「諸概念の迷宮(Things got frantic)」用語集

本編で頻繁に使うロジックと関連用語のまとめ。

【欧州歴史区分】欧州中世における「ロマネスク時代(10世紀~12世紀)」について。

欧州において「ノルマン的なるもの」が単なるヴァイキング行為(北欧諸族による略奪遠征)の主体でなく欧州文明の基底を為した何かとしてノスタルジックに振り返られる場合、それは概ねロマネスク(Romanesque)時代(10世紀〜12世紀)にノルマン貴族を中心とする(西ゴート王国末裔たる)アストゥリアス貴族や(ランゴバルト王国末裔たる)ロンバルディア貴族や(ブルグント王国末裔たる)ブルゴーニュ貴族の部族的紐帯が残した(エルサレム、ローマ、イベリア半島サンティアゴ・デ・コンポステーラ)礼文や(民間のアニミズム信仰を積極的に取り入れた)クリューニュー修道会運動や(日本でいうと修験道に近い僻地での修行に執着する)シトー修道会運動といった文化遺産を指します。

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カール大帝ザクセン戦争(772年〜804年)を契機に北欧諸族の文明化が始まったが、それはハスカール(従士)によって組織されたヴァイキング(北欧諸族による略奪遠征)の始まりでもあった。

とはいえ彼らの部族社会は文明化の過程で崩壊し、名家として残る事なく圧倒的多数を占める領民にただ飲み込まれてしまう。

それは(エルサレム、ローマ、イベリア半島サンティアゴ・デ・コンポステーラを目的地とする)礼文イベリア半島におけるレコンキスタ運動(711年~1492年)が発展し、エルサレム十字軍国家が建設された十字軍運動(11世紀末~13世紀末)が始まった時代でもあったのです。

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【欧州歴史区分】欧州中世における「建築史上の暗黒時代(8世紀~10世紀)」について。

建築史上の暗黒時代
(The Dark Age of Architectural History, 8世紀~10世紀)

欧州の伝統的中世区分では、ほぼ(古代末期を除去した)中世前期に該当。当時の欧州文化圏は木造建築中心で後世に代表的建築物が残されず、かつ利用可能な文字史料も限られる為当時の建築様式の復元が殆ど不可能とされている。

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【「諸概念の迷宮」用語集】「封建時代」とは一体何だったのか?

特定の誰かの自由のみを無制限に尊重し続ける体制は、それ以外の人間に一切の自由を認めない専制体制に成り果てる。

ここで述べた「究極の自由主義専制の徹底によってのみ達成される」ジレンマは、体制史上何よりもまず最初に中世的な「領主が領民と領土を全人格的に代表する農本主義的権威体制」から近世的な「必要にして充分なだけ火器と機動力を装備した常備軍を中央集権的官僚制が徴税によって賄う主権国家体制(Civitas sui Iuris)」への推移として現れねばなりません。「主権は宮廷=国家側にあるのか、それとも国民側にあるのか?」なる議論が成立するのは、あくまでその次段階なのです。

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【「諸概念の迷宮」用語集】「イオニア人植民市」クラゾメナイの興亡

元来はドーリア人が建設した都市だった?

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クラゾメナイ古希: Κλαζομεναί

イオニア同盟の一員だったイオニア古代ギリシア都市。アナトリア半島の西海岸、現在のウルラ (Urla) にあたり、イズミル湾の南岸、イズミル西方20マイルほどのところに位置していた。

  • もともとはアナトリア本土にあったが、紀元前5世紀イオニアの反乱のころアケメネス朝から逃れるために海岸にほど近い島に移転。その後、アレクサンドロス3世が本土とつなぐ道を建設させた。

都市には港があり、海に面した平野と南の低い丘に人々が居住していたが、市街地は徐々に移動していった。市街地の北にあった Karantina という島も歴史上のある時点からクラゾメナイの一部となっている。

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【「諸概念の迷宮」用語集】「イオニア人植民市」テオスの興亡

ミニュエス人の建てた都市?

テオス古希: Τέως、TeosないしはテオTeo

イオニア地方沿岸部のキュトリウム (Chytrium) とミョネスス (Myonnesus) というふたつの半島の間に位置していた古代ギリシアの都市。

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