「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【「諸概念の迷宮」用語集】フェニキア商人が始めたイベリア半島の古代史

極めて複雑な歴史を有するイベリア半島

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その出発点はやはり「フェニキア商人が構築した地中海文化圏」だったのです。

船材にレバノンが利用出来たフェニキア人は、紀元前15世紀頃~紀元前8世紀頃海上交易で繁栄を極めた優れた商人であったばかりかカルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。

しかしながら、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550年~紀元前330年)の支配下に入って以降も相応の繁栄は続けたティロスはアレキサンダー大王の東征(紀元前334年~紀元前324年)に無残に破壊され、以降はその植民地だったカルタゴに地中海貿易の座を譲る展開を迎える。

現在のチュニジア共和国にあったカルタゴ紀元前820年頃/紀元前814年頃ティルスが建設した植民市であり、紀元前6世紀までに西地中海における交易の中心地へと成長した。

  • 建設されたのは現在のチュニジアの首都チュニスに近い場所。地中海に面したこの地は、他のフェニキア人の植民市と同様、水深が比較的浅く、簡単に錨を下ろすことができるので、船を港で停泊させるのが容易だったのである。
  • 地中海のほぼ中央に位置し、シチリア島にも近く、北アフリカからイタリアに至る地中海の南北路を押さえることが出来た。ちょうど地中海の交易ネットワークの中心に位置していた為、母市ティルスアレクサンドロス大王の侵攻によって衰退して以降は地中海交易の中心地となり、大いに隆盛を極めた。

しかしシチリア島の西半分を支配していた事により、イタリア半島を統一して西地中海の新興勢力として台頭してきた共和制ローマと、西地中海の覇権をめぐって直接対決する展開を迎えてしまう。

カルタゴ(バルカ家)イベリア半島進出とローマ属州への改変

第1次ポエニ戦争(紀元前264年~紀元前241年)でカルタゴ破ってシチリア島を獲得した共和制ローマは、さらに破竹の勢いでサルデーニャ島コルシカ島の奪取に成功。

カルタゴ第3次ポエニ戦争(紀元前149年~紀元前146年)によって共和制ローマ帝国に滅ぼされるが、それを待つまでもなくイベリア半島を手放してしまったのだった。

こうして地中海の制海権カルタゴからローマに渡る過程で地中海交易が都市国家間のネットワークを意味する時代は完全に終焉したのである。

とりあえず以下続報…