「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【これまでの投稿まとめ】「世界中が党争至上主義に巻き込まれてきた不幸な歴史?

これまでの投稿のまとめその1。大体こういう歴史観に立脚してきた?

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  • 「(議会制民主主義を「所詮は政治的統合が不可能な愚民代表を寄せ集めただけの烏合の衆による、決められない迷走政治」と侮蔑し、インテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層の間における(カール・シュミットの政治哲学いうところの友敵関係(Freund-Feind Verhältnis)を通じての)例外状態(Ausnahmefall)形成を現実問題解決より優先する党争至上主義」と「(そうした思考様式に対する徹底抗戦を提唱する無政府主義」の対峙。

    マルクス主義プロレタリアート独裁を資本制社会から共産主義社会への過渡期の現象として把握したのに対して,C.シュミットは例外状況=独裁を政治の普遍的現象として位置づけた。それは政治の本質を友敵関係に限定した彼の思想の必然的な帰結でもある。

    *その一方で無政府主義側も「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマが(オーギュスト・ブランキの様な中世的神秘主義への回帰を切望したロマンチストやバクーニンの様な階級闘争至上主義者が嫌う相応の勢力均衡によってしか達成し得ないという問題を抱えている。

    党争至上主義の対語としての階級闘争至上主義…ここでいう「階層闘争」はあくまで何らかの形における伝統的秩序の既得権益者だった「王党派」と、その枠外に追いやられたフランスのサン=キュロット(自営業者や浮浪小作人フランス革命当時のジャコバン派)階層、開放令によっても救済されずミール(1861年農奴解放令後、領主に代わって大抵の分与地を集団的に所有する様になり、農民への割り当てと財産に関するさまざまな監督を担当した農村共同体)に自由を束縛され続けたロシア農奴ロシア革命当時において常備軍同様にソビエト(労農民兵評議会)結成の核となった)、アメリカ開拓時代の残滓ともいうべき(中央集権的体制の干渉に対して、あくまで家父長制や黒人奴隷制度の伝統を守り抜こうとした南部農場主の)ジェファーソン流民主主義、カリブ海砂糖農園の黒人奴隷(開放後はそれぞれが零細自作農化して特定に政治的勢力を形成しなかった)といった「(「領主が領土と領民を全人格的に代表する農本主義的権威体制」と18世紀フランス重農派が提唱した「土地価値説」の間に現れた多様で多態的な前近代的プロレタリアート階層」の間における調整不可能な利害対立に立脚する。それぞれの集団があまりにも多様で多態的過ぎる上、どれも(中央集権化の流れに集団として対抗し得ず、内ゲバで自滅していったフランスや英国の大貴族連合の様に産業革命浸透に始まる近代化の波を乗り越えられなかったので、カール・マルクスは(実はパリ6月暴動(1832年)や英国チャーチスト運動1830年代後半〜1850年代)の影の主役だった)出稼ぎ外国人労働者への同情を出発点として「労働価値説すなわち「資本家と労働者の間には調整不可能な利害対立が存在する」という基本的立場から出発する考える新たな階級闘争至上主義を再建。その世界観においては農民も自営業者も一切の基本的人権を剥奪され「労働者の利便を最優先で図るべく、少しでも安価な生活必需品を供給する為に未来永劫、徹底的に搾取され続けるそればかりかしばしば社会不満のガス抜きとして面白半分に虐殺される新興奴隷階層」と位置付けられたが、これは2月/3月革命(1948年〜1949年)における農民の裏切り(自らの要求が満たされたのを契機に勝手に撤兵し、これに続いた都市住民の蜂起に対する殲滅作戦を見殺しにした上、それに続いた選挙で王党派を圧勝させる)や、自営業者の以降の政権に対する(経済的見返りを求めての)忖度の激しさを思えば致し方のない事だった(毛沢東も「伝統的富裕層は基本的に如何なる時代をもあらゆる手を尽くして生き延びる。新興富裕層は基本的に自らの立身出世を許した体制を熱狂的に擁護する保守派となる。貧困階層は貧し過ぎて自ら事を起こす余力がない。革命を志向するのは常に進退窮まった伝統的富裕層や新興富裕層の没落組である」「従って革命を成功させるには、まず野盗を嗾(け)しかけて彼らが縋(すが)れる安定的日常を破壊し尽くし、しかる後にその野盗を滅ぼし尽くして救世主として迎え入れられるのがもっとも正しい」と述べ、しばしばこの理論の実践によって成功を勝ち取ってきた)。そしてこうした経験が、さらに労働者をも「(何時裏切っても不思議ではない共産主義潜在的敵勢力」切り捨る形で所謂「ボリシェヴィズム民主集中制」が完成する。

