「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【人間の認識可能な範囲外に存在する絶対他者】「数理モデル(実証主義科学)信仰」への挑戦者達

電脳空間に飛び込んだ人のイラスト(男性)

ここまでのまとめ。

およそ我々が「人間らしい」と感じる意識のあり方は、何処かで必ずある種の「幼児的万能感」や「魔術的意識」と結びついているものだが、それが如何なる挑戦(試練)にも遭遇せずに済んでいる状態が、コンピュータ工学上の用語でいう「割り込みも処理中のタスクも存在しない実際には存在しても特定の観点からは無視可能な状態のイベント待ち空ループ」である。

かかる世界観において時間はある意味、以下の4段階を経て進行し、再び空ループ状態に回帰する一連の「処理Process)」として規定される。

  • 絶対他社としての「問題意識そのもの」の台頭(当初は極めて限定された条件下でのみ認識されるので、その瞬間を確定するのは難しい)。
  • 問題として認識する事の拒絶や黙殺を含む)既存モデルへの問題意識の取り込み。

  • 既存モデルそのものに対する改変の遂行(混淆)。
  • 如何なる方法でも取り込めなかった内容を切り捨てる形での「問題意識そのもの」からの絶対他者性の剥奪。

コンピューターの動作は「割り込みInterruptと、それが呼び出すそれ自体は始まりも終わりもあるが、非同期動作すなわち新たなイベント待ちループを立ち上げる事もある処理Process)」によってのみ構成されているが、人間の意識には「動作しながらの動作原理そのものの改変」という対処(Coping)も含まれるのでこうなる訳である。

英語で "Copy" という返事について -ミリタリー物のドキュメンタリーや- 英語 | 教えて!goo

後期ハイデガーいうところの「集-立Gestellシステム特定の意図に従って手持ちリソース全てを総動員しようとする体制)」は、大前提として「元来は始まりも終わりも存在せず、ただ多様で多態的な刺激への反応が無限に連鎖していくだけのとどのつまり元来は借方と貸方の釣り合いだけに注目する複式簿記の世界認識方法と重なる縁起世界」に特定の主体がどう対処(Coping)してくかという観点から問題処理を照明した内容である。
*世界をビリアードの様な連続線型写像(continuous linear function)あるいは有界(線型)作用素(bounded [linear] operator)の相互作用と解釈すれば通常のベクトル空間におけるような代数的な操作に加え、興味のあるベクトルを他のベクトルで近似することが可能となる。これが関数解析学における基本的な枠組みで、この様に「特定の理論に立脚する量の計算が、他の理論に立脚する量の計算で近似可能」と考える事が数理における最も重要な出発点となる。

そしてその結果、あらゆる「問題解決行動Problem-Solving Behavior)」は「(解決可能な問題以外を視野外に追いやる事で成立した仮想世界Virtual world)」上で繰り広げられる壮大な自慰(Masturbation)にすぎず、実際には常に「それまで見落としてきたパラメーター」や「アルゴリズムの誤謬」によって社会が危機に見舞われるリスクに直面している、という観点が浮上して来る。

ここで鍵として浮上して来るのがユージン・ウィグナー(Eugene Wigner)が「自然科学における数学の理不尽なまでの有効性についてThe Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences、1959年)」で言及された以下の定理。

第一の点は、〈数学の概念は、まったく予想外のさまざまな文脈のなかに登場してくる〉ということ。
The first point is that mathematical concepts turn up in entirely unexpected connections.

しかも、予想もしなかった文脈に、予想もしなかったほどぴったりと当てはまって、正確に現象を記述してくれることが多いのだ。
Moreover, they often permit an unexpectedly close and accurate description of the phenomena in these connections.

第二の点は、予想外の文脈に現れるということと、そしてまた、数学がこれほど役立つ理由を私たちが理解していないことのせいで、〈数学の概念を駆使して、なにか一つの理論が定式化できたとしても、それが唯一の適切な理論なのかどうかがわからない〉ということ。 
Secondly, just because of this circumstance, and because we do not understand the reasons of their usefulness, we cannot know whether a theory formulated in terms of mathematical concepts is uniquely appropriate.

この二つの論点をさらに言い直すと〕第一の点は〈数学は自然科学のなかで、ほとんど神秘的なまでに、途方もなく役立っているのに、そのことには何の合理的説明もない〉ということ。
The first point is that the enormous usefulness of mathematics in the natural sciences is something bordering on the mysterious and that there is no rational explanation for it.

