「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【人間の認識可能な範囲外に存在する絶対他者】「数理の確からしさと不確かさ」について

電脳空間に飛び込んだ人のイラスト(女性)
今回の出発点はここ。

考えてみれば、後期ハイデガーいうところの「集-立Gestellシステム特定の意図に従って手持ちリソース全てを総動員しようとする体制)」は、大前提として「元来は始まりも終わりも存在せず、ただ多様で多態的な刺激への反応が無限に連鎖していくだけのとどのつまり元来は借方と貸方の釣り合いだけに注目する複式簿記の世界認識方法と重なる縁起世界」に特定の主体がどう対処(Coping)してくかという問題に焦点を当てたもの。
*世界をビリアードの様な連続線型写像(continuous linear function)あるいは有界(線型)作用素(bounded [linear] operator)の相互作用と解釈すれば通常のベクトル空間におけるような代数的な操作に加え、興味のあるベクトルを他のベクトルで近似することが可能となる。これが関数解析学における基本的な枠組みで、この様に「特定の理論に立脚する量の計算が、他の理論に立脚する量の計算で近似可能」と考える事が数理における最も重要な出発点となる。

そしてその点、あらゆる「問題解決行動Problem-Solving Behavior)」は「(解決可能な問題以外を視野外に追いやる事で成立した)仮想世界(Virtual world)」上で繰り広げられる壮大な自慰(Masturbation)にすぎず、実際には常に「それまで見落としてきたパラメーター」や「アルゴリズムの誤謬」によって社会が危機に見舞われるリスクに直面している。

 ここで鍵として浮上して来るのがユージン・ウィグナー(Eugene Wigner)が「自然科学における数学の理不尽なまでの有効性についてThe Unreasonable Effectiveness of Mathematics in the Natural Sciences、1959年)」で言及された以下の定理。

第一の点は、〈数学の概念は、まったく予想外のさまざまな文脈のなかに登場してくる〉ということ。
The first point is that mathematical concepts turn up in entirely unexpected connections.

しかも、予想もしなかった文脈に、予想もしなかったほどぴったりと当てはまって、正確に現象を記述してくれることが多いのだ。
Moreover, they often permit an unexpectedly close and accurate description of the phenomena in these connections.

第二の点は、予想外の文脈に現れるということと、そしてまた、数学がこれほど役立つ理由を私たちが理解していないことのせいで、〈数学の概念を駆使して、なにか一つの理論が定式化できたとしても、それが唯一の適切な理論なのかどうかがわからない〉ということ。
Secondly, just because of this circumstance, and because we do not understand the reasons of their usefulness, we cannot know whether a theory formulated in terms of mathematical concepts is uniquely appropriate.

この二つの論点をさらに言い直すと〕第一の点は〈数学は自然科学のなかで、ほとんど神秘的なまでに、途方もなく役立っているのに、そのことには何の合理的説明もない〉ということ。
The first point is that the enormous usefulness of mathematics in the natural sciences is something bordering on the mysterious and that there is no rational explanation for it.

第二の点は〈数学の概念の、まさにこの奇怪な有用性のせいで、物理学の理論の一意性が疑わしく思えてしまう〉ということ。
Second, it is just this uncanny usefulness of mathematical concepts that raises the question of the uniqueness of our physical theories.

そして「数理モデル信仰Belief in Mathematical Models)」は、かかる信仰上の疑念を超克すべく以下の様な信念体系を構築してきたのである。

  • ガザーリーの流出論」…「神は無謬の存在の筈なのに、どうしてこの世には悪や対立が存在するのか」なる神義論(theodizee)上の伝統的設問に対し、スンニ派古典主義を完成させたイスラム神秘主義者(Sufi)のガザーリーAbū Ḥāmed Muḥammad ibn Muḥammad al-Ṭūsī al-Shāfi'ī al-Ghazālī 、1058年〜1111年)がネオ・プラトミズムの流出論を用いて「神の英知そのものは確かに無謬であるが、神の英知は理念の世界から現実の世界へと全方向に向けて流出していく過程で数多くの誤謬を累積させていき、やがては矛盾や対立、さらには悪をも誕生させる」とした。さらにイベリア半島コルドバに生まれた著名なベルベル人アラビア哲学者 / アリストテレス注釈者イブン・ルシュド / アヴェロエスabū al-walīd muḥammad ibn ʾaḥmad ibn rušd / Averroes, 1126年〜1198年)がこの考え方を応用して「(ユークリッド幾何学に対する非ユークリッド幾何学の様に、それぞれは内的に無矛盾な同じ範囲を扱いながら内容が異なる数理モデル」が並行して存在し得る可能性を指摘。これが欧州に伝わってラテン・アヴェロエス主義となる。
    *ここでは「人間の知恵が最終的に神の叡智に辿り着けるとは限らない実存不安」が各有識者の舌鋒鋭いイデオロギー展開に宗教的敬虔さを加える事が期待されている。