    *現代人が「無政府主義者」と聞いて連想する「国家が存在する必然性を一切認めない個人主義者」なるニュアンスにはまた別の歴史が存在するが、結局「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマに直面する羽目に陥る点は変わらない。

  • 「(十分な火力と兵員動員能力を備えた常備軍を中央集権的官僚体制の徴税によって賄う主権国家」間における勢力均衡状態と「(可能な限り特定主権国家の機能的精神的後詰に依存せず、国家によって独占されてない当時の汎用的な産業インフラ(技術基盤と経済基盤)によってのみ維持されてきた世界経済」の対峙。

    社会的成功者のみがインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層を形成する「市民権Citoyenneté)」概念が樹立されていく(そして没落貴族が庶民に合流し続けることによって大衆文化が底上げされていく)近世化/近代化のプロセスは、英国においては大貴族連合が「薔薇戦争Wars of the Roses、1455年〜1485年 / 1487年)」なる壮絶な内ゲバで自滅してしまい「新たなる王国の藩屏」ジェントリー(郷紳)階層が形成され(没落組が起死回生を賭して)インドやカリブ海へと進出していく形で、フランスにおいては「(百年戦争(1337年 /1339年終焉後のフランスにおいて粛々と中央集権化を進めるルイ11世への大貴族連合の反抗であり、かつ自滅に終わった公益同盟戦争1465年~1483年)」や「(ルイ13世時代における母妃マリー・ド・メディシスの摂政政治(1610年〜1617年)やリシュリュー枢機卿の摂政政治(1624年〜1643年)の延長線上に現れた外国人宰相(イタリア系)マザランと外国人王妃(スペイン系)アンヌ・ドートリッシュが権力を握った法服貴族と帯剣貴族がそれぞれ激怒して蜂起して自滅したフロンドの乱1648年〜1653年)」によって大貴族連合が自滅し、史上初めてフランス社会に新興産業階層を根付かせた「馬上のサン=シモン」皇帝ナポレオン3世の政治的自滅を契機に「二百家」あるいは「権力に到達したブルジョワジー」と呼ばれるインテリ=ブルジョワ=政治的エリート階層とこれに下属する様になった上層プチブル階層の寡占支配体制が樹立する形で達成される展開を迎えたのだった。

    *しかしながら、以降のフランス共和制は党争至上主義の悪弊に嵌っていく。

    その一方で「地図の完成」「蒸気機関車や蒸気船や冷蔵技術の発展」といったインフラの進歩によって世界中の流通網が一つに結ばれ、これが産業革命浸透による生産力の過剰化と合間って消費経済の主体を伝統的ブルジョワ=インテリ=政治的エリート階層から無数の庶民に遷移させる。

    そして食品の世界に起こった変化が出版分野や娯楽産業へと飛び火した。

  • 総力戦国家至上主義)体制」と「資本主義産業至上主義)体制」の対峙

    国際的には以下を結びつけて一つの時代区分と考える仮説も存在する(総力戦体制論)。

    • 欧州先進諸国が第一次世界大戦1914年〜1918年期の総力戦で被った痛手の大きさは、当時激減した自由商品貿易が総生産額に占める割合が1970年代までそれ以前の水準に復帰する事はなかった」という統計的事実…日本の戦国時代でいうと「小氷河期到来に伴う全国規模での略奪合戦の激化」?

    • この時期における万国の労働者が国境を越えて連帯しようとする世界革命志向と各国も成立した労働者主導主導型政権が政府の力で市場を制御下に置こうとする国家主義志向の衝突」…日本の戦国時代でいうと一向衆などの惣村土一揆の全国ネットワークと各地国人一揆の対立と共働? 江戸時代に入ると東本願寺西本願寺が分裂して沈静化。

    • 世界恐慌発生に伴って1930年代に進んだブロック経済」…日本の戦国時代でいうとスケールメリットを追求する小田原北条家の様な新世代戦国武将の台頭や楽市楽座による御用商人選定過程など? 江戸幕藩体制化において株仲間(全国を結ぶ富農・富商のネットワーク。参勤交代実現の為に遂行された交通インフラ整備の産物)が(各藩の経済的自立を担っていた)御用商人を駆逐してしまう。先頭に立ったのは京都の西陣織商人だったとも。

    • 冷戦発生に伴う世界の二分化」…日本の戦国時代でいうと織田信長包囲網の構築と挫折。

    そしてこの仮説では現在を「既にその軛から脱しているが、次に目指すべき体制が見つかってない過渡期」と考える。

こうした全体像を俯瞰して「人類は次第に特定のアルゴリズムへの依存性を高めつつ、視野外のデータやアルゴリズムの発見、および既存のデータやアルゴリズムにおける間違いの発覚が引き起こすであろう大変動に向けられる実存不安に対する心理的耐性を高めてきた」と総括してきた訳です。