第二の点は〈数学の概念の、まさにこの奇怪な有用性のせいで、物理学の理論の一意性が疑わしく思えてしまう〉ということ。
Second, it is just this uncanny usefulness of mathematical concepts that raises the question of the uniqueness of our physical theories.

こうした「数理モデルMathematical Models)」の特徴を「科学理論の客観性が保証される為には、その仮説が実験や観察によって反証される潜在性を備えていなければならない逆をいえば科学理論とは、現段階ではきちんと反証を退けられている相応に信頼性の高い仮説の集合である)」と要約したカール・ポパーKarl Raimund Poppr, 1902年〜1994年)の信念に立脚するのが「数理モデル信仰Belief in Mathematical Models)」となる。

そう、あくまで「信仰」なので別種の「信仰」によって反対される可能性なら秘めている。しかもそれは「反証が成立されない限り、その仮説を棄却しない」と考える合理主義に立脚する「弱い」信仰なので「真理は最終的に必ず一つでなければならない」と考える「強い」信仰に対して決定的抵抗力を有している訳でもない。
*実際の科学実証主義は「ガザーリーの流出論」や「ルネサンス時代の新アリストテレス主義」の様に「確かに真理は最終的には必ず一つでなければならないのかもしれないが、人間は絶対神と異なり無知蒙昧な存在に過ぎないので誤謬を犯しやすく、その結果としての多様的で多態的な真理の汪溢に我慢しなければならない」なる信念にも裏打ちされた相応に「強い」信仰体系なのだが、この事実はむしろ歴史的には、以下に述べる様な「絶対他者の皮を被った反証者」による攻撃への脆弱性として機能してきた経緯が存在する。

カール・ポパーの信念そのものに反証するのは実に容易で「少しでも反証余地が存在する仮説など一切信用ならない。すなわち科学実証主義など所詮は全て完全なる砂上の楼閣に過ぎない」と断言してしまえば良いだけの話である。ただしもちろん、その時点においてかかる発言はそこまで強い発言が出来る「信念Belief)」の拠り所を問われる事になり、ここに以下の様な歴史が浮かび上がって来る。

  • まず真っ先に思い浮かぶのは19世紀アメリカにおいて開拓者精神(Frontier spirit)のバリエーションとして誕生した「超絶主義Transcendentalism、人間の理性の無誤謬性を信じる18世紀欧州の「理神論(Deism)」の延長線上に現れた、自らの神秘体験に基づいて「内なる良心の声」を絶対視する立場)」に対抗する形でエドガー・アラン・ポーEdgar Allan Poe、1809年〜1849年)やナサニエル・ホーンソーン(Nathaniel Hawthorne 1804年〜1864年)が提唱した不条理主義であろう。彼らのロマン主義に立脚するなら、そう割り切って考え抜けないギリシャ悲劇的「不条理英absurd、仏absurde、独Absurdität。いずれもラテン語の absurdus を語源とするが、その原義は「不協和」)」こそが人間性の源泉となるのである。

    不条理主義」そのものは、文化相対主義的観点から「多様性と多態性を重視する自由主義と十分に合致し得る。一方、自由主義と縁遠い環境下における科学は権力者との関係に著しい影響を受ける。「イスラム法で拘束してくる法学者ウラマーへの対抗手段としてスルタンが宮廷で庇護したアラビア哲学者最終的にスルタン側が敗北しアラビア哲学は壊滅)」「教皇庁保守化によってルネサンス期の繁栄が終焉したボローニャ大学パドヴァ大学それまでパドヴァ大学で勤務してきたガリレオの裁判はまさにこの時期の出来事)」「カソリック神学に対するイデオロギー的対抗手段として英仏の王侯貴族階層が学んだアラビア哲学者の注釈入りのギリシャ古典かくして現代に連なる実証主義科学の不可逆的発展が始まる)」「イデオロギー重視の共産主義圏に必然的に訪れた科学技術発展の停滞」など、実例に事欠かない。

