前近代まで適者生存(survival of the fittest)理論は氏族間闘争(Clan wars)と関連付けて論じられてきた感がある。
①「国学者」本居宣長も精読した「春秋左氏伝(紀元前700年頃〜約250年間の歴史を扱う。成立期不明)」は「支配者は天から選ばれる事でその地位を獲得し、天から見放される事によって滅んでいく」とした。メソポタミアの宗教観と重なる部分が多いが、こちらではアッカド人のシュメール制圧に際して芽生えた判官贔屓感情を背景とする「あえて(アッカドの地母神)イシュタルから選ばれる事を拒絶したシュメールの英雄王ギルガメッシュ」についての叙事詩(紀元前三千年紀成立)も伝わる。
②日本における「古事記(712年)」「風土記(編纂令713年、未完)」「日本書紀(720年)」「新撰姓氏録(815年)」。全国各地の在地有力者の氏族起源譚を編纂する形で「中央神話」創造を志向。各氏族間の格式を「氏族起源台帳」によって管理しようとしたが、朝廷では天皇の権威とこれを奉じる藤原摂関家の力が強くなり過ぎてしまい、システムとして崩壊。一旦は完全に忘れ去られてしまう。
③「どうして藤原氏は栄華を極めたのか」を主題とする「大鏡(11世紀成立)」。藤原氏の没落までは扱わないが、むしろその予兆に怯えた事が執筆の動機になったとも。また同時期の「源氏物語(11世紀成立)」は主人公光源氏の末裔達がその輝きを失っていく様を残酷に描く。
*ここには「妹の母乳」なるパワーワードも登場。
④「どうして一時期あんなにも栄えた平氏は滅んだのか?」が関心の的となった「平家物語(13世紀以前の成立)」。これにあやかる形で編纂された「太平記(14世紀中旬〜1370年頃)」においてそのテーマは「(一族に名誉をもたらしてくれる筈の)朱子学の実践とは何か?」といった新要素を加え複雑な発展を見せる事になる。
⑤リュジニャン一族が十字軍運動(11世紀末~13世紀末)に連動する形で栄え、そして衰退していく有様を始祖とされる人魚メリュジーヌ(Mélusine)の伝承と結びつけた「メリュジーヌ物語、あるいはリュジニャン一族の物語(Le roman de Mélusine ou histoire de Lusignan、散文版1397年、韻文版1401年以降)」。当時リュジニャン一族はまだ欧州においてそれなりの影響力を留めていたのでその滅亡までは描かれなかった。
⑥中世的分権状態から絶対王政の臣民(Subject)の世界へと世界観が変遷していく過渡期に執筆されたシェークスピアの「ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet、 1595年前後)」の世界。
歴史的背景は案外複雑。キャピュレット家とモンタギュー家の対立は神聖ローマ帝国とイタリアの中世を騒がせた教皇派(Guelphs)と皇帝派(Ghibellines)の対立に由来する。「オトラント城奇譚(The Castle of Otranto、1764年)」同様フリードリヒ2世が背後で暗躍。もし当時の英国王エドワード1世が勧められるままナポリとシチリアの国王となっていたら、イングランドはイタリア半島の南半分を獲得する代償として(「狂犬」アンジュー公シャルル・ダンジューに率いられた)フランス王国と全面戦争状態に突入していた。こういう重厚な歴史が英国人に様々な想いを馳せさせるのであろう。だが同時にこうした設定のマクガフィン化にも成功しており「臣民(Subject)の世界から市民(Citizen)の世界へ」といった価値観の展開にも対応。その過程で「バルコニー(balcony)理論」が派生。
- 「マクガフィン(MacGuffin, McGuffin)」…ヒッチコック監督の作劇理論における「登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる小道具」。そのジャンルでは陳腐なものが選ばれる事が多く、作品構造上いくらでも交換が効く。
- 「バルコニー(balcony)」…ハリウッド映画の脚本世界では少なくとも1930年代から「バルコニー理論」なるものがシナリオのチェックに使われてきたが、そこでいう「主役カップルが結末まで結びつかない様に引き離しておく阻害要因」。
名前の通り「ロミオとジュリエット」が発想の起源だが、その存在を暴露したジェームズ・M・ケイン自身は「ルールを従順に厳守してる限り三文芝居しか書けない」とし、そのロジックを逆手に取って「郵便配達は二度ベルを鳴らす(The Postman Always Rings Twice. 1934年)」を執筆した。
実際、このシステムには「世界滅亡を直前に控えても男二人と女一人の三角関係しか描けない」欠陥などが存在する。
遅くとも1990年代までにはコンピュータ化され、実物の一つを触った事もあるが、少なくともそのバージョンでは「恋を邪魔する存在」と「恋を進めてくれる存在」の兼任が不可能だった(どちらかというと対立して代理戦争をやらかす前提になってたっぽい)。確かにこれでは三文芝居の量産しか出来ない。
- 歴史的背景がよりマクガフィン化された「ハムレット(Hamlet、1600年〜1602年)」「マクベス(Macbeth、1606年頃)」「リア王(King Lear、1604年〜1606年頃)」といった作品に至っては、もはや氏族物に分類することすら不可能となる。
*そしてこの次元から「家父長制」とか「エディプス・コンプレックス」とか新たな次元の価値観が切り離される展開に。
⑦18世紀前半に「ウォルポールの平和(1721年〜1741年)」を実現したホイッグ党穏便派の末裔ながら、既に政治的影響力をほとんど喪失していたホレス・ウォルポールが同様に一時期国際政治の頂点に立ちながらあっけなく滅んでいった神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝(Hohenstaufen, 1138年〜1208年、1215年〜1254年)に取材した「オトラント城奇譚(The Castle of Otranto、1764年)」。
⑧「どうしてフランスにおいてはブルボン家からオルレアン家への王統交代が起こったのか?」について取材したアレクサンドル・デュマ「ダルタニャン物語(D'Artagnan、1844年〜1851年)」の世界。テューダー朝(1485年〜1603年)愛国史観そのものともいえるシェークスピア史劇を参考にしたが、執筆途中で2月/3月革命(1848年〜1849年)が起こり、その部分はあえなくマクガフィン化。
しかし19世紀に入ると「血統こそ全て」をモットーとする貴族制そのものの崩壊が始まる。そして上掲の様な概念の向先が次第に「国家」や「人種」といった新たな有効単位に推移していく。「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的伝統」そのものが過去のものとなる。
そんな感じで以下続報…