「ファラオがピラミッド建設などの秘法を独占し、臣下の来世を保障するシステム」が次第に崩壊。アビュドスの冥界神オシリス信仰(既に第3王朝時代(紀元前2686年頃~紀元前2613年頃)のレリーフに現れており第5王朝(紀元前2498年頃~紀元前2345年頃)末期以降、信仰対象として本格化)や、それに立脚するコフィン・テキスト棺柩文)が臣下や民間人の墓に現れる。遂には「これさえ死者とともに埋葬すれば冥福が保証される」お手軽葬祭文書「死者の書 (独Totenbuch, アラビア語كتاب الموتى, エジプト・アラビア語كتاب الاموات) 」まで登場。それぞれのノモス()が独立を主張する第1中間期紀元前2180年頃~紀元前2040年頃)が始まってしまう(葬祭の民主化)。

    さらに第11王朝紀元前2134年頃~紀元前1991年頃)によってエジプト再統一が達成されると「冥界神オシリスを祭る聖地アビュドスに巡礼して再生と復活を祈願する」習慣が始まり、以降も長期にわたって存続していく事になる。

    女神イシスは当初「死者の書」で冥界神オシリスの側に描かれる無名の助手に過ぎなかったが,、やがて地母神ハトホルの「太陽神ラーの娘にして妻/王権神ホルスの母にして妻」なる神格を簒奪し「冥界神オシリスの妻にして地上における全権代行者」なる最強の立場を獲得。

  • シュメール/アッカド神話においては地母神イナンナ/イシュタルと(種子の象徴として死と再生を繰り返す)牧畜神ドゥムズ/タンムーズが対を為して豊穣神話/儀礼を興成する(シリア/ギリシャ神話におけるアフロディテアドニスの関係)。

    ところがやがて在野に(おそらく毎年生贄に捧げ続けられる牧畜神ドゥムズ/タンムーズへの同情などが拠り所となり)「冥界神エレキシュガルの地上における全権代理人破壊神ネルガル信仰が現れる(本拠地はクターとされるが、地上の特定の場所とは限らない)。その暴力的で好色で既存秩序に反抗的な部分は、もしかしたら「紀元前1200年のカタストロフ」や多民族帝国台頭による都市国家の守護神達の権威失墜に向けられた庶民感情に由来するものかもしれない。

    1972年~1976年のエマル遺跡へのフランスの二つの考古学チームの発掘は、水の神バアルとその陪神アスタルトのものと考えられる聖域を構成する神殿地区を明らかにした。これは青銅器時代後期(紀元前13世紀から紀元前12世紀初期)にさかのぼるとみられる。 

  • 最近ではフェニキア商圏存続期(紀元前10世紀頃~紀元前1世紀頃)に地中海沿岸一帯を席巻した「黒い地母神」の起源について、フェニキア商人がインド南岸のドラヴィダ系のタミル人が信仰していた「破壊神カーリーの原型」を借用したとする説が浮上している。そもそもエラムなら同じエラム・ドラヴィダ語族Elamo-Dravidian languages)のインダス文明(紀元前7000年~紀元前1800年)と交流があった訳で、そちら経由の可能性もある。

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  • ヒッタイト時代のカルケミシュの守護神は、フルリ人から伝わったと目される女神クババKubaba)であり長いローブを着て、手にザクロと鏡を持った威厳のある婦人の姿で描かれた。後にギリシャに伝わり地母神キュベレーとなった。ちなみにキュベレーの夫は、同時に息子でもあり死んでは蘇るアッティスとされる。

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  • ヘブライ民族が信仰する唯一神ヤハウェさえ、時と場所によっては定式に当て嵌められた。例えば「サマリア人の信仰」という前置きでしばしば語られる「ヤハウェの配偶神アシェラאֲשֵׁרָה [’Ă šērāh])…

    旧約聖書にはヘブライ語アシェラאֲשֵׁרָה [’Ă šērāh])の名で現れる。カナンにおける豊穣の女神。ヘブライ人達は当初この女神を敵視したが(出エジプト記第34章第13節)、カナンの地に入植すると自らも崇め始め(士師記第3章第7節ほか)「聖なる高台」と呼ばれるカナン式礼拝所で祀った。何故ヘブライ人たちがこの女神を敵視したか、というとアシェラ祭儀が豊穣祈願にかこつけた売春行為に結ぶつくなどの側面をもっていたからとされる。