  • カール・マンハイムKarl Mannheim、1893年〜1947年)は「保守主義的思考Das konservative Denken、1927年)」の中で19世紀において進歩主義すなわちここでいう「数理モデル信仰」)は(自分達の方が世界がどうあるかについて熟知していると確信しているが、個々の知識を一つの全体像に統合しようとなど考えた事もない)伝統主義者からそれが成立する条件の細分化、すなわち「世界の全体像そのもの」に対するイメージの再構築を拒絶する姿勢について攻撃されたと指摘する。もちろんそれは我が身にも跳ね返ってくる問い掛けであり、ここから保守主義の形成が始まるが、手段を選ばず既存価値観の可能な限りの存続そのものを目的とする(逆をいえば攻撃された箇所に対してのみ個々に反撃する一方、かかる反論の全体的統合は試みない)その粗雑な態度ゆえに必ずしも思想や信仰の域まで高められる事はなかったという。
    *そして「不条理こそが人間性の源泉」なる言い訳は、「いずれにせよ伝統は完全なる代替案が見つかるまで放棄すべきではない」なる主張と併せ、こうした論理上の綻びを誤魔化す免罪符としても機能してきたのである。

  • 問題は、所謂「革新主義Progressive)」側にも同様の傾向が見られる事で、オーストリアの名家出身で、実際にナチスからの迫害を受けて英国への亡命を余儀なくされた「経営学マネージメント理論の父ピーター・ドラッカーは「正義の絶対的批判者すなわち「絶対他者の皮を被った反証者」)」の仮面を被る一方、自らへの言及は決っして許さない政治的方法論を「典型的ナチス論法」と呼んでいる。

    ちなみに1930年代当時のドイツにおいて社会民主党SPD)の大統領内閣の独裁制ワイマール政権の成れの果て)を徹底弾劾によって打倒したのは「指導者原理De Führerprinzip)」を掲げるNSDAPDe Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei=国民社会主義ドイツ労働者党)とソ連スターリン崇拝を模倣して「指導者」エルンスト・テールマン(Ernst Thälmann、1886年〜1944年)を神格化していたKPD(Kommunistische Partei Deutschlands=ドイツ共産党)の共闘体制だったのだから、ピーター・ドラッカーいうところの「典型的ナチズム論法」は「典型的スターリニズム論法」と言い換えても良い。そしてかかる伝統は「アベ独裁政権打倒を叫ぶ日本共産党中央委員会幹部会委員長志位和夫選挙に拠らない方法で1990年に選出され、以降も一度も再選挙の試練を受けてない)」という形で今日の日本にもしっかり継承され続けている。

    日本共産党が普通の民主政党と異なる点

  • ここで鍵として浮上して来るのが、カール・マルクスKarl Heinrich Marx, 1818年〜1883年)が「経済学批判Kritik der Politischen Ökonomie、1859年)」の中で展開した「上部構造決定論」すなわち「我々が自由意思や個性と信じ込んでいるものは、実際には社会の同調圧力に型抜きされた既製品に過ぎない」なる思考様式で、そこにおいて提起された「万人の良心や理性が信用に値する訳ではないので、覚醒した一部の選民が全体を支配する革命が必要不可避となる」なる思考様式が、レーニン民主集中制Democratic Centralism)に継承された事がスターリニズムやナチズムの大源流となっていく訳である。まさしくローザ・ルクセンブルグが指摘した様に「プロレタリアート独裁」は、いともたやすくほとんど必然的に「プロレタリアートへの独裁」へと変貌を遂げたのであった。

    プロレタリア独裁 - Wikipedia

    ロシア革命において、レーニンが「どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接暴力で自ら保持する無制限の権力レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)」とプロレタリア独裁を規定し、彼の指導を批判したカール・カウツキー『プロレタリアートの独裁』に反論した。だが実際には、彼の指導する共産党支配は次第に、立法と執行が一体になったソヴィエト型政体、ひいては一党制や、法にもとづかない「反革命」弾圧・「粛清」をおこなう権力を意味するものへ変質していき、さらに1918年4月28日には『ソヴェト権力の当面の任務』で「個人の独裁はきわめてしばしば革命的階級の独裁の表現者であり、担い手であり、先導者であった」として個人の独裁も肯定し、鉄道管理などで企業内に無制限な個人独裁全権(ワンマン経営)を与えた。そして、スターリンマルクス・レーニン主義を定式化する際にレーニンにおいては社会主義社会への移行段階とされていたプロレタリア独裁段階の社会そのものを社会主義社会とする理論化をおこない、この規定の承認をコミンテルンの加盟要件の一つとしたために、ソ連とその流れをくむマルクス主義においては、プロレタリアート独裁とは、職業革命家による前衛党つまりは共産党の一党支配を意味するものとなったのである。

