ナチス・ドイツにそのまま残って協力者となった事から賛否両論あるドイツの哲学者マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger、1889年〜1976年)は「技術への問い(Die Frage nach der Technik、1954年)」の中でこう述べています。
- 集-立(Ge-Stell「特定目的達成の為に手持ちリソースを総動員しようとする体制」)システムは、しばしば元来の「秘匿され顕現を待つ真理(Aretia,アレーティア)への到達」なる悲願を忘れ、自らの存続や発展のみを主題とする様になるから「我々に認識可能な範囲外を跋扈する絶対他者」の捕捉手段として相応しくない。
一方、しばしば「現代経営学あるいはマネジメント(management)概念 の発明者」と呼ばれるピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年〜2005年)は、その著書「マネジメント(management、1974年)」の中でユダヤ系オーストリア人として自ら直接経験したナチズム台頭による迫害にかこつけてビジネスモデル(business model)の在り方についてこう述べています。
- 国家間競争や民族間競争を最優先課題とする体制は、いずれにせよ最終的には全体主義へと帰着する。それを回避するには「成果をあげる責任あるマネジメント」に立脚する自律的組織=企業の存続と発展が不可欠。それこそまさに全体主義に代わるものであり、われわれを全体主義から守る唯一の手立てである。
こうした概念の大源流を辿るとカンブリア爆発時代(Cambrian Explosion、5億4200万年前〜5億3000万年前)に「視覚とそれを処理する脊髄(ソフトウェアとしては「オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)」、すなわち観測原点をスッポリ覆う全球型スクリーンを等して世界そのものに接する認識システム)」を獲得した左右相称動物(Bilateria、カニやエビの様な節足動物の先祖筋)の進化が、全身を統括する中枢神経を備えないが故に動作が鈍重な放射相称動物(Radiata、ウニやクラゲやイソギンチャクの類)を圧倒する様になり、アノマロカリス(Anomalocaris、約5億2,500万- 約5億0,500万年)が生物史上初の「百獣の王(食物連鎖の頂点)」として君臨し、その後一切の末裔を残す事なく滅んでいった先例に辿り着くのです。
*ソフトウェアとしては「オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)」、すなわち観測原点をスッポリ覆う全球型スクリーンを等して世界そのものに接する認識システム…ルネ・デカルト(René Descartes、1596年〜1650年)も、イマヌエル・カント(Immanuel Kant、1724年〜1804年)も、オーギュスト・コント(Isidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年〜1857年)も経験知に依らない先験的直感を重視したが、要するにそれはこれの事だったというのが最近の私の立場。
数理モデルの世界ではさらに「無視可能な状態(Ignorable State=IS)」と「有意味な増大(Significant Increse)」や「有意味な減少(SR=Significant reduction)」の峻別が最重要課題となります。
*ここでいう「有意味な(Significant)」は概ね、その変化が(等間隔の連続尺度家の)N倍でなく(対数尺度上の)N乗で起こっている事を指す? その方が自然秩序には沿っている?