    ヘロドトス「歴史」より

    バビロン人の風習の中でも最も破廉恥なものは次の風習である。この国の女は誰でも一生に一度はアプロディテの社内に座って、見知らぬ男と交わらねばならぬことになっている。金持で気位が高く、ほかの女たちと一緒になることを潔しとしない女も少なくないが、こういう連中は大勢の次女を従え天蓋のある馬車で社に乗り付けてそこに立っている。しかし大抵の女は次のようにするのである。女たちはアプロディテの神域の中で、頭の周りに紐を冠のように巻いて座っている。新たにやってくるものもあり、立ち去るものもあり、その数は大変なものである。女たちの間を縫ってあらゆる方向に通ずる通路が網で仕切ってあり、よそから来た男たちは、この通路をたどりながら女を物色するのである。

    女は一旦ここに座った以上は、誰か見知らぬ男が金を女の膝に投げてきて、社の外でその男と交わらぬ限り、家に帰らない。金を投げた男は「ミュリッタ様の御名にかけて、お相手願いたい」とだけいえばよい。アッシリア人はアプロディテのことをミュリッタと呼んでいる。金の額はいくらでもよい。決して突っ返される恐れはないからである。この金は神聖なものになるので、突っ返してはならぬ掟である。女は金を投げた最初の男に従い、決して拒むことはない。男と交われば女は女神に対する奉仕を果たしたことになり家へ帰るが、それからはどれほど大金を積んでも、その女を自由にすることはできない。

    容姿に恵まれた女はすぐに帰ることができるが、器量の悪い女は永い間務めを果たせずに待ち続けなければならない。三年も四年も居残る女も幾人かいるのである。キュプロスでも幾箇所かに、これと似た風習がある。

    またナイル川上流のエレファンテネ島南国ヌビアとの国境地帯にして、550年に東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世が閉鎖した「版図内最後のイシス信仰の拠点」フィラエ神殿があった場所)にプトレマイオス朝古希 Πτολεμαῖοι、Ptolemaioi、紀元前305年~紀元前30年)が配備したユダヤ人傭兵隊は「ヤハウェとその配偶神たる天空の女神」を信仰していたとされる。ギリシャ神話の最古形では主神ゼウス古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)の配偶者が「天空の女神ディオーネ古希: Διώνη, Diōnē, 「ゼウス」の女性形)だったのを想起させる。

  • ローマ時代の記録によれば、当時ゲルマン人が崇めていたフレイFrey「男主人」の意)とフレイヤFreya「女主人」の意)の関係がこうした類型に当て嵌まる。この頃の最高神は「族長/司祭の神テュールTyr)で「農民が崇める雷神ソーThor)やフレイ/フレイヤの人気がこれに次ぎ「商人の神オーディンOdin)の評判は今一つ。北欧神話が記録に残される様になる時代までの社会変化(例えば支配構造が「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」から「従士制によって組織された冒険商人団/傭兵隊」に変遷)を彷彿とさせる。

キプロス島経由でギリシャ人(特にアナトリア半島から黒海沿岸にかけて広がったドーリア人商圏)やイタリア半島のエルトリア人やローマ人に伝わったアプロディーテー・ウーラニアー純粋な愛情を象徴する天上の女神で、航海の安全を祈る商人信仰に由来)」=「アプロディーテー・パンデーモス凡俗な肉欲を象徴する大衆の信仰対象で豊穣を司る地母神的側面に対応)」二重信仰も、シリアにおける大元の形は「豊穣の女神アプロディーテーと種の化身アドニス」というオーソドックスな組み合わせだったと推測されてます。

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アドーニス古希Ἄδωνις, 羅Adōnis)は、ギリシア神話に登場する、美と愛の女神アプロディーテーに愛された美少年。フェニキアキニュラースとその王女ミュラーの息子。

  • 長母音を省略してアドニスとも表記される。その名は、美しい男性の代名詞としてしばしば用いられる。
  • セム語起源で、旧約聖書のアドナイ(ヤハウェの呼び名「主」)と関係があるとされる。さらに神話の舞台となる場所がギリシア以外であり、元来は非ギリシア系の神話の人物である。

元はビュブロスとパポスにおいて信仰されていたフェニキア神話の植物の神であった。アドーニスは収穫の秋に死んで、また春に甦って来る。アプロディーテーが冥府の女王ペルセポネーとアドーニスを頒つのは、植物の栄える春夏と、枯れて死ぬ冬との区別である。

一方、ユリウス・クラウディウス朝初代皇帝アウグストゥス(在位紀元前27年~紀元14年)の強い後押しを受けて世に出た詩人ウェルギリウスラテン語叙事詩アエネーイス(Aeneis, 紀元前29年~紀元前19年, 未完)」は「女神アプロディーテートロイアの王子アンキーセースの間に生まれた(帝政ローマ初代皇統ユリウス家の始祖)アイネイアースは、最終的にカルターゴーカルタゴを治める女王ディードーの元を離れ(失意に駆られたディードーは自殺)、ラティウム(イタリア半島中央西部)の王ラティーヌスの娘ラウィーニアと結婚し新市ラウィニウム(後世ローマの一部)を建築した」という内容。ここでは「フェニキアを滅ぼしたローマ人側の葛藤」について、ある種の神話的解決が図られています。