    とはいえ確かに権威主義的体制が生み出すルサンチマンが、フォルス(体制側暴力)でなくヴィヨランス(反体制的抵抗)として科学実証主義が元来期待される様な自由な発展を妨げるという構造も存在しなくはない。

    日本においても1930年代には人間の思考の多様性や多態性を容認する自由主義が右翼(軍国主義)と左翼(社会主義者)に挟撃されている。確かに諸勢力の拮抗状態だけが「究極の自由主義専制の徹底によってしか達成出来ない」ジレンマを緩和するという観点に立つ限り、それぞれが党争における排他的最終勝利を最終目的とするこれら「集-立Gestellシステム後期ハイデガーいうところの「特定の意図に従って手持ちリソース全てを総動員しようとする体制」)」はあくまで全部ひとまとめに「多様で多態な諸勢力の集合体」としか映らない。

    与謝野晶子 母性偏重を排す(1916年)

    私は人間がその生きて行く状態を一人一人に異にしているのを知った。その差別は男性女性という風な大掴おおづかみな分け方を以て表示され得るものでなくて、正確を期するなら一一の状態に一一の名を附けて行かねばならず、そうして幾千万の名を附けて行っても、差別は更に新しい差別を生んで表示し尽すことの出来ないものである。なぜなら人間性の実現せられる状態は個個の人に由って異っている。それが個性といわれるものである。健すこやかな個性は静かに停まっていない、断えず流転し、進化し、成長する。私は其処に何が男性の生活の中心要素であり、女性の生活の中心要素であると決定せられているのを見ない。同じ人でも賦性と、年齢と、境遇と、教育とに由って刻刻に生活の状態が変化する。もっと厳正に言えば同じ人でも一日の中にさえ幾度となく生活状態が変化してその中心が移動する。これは実証に困難な問題でなくて、各自にちょっと自己と周囲の人人とを省みれば解ることである。周囲の人人を見ただけでも性格を同じくした人間は一人も見当らない。まして無数の人類が個個にその性格を異にしているのは言うまでもない。

    一日の中の自己についてもそうである。食膳に向った時は食べることを自分の生活の中心としている。或小説を読む時は芸術を自分の生活の中心としている。一事を行う度に自分の全人格はその現前の一時に焦点を集めている。この事は誰も自身の上に実験する心理的事実である。

    このように、絶対の中心要素というものが固定していないのが人間生活の真相である。それでは人間生活に統一がないように思われるけれども、それは外面の差別であって、内面には人間の根本欲求である「人類の幸福の増加」に由って意識的または無意識的に統一されている。食べることも、読むことも、働くことも、子を産むことも、すべてより好く生きようとする人間性の実現に外ならない。

    与謝野晶子 激動の中を行く(1919年)

    巴里のグラン・ブルヴァルのオペラ前、もしくはエトワアルの広場の午後の雑沓初めて突きだされた田舎者は、その群衆、馬車、自動車、荷馬車の錯綜し激動する光景に対して、足の入れ場のないのに驚き、一歩の後に馬車か自動車に轢ひき殺されることの危険を思って、身も心もすくむのを感じるでしょう。

    しかしこれに慣れた巴里人は老若男女とも悠揚として慌てず、騒がず、その雑沓の中を縫って衝突する所もなく、自分の志す方角に向って歩いて行くのです。

    雑沓に統一があるのかと見ると、そうでなく、雑沓を分けていく個人個人に尖鋭な感覚と沈着な意志とがあって、その雑沓の危険と否とに一々注意しながら、自主自律的に自分の方向を自由に転換して進んで行くのです。その雑沓を個人の力で巧たくみに制御しているのです。

    私はかつてその光景を見て自由思想的な歩き方だと思いました。そうして、私もその中へ足を入れて、一、二度は右往左往する見苦しい姿を巴里人に見せましたが、その後は、危険でないと自分で見極めた方角へ思い切って大胆に足を運ぶと、かえって雑沓の方が自分を避けるようにして、自分の道の開けて行くものであるという事を確めました。この事は戦後の思想界と実際生活との混乱激動に処する私たちの覚悟に適切な暗示を与えてくれる気がします。

