ホブズボーム区分における「危機の時代(1973年 - 1991年)」及び以降に該当。
ホブズボーム区分における「危機の時代(1973年 - 1991年)」
1973年には先進諸国で変動相場制が導入されたが、数ヵ月後には第4次中東戦争の勃発をきっかけとして原油価格の高騰などからオイルショックに陥り、これまでエネルギー源を中東の石油に依存してきた先進諸国の経済に打撃を与えた。それまで好調だった世界経済は地すべり的に停滞へと向かい、経済を含めた社会情勢などが不確実さを増したことから、当時代区分は「地すべりの時代」「不確実と危機の新しい時代」とも呼ばれる。1989年には東欧革命が起き、アメリカ・ソ連両国の首脳により半世紀近く続いた冷戦の終焉宣言も出された。またこの年に起きたベルリンの壁崩壊により、翌年には東西ドイツが再統一された。共産主義・社会主義陣営の敗北によって、最終的には1991年のソ連崩壊へと結実している。「短い20世紀」の概念では、この出来事を以ってサイクルの終了と考えられている。
「ソ連崩壊(1991年12月)」を契機とする共産主義経済圏崩壊のあったこの時期、資本主義経済圏もまた成長限界点に到達して苦しめられたのです。
- 高度成長期の終焉…先進諸国では1973年から変動相場制が導入されたが、その数ヵ月後、第4次中東戦争勃発を契機に原油価格が高騰。オイル・ショック(Oil Crisis、第1次1973年、第2次1979年、ピーク1980年)を経てOPEC諸国の国際収支高向上(1973年の10億ドルが1974年には約700億ドルに急増)や発展途上国向け民間銀行貸し付け額上昇(1970年の30億ドルが1980年の250億ドルに跳ね上がる)が見られる展開となったが、その一方でそれまで好調だった世界経済は地すべり的に停滞へと向かい、日本の高度成長期も終わりを告げた。
*「山岳ベース事件(1972年〜1973年)」や「あさま山荘事件(1973年)」と併せ新左翼運動の終焉にトドメを刺したとも。
- イスラム過激派の台頭…イラン革命(1979年)。およびそれに触発される形で同年サウジアラビアのスンニ派イスラーム主義者達がイスラム聖地で蜂起した「アル=ハラム・モスク占拠事件 (Grand Mosque Seizure)」。そして同年末のソ連軍によるアフガニスタン侵攻。1981年にエジプトでサダト大統領を暗殺したサラフィー・ジハード派もアフガン紛争(1978年〜1989年、ソ連介入1979年〜1989年)に合流。アメリカの後援下「国際的スンニ派テロリスト集団の国際的ネットワーク」が築造された。
*本多勝一「アラビア遊牧民(1966年)」でも触れられていた様に、要するに基本は(鎌倉武士の如く隙あらば敵対勢力を族滅によって殲滅しようと虎視眈々と狙い続けている)部族社会の住民なのである。 それがオイルマネーによって「軍資金」を得たしまった生き地獄…
破壊的イノベーションの典型例。中東に日本人名指しの法律が結構あるとは知らなかった。 / “かつての日本の真珠の養殖技術がなろう小説の技術チートのような凄絶さだった - Togetter” https://t.co/gTNfkKsHu1
— LM-7 (@LunarModule7) July 16, 20197月11日は真珠の日。1893年の今日、御木本幸吉夫妻が初めて真珠の養殖に成功した日です。真珠は6月の誕生石で石言葉は「健康・富・長寿・清潔・素直」など。結婚式のティアラにぴったりですね!@ray_ligntning https://t.co/wzc6NrMcEc
— 馬渕まり🏯歴女医 (@rekijoymary) July 10, 2019養殖の成功により真珠の価格破壊が起こり、養殖技術を全く知らなかった中東の真珠産業は壊滅し20年近い飢饉により22万人が死亡したといわれている。このためクウェート人は御木本幸吉を恨んでおり、
— 亜留間次郎 (@aruma_zirou) July 11, 2019
御木本幸吉とその一族は全員死刑という名指の族殺アハト法があった。湾岸戦争後にアメリカの支援で法律をデーターベース化してネットで公開したら、日本人を名指しで族殺する法律の条文が発見されてしまい、あわてて消した経緯がある。
— 亜留間次郎 (@aruma_zirou) July 11, 2019中東が大打撃までは知っておりましたが法律までは知りませんでした!
— 馬渕まり🏯歴女医 (@rekijoymary) July 11, 2019バーレーンにも同じような法律があって、現代でも日本の真珠の輸入は禁止されています。
— 亜留間次郎 (@aruma_zirou) July 11, 2019
世界史で見ると日本人は意外と中東で恨み買っています。
日本を名指しした法律が結構あるんですよ。悪魔の歌(反イスラム的だとの事)を翻訳した日本人助教授とか殺害されましたよね。
— 徳蔵 山の翁待ち呼符60枚。 (@Geirvimul) July 18, 2019 - 日本のバブル経済…1980年代に「実態なき好景気」が続き、エンターテイメント業界も「このままこの状態が続く筈がない」と警鐘を鳴らす作品、不条理物、ナンセンス物、実話怪談などが増えた。バブル崩壊は1991年3月から1993年にかけて進行。1980年代を風靡した名プロデューサー角川春樹の逮捕(1993年8月29日)もこの時期の出来事だった。
*実は19世紀末のオーストリア=ハンガリー二重帝国首都を飾った最後の徒花「ウィーン世紀末芸術」にも同様の傾向が見られた。
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米国金融バブルの興亡…1990年代から米国主導の形で金融商品のグローバル化が推進され、レバレッジ形式による第三国からの資金吸い上げが行われる様になってある種のバブル状態が現出したが、サブプライム住宅ローン危機(2007年)やリーマン・ショック(2008年)によって鎮静化した。
- 理不尽なヘイトクライムの蔓延など…人間間を隔てる境界線が曖昧になるほど、それに耐えきれない人々の暴走も激しくなる?
しかしながら、この時代の末期にこそパソコンやインターネットの国際的普及は始まったのである。
エリック・ホブズボーム「20世紀の歴史(1994年)」
世界全体としては1920年にはおそらく35ヶ国かそれ以上の立件主義的な、選挙によって選ばれた政府(ラテンアメリカの共和国をどう分類するかによって国数は変わる)が存在したが、1944年には総計64ヶ国のうち12ヶ国がかろうじて存在しているに過ぎなかった。
戦後には次第に東西冷戦の状況が形成されていったが、1991年のソ連崩壊によって共産主義・社会主義陣営の敗北が明らかとなり、ホブズボームはここに「短い20世紀」の終わりを見る。
アメリカの政治学者フランシス・フクヤマも「歴史の終わり(1992年)」の中で民主主義と自由経済主義の最終的勝利を高らかに宣言している。しかし実は1914年に始まった「戦争の時代」は今なお続いているのかもしれない。少なくともフランシス・フクヤマが預言した「世界中が民主主義国家となって穏やかで平和な時代の到来」は夢物語となってしまった。
さて、我々は一体どちらに向けて漂流しているのでしょう?