  • 「(ウィリアム・マクニール「ヴェネツィア――東西ヨーロッパのかなめ、1081-1797(Venice: the Hinge of Europe, 1081-1797,  1974年)いうところの新アレストテレス主義哲学」…「実践知識の累積は必ずといって良いほど認識領域のパラダイムシフトを引き起こすので、短期的には伝統的認識に立脚する信仰や道徳観と衝突を引き起こす。逆を言えば実践知識の累積が引き起こすパラダイムシフトも、長期的には伝統的な信仰や道徳の世界が有する適応能力に吸収されていく」と考える未来志向的思考様式。16世紀イタリア・ルネサンス期において人体解剖学上の発展を主導した(当時におけるヴェネツィア実用主義の拠点パドヴァ大学や(カソリック教学とローマ法学の総本山ボローニャ大学において、ラテン・アヴェロエス主義の延長線上に現れた科学実証主義の直接の大源流。
    *ここでは「真理は一つだが、そこに至る過程は一つとは限らない」と考える事が現実世界に実在する信念の多様性と多態性の容認につながっていく。

  • 理神論deism)」…18世紀イギリスで始まり、フランス・ドイツの啓蒙思想家に受け継がれた哲学・神学説。神が世界を超越する創造主である事は認めつつ、その活動は宇宙創造時点の初期状態創出に限られ、以後の宇宙発展は自力で達成されてきたと看做す。人間理性の存在をその説の前提とし、奇跡・予言などによる神の介入はあり得ないとして排斥。リスボン地震1755年11月1日)を契機にゴットフリート・ライプニッツの神義論(theodizee)が崩壊したのを契機に欧州において主流となった。
    絶対神の偉大さを敬遠(敬いつつ遠ざける)するこうした思考様式は「文明の発展そのものがあらゆる悪の根源」と考えその全面廃絶を訴える「自然原理主義(Fundamental Naturalism)」や、「そもそも真理は一つではない」と考えてあらゆる正義や悪の在り方を容認する「文化相対主義(Cultural relativism)」の大源流ともなってきた。要するに自然主義と現実主義の狭間に存在する揺らぎ…

    公正世界仮説(just-world hypothesis)または公正世界誤謬(just-world fallacy) - Wikipedia

    この世界は人間の行いに対して公正な結果が返ってくる公正世界(just-world)である、と考える認知バイアス、もしくは仮説である。その世界観においては、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる、と考える。

    • この世界は公正世界である、という信念を公正世界信念(belief in a just world)という。公正世界においては 今まで起こった全ての出来事が、公正・不公正のバランスを復元しようとする大宇宙の力が働いた「結果」であり、そして今後もそうであるだろうことが期待される。この信念は一般的に大宇宙の正義、運命、摂理、因果、均衡、秩序、などの存在を暗示する。
    • 公正世界信念の保持者は、「こんなことをすれば罰が当たる」「正義は勝つ」など公正世界仮説に基づいて未来が予測できる、あるいは「努力すれば自分は報われる」「信じる者自分は救われる」など未来を自らコントロールできると考え、未来に対してポジティブなイメージを持つ。一方、公正世界信念の保持者が「自らの公正世界信念に反して、一見何の罪もない人々が苦しむ」という不合理な現実に出会った場合、「現実は非情である」とは考えず、自らの公正世界信念に即して現実を合理的に解釈して「実は犠牲者本人に何らかの苦しむだけの理由があるのだ」という結論に達する非形式的誤謬をおこし「暴漢に襲われたのは夜中に出歩いていた自分が悪い」「我欲に天罰が下った」「ハンセン病に罹患するのは宿業を負ったものが輪廻転生したからだ」「カーストが低いのは前世でカルマが悪かったからだ」など、加害者や天災よりも被害者や犠牲者の「」を非難する犠牲者非難をしがちである。
    • 例えば「自業自得」「因果応報」「人を呪わば穴二つ」「自分で蒔いた種」など、日本のことわざにもこの公正世界仮説を支持する言葉がある。この仮説は社会心理学者によって広く研究されてきており、メルビン・J・ラーナーが1960年代初頭に行った研究が嚆矢とされる。以来、様々な状況下や文化圏における、公正世界仮説に基づいた未来予測の調査が行われ、それによって公正世界信念の理論的な理解の明確化と拡張が行なわれてきた。

    なお、実際の現実のこの世界より過剰に公正な世界観を定義する用語である「公正世界」とは反対に、実際の現実世界より過剰に邪悪な世界観を定義する用語は「Mean world訳語不明)」と言う。
    *要するに「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成されるジレンマ」の事? 荒川弘鋼の錬金術師(2001年〜2010年)」での「お父様」の主張…

    また、公正か邪悪かはともかく、「この世界」が取り得るすべての世界(「可能世界(possible world)」)の中で最も善い世界のことを「最善世界Best of all possible worlds)」と言い、ゴットフリート・ライプニッツによると現実の「この世界」自身が「最善世界」だという。

  • 「(米国プラグマティズムにおける実用主義」…「神は解決不能な問題は用意なさらない」なる信念(Belief)に基づいて「問題解決に実効ある要素」にのみ注目し続ける楽観的立場。その即物性から「道具主義」と揶揄される事も。

  • 反証可能性Falsifiability必須論」…カール・ポパーKarl Raimund Poppr, 1902年〜1994年)の科学論におけるもっとも重要なテーゼ。科学理論の客観性を保証するためには、その仮説が実験や観察によって反証される可能性がなければならないというもので、つまりポパーによれば科学理論は反証される潜在性をもつ仮説のあつまりであり、反証に対して抵抗力のある(=反証に対してき ちんと反論できる)ものが信頼性の高い科学理論となる。
    *科学実証主義側が、暴走を続ける各論に対して隔壁を落とした形?

そう、これ実は信仰の問題。だから議論によっては決して解決しないという…