  • さらなる大源流として(オランダや英国やスイスの様に自然発生的に産業革命が導入可能だった国々と異なり、その前段階として構造改革が必要となったプロイセン王国(Königreich Preußen、1701年〜1918年)=ドイツ帝国1881年〜1918年)や大日本帝国(1868年〜1945年)やアメリカ合衆国(United States of America、1783年〜)の手本とされた)フランスのサン=シモン主義の樹立過程でアンリ・ド・サン=シモン(Claude Henri de Rouvroy、Comte de Saint-Simon、1760年〜1825年)と決別したオーギュスト・コントIsidore Auguste Marie François Xavier Comte、1798年〜1857年)の「実証哲学Philosophie positive)」も挙げられる。彼は「王侯貴族や聖職者といった不労所得階層rentier、ランティエではなく、実際の経済活動に従事する産業階級Le Industrialが国家経営の根幹を為すべきである」なるサン=シモンの主張自体には同意したが「産業階級内の各勢力の意見調整を行う職業としてなら、王権=政治家の存続を容認しても良い」なる(このイデオロギーがフランスの7月王政(1830年〜1848年)や第二帝政(Second Empire Français、1852年〜1870年)で採用可能となった主要因たる)妥協は拒絶し「科学者間の合議だけがあらゆる政治的判断の最終決定を担うべきである」という立場に固執した。しかも「純粋理性批判Kritik der reinen Vernunft、1781年A版、1787年B版)」「実践理性批判Kritik der praktischen Vernunft、1788年)」「判断力批判Kritik der Urteilskraft、1790年)」のイマヌエル・カントImmanuel Kant、1724年〜1804年)同様に「その判断基準は絶対に必ずしも道徳的基準に従うとは限らない数理モデルでだけはあってはならない」と強調したが、彼らが模索した数理モデル信仰の代替案、すなわち「神へ人間を向かわせる機縁としての道徳的理想に導かれた実践理性」なる概念が実際にイメージ可能な段階まで纏め上げられる事はなかったのである。
    *その意味合いにおいて「神へ人間を向かわせる機縁としての道徳的理想に導かれた実践理性」なる概念は絶対他者の領域に止まったともいえるし「それを実践可能な英雄(あるいはスーパー・コンピューター)だけが人類を善導出来る」なる属人(属コンピューター?)主義へと堕してしまったともいえそうである。そもそも一旦は徹底的に「(ハードウェア製造業者やソフトウェア・プログラマーやオペレーターといった)絶対他者」を外部に放逐する事によって数理モデルとの完全合致を見たのがコンピューター工学の世界なのだから、これは致命的悪手といえる。

要するに(政治的解決を科学的整合性の上位に置く)党争至上主義は、マキャベリ起源にせよカール・シュミット起源にせよ最終的には(ウォーラステインの世界システム論(World-Systems Theory)いうところの)世界帝国を志向し、その全体統合の悲願が成就した暁には(「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマが諸勢力の拮抗状態によって緩和される世界経済状態を喪失した代償として)以降、緩やかな衰退を余儀なくされる様なのである。こうした基本的因果関係に加え「絶対他者の仮面を被った実証主義科学への挑戦者」としては以下あたりが著名。

グノーシス主義(独Gnostizismus、英Gnosticism) - Wikipedia

1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った宗教・思想。物質と霊の二元論に特徴があり、英語の発音は「ノーシス」となる。

