「直交座標系(Rectangular coordinate system/Orthogonal coordinate system)」においては互いに直交する(一次独立の)座標軸の積み重ねがN次元空間を表現します。
統計言語Rによる3D表示(z軸=t)
library(rgl)
ccs_x<-seq(-3*pi,3*pi,length=180)
ccs_y<-ccs_x
ccs_z<-ccs_x
plot3d(ccs_x,ccs_y,ccs_z)
movie3d(spin3d(axis=c(0,0,1),rpm=5),duration=10,fps=25,movie="~/Desktop/test")
- 「方法序説(Discours de la méthode、1637年)」発表により平面上の座標の概念を確立したフランス人哲学者ルネ・デカルト(René Descartes、1596年〜1650年)の名を採って「デカルト座標系 (Cartesian coordinate system) 」と呼ぶ事もある。
- 「方法序説(Discours de la méthode、1637年)」の刊行当時の正式名称は「理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話(方法序説)」。当時はまだまだ数学は「神の叡智を証明する神学の補助的手段」としか考えられていなかったのである。
- 座標軸の向きには任意性があるが、普通y軸の正の向きはx軸の正の向きから一直角分反時計回りに回転した向き(右手系)にとられる。また、x軸は水平方向に右の方向を正の向きにして描かれるのが普通であり、そのときy軸は垂直方向に上の方向を正の向きとすることになる。
これに対し「角度、距離、時間」を基本構成単位とする極座標系(Polar coordinates system)の場合は自然に円筒形やトーラスが全体像の表現に選ばれます。重要なのはその周期性…
統計言語Rによる3D表示
library(rgl)
#complex_plane_z=時間軸t
complex_plane_z<-seq(-3*pi,3*pi,length=180)
#complex_plane_x=実数軸(Real number)
complex_plane_x<-cos(complex_plane_z)
#complex_plane_y=虚数軸(Imaginary number)
complex_plane_y<-sin(complex_plane_z)
#グラフ描写
plot3d(complex_plane_x,complex_plane_y,complex_plane_z)
movie3d(spin3d(axis=c(0,0,1),rpm=5),duration=10,fps=25,movie="~/Desktop/test")
観測対象を-∞から∞に設定し、剰余項スレスレまで近似値を計算するアプローチを共有するテイラー級数(Taylor series)/マクローリン級数(McLoughlin series)、「実数世界R(t空間)と虚数世界C(s空間)の往復」を特徴とするフーリエ変換(Fourier transform)/フーリエ逆変換(Fourier inverse transform)やラプラス変換(Laplace transform)/ラプラス逆変換(Laplace inverse transform)などもかかる円筒形世界やトーラス型世界を前提にしていると言えましょう。ただそのアプローチ手法上、円環の一部しか扱わないので一見そう見えないだけの話…
整数でない実数は適当な有効数字の小数で表すのが実用的である.同じ
ことを関数でやるのがたとえばテイラー展開であり,フーリエ展開である。
*このドキュメントではMathematicaを活用しているが、このサイトだとRのRyacasライブラリの領分となる。
*円周率の近似計算もこちらのグループに入る?
こうした展開を経ていよいよ「忘れられた天才」ピエール=シモン・ラプラス(Pierre-Simon Laplace, 1749年〜1827年)が登場し「ラプラスの悪魔(Laplace's demon)」概念と「(確率変数の出力が永延に期待値に到達しない)ベイズ推定理論」の提唱者として後世に「悪名」を残す展開となるのです。
「異端の統計学ベイズ(The Theory That Would Not Die: How Bayes' Rule Cracked the Enigma Code, Hunted Down Russian Submarines, and Emerged Triumphant from Two Centuries of Controversy,2011年)」
教皇との和解を考えていたナポレオン皇帝は、1802年にマルメゾンにある皇后ジョセフィーヌのバラ園で開かれた園遊会で、ラプラスに神や天文学や天体を巡る有名な議論を吹っかけた。
「それで、これらすべてを作ったのは誰なのだ?」
と、ナポレオンが尋ねるとラプラスは落ち着いて天体系を構築して維持しているのは一連の自然な原因である、と答えた。
するとナポレオンは不満げに「ニュートンは著書の中で神に言及している。貴殿の著作を熟読してみたが、一度も神の名前が出ないのは何故だ?」
これに対してラプラスは重々しく答えた。
「私にはその様な仮説は必要ございませんので」
ラプラスはかなり前から(牧師でもあったベイズとは異なり)原因の確率と宗教的な考察を切り離していた。「物理科学の真の目的は、第一原因(すなわち神)の探求ではなく、それらの現象が起こる際の法則の探求である」。自然現象を科学的に説明できればそれは文明の勝利といえるが、神学論争は決して答えが出ないという点で不毛なのだ。
そして中心極限定理へ…
フランスの政治が激しく揺れ動く最中、ラプラスはなおも研究を続け1810年に中心極限定理を発見した。科学においても統計学においても空前絶後の発見といって良いこの定理によれば、幾つかの例外は別として、大量の類似項の平均は決まって釣鐘型の正規分布となる。使い勝手の良い釣鐘曲線が、突如として数学的実体のある構造物に化けたのである。ラプラスが考えていた原因の確率(ベイズ推定)では、それまで項が二種類の問題しか扱えなかったが、中心極限定理が証明された事でほぼ全ての種類のデータが扱える様になったのだった。
中心極限定理は大量のデータの平均値を使う正当性を数学的に示す事でベイズの法則の未来に深く大きな影響を及ぼした。ベイズの法則の主だった創造者で擁護者であったにも関わらず、ラプラスは齢62歳にして劇的な方向転換に踏み切る。ベイズの法則への忠義を棄て、これまた自身が展開していた別アプローチ、すなわち頻度に基づくアプローチに乗り換えたのだ。1811年から息を引き取るまでの16年間、ラプラスはもっぱら頻度を使った(20世紀の理論家がベイズの法則を抹殺する為に駆使した)手法に頼る事になる。
ラプラスが路線を変更したのは、データ量が膨大であれば通常どちらのアプローチでもほぼ同じ結果が得られる事に気付いたからだ。それでもやはり原因の確率の方が便利で、特に曖昧な事例では頻度主義より強力だった。ところがラプラスの時代に科学が成熟した結果、1800年代の数学者達は以前よりはるかに確実なデータを手に入れる事になったのだった。信頼出来るデータを扱うのであれば頻度主義の方が楽である。そして数学者達は20世紀中旬まで同じ大量のデータを扱っても、この二つの手法で得られる結果がひどくズレる場合があるという事に気づかなかったのである。
皮肉にも絶対王政時代に百科全書派のダランベール(Jean Le Rond d'Alembert、1717年〜1783年)に引き立てられ、ナポレオンに重用され、復古王政時代に永代侯爵の称号を受けた「世渡り上手」ラプラスの業績は、その死後、自ら基礎づけた頻度主義統計学が(やはり同様にラプラス自身が基礎付けた)ベイズの法則への攻撃を開始したせいで歴史の掃き溜め送りとなってしまったのでした。そう、全てはここから始まったのです…