カルタゴの建国神話に基づく伝記

フェニキア都市国家テュロスの国王の娘で幼名はエリッサElissa)といった。

  • 父の弟でメルカルトの神官をしていたシュカイオスと結ばれ巫女としても仕えていた。
  • 父の死去の際、彼女と兄のピュグマリオーンが共同で国を治める様に遺言されたが、兄は王位の独占と叔父の財産目当てに遺言に違えてシュカイオスを暗殺し、ディードーの命をも狙った。そこで彼女は全てを捨てて心ある家臣たちとともに航海に出た。
  • ディードーの一行は途中キプロス島で豊饒の女神アスタルテーに仕える神官と神殿に献上される予定であった乙女達を受け入れながら旅を続け、現在の北アフリカチュニジアの地に辿り着いた。そこで彼女はこの地の王であるイアルバースに土地の分与を申し入れた。イアルバースは1頭の牝牛の皮が覆えるだけの土地であれば分与しても良いと応えた。そこで彼女は牝牛1頭分の皮を細かく引き裂いてビュルサの丘の土地を取り囲み、砦を築くだけの土地を得た。この地が後のカルタゴとなった。

古代ギリシアの歴史家ティーマイオスによれば、これを見たイアルバースは彼女の才能に惚れて求婚したが、亡き夫の死の際に決して再婚しないと誓っていた彼女はこれを拒んで火葬の炎の中に飛び込んで自らの命を絶ったという。 

アエネーイス』第4巻に基づく伝記

古代ローマの詩人ウェルギリウス作の叙事詩アエネーイス』には、これとは違う物語が書かれている。

  • 英雄アイネイアースは祖国トロイア滅亡後に仲間とともに流浪の末にカルタゴに漂着するが、そこで彼は女王として国を治めているディードーに歓待を受ける。
  • アイネイアースの母ウェヌスアプロディーテー)は彼の身に危険が及ぶことを恐れ、クピードー(エロース)に命じてディードーに彼に対する愛を吹き込まさせる。そして、2人は愛し合うようになり契りを結ぶ。
  • ところがアイネイアースイタリア半島に向かうように神託を下していたユーピテル(大神ゼウス)は、改めてメルクリウス(ヘルメース)に命じて神託の実行を促す。そこで彼はイタリア行きを決意して出発してしまう。

アイネイアースに裏切られたディードーは悲嘆の余り、火葬の炎に身を焼かれて命を絶ったという。

まぁ(ある意味当時日本を動かしていた名族の起源譚の集大成として編纂された)「日本書紀」や「古事記」に収録された逸話でも、これぐらいの神話的解決ならザラに色々混っている気がします。というか「国民的叙事詩」って、そういうものとも…

 

 

メソポタミアでは紀元前1155年カッシト朝バビロニアエラムによって滅ぼされたが、翌年イシン第2王朝(紀元前1157年~紀元前1025年)が勃興、その王であるネブガドネザル1世エラムに侵攻して短期間ながら首都スーサを支配した。しかしネブガドネザル1世死後、アラム人らが侵入を開始、バビロンを代表とするバビロニア諸都市は壊滅的打撃を受けた。そして以降第2海の国バジ王朝エラム王朝などが勃興を繰り返し、バビロニアは事実上暗黒時代を迎える。

一方(シュメール人バビロニア人に倣って紀元前2千年紀頃より楔形文字を使用する様になり、インダス文明メソポタミア文明を仲立ちする存在になったと考えられている)エラムは隆盛期を迎えており、ウンタシュナピリシャがチョガザンビルに巨大なジッグラトを建設、さらには紀元前12世紀末シュトルクナフンテメソポタミアを攻撃、ハンムラビ法典を代表とする戦利品をスーサに運び去り、その子クティルナフンテイシン第2王朝を攻め滅ぼした。

以降、バビロニアでは強力な中央権力が存在せず、多くの短命王朝が興亡する不安定な状況が続く。バビロニアの政治的・神学的中心都市はバビロンであり「バビロンの王」がバビロニア王とみなされたが、実際には、諸都市は独立状態にあった。さらに、元々遊牧民であったアラム人カルデア人の諸部族がバビロニアに定住し、特に(後にその天体観測技術や暦法ギリシャ人の称賛の的となるカルデア人が政治的に重要な役割を果たす事になるのである。