- まず筆頭に挙げられるのが、全体を「無視可能な状態(Ignorable State,1/root^xの世界)」と「有意味な状態(Significant State,root^xの世界)」とその境界線たる「切替領域(Current State、指数における-1から0を経て1に至る領域、対数関数における底(1/rootから1を経てrootに至る領域)」の区間に大別可能で、グラフが描く曲線も大きく異なるのに全体を通して「傾き」は一切変わらない指数関数・対数関数の世界。特に直交座標系(rectangular coordinate system/orthogonal coordinate system)や極座標系(polar coordinates system)や複素平面(独Zahlenebene/Komplexe Zahlenebene, 英complex plane)との接続の鍵を握る「1(root/root)」は観測原点「0」との距離「1」という形で単位円(unit circle)や単位球面(unit sphere)や単位球(unit ball)の半径を兼ねる。
Section Exponential_result Logarithm_result 1 Past root^-x log(1/root^x,base=root)=-x 2 Current root^-1=1/root log(1/root,base=root)=-1 3 Current root^0=root/root=1 log(1,base=root)=0 4 Current root^1=root log(root,base=root)=1 5 future root^x log(root^x,base=root)=x
- ベルヌーイ試行で用いられる(1/n)^nの式は、それ単体では急速に0に向けての収束を続けるだけである(数理上は無限小/無限大なので最終的に1に回帰するとされるが、その気配も見せない)。ところが「1」に複利式で利息を足す(1+1/n)^nの式はネイピア数e(指数関数e^1の値)、「1」をカードの山に見立て、これから1枚ずつカードを引くイメージの(1-1/n)^nの式は1/ネイピア数e(指数関数e^1の値)へと収束する。
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ちなみに全ての指数関数a^xがe^(log(a,base=e)*x)、全ての対数関数log(x,base=a)がlog(x,base=e)/log(a,base=e)に置換可能なので、数理的に指数関数の実態はe^n 、対数数関数の実態はlog(x,base=e)とも解釈し得る。また(極限の一種たる)指数関数e^nは何回微分しても式の形を変えない特徴でも良く知られている。
- どこまでも対象円に外接する正多角形の辺長の合計と外接する正多角形の辺長の合計の差を求め続けていくと(挟み撃ち算)超越数π(3.141593...)の値が得られ、ここに(内接円と外接円が完全に一致する)単位円(unit circle)/単位球面(unit sphere)/単位球(unit ball)の概念が発生する。ところで現実世界において正多面体はオイラーの多面体定理(頂点数-辺数+面数= 2)を満たさない限り存在し得ない。
*正多面体の研究もやはり有用性の影響を受けてきた。デザイン方面を除けば(平面充填性と空間充填性を備えた)正三角形/四面体や正方形/六面体、(黄金比と関係し空間充填性は備えた)正五角形/正十二面体、(平面充填性は備えた)正六角形などに比べ、例えば正七角形などは露骨に人気がない。
- 単位円を表すx^2+y^2=1が互いに直交するN次元の評価軸で構成される直交座標系上において半円しか描けないのはプラスマイナス90度(π/2)の遷移で相関係数が0になってしまうからである(なので実際に円を描く時には方便でy=sqrt(1-x^2)とy=-1*sqrt(1-x^2))。これはコサイン関数の特徴そのものでもあり、その一方で相関係数=0の概念こそが「座標の直交」概念の出発点となるのである。
とどのつまり複素数(2乗すると-1となる数)を用いてコサイン関数と(それを90度分ローテーションした)サイン関数を直交させれば自然に円が一筆書きで描ける。「オイラーの公式e^iΘ=cos(Θ)+sin(Θ)i」はこの発想に基づいている。
- 大き過ぎたり小さ過ぎたりする無理数を近似するテイラー展開(Taylor expansion)やマクローリン展開(Maclaurin expansion)にも「とりあえず1から出発すれば大丈夫」的な安心感が存在する。
こうした研究を参照しながら、オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)なる概念を思いつきました。これも「1」を掴んでから手放すまで有意味状態(種や国家や企業やビジネスモデルなどの存続)が続くモデルとなります。
正直いって今日なお、どうしてアノマロカリス(Anomalocaris、約5億2,500万- 約5億0,500万年)が生物史上初の「百獣の王(食物連鎖の頂点)」となり、その後一切の末裔を残す事なく滅んでいったのか、その事と「視覚とそれを処理する脊髄(ソフトウェアとしては「オイラーの原始量(Euler's primitive sweep)」、すなわち観測原点をスッポリ覆う全球型スクリーンを等して世界そのものに接する認識システム)」はどう関連していたかは謎に包まれたままです。我は事実上、上掲の様な数理モデルの研鑽を通じてしかこの謎に迫れないのですね。