如何なる動きが正しいかは各時代の状態によって異なる。とりあえずここではそれに影響のあったと推定されるパラダイムシフトを伴う歴史区分をこうカウントする。
- 大航海時代(15世紀中旬〜17世紀中旬)の始まり…これを契機とする「経済中心地の地中海沿岸地域から大西洋沿岸地域への遷移」をパラダイム・シフトの出発点とする「オクシデント(Occident=西洋)中心史観」は、逆をいえばそれ以前の時代は「オリエント(Orient=東洋)中心史観」こそが妥当であった事を示唆している。最初の重要な変化をもたらしたのは(レコンキスタを早々に完了し、地中海沿岸経済圏における相応の地位も獲得したものの、14世紀における黒死病大流行で致命的ダメージを受けた)ポルトガルの起死回生を賭した「アフリカ十字軍」だった。これが「砂金と岩塩を交換するサハラ交易の相手先」西アフリカ諸国に到達すると(オスマン帝国とヴェネツィアにレパント交易を独占されていた)イタリア商人の融資も受けられる様になり、最終的にはアフリカ大陸の沿岸を伝ってインドへと到達する「西回り航路」が開発される。とはいえ小国ポルトガルには、こうして血の滲む様な努力で開拓した巨大交易圏からの適切な徴税を可能とするだけの海軍力がなく、見様見真似でジェノバ人の冒険商人と銀行家からサポートを受けて南米大陸征服に乗り出したスペインにその覇権を譲り渡さざるを得なくなる。
- イタリアにおけるルネサンスの盛衰(14世紀〜16世紀)…逆を言えば地中海沿岸交易網が黒死病によって壊滅的打撃を受けた14世紀から「大航海時代(15世紀中旬〜17世紀中旬)到来による経済中心地の地中海沿岸地域から大西洋沿岸地域への遷移」が決定的となった16世紀までがイタリア・ルネサンスの最盛期となる。ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化(Die Kultur der Renaissance in Italien, ein Versuch, 1860年)」や、ゾンバルト「恋愛と贅沢と資本主義(Liebe, Luxus und Kapitalismus, 1922年)」によれば、この時期にアビニョン虜囚(1309年〜1377年)を契機に教皇が領主化して中世秩序の崩壊が始まり、オリエントとの交易増大によって文化熱が高まり、オスマン帝国の勢力伸長によってレパント交易から締め出されたヴェネツィアが出版文化やオペラ文化に乗り出してキャンバス絵画を発明するが、その成果は大西洋沿岸地域のオランダやフランスに継承される。
- 「(暴力の国家独占が法実証主義に基づいて保証された)必要にして十分なだけの火力と機動力を装備した常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う」主権国家(羅civitas sui iuris)の躍進開始(15世紀〜18世紀)…この路線で15世紀前後に最初に覇権国に躍り出たのはオスマン帝国やムガル帝国などだったが「暴力の国家独占が法実証主義に基づいて保証されている」という部分が未整備だった為に地方分権状態に陥ってしまい、百年戦争(1337年/1339年〜1453年)時代から準備を整えてきた大英帝国や絶対王政下フランスなどに遅れを取ってしまう。
- リスボン大地震(1755年11月1日)を契機に起こった大規模モラルハザードとその影響(18世紀〜19世紀前半)…欧州諸国の有識者を震撼させた事件で、米国独立戦争と合わせフランス革命やナポレオン戦争を準備したとまで言われている。いずれにせよその過程でフランスが覇権国から離脱する一方、新興国たるアメリカの躍進が始まる。
- 産業革命の加速(19世紀)…当初は社会状態の拘束を受けずに済んだ英国・オランダ・スイス・アメリカなどで発達。やがてフランスがサン=シモン主義導入によって追いついてきて、これを模倣したドイツ帝国や大日本帝国も参入。
- 欧州経済が復興を果たした結果としてのベル=エポック時代(19世紀末〜20世紀初頭)…資本主義的発展が伝統的地方共同体の破壊や経済格差増大といった形で現れてきた時期でもある。この時代に第一次世界大戦(1914年〜1918年)勃発に向けての遠因が積み上げられた。
- 国家間の競争が全てとなった総力戦体制時代(1910年代後半〜1970年代)…オーストリア=ハンガリー二重帝国、オスマン帝国、帝政ロシアなどが斃れ、とうとう純粋な主権国家間の競争時代に突入。共産主義瘡蓋(かさぶた)論の対象時期でもある。欧州経済が再復興を果たすまで続いた。
- 商品供給会社とマスコミが主権国家による覇権の後釜を狙った「産業至上主義時代(1960年代〜???)」…日本では、ここでどうしても「天才プロデューサー」石原慎太郎と角川春樹の名前を挙げざるを得ない?
- インターネットの普及と第三世代人工知能が切り開いた「科学至上主義時代(1990年代〜???)」…
とりあえず、以下続報…