極めて複雑な歴史を有するイベリア半島…
その出発点はやはり「フェニキア商人が構築した地中海文化圏」だったのです。
船材にレバノン杉が利用出来たフェニキア人は、紀元前15世紀頃~紀元前8世紀頃の海上交易で繁栄を極めた優れた商人であったばかりかカルタゴなどの海外植民市を建設して地中海沿岸の広い地域に広がった。
紀元前8世紀のティルスは地中海方面からメソポタミア、アラビア半島に至る交易ネットワークのハブとなっていた。貝紫とレバノン杉がフェニキア本土の特産品であり、この地域の都市国家の成立と繁栄を支えた。特にタルテッソス(イベリア半島)の銀をオリエントに持ちこむ航路はフェニキア人が独占していた。
- ホメロス叙事詩「イーリアス(希Iλιάς, 羅Ilias, 英Iliad, 成立紀元前8世紀中旬)」における「アキレウスの親友(恋人)」パトロクロスの葬式競技に「シドンの銀食器」が重要な懸賞品の一つとして登場する。こうしたブランド化の背景にも「フェニキア商人によるタルテッソスの銀の独占」があった事は想像に難くない。そもそもフェニキア商人躍進の契機となったのは、それまで金属貿易としてタウロス山の銀、エジプトの金、キプロスの銅を扱ってきた都市国家ウガリット(ウガリット語: 𐎜𐎂𐎗𐎚 ugrt [ugaritu]、英: Ugarit, 全盛期紀元前1450年頃~紀元前1200年頃)が「紀元前1200年のカタストロフ」で壊滅し、再建されなかったからだった。
紀元前8世紀頃に成立したギリシア吟遊詩人ホメロスの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」でもフェニキア人は「船を操る商人や職人の集団」と表現される。しかしその一方で紀元前8世紀~紀元前8世紀にかけて東地中海海商圏(特にアナトリア半島と黒海の沿岸部)をギリシャ人海賊/商人に明け渡す展開を迎える。
しかしながら、アケメネス朝ペルシャ(紀元前550年~紀元前330年)の支配下に入って以降も相応の繁栄は続けたティロスはアレキサンダー大王の東征(紀元前334年~紀元前324年)に無残に破壊され、以降はその植民地だったカルタゴに地中海貿易の座を譲る展開を迎える。
現在のチュニジア共和国にあったカルタゴは紀元前820年頃/紀元前814年頃にティルスが建設した植民市であり、紀元前6世紀までに西地中海における交易の中心地へと成長した。
- 建設されたのは現在のチュニジアの首都チュニスに近い場所。地中海に面したこの地は、他のフェニキア人の植民市と同様、水深が比較的浅く、簡単に錨を下ろすことができるので、船を港で停泊させるのが容易だったのである。
- 地中海のほぼ中央に位置し、シチリア島にも近く、北アフリカからイタリアに至る地中海の南北路を押さえることが出来た。ちょうど地中海の交易ネットワークの中心に位置していた為、母市ティルスがアレクサンドロス大王の侵攻によって衰退して以降は地中海交易の中心地となり、大いに隆盛を極めた。
しかしシチリア島の西半分を支配していた事により、イタリア半島を統一して西地中海の新興勢力として台頭してきた共和制ローマと、西地中海の覇権をめぐって直接対決する展開を迎えてしまう。
第1次ポエニ戦争(紀元前264年~紀元前241年)でカルタゴ破ってシチリア島を獲得した共和制ローマは、さらに破竹の勢いでサルデーニャ島やコルシカ島の奪取に成功。
- この損出を埋め合わせるべく、第1次ポエニ戦争に参加した将軍ハミルカル・バルカが遠征軍を率いてイベリア半島へ進出。元々フェニキア人の植民市のあったガデス(現カディス)からアンダルシア地方やカタルーニャ地方を支配下に置く体制を構築した。この地の鉱物資源はカルタゴにとって重要な交易品だったので、そこまでローマに奪われたくないという思いもあったとされる。
- その後バルカ家はイベリア半島で急拡大。アンダルシア地方にカルタヘナ(Cartagena, カルタゴ・ノヴァ)、アルメリア(Almería)、カタルーニャ地方にバルセロナ(Barcelona)を次々と建設。
- 第2次ポエニ戦争(紀元前219年~紀元前201年)ではハミルカル・バルカの息子ハンニバル率いる軍勢がカルタゴ・ノヴァを出発。ピレネー山脈を越え、ローヌ川を渡ってアルプス山脈を越えローマに向かっている(ハンニバルのアルプス越え)。
この戦争に勝利したローマはアンダルシア地方を獲得して属州ヒスパニア・バエティカ(Hispania Baetica)に改変。
また次第にケルト人の所領も手中に収めバレンシア地方、ガリシア地方、カタルーニャ地方などを獲得し属州ヒスパニア・タラコネンシス(Hispania Tarraconensis)を建設する。
カルタゴは第3次ポエニ戦争(紀元前149年~紀元前146年)によって共和制ローマ帝国に滅ぼされるが、それを待つまでもなくイベリア半島を手放してしまったのだった。
こうして地中海の制海権がカルタゴからローマに渡る過程で地中海交易が都市国家間のネットワークを意味する時代は完全に終焉したのである。
とりあえず以下続報…