  • 通名詞としてのグノーシスは、古代ギリシア語で「認識・知識」を意味し、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向を特徴とする。
  • 地中海世界を中心とするもの以外に、イランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化のシンクレティズムの中から形成されたとみれる。代表的なグノーシス主義宗教としてはマニ教キリスト教の異端としてはカタリ派、ボゴミール派が著名。
  • 様々なバリエーションがあるものの、一般的に認められるのは、「反宇宙的二元論」と呼ばれる世界観である。反宇宙的二元論の「反宇宙的」とは、否定的な秩序が存在するこの世界を受け入れない、認めないという思想あるいは実存の立場である。言い換えれば、現在われわれが生きているこの世界を悪の宇宙、あるいは狂った世界と見て、原初には真の至高神が創造した善の宇宙があったと捉える。地上の生の悲惨さは、この宇宙が「悪の宇宙」であるが故と考えた事に由来する。現象的に率直に、真摯に、迷妄や希望的観測を排して世界を眺めるとき、この宇宙はまさに「善の宇宙」ではなく「悪の宇宙」に他ならないと考えたのである。ここでは「」と「」の対立が(ペルシャ帝国に国教として選ばれたゾロアスター教の様に)二元論的に把握される。まず、善とされる神々が、この悪である世界の原因であれば、それは悪の神であり「偽の神」である。となるとその場合、どこかに「真の神」が存在し「真の世界」が存在するはずだ、と考える。悪の世界は「物質」で構成されているので、故に物質も悪と判断する。物質で造られた肉体も然りである。一方、「」あるいは「イデア」が「真の存在」であり「真の世界」である、と解釈される。善と悪、真の神と偽の神、また霊と肉体、イデアーと物質、という「二元論」が、グノーシス主義の基本的な世界観である。こうした考え方が「宇宙論」と合わさって「反宇宙的二元論」という思想になった。
  • 物質からなる肉体を悪とする結果、道徳に関して、2つの対極的な立場が現れた。一方では禁欲主義となって顕われ、他方では、放縦となって現れる。前者は、マニ教に見られるように禁欲的な生き方を教える。後者は、霊は肉体とは別存在であるので、肉体において犯した罪悪の影響を受けないという論理の下に、不道徳をほしいままにするタイプである。4世紀の神学者アウグスティヌスがキリストに回心する前に惹かれたのは、前者の禁欲的なタイプであったと言われる。

そもそも現世そのものを(偽創造主が自分に都合が良い様に恣意的に改竄した)偽物と考えるのだから「(とりあえず反証が見つからない限り特定数理モデルを排除しない数理モデル信仰」と相容れない。実は公正世界仮説just-world hypothesis)または公正世界誤謬(just-world fallacy)の鏡像として成立した「Mean world訳語不明)」概念の大源流とも。

公正世界仮説(just-world hypothesis)または公正世界誤謬(just-world fallacy) - Wikipedia

この世界は人間の行いに対して公正な結果が返ってくる公正世界(just-world)である、と考える認知バイアス、もしくは仮説である。その世界観においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。欧州ではリスボン地震1755年11月1日)を契機に「理神論deism)」が優勢となった。

  • この世界は公正世界である、という信念を公正世界信念(belief in a just world)という。公正世界においては 今まで起こった全ての出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であり、そして今後もそうであるだろうことが期待される。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などの存在を暗示する。
  • 公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば自分は報われる」「信じる者自分は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を負ったものが輪廻転生したからだ」「カーストが低いのは前世でカルマが悪かったからだ」など、加害者や天災よりも被害者や犠牲者の「」を非難する犠牲者非難をしがちである。
  • 例えば「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、日本のことわざにもこの公正世界仮説を支持する言葉がある。この仮説は社会心理学者によって広く研究されてきており、メルビン・J・ラーナーが1960年代初頭に行った研究が嚆矢とされる。以来、様々な状況下や文化圏における、公正世界仮説に基づいた未来予測の調査が行われ、それによって公正世界信念の理論的な理解の明確化と拡張が行なわれてきた。

なお、実際の現実のこの世界より過剰に公正な世界観を定義する用語である「公正世界」とは反対に、実際の現実世界より過剰に邪悪な世界観を定義する用語は「Mean world訳語不明)」と言う。
*要するに「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成されるジレンマ」の事? 荒川弘鋼の錬金術師(2001年〜2010年)」での「お父様」の主張…

また、公正か邪悪かはともかく、「この世界」が取り得るすべての世界(「可能世界(possible world)」)の中で最も善い世界のことを「最善世界Best of all possible worlds)」と言い、ゴットフリート・ライプニッツによると現実の「この世界」自身が「最善世界」だという。

エコテロリズム(Eco-terrorism) - Wikipedia

1987年に初めて用いられた用語で、当初から「政府を脅すために環境を破壊したりあるいは破壊の脅威を与えること」という用例と「環境に害を与える活動をしているとされる企業や政府組織に対して加えられる犯罪行為」という用例が共存してきた。アメリカ連邦捜査局のテロリスト分類では、エコテロリズムを行う者をエコテロリストeco-terrorist)と呼称している。

リスボン地震1755年11月1日)を契機にルソーが提唱した「あらゆる科学的発展が自然を司る神の意図にそぐわない」と考える原理主義的自然回帰派(Fundamentalic Naturarism)の立場。当然「(とりあえず反証が見つからない限り特定数理モデルを排除しない数理モデル信仰」と相容れない。

他の例も見つけたら、随